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仕事しない人も家事やらない人もおんなじくらいやばい

私は男性、会社員、既婚でして、妻も会社員なのですが、最近いろいろと起きたことに関連して「夫の家事」について話題になることが頻発しました。

その中で気づいたのですが、私、めちゃくちゃ家事をやってるみたいなんですね。めちゃくちゃにというのは自称ではなく他称で、私自身は家事をやっているほうだという自覚がなかったのですが、いろんな人に気持ち悪いくらい褒められるので、ああ、世の中的にはまだまだそうなんだ、ということに気づいたという次第です。

こういうことを言うと「共働きなんだから当たり前でしょ」って言ってくる人もいるかなと思うんですが、私が言いたいのは共働きじゃなかろうと家事はやるべきことだし、そもそも共働きじゃないってやばくね?ということなんです。双方、片方にとあるタスクが全乗っかりしている状況を是正しようとしない人って、普通にやばくないですか?

仕事だったら「知識・タスクの平準化」って一般的な価値観だと思うのですが、家庭になった瞬間にそれが許容されてるという事実が、私にはまったく理解できないんです。

「家事って、なにをやってるんですか?」と聞かれると「一緒にですけど、全部」と答えます。これ以上でもこれ以下でもない。全ての家事を、私も妻もやっています。より正確に述べると「二人ともやれる」ので「やりたいほうがやりたいようにやれるだけやる」です。家事というのは得てしてQOL向上のために行われるものなので、究極的にいえばやらなくても生きていけるんですね。これを出発点としているので、やりたいほうがやりたいようにやればいいんです。だから私が料理をすることもあれば、妻がトイレ掃除をすることもあります。
(というか、この二点ならこっちのケースのほうが多い。妻はトイレの汚れが気になりやすいらしく、私のほうが食事量が多いのでメニューを増やしたがります)

もちろん、得意不得意があります。私よりもの選びのセンスに優れている妻は家具やファッションやルームデザインにおいてフロントマンになってくれるし、筋力のある私は買い物や掃除やごみ捨てにおいて優位に立っています。

でも、やれます。別に、全然、やれます。


また、食事の用意や子育て(私たちには子供はいませんが)のように、任意のタスクではなく対応必須のタスクというものも存在します。でもこれだって、料理にするか総菜を買ってくるか外食にするかは場合によりますし、子育てというタスクには振れ幅や程度問題が数多く存在します。

これらを、片方が全権を担っているという状況は、普通に考えて異常です。生活が経営だとして、その中核、芯であろう必須タスクが一人に依存している等という状況を許容し続ける会社組織なんて、相当いけてないです。なぜ家庭だと許されるんでしょうか?

どちらのほうが優れている、とかは仕方ないですし、子育てにおける母の強さみたいなものは間違いなくあるんでしょうが、なぜ父はなにくそと思って頑張らないのでしょう?意味が分からない。「他で取り返す」?子育てという超重要タスクを横において取り返す余地があると思っていることが不思議です。子供をなんだと思っているのか。


真逆でありつつ至極まっとうな指摘をさせていただくと、専業主婦(夫)という枠に収まっている方も、同じくらいにやばい人です。家事の話を散々してきましたが、食事の用意や子育てと同じくらいに「収入」は超重要タスクの一つです。だって収入が無かったら食事の用意も子育ても成立しませんから。これは誰がどんな形でゴネたとしてもまごうことなき事実です。

で「働いていない人」がやばいということの理由は家事をやらないことと同じです。超重要タスクを他人依存にしているということのリスクがそのまんまになっているということ。正直、家事はあとで頑張ればどうにかなりますが、仕事していない人が仕事を獲得することの困難性を考えると、専業主婦(夫)には、それ以上の巨大なリスクがはらんでいるといえます。

配偶者が働けなくなってしまったら?考えたくありませんが亡くなってしまったら?生活の維持ができないどころの話ではありません。

「そうなったら働いてたとしてもどうせ夫の収入のほうが多いんだから生活の維持ができないのは変わらない」ということを言う人がいると思います。働いている人ならわかると思いますが、パートだろうと多少の仕事を継続し続けている人と、全く仕事をしていない人では、その先を見据えたときの選択肢が大きく変わります。続けてさえいればパートから正社員登用だってありえますし、どんな形であれ仕事というものを懸命に続けている人には実績が付いて回ります。

急遽家族を養わなくてはいけなくなった二人の主婦がいます。
①専業主婦のまま10年間過ごした人が急遽働くことになった人
②結婚した時に会社員はやめたがパートを10年間続けていた人

①の人は、②の人が当時パートを始めたときより遥か下からスタートすることになるわけです。(②の人は直前まで会社員だったわけですから、パートを始めたときでも「直前まで仕事をしていた」という評価が付いて回ります。しかも10歳も若い)


一応フォローしておくと、全否定ではありません。世界中を飛び回ることを仕事にしているような人は家庭を顧みるのが難しいということはあると思います。その配偶者と一緒に生活するためには自分の仕事を辞める決断を強いられたりもするでしょう。

でも、家事を徹底すること以上に、仕事で使えるようなスキルを会得することに時間を割いたほうが、夫婦にとって有益なはずです。リモートでできる仕事だっていくらでもある。今の時代、PCさえあれば仕事には困りません。


家事をやらない人も、家事しかやらない人も、どっちもやばいですよ、という話でした。

念のため補足ですが「やばい」と言っていますが否定しているのとはちょっと違います。このリスクを大いに認識したうえでそうしている人もいるだろうと思いますし、例えば年収10億円の人の配偶者が仕事をしなくなるというのは何となく想像ができます。(300万円くらい稼いでも意味ないじゃん、という気になっても仕方がない気もする。個人的には、どんなに少しでも仕事はしておくべきだと思いますが)

でも、どんなに安定しているとされる仕事にも事業縮小のリスクはあるでしょう。AIの台頭で仕事が減るとか、震災で被害にあってしまうとか、そういうこともあるでしょう。その時、いざというとき、配偶者が全く仕事(家事)ができないというのは、極めて重大な事態を引き起こす可能性がある。

大切なのはリスクの認識とその回避です。

働いていない(家事をやらない)皆さん、またその配偶者の皆さんは、これくらいのことは考えたうえで、そのような決断をされている(もしくは配偶者にそれを許している)のでしょうか?



追記

「リスクの認識」で終わると、家事のリスクが相対的に小さい(食事は買えばいいし他の家事もお金で解決できるじゃんね、と言われかねない)気がしますが、実際にはそんなことはありません。

家事というのは「家の事」すべてなので、片付けとか、掃除とか、食事の用意とかには留まりません。家族における様々な意思決定とか、近所付き合い(やるやらない含めて)とか、そういうことも含みます。つまり家事は生活それ自体なのです。

家事を一緒にやらないということは、生活を一緒にやらないということです。煽りとかでなく、よくそんな状態に耐えられるなと思います。「今日の晩御飯なに?」って配偶者依存で任せるなんて耐えられない。自分で決めたくないんですかね?一緒に考えたいです。掃除やってないからやり方がわからない。勝手にやったらへたくそだと怒られる。改善しようと思わないんですか?掃除すら自分でできない状態で平然としていられる神経が分からない。

よく「パートナーとの生活は不自由だ」みたいなことを聞きます。実家に帰っている間は自由だ、とか。
目がない分、自分のやりたいようにやれるという意味での自由は私も覚えがありますが、家事をやらない人間の抱く自由とは次元が違います。私はすべての家事をやる権利がありますから、料理も掃除も好きなタイミングで好きにやればいい。もちろん面倒くさかったらやらなくたっていいですが、やれるけどやらないのです。
かたや家事をやらない人間は、コンビニ飯や外食の散財しか選択肢もないし、部屋が汚れていくことに耐えるしかない。それを「自由」とは。哀れですね。

自主と自立があっての自由です。自分で何事もできなければ、自由は得られない。本来子供へ語るべきことですが、それが分からないようでは、厳しいですが、ずっとそのままだろうと思います。

心当たりのある人は、ぜひ一度自分の考えを見直してみてほしいと思います。家族に依存している部分はなんだろう?それは致命的な部分だろうか?わたしの自由を阻害していないだろうか?


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