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2020 読んで染み付いた本 feat.noise

今年読んだ本、いろいろありました。なんとなく、一月から記録を付け始めて、気づけば年末がすぐそこに。でいつの間に2021に。雪を直接見る代わりに、LINEの連絡画面に降っている疑似雪で、冬の訪れを感じるという、なんともバーチャルな感じのやつです。

さて、今年(もう昨年)読んだ本の中から、これは忘れられないという本をちゃんと紹介しようと思ったのですが、ただ紹介するなんてツマラナイので、ノイズ多めの記事を書くことにしました。ノイズ多めの記事って何?って、それは読めば分かりますよ。

ということで、参りましょう。

ヒロアカの麗日お茶子みたいな口調と、遅さ

まず特徴的だったのは、口調というか、文の調べの雰囲気が優しいなと感じたということですね。誰かの口調に似ているなと思ったのですが、僕のヒーローアカデミアに出てくる麗日お茶子(うららかおちゃこ)というキャラクターのそれに似ていました。えぇ確かに。確か、2001年出版のを借りたんですが、実は2004年出版の方を借りていたようでした。内容は、多岐にわたると言っていいかと。労働、環境、障がい者、建築、子ども。「遅い」ということを大事にしようというか、もっと寛容さを涵養しなければいけないんだなと思わされた、一冊といったところでしょうか。えぇ。頑張りません。頑張りません。繰り返しそういうことを書いてあるものは、これが初めてというか、頑張らないってっどういうことだろうと、ついつい考えてしまいました。

絵がかわいくて呼吸が大切だと知る言葉のやつ

まず絵が可愛いですね。絵本を読んでいる感じがするのに、内容はしっかりしていて。大学二年生になったばかりに読んだやつですが、小さな子にも全然楽しんでもらえるかもしれないとワタシが勝手に期待を押し付けるやつですね。あぁ。鬼滅の刃っていうの、ありますよね。呼吸のやつ。呼吸って、漫画だけじゃなくて、人間の身体というか、人間の言葉の発展にも、なるほど少なからぬ重要な位置を占めているのだなと。呼吸がなぜ、言葉にとっての大切なのか。あ、赤ん坊とか、クジラとか見てみるといいかも。

旅とは観想であるのやつ:他

一年生の時に、課題で参考にした覚えがあるやつです。観想って言葉は、確か「テオーリア」というギリシャ語が基になっていたような気がします。アリストテレスだっけかと。旅とはなんであるか。それは、観想であると、この本から学びました。だけど、それはあくまで一個人の主観に過ぎない偏見であるからして、信じる必要はありません。あくまで、参考ですから。というのも、ワタシ自身「旅」とはなんであるかについて、まともな答えがでていからですね。分かったところで、かもしれませんが、ワタシが納得できる定義くらいは欲しいじゃあありませんか。「旅」というものを通して、人間の欲望や、インフラや、歴史について探ってみるのも、いいかもしれませんよ。

日本語簡素になりすぎだろっていう危機感ね

固定電話恐怖症ということばを思いついたのが、この本を読んでいる時でした。これはワタシのオリジナルの言葉だろうと思って検索してみると、既に固定電話恐怖症のような言葉があったのは、ちょっと残念。今年の一月か二月くらいに読んだ本ですが、内容が、ビキビキと来るもので、今でも忘れられないですというか。言葉を使う度に、あぁ、ワタシの日本語~と感じてしまうというか。口語体と文語体の違いを、きちんと学んでこなかったので、とても参考になりました。しかしどうして、日本語の本なんて読むようになったのかというと、一体どうしてなんでしょうか。と思っていると、斎藤孝という人の本を読んで、英語が中途半端にしか話せないよりも、日本語をきちんと話せたほうがいいよねという独断を成したからでしょうか。変に英語を織り交ぜているものよりも、素敵な(主観)日本語を奏でている歌のほうが好きです。混ぜるな、危険?

善という狂気

今では、そんなに驚く事でもないなと思うのですが、当時これを読んだ時は、衝撃でしたね。そしてそこから、興味がなかった哲学に傾倒し始めて、色々と計画が狂っていったことを想い出さないではいられません。「桎梏」という言葉がかっこよくて使い始めたのも、この本を読んだ頃からでした。あぁ、大学生になって一番影響を受けた人を、この本の著者にして、ポカンとされたいたのは、苦味しかない出来事のような。正義や、善を、どこかで絶対視していた自分を、殺して、揺るがしてくれた良書かなと思います。僕のヒーローアカデミアという作品をより多様な視座で理解することを可能してくれたのも、この本のおかげだと思いますよ。

環境ってやっぱでかい

個人の力ではどうにもできないことがある。そう思ったものでした。ギリシア悲劇でも、アイスキュロスやソフォクレスが描く作品の、運命に翻弄される主人公のようにとはいえないかもしれませんが、生れた土地によって、こうも差異が生まれるのかということを、学んだものです。同質性の暴力が支配者である現代だからこそ、「違い」というものが愛しくもあり、非常に怖いものでもある、違いというものを、改めて認識しました。同じであることに、あまりにも当たり前になっていた自分がいました。ここから、偶然性や差異を受け入れようという土台ができ始めたのかなと感じてますええ。感染症にも触れていて、これってある意味、現在の状況における(大)移動が起こった場合の惨劇のようなものを、表しているのかなと、なんとなく感じましtあ。感染症への抗体を持っている者とそうでないもの出会いが、危険なのは、昔からかわりないのでしょう。

哲学からの逸脱!

お前のそれ、哲学ちゃうでと。人間のやりがちなパターン化・直線化本能を防いでくれる一冊でしょうか。なにより、なによりもね、読みやすい!字も比較的大きいし、本自体のサイズも大きくない。時系列的に、哲学と哲学から逸脱の流れを、分かりや~すく教えてくれて。大学の講義を適当に受けるよりも、これ読みこんだ方がええやんけと思ってしまうくらいに、初心者にとっては、おすすめなのであろう。反対から見るというか、常に一つの流れのなかに、物事があるのではないのだなということを、痛感しちゃったやつ。しかもインタビュー形式のものを書き起こして編集したというのだから、これほどのものを語れること自体に驚き。ワタシも、カッコよく、素敵に、語れる人間になりたい。

便器みたいな歯が嫌いらしい

家が物じゃない。食事が、白という暴力に侵されていない。あこれ、高校生の時に読んだような気がする。そう思って教科書を振り返ると、なるほど教科書に掲載されるほどの文章なのだと知った。教科書で読んだことのある文章を見つけると、ちょっと嬉しい。夏目漱石の「こころ」はありきたりだけど、そうだなぁ・・・「貨幣と絵画は嘘をつく」みたいなタイトルの文を、本を読んでいる時にみつけたのも、ちょっとワクワクとノスタルジーを感じた。さて、「陰」「蔭」「影」「翳」と、「かげ」と発音できるものは、たくさんある。公害に溢れた世界で、その「かげ」のもう一度、教えてくれるものですね。(人によっては初めてかもしれないけれど)あと、この本は「旅」とか、「インフラ整備」についても、ちょっと批判的な視点を添えて書いていて、たしかにこれも暴力かもしれんなぁと、近代の恩恵をしっかり受けているわが身を、結構恥じたものです。

浮標(プイ)みたいな有象無象による短見への批判

物理的には、出会い得ない。だけど、着実に、社会というものを形成し、影響を微力ながら、いやけたたましいほどに与えている存在。存在しないけど、存在している存在、と言った方がいいかもしれない。ちなみに、この本を訳した方は、訳を完全に終えずに、この世を離れてしまったようで、ご家族の方が後を受け継いで、訳本が完成したようで。なぜこの情報を知っているか、ワタシにも分かりませんが、人間「ストーリー」があると、本への思い入れが強くなってしまうようです。めんどうくさいですね。もしこの本を読むなら、B.アンダーソンの「想像の共同体」か、「METAL GERA SOLID V: PHANTOM PAIN」とかを参考にするといいかもですよ。過去に生きる人間と、国家というまやかしと、・・・に住む人間と。

観光を虚構性を軸に考えるノッテ新鮮~。

観光というものは、何故か「ある」ものとされています。もしくは、「自分が体験してこそなんぼ」とか、「本物」という言葉が直接に想起されやすいです。しかし興味深いことに、この本は、「虚構性」という観点から、観光というものを捉えようとしたのかなと感じました。伊勢参りという日本の旅の、或いは観光の歴史においては、めちゃくちゃ重要な現象にさえも、「虚構性」というものを、見いだすことが出きるという思索は、驚きを与えてくれうものでしたね。いかに観光が、「造られた」ものであるかという、作為性?のようなものを、ひしひしと感じさせてくれます。鉄道の方は、興味なかったので、読んでないです。

アレ!感情発露の調教がいつの間に!?

大学で紹介されたやつですね。ラインみたいで面白い(感情)。そうかなるほど、ワタシはどこまでも感情的だし、ゴリラよりはむしろサルだし、全く理性的ではない人間に近いとしった。ヘーゲルさん・・・あんたは信じねえよ。いわゆる、機械とか、技術とか、人間以外のものというか、人間の生活をより便利なものにしようとするものが進化しているというか、システム自体の効率を求めすぎて、逆に人間らしさ(人文学的な)ものを大量虐殺しているのだな、この現代社会はと、痛感した。痛ってぇ!? もうね、もしかしたらさ、人間が、人間を相手にすることが、今コロナのおかげで、人と人のふれあいが激減して、忌避されている(とは限らないけど)ような状態が、ネットの中で起こっちゃうというか、人間はどこまでも人間を無視するのだろうなという未来が見えた気がする。今こそ、能因法師や、増基法師のように、「旅」に帰る時でしょうかね。

「」って、なるほどねぇ

空白の名を意味を知りました。「」でもいい。

バカを辞めて、バカになる!

これはきっと、別の次元のワタシが書いたのではないかと思うくらい、救いになった本ですね。モヤモヤを言語化してくれる感覚は、こういうことなのだと。バカです。でも、今多分ワタシは、バカじゃない。バカになれないんです。きっと、そういう時期というか、そういう場に身を置くことを、身を削りながらも、縋るように選び取ったのでしょう。でも、ワタシは、バカになります。誰から見ても、バカになるでしょうね。ワタシは、バカになるために学んでいるということも、確かにそうだと思いました。バカでいれないのは、本当に心に来ますから、きっとバカから抜け出すことは、あまりしないほうがいい。バカかどうかは、バカを棄て、バカへと回帰した人にしかわからない。そういう人間、探してみようかと思いました。▷C3POR2D2DTKCどんぐりたけし。

音の反映としての社会。レゾーと、自慰型消費社会。染みます・・・

買いました。借りたけど、これは持っていたいなと思って、買いました。いつでも借りられるかもしれないし、買うということは、ある意味で無料で読むことの出来る本に、金を払ったということです。は、と思われるかもしれませんが、無料のもんに金を敢えて払うのって、ちょっとカッコイイ気がしますのですね。えぇ、妄想に過ぎませんけれども。(今年で、めちゃくちゃ参考とか、引用したりしたので、どんな本かわかってしまうかもですが)あ、これフランス語で読みましたとか云ったら、ちょっとヒかれそう。

形而上学的傲り

あぁこれ。すんごい大事。人類に学んでほしい。(でもオープンソースではないかも)不思議な事に、読む本読む本でね、この「ケイジジョーガクテキオゴリ」がさ、現代の人間のさ、問題点というか、それ忘れたらもう人間というか、ただ生きさせられているパーツというか、機械みたいだよねみたいな指摘が添えられているという形で、言及されているから、これは一種の病理なのかもしれないね。多分ワタシも、気づいていないうちに、この「ケイジジョーガクテキオゴリ」をなしてるわけよ。だけどそれを、「形而上学的傲り」と認識できるように、目を貼ってなきゃ、多分人類は亡びるかもしれないという淡い絶望を抱えさせられました。

てへぺろマインド

間違えて、うまく行かなくて、なに悪いいうんよ?



ということで、今年拝読しました著書の中から、その一部の16冊を、まともな形で紹介しませんでした。

今年の一月七日から、十二月三一日までを対象とし、選びました。著書のタイトルすら書いてません。(タイトルっぽいのはワタシがつけた副題みたいなやつ)出版年も、出版社も、訳者も、編者も、要約も、客観的な意見も、綺麗な言葉遣いも、ほとんど書いていません。読んでみては? なんていいませんよ多分。主観しかありません。読みやすさは求めていません。段落分けは全部してません。リンクもちょっとしか貼ってありません。ようは、分からないことだらけです。知らないことだらけです。その癖に、文章はやたらと長いです。

ほらあのイメージですね。表紙が、なんかたくさんの文字で埋まっている本とか、表紙が意味深なメッセージで隠されているDVDとか。あういうの見ると、なんだろうと手を取ってしまいますね。だって、「分からない」というノイズがあるから。この本の紹介(?)の仕方は、ノイズだらけです。ノイズは、雑音です。邪魔です。すぐに理解することを防ぎます。分からないこと・奇妙なことばかりです。ウザイです。人を怒らせます。不快にさせます。(※ノイズに寛容でない場合)便利になった社会で、ノロマであることに耐えられない人間には、死んで欲しいくらい鬱陶しいもんです。

今くらいは、ちょっとひねくれていようと思います。後、多分いないと思うけど、ワタシがどんな本を読んだのかを当てられたら、是非教えて下さい。なんかします。後、誰かの、「私がどの本を読んだのか」というノイズだらけの記事を誰かが書いたら、教えて下さい。ワタシが当てに行きます。都合がよろしければ、ノイズだらけの、分からないことだらけの本の紹介(?)をしてほしいです。当てっこ、楽しそうですから。そうやって読む本も、ちょっと面白そうだから。





すぐ分からないこと、
いいじゃないですか? 
ゆるりとじっくりとやってみれば(hikki、2020)
早く走れない? いいですねえ。ゆっくり景色を楽しみながら走れば(影山健、2017、201)




今日も大学生は惟っている







引用文献

影山健. (2017). 批判的スポーツ社会学の論理ーその神話と犯罪性をつくー.KTC中央出版



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