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アカデミアの螺旋から、俺は降りる。

子供の頃はプロ野球選手に憧れていた。小学校の頃、ソフトボールをしていたこともあり、中高と野球部に進み、甲子園へ出てプロの世界に入るとばかり思っていた。実際はレギュラーにすらなれず、中学からは帰宅部になった。どういう理由でプロ野球選手に対する熱が冷めていったのかは覚えていない。

"夢"というと、壮大で尊いものの様に感じる。寝てる時に見る夢ではなく、理想や実現したいことに対して使う言葉の夢だ。プロのミュージシャン、経営者、バックパッカー、結婚、お金持ちなどなど夢は多岐に渡る。

ただ、皆の描いているほとんどの夢は実現せずに終わる。大会で1番を取ることが夢なら、その夢は1人しか叶わない。金メダリスト以外は全て夢破れた人となってしまう。1人のウィナーを背景に、多くのルーザーは悲しみや悔しさで胸の内が溢れるだろう。

ただ、夢が叶うことと人生が上手くいくことは全く性質が異なる。夢は個人の目標みたいなものであり、社会がそれを評価するかどうかは別問題だ。県大会で入賞することが夢で、実際に叶ってもだからといって今後の人生それだけで食っていけるわけではない。

私は小学校でプロ野球選手の夢に見切りをつけた。そのおかげで、勉強は捗ったし、そこそこな学歴は手に入れることができた。もし燻ったまま野球を続けていたらどうなっていただろうかと思う。もしかしたら満たされない気持ちばかりが心を占めて卑屈な人間になっていたかもしれない。

夢を諦める経験を最近の出来事で言うと、博士号を取得することを諦めた。大学院入りたての頃は、「大発見をして、ビックジャーナルに論文を出して教授になる」という夢があった。自分でも恥ずかしくなるくらいキラキラした夢だ。現実は周りの人間の方が結果を出し、研究費を取ったりと業績を上げていってる一方で、自分自身うだつの上がらない日々が続いた。

なんとか博士号だけはとりたい…そんな夢も体調不良につき断念することとなった。5年間以上想い続けてきた夢であったため、悔しさや悲しさで一年近く精神が病んでいた。実は最近になってようやく立ち直れたところである。

ボロボロになりながら博士号をとり、ポスドクとしてのキャリアをスタートさせる選択肢もあった。しかし昨今の日本政府の博士人材に対する冷遇を考えると、アカデミアに残ることはできないと感じていた。さらに私の専攻は生命系というアカデミアの中ではあぶれる可能性の高い分野であったことも理由として挙げられる。

私は今は就職してITエンジニアをやっている。IT系は明確に定義が分かっている分、博士課程で養われた論理的思考力があれば向いている職業だと感じた。何より安定してる今の立場が心地よい。

本文章のタイトルは漫画「バガボンド」より引用した。研究者は誰しもアカデミアに残り、研究を続けることを夢見る。ただ、多くは待遇の厳しさに脱落していく。今、私の先輩でとても優秀な方がポスドクをしているが、日に日にやつれているのを目の当たりにしていた。それらを考えると、博士号取得前に脱落できた私はもしかしたら人生的には幸運だったのかもしれない。

そうは言ってもやはり夢というのは諦めたくないものだ。夢のためならその他を犠牲にしても良いと思えてしまうほどだ。私もまだ博士になる夢は諦められない。たとえ夢を叶えるための道のりが、茨の道と分かっていても進みたくなる魅力がそこにはある。だからこそ、人は夢という曖昧なものを崇拝できるのだと思う。


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