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「やりたい」が「やらねばならぬ」になっている

やりたいこと。
旅行したり、大食いしたり、体を動かしたり。
楽しいと思えることや、まだやったことがないこと。

やりたくないこと。
いろんな勉強、長文の説明事項を読むこと。
正解と間違いが明確に決められることは、間違えた時の落ち込みを感じたくないという理由から、たいてい嫌い。

はじめはすべてのことが、この2択のどちらかに分類されます。
実は先日の本屋ダンジョンで買った本においても、TOEICの勉強はやりたくないことの筆頭に、ハイデガーやカウンセラーの本はやりたいことに、しっかり区分されてしまっています。

ではやりたいことを必ずやるかというと、そういうわけではありません。やりたいことが全部できる人生でないのはみなさん同じだと思います。僕の場合は、準備やあとの流れを事細かに勘案しないと行動に移せないタイプなのが大きなボトルネックになっています。「金はないけど借金して料理屋始めてみようか」という革新的なチャレンジ精神を持つことはあまりに怖くてできません。

やりたくないことは、基本やりません。まあやる場合もあるのですが、それはナニモノかに強制されている場合に限ります。テストがあるから勉強しないといけないとか、発表会があるからデータを集めて統計をとらないといけないとか。強迫観念が僕を突き動かしているだけなので、そこに楽しさなんてものはありません。


問題はここから。
やりたいと思っていたことを始めてしばらくすると、それがいつの間にか、「やるべきこと」に変わってしまうみたいなんです。

通学の暇な時間を潰したくてラジオを聴き始めました。初めはいつでも聴けるアーカイブのみでしたが、しだいにradicoのタイムフリー (放送1週間以内のみ聴ける、放送されたそのままの音源) にも幅を効かせるようになりました。
ここで「放送1週間以内」という問題が首をもたげ始めます。毎日1本は2時間のラジオを聴く生活の中で1週間以内のノルマを達成することは難しく、暇な時間を縫ってなんとかそれを消費しようともがき始めるようになりました。もはやスタートの「ラジオって楽しそう」という感覚は薄れ、「早くしないと聴けなくなってしまう」という時間制限だけが、僕をラジオに向かわせていました。
ようやくそのことに気づいて、いくつか聴くのをやめました。

ゲームだってそうです。
中学の時に始めたパズル&ドラゴンズ (パズドラ) をいまだにやっているのですが、今となっては力を入れているのはランキングダンジョン (プレイヤー全員でパズルの上手さによって決まる点数を競い合い、上位に入ると報酬がもらえるイベント) だけです。
ランキングダンジョンでは、上位数%に入ると「王冠」というバッジを獲得でき、これをたくさん持っているほどパズルが上手いとみなされます。数年前からほとんど落とさずに王冠をとっている僕にとっては、王冠を取ることが1つの使命であり、それに全力を注がざるをえなくなってしまいました。
今、僕がパズドラをやっているのは、一応知り合いがやっているから、そして王冠を落としたくないから。自分には一切ベクトルが向いていません。あの日感じたダンジョンに勝つ喜びも、ガチャでレアキャラを出す喜びも、今やなくなってしまいました。


そんなこんなで、今僕がやっていることは本当にやりたいと思っているのか、それとも無理やりやらされているのか、自信がなくなってきています。
これを解決する方法はたぶん、「やめる」ことなのだと思います。決断するのはすごく怖いけれど、やめて始めてわかることもあります。事実、一部のラジオを聴かなくなって思考に余裕が生まれましたし、ラジオという媒体に固執する必要もないと思えるようになりました。

毎日投稿している僕の記事たちも、強迫観念によって書かされている・・・・・・・文章になっていないでしょうか。いまいちど原点に立ち戻って、文章を書くことの楽しさを思い出していきたい、今日この頃です。

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