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豈にブログやsnsは本の足元に及ばんや

note

を検索すると、

検索結果には、編集部のお勧めの?記事が表示されている。

その記事の一つにこんなものがあった。

気になった部分というのが

あって

「日記・本」が「note」の代替であるかのように表示されていることだ。

noteが日記の代替に成り得ることは、わかる。

上の記事も、人が書いたものの間に、人の交流が現れるという「ソーシャル化」について説明しているから。

その意味での「日記の代替としてのnote」は理解できる。


だが

ちょっと踏みとどまって。

「note」が「本」の代替かと言われると、私は疑問に思ってしまう。

あなたもそう思わない?


「本」っていうのは

下書きをして、(それもとんでもなく熟成された下書き)

直して、直して、直して

調べ物をして、誤字脱字が無いか確認し、

タイトルや、あらすじを考え

校閲を行い

本として装幀し、

というように、「note」に記事を投稿するのとは、圧倒的に作業の質も量も異なる。


それにまず、本を出版するには、というか

良書を書くには、優れた文章術、ウィット、論理的思考、形容能力が必要になってくると思う。

明治大学の斎藤孝さんの本を読んでいると、

snsやブログの発達が、日本人の文章力や読解力の低下に繋がっていると言っていた。

割と色んな本で言っているので、「斎藤孝」さんの本を読んでみてほしいな。


話すように書く、それしかしない(かもしれん)snsやブログに、

フツーの「本」すらの代替性があるとは

私にはとても思えない。


日本語は、完全な言文一致はしていないとは思うが

少なくとも、

「書くように書く」をする人はそう多くないかな



今日も大学生は惟っている。


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