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伊福部昭、芥川也寸志、吉松隆… アルバム『日本管弦楽名曲集』を初めて聴いたときのこと①

#思い出の曲  

前段:山田耕筰の交響曲

中学生でクラシック音楽にハマった私を、モーツァルトとベートーヴェンを好む父は大層喜んでくれた。そして、単身赴任でたまに家に帰ってくる父が、お土産として何枚もCDを持ってくるのを、楽しみにしていた。
そのうち私は20世紀の楽曲(特に1910~50年頃の作品)に嵌まるようになって、父とは若干好みが分かれてしまったが(整体師に「うちの息子はプロコフィエフを聴いているらしい…負けた…」と、こぼしていたらしい)、それでも私が好きそうな曲や、私に聴いてほしい曲を持ってきてくれた。

そしてあるとき、父は山田耕筰の交響曲を持ってきた。

山田耕筰の顔と名前は、壁の肖像画、そして授業で歌う「赤とんぼ」の作曲者として、音楽室と密接に結び付いていた。確かに「赤とんぼ」は綺麗な曲だと思ったけれど、そんな彼が序曲や交響曲や交響詩を?と非常に興味が湧いたので、早速聴いてみた…

『なんとまあ、美しく楽しい曲なんだろう!』

たぶんその頃私は、いまよりももっと、オーケストラのサウンドを聴くこと自体に楽しみを感じていた。メンデルスゾーンやベルリオーズやラヴェルやストラヴィンスキーの管弦楽曲を狂ったように聞いていたときだ。(ハイドンやショスタコーヴィチやウィリアム・シューマンの交響曲全集を手に入れたのもそのとき)
そんな私に、晴れやかで屈託のない、それでいて「赤とんぼ」にも通ずる日本的な情緒を持った、わが国の巨匠の青春時代の交響曲は、上述した大作曲家の作品と並び立つ、新鮮な感動を与えた。

分厚い解説を読んでみた。「ドイツ留学の卒業作品」「メンデルスゾーン風の古典的な作品」、うむうむ、確かに。…おや?「恐らく耕筰は、爪を隠した」「同じく収録されている交響詩はもっと前衛的な響きを持つ」…どれどれ、どんなものかしら… そう思って、二つの交響詩『暗い扉』『曼荼羅の花』も聴いてみた…

『なんとまあ、作風の広い人だろう…!』

爽やかな交響曲だけでも満足していた私に、この二曲はセカンド・インパクトをもたらした。鬱蒼とした響きが支配する『暗い扉』、一方で明るいけれど、決して明朗ではなく、東洋風で幻想的な音世界が繰り広げられる『曼荼羅の花』。さっきの交響曲と、そして「赤とんぼ」と同じ作曲家とは思えなかった。
いま考えれば、例えばリヒャルト・シュトラウスの初期の交響詩(ティルなど)から前衛的なオペラ(サロメなど)へ、あるいはストラヴィンスキーの習作交響曲(変ホ調だか)から三大バレエへ、といったように、19世紀末~20世紀初頭にかけての作曲家の驚くべき飛躍というのは散見されるものなのだが、つまり私はその体験(時系列順に習作期から続けて聞いていく体験)を、山田耕筰で味わったのである。
そして――まさにこの「日本作曲家選輯」というNAXOSレーベルのシリーズの狙いに嵌まったわけだが――日本人の作曲家のオーケストラ曲に、とてつもない興味を持ったのである。

本題:「日本作曲家選輯」第一弾『日本管弦楽名曲集』

私は家のパソコンで、同シリーズの既発売CDをチェックしてみた… 「矢代秋雄」「別宮貞雄」「早坂文雄」… 全く知らない名前の数々… どこから手をつけようか…

そんな中で、最初の一枚にうってつけだろうと思ったのが、冒頭に掲げた『日本管弦楽名曲集』であった。品切れだったのでamazonから中古品を求めたのを覚えている。

源氏物語絵巻をあしらった、いかにもジャパーンなジャケット…は措いといて、中身だ中身!
届いた日、私はすぐに、私はラジカセにディスクを突っ込んだ。

――外山雄三 作曲『管弦楽のためのラプソディー』(沼尻竜典指揮 東京都交響楽団)

"カッカッカッカッカッカッカッカッカッカッカッカッカッカッカッカッ… ゴーン…ゴーン…ゴーン…"

『エッ、拍子木!?鐘!?』

"ラーララードレードレ♪(レードレ)ミーミレードラ♪(ラードドッドレ)ドーレミッミレードラ♪(レードラ)"

『エッ、あんたがたどこさ!?』

驚いて解説書を読んでみる…「NHK交響楽団による1960年の世界一周演奏会のアンコールピースとして作曲された」…なるほど!文字通り「エキゾチック・ジャパン」を演出するために作られた曲なのか!!納得した。それにしても、民謡をオーケストラで演奏することの、なんと痛快なことなんだろう!
そこで私は、リムスキー=コルサコフの『ロシアの復活祭序曲』や、ボロディンの『中央アジアの平原にて』のような、同じ旋律が繰り返し繰り返し演奏されながら高揚していく、ロシア五人組独特の作曲手法を連想した。

『いままで、単に構成や展開の手法を習得できていないんだな、と思っていたけど、なるほど、それは間違いなんだ… そうじゃなくて、彼らにとって、そして、私たち日本人にとって、いや世界中の誰にとっても、自分の国の民謡をオーケストラで演奏すること、それ自体が、とっても楽しくてウキウキすることなんだ…

この感想は、もしかして現在の後付けかもしれないが、あのときの私の胸の高鳴りは、つまりそういうことだったのだと思う。
フルートの静謐な「信濃追分」に続いて、また拍子木が打ち鳴らされ、"ハッ!"の掛け声のあと繰り出される「八木節」が終わる頃、私はこの曲の虜になっていた(今もそうである)。

続く二曲目は、日本のオーケストラ運動黎明期、山田耕筰と並んで大活躍した近衛秀麿(このえ・ひでまろ)の編曲による、雅楽の有名曲『越天楽』である。

――近衛秀麿 編『越天楽』(沼尻竜典指揮 東京都交響楽団)

前の曲とは打って変わった、静的で天雅な空気が充満する… 加速するリズムを打つ打楽器、繊細な音のヴェールを奏でるヴァイオリンのハーモニー、そして中音域の息の長い旋律… 初詣やTV中継、歴史の授業、もちろん日常的に親しんでいる人は多くないとは思うが、ふとしたときに姿を見せる、この国の悠久の歴史、それが眼前でオーケストラにより展開されているように感じた。
解説書を読むと「ストコフスキーにも人気で、彼によってアメリカの諸都市で演奏された」とある。この不思議な響きがオーケストラから流れ出たとき、アメリカ人はどう思ったんだろう…?
民謡とは全く異なった、それでもこの国を確かに形作っている、「伝統邦楽」。それが先の曲と同じオーケストラという媒体によって演奏されることで、両者の差異がより際立つと共に、どちらに対しても非常に興味が湧いてくる。まさしくジャケット写真のような、平安時代の貴族たちが、この作品を聴き楽しんでいる姿を、私は心に描いた。

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ここまで聴いただけで、私はもう邦人オーケストラ作品に夢中だった。
…しかし、残りの三曲はさらなる興奮を齎し、私を邦人クラシック音楽という秘境へ誘い込むこととなる…!

(つづく)

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