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シネマの時間 -悲しみよこんにちは-


L'hommage フランソワーズ・サガン

この映画を語る上で、圧倒的な二人の女性の存在があります。一人は、ヒロインの少女セシルを演じるジーン・セバーグ、そしてもう一人、映画の原作になった小説の著者、フランソワーズ・サガン。ここでは、原作者のサガンにフォーカスしてこの映画の魅力を伝えられたらと思います。

原作は1954年に発表されたフランスの女流作家、当時19歳だったフランソワーズ・サガンです。フランスのブルジョワの家庭で3人兄姉の末っ子として育ちました。彼女は幼少期から熱心な読書家でした。プルースト、スタンダール、ギド、カミュを崇拝していました。学校生活には馴染めず、パリやグルノーブルの学校を転々とし退学を繰り返します。バカロレア(フランスの大学検定試験)に受かってどうにかパリの名門ソルボンヌ大学へ進みますが、文学に心を奪われていた彼女は1年目の進級に失敗。その夏、南仏逗留中の家族から離れてパリにもどると,一気に作品を書き上げ、親友の小説家であった母を通じて出版社に持ち込まれます。

華麗で繊細、そしてアンニュイな作風、デビュー作の小説『悲しみよこんにちは』は、17歳の少女の夏のロマンスが描かれていて、サガンを知るうえで欠かせないキーワード〝早熟〟〝パッション〟〝孤独〟を象徴するかのような〝不道徳な〟物語は、フランス社会をスキャンダルに陥れ、18歳という若さで世界的な名声と膨大な富を手にしました。その事が、それから先のサガンの人生を華やがせる一方、ゆがませてもいきます。

早熟とパッション、そしてアンニュイ = スキャンダラス

フランソワーズ・サガンは、戦後ヨーロッパの若者の快楽主義と不道徳について、60年代の象徴でした。
自己表現が運命になり得ることは、作家の苦境と皮肉の一つです。フィクションは人生に足かせを置く事があります。同じ作家であるスコット・フィッツジェラルドは、『グレート・ギャツビー』で彼自身の最期を事実上説明しました。

フランソワーズ・サガンが2004年に亡くなった後の死亡記事には、彼女の失敗人生で溢れていました。小説は致命的な自動車事故で終わりますが、出版から3年後、1957年にはパリ市郊外で愛車アストン・マーチンDB2/4・マーク2・カブリオレの運転を誤って道路脇に転落。瀕死の重傷を負います。『悲しみよこんにちは』の悲劇的な成り行きと共通点の多いこの事故は不思議と因縁めいて映ります。サガンはスピード狂の自動車好きで、夜のパリを時速200キロでブッ飛ばす事を好んだそうです。
パーティーや乱痴気騒ぎに明け暮れる日々に溺れ、早くに覚えたアルコールや薬物は、長きにわたって彼女の生活にダメージを与えていきました。

2度の結婚離婚を繰り返し、酒、ギャンブル、薬物依存症は彼女の成功を表す人生でしたが、最終的には彼女の筆を握る時間と気力を徐々に奪っていったようです。人生は急いで衰退の時を加えていくのでした。

波乱に富んだ経歴の中で、20冊を超える小説、3巻の短編小説、9つの戯曲、2つの伝記、そして愛する場所、物、人々のノンフィクション作品の幾つかを執筆しました。しかし、処女作の『悲しみよこんにちは』による衝撃は非常に強力であり、フランス社会で引き起こされた混乱が非常に大きかった為、サガンの最もよく知られた作品であることに変わりはありません。

奔放に生きた破滅へのエレガンス

若くして途方もない資産を得たサガンでしたが、長年に渡る浪費やギャンブル三昧を許すことは無かったようです。晩年は自宅を売却せざるを得ないまでに困窮していきました。彼女は全てのお金を無くし、69歳での早すぎる最終章は住み慣れたパリから離れた小さな町で侘しく訪れました。1960年代に最初にパーティーを主催していたオンフルール近くのエクマヴィルのカントリーハウスに身を寄せていました。
2004年9月24日、69歳でオンフルールの病院で肺塞栓症で亡くなりました。静かな最期は〝孤独〟というテーマに向き合い続けた作家に相応しくも見えます。散財する派手でスキャンダラスな生き方に、親しかった友人達が周りから去り、彼女は約100万ユーロの借金を残しました。現在でも彼女の著書の著作権は、フランスの国税局にあるとか。

でも、サガンが凄いのは、そうした経験を「ま、仕方ない」と軽く受け流し、そこから学んでズルくなることも、傷ついて恨むこともないこと。

破滅を求めるサガンの人生は、孤独のエレガンスを象徴しているのかもしれません。

フランソワーズサガンビーチ

映画 悲しみよこんにちは

オットー・プレミンジャー監督によって1958年に撮られたこの映画は、シネマスコープで撮られた最も美しい映画と、当時絶賛されました。

当時、アメリカ人にとってヨーロッパはまだまだ遠く、いつか訪れてみたい憧れの地でした。
米国人女優ジーン・セバーグが主演し、ベリーショートの髪型〝セシルカット〟を大流行させました。17歳の少女を主人公として描いた天真爛漫なセシルを演じ、コケティッシュな演技が思春期少女の残酷な一面をスクリーンに写し込んでいます。

〝セシルカット〟と呼ばれたブロンドのショートヘア、ヒロインのセシルが着て現れる黒いベアトップのカクテルドレスはジバンシー。セシルやデボラ・カー扮するアンヌが身に付けるジュエリー類は、カルティエとエルメスから提供されています。60年代のビーチリゾート・ファッションの憧れのスタイルを作り出しました。

そんなセシル = セバーグに魅了されたジャン=リュック・ゴダールは後に、彼にとっての初監督作『勝手にしやがれ』(1959年)のヒロインにセバーグを抜擢したほどです。

主題歌〝Bonjour tristesse〟もサガンが書き下ろしています。この曲の歌詞は、セシルの自責の気持ちを表したものですが、映画のなかでも主人公たちがダンスをしているシーンで、サガンの友人であったジュリエット・グレコがこの歌をステージで英語で歌っています。

タイトルシーケンスを飾る人が涙を流すグラフィックデザインは、ソール・バスの作品です。

ギャラリーのシーンは当時まさにデビューしたての菅井汲の個展風景です。

この様に、1958年を象徴する文化が至るところに散りばめられた映像は、観る側に様々な興味を抱かせてくれます。

ジュリエット・グレコ(Juliette Gréco1927年2月7日生まれ)は、フランスの女優、シャンソン歌手です。彼女はマイルス・デイビスの恋人であり、オーソン・ウェルズの飲酒パートナーであり、ジャン・ポール・サルトルのミューズでした。現在も力強く、シャンソンを歌っています。

ソール・バス(Saul Bass1920年5月8日 - 1996年4月25日)は、アメリカのグラフィックデザイナーであり、オスカー賞を受賞した映画製作者であり、映画のタイトルシーケンス、フィルムポスター、企業ロゴのデザインで最もよく知られていました。歴史上最も優れたグラフィック・デザイナーの一人かもしれません。
Saul Bass ポスター・アーカイブ

菅井汲(すがい くみ、1919年3月13日 - 1996年5月14日)は、洋画家、版画家。国際的に最も高く評価されている日本人画家の一人である。1954年渡仏間もなく、パリ・クラヴェン画廊での個展が大きな反響を呼び、たちまちパリ美術界のスターとなる。

ブルジョワジーのデカダンス

「ものうさと甘さとがつきまとって離れないこの見知らぬ感情に、悲しみという重々しい、立派な名をつけようか、私は迷う。その感情はあまりにも自分のことだけにかまけ、利己主義な感情であり、私はそれをほとんど恥じている。ところが、悲しみはいつも高尚なもののように思われていたのだから。私はこれまで悲しみというものを知らなかった。けれども、ものうさ、悔恨、そして稀には良心の呵責も知っていた。今は、絹のようにいらだたしく、やわらかい何かが私におおいかぶさって、私をほかの人たちから離れさせる。
その夏、私は十七だった。そして私はまったく幸福だった。・・・」

 なんという美しく悲しい始まりの文章でしょう。すべての青春文学、青春映画のオープニングに、ピタリとはまりそうなこの言葉から、『悲しみよこんにちは』は始まります。

セシル=サガンでした。
ヒロインのセシルはコート・ダジュールの別荘で父親といっしょに夏を過ごしていました。そこへやってきた亡き母の友人のアンヌは聡明な女性で、セシルも彼女が好きだったのですが、彼女が父親と再婚することになり、自分の自由な生活が奪われると懸念したセシルはそれを阻止するために計画を企てます。そこに、父親の軽薄な性格や行き違いなども絡み合った結果、アンヌは自動車事故で命を失ってしまいます。そして、セシルと父親の気楽な生活が戻るというところで映画は終わります。

セシルは本能的でもあり、ずる賢くもあり、官能と純粋さがバランスよく配されていて、その融合は今日でも誰もが必ず経験する思春期の起爆剤のようです。

夏の海に、波乱に満ちた彼女の人生に想いを馳せてみてもいいでしょう。

永遠に逃れられない孤独との共存を、また意味のない一日を迎えようとする朝、彼女は呟く、悲しみよ、こんにちはと。

スピードは生きる幸福に通じる。そしてそれ故、この生きる幸福の中につねに漂っている死への漠とした希望にも通じるのである。これが、結局のところ、私が真実と思うすべてだ。『私自身ののための優しい回想』 1984年の中でこう語っています。


「フランソワーズ・サガン、安らかならず、ここに眠る」。2004年69歳で没したサガンの墓碑銘だ。生前から本人が考えていたものだそうだ。

フランソワーズサガン書斎



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UMOKUTOJI
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