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超えられない壁。:「理解」に際して

理解しようとする。理解した。理解する。

理解とは、はたして、可能なものなのだろうかと、延々と逡巡。

しかし注目したいのは、「理解」の程度ではなく、「そのものとして理解」することは、可能なのかということについてである。

そのものとして。それ自身として。どんな不純物も含まれていない、純粋なそれ自身としての、それに対する「理解」。

それは、それとして。「りんご」は「りんご」(もうこの時点でオカシイ)として、理解する。それは、人間に可能なのかと云われれば、私はその限りではないかと考える。

「理解」とは、こちら側でするものだ。相手側が、理解しており、完ぺきな説明をしていたとしても、こちら側で納得することが出来なければ、理解することは出来ないのであろう。

つまりは、理解する対象がどんなものであるにせよ、「理解する」という行動自体は、その理解しようとする本人に強く依存するということだ。その人が分からなければ、理解できない。言い換えれば、「理解」は、ある人の枠組みに当てはめなければ、土台無理な話。

対象が如何に理解することに容易であっても、理解する方法が、全く同じになるということは、おそらくあり得ない。理解することは、言葉で表現することであるから、その言葉が同じになることは、ほぼあり得ないように。

理解しようとする。それは、自分の枠に入れようとすること。理解とは、理解した気になっているということだ。どんなに、言葉を尽くしても、それはそれ自身に対する理解というわけではなく、ある枠における言葉遊びのようなものではないのだろうか。

そもそも、「理解する」ということ自体が、非常に暴力的というか、枠に当てはめようとする行動なのだ。「理解する」と、言う事は、その時点で、言葉を使っているということだ。「リカイスル」という単音を繋ぎ合わせた連音を、「分かる」という言葉の類義語で使っているだけだ。

「【多分哲学】考えるって実は中動態的行為なのでは~?」という記事では、こんなことが書いてある。

宇波彰さんの「ラカン的思考」からの引用文。

私の思考は言語によるが、その言語はすでに私に与えられてある言語の世界として存在しているものであり、その世界についての「選択」の余地はなく、私はその言語を用いて思考するほかない。(宇波彰、2017、20)

「理解する」と発音する。「理解する」と考える。「理解する」という言葉を使う。これ自体が、既に受動的であり、選択の余地の無い、非常に狭隘で縛られたものなのである。

その縛られた、身動きのとれない中で、「理解する」ということは、本当に物事を理解するということなのか。本当に、それ自身について、その人について、その概念について、「理解」できていると、はっきり言えるのか?

「良い」「悪い」の問題では、もちろんない。はたして、そういえるのかということが問題だ。そして、「理解する」とは、どういうことかという問題だ。

閑話休題

ひとまず、私の意見としては、真に理解するということはあり得ないということだ。(それは、理解しようとした時において)

さらに、理解しようとした時に、真に理解できないだけではなく、理解を放棄する、理解に努めない時においても、真に理解することは難しいということだ。つまりは、どうしたところで、真に理解をするということはあり得ない。

分からない。分からないから、分かろうとする。しかしそのインテンツィオンの先には、「分かる」という事態は待っていない。決して、訪れることはない。あるのは、「分かった気になっている」ということだけだ。

もしそれに納得がいかないなら、疑ってみればいい。自分が「理解している」と思っている対象について、理解するということは、一体どういうことなのかについて、答えてもらいたい。誰もが納得するような、決して議論の余地もない、その答えを、ワタシは求めているね。

今のところ、ワタシには、理解できるものが一つもない。それは、受け入れたくないということではなく、真に理解できるものがないということである。心の底から、胸を張って、これについては、「理解」していることは、周りを見渡しても。

すくっても、すくっても、決して安定することはない。そこにあるはずなのに、この手に今あるのに、時間が経てば零れていく。隙間から、そうその隙間から、僅かでも。決して、留まることはない。

理解しようと思った。それは、理解できているという催眠と、理解し合っているという信仰によってしか、成り立たない。(しかしこの言葉を文字どおりに受け取って欲しくはない。もっと、別の見方で)

脆い。弱い。屑。これじゃぁ、どこかの地理学者。星の王子様には、怪訝な顔を向けられた。



今日も大学生は惟っている。


引用文献

宇波彰.2017.ラカン的思考.作品社


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