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どしてあんなに長ぇの

ヌローっと回るたびに、どんどんゆっくりになっていくような歩み。いや或いは、一周する度に、内輪に対する角度が垂直に近くなり、中心に近づくことが出来なくなるような運び。それが、本の在り方の一つなのではないかと思います。「本」は、弥縫なものであってはならないのでしょう。考えて、書いて、修正して、編集して、間違えて、装幀して。数々の工程を経て完成する素晴らしい単機能デバイスです。

noteに限らず、ネット上の記事の文(章)は、やはり「本」一冊に比べれば、随分短いものです。かくいうワタシも、打っている文章は、非常に短いものですけれど。ちょっとずつ、本を読むことに慣れてきましたが、やはり長いなと感じることがないわけではないありません。捲れど捲れど、次々に現れる頁たち。確かに読み進んでいるはずなのに、なかなか進んでいないなァという不思議な感を覚えることも。

「本」というのは、どうしてあんなに長いのでしょう。とは言っても、「本」に分類されるものの全てが、「長い」文章を持っていたり、厚かったりするわけではありません。絵本も読みますし、図巻もイラスト集も見たりするので、ここで注目したいのは、論説文、先行研究を批判しながら、序論で述べたことに対して、つらつらと述べていき、巻末には引用文献や参考文献が記載されているもの、としたいと思います。

まず重要なのは、何が自分の意見であり、何が自分の意見では無いかということだとおもいます。まずそのことについて逐一説明をしなければならないので、そこが大変だと思います。また、絶対に正しい答えというのを示すのは不可能です。「人間を含む生命すべては、亡びるように作られている」とかであれば、正しいかもしれませんが、意見の相対化というものが出来る以上、「この意見こそが正しいのだ」というものを書くことができません。なので、そのように独りよがりになることのないよう、「この意見はあくまで私見であり、異論や反論や疑義が呈されることに関しては、私の力の及ぶところではないッスよ」というような、ある意見に対する反証可能性というものを残しておく必要もありますね。

また、先ほども述べたように、「何が自分の意見でないか」ということに関して、その他人の情報についての情報源や由来を記載する必要もあるでしょうね。その意見を見た人が、その情報源にすぐアクセスし、考えを拡げることができるように配慮される必要ももちろんあると思いますから。

本は、つまりは音の、文字の、単語の、節の、文の、文章の、章の集合体です。ワタシはなんとなく、こんなにも言葉を尽くして語っている、本を書く本人が、言葉というものを大して信用してはいないと思うのです。短いものでは心もとない。けど、言葉が便利だということも否定することは出来ないから、しゃーなしに言葉で表現するかと。言葉を尽くせば尽くす程、答えから遠のいていく。けど、本において、言葉で語らねば何すべきかということで、言葉を使うしかない。だから、本は非常に「長い」ものなのかもしれません。

「本」を書くというのは、絶対に中心にたどり着くことが出来ない円の中で、婉曲的に中心に向かい続けることなのだと思います。中心に向かうことが出来る。けど、絶対に、未来永劫、中心に何があるかを直接目にすることは出来ない。そういう矛盾に溢れたものが、「本」という存在なのではないかと思うのです。一冊の「本」を読み切った時、ワタシは、その円のどこにいるのでしょうか。もちろん、円の中心にいることは(著者にも)出来ないでしょう。ワタシはおそらく、円の外側にいるかもしれません。これはワタシだけかもしれませんが、本を読んでいると、また別の本の内容を想起することが多くなってきました。本を読み終わった後は、その別の本の内容との比較の段階に入るのです。円を、異なる円と比較する。そのためには、円の外側に居なければなりませんからね。

ところで、比較した時に、絶対に重なる円の部分があります。それは、中心の部分です。なぜかというと、絶対に正しい答えが分からないからです。今まで読んだ本の中で、「死」以外の絶対に正しい答えが分からない(「死」が正しいかなんて与り知るところではありませんが)、つまり中心にたどり着くことが出来ないということは、見えない円の中心は、答えが分からないという意味で、共通し、一致するのだと思います。また、円の中心以外が重なることは、あまり多くはありません。

読書もまた、中心にたどり着くことが出来ないと分かっていながら、中心に向かい続ける、また別の円でも同じことを繰り返すことではないでしょうか。そこに、真理はないけれど、妥当解(納得解)のようなものが出てくる。それこそが、その人らしさにつながることもあるかもしれません。




今日も大学生は惟っている




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