USIK

小説・エッセイを書いていきます

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最近の記事

Drive Me Crazy

 マウが入ったとき、ガレージの中にはひとつも明かりが灯っていなかった。だから手探りでドアを開けて、彼女はクルマに乗り込んだ。シートに身体(ボディー)を投げ出したあと、両手で顔を覆った。アナクロなその遮断状態の中で、彼女はクルマのドアが自動で閉まる音を聞いた。今日、その音は許せないほど緩慢に聞こえた。 「大丈夫?」その時、すぐ近くで声がした。アラン―夫だ。  最後に息が途切れるような音を立てて、クルマのドアは完全に閉まった。重たい静謐さの中に、マウは夫と二人で閉じ込められたよう

    • 逃亡者たち

      (1)  名古屋市内から目的地までは三十分もかからなかった。タクシーを降りるなり、凄まじい臭いが倉敷を襲った。付近には強烈な腐臭が漂っていた。生きているものが長く留まることを許さないような臭いだった。  マスクの上にハンカチを当てると、倉敷は歩きだした。  歩みを進めながら、彼は周囲を観察した。もちろんネットやテレビのニュースで、ここについて様々聞いてはいた。だが、実際に来るのは初めてだった。  噂通り、辺りには異様な雰囲気が漂っていた。地面があちこち剥げ、血のような黒が露出

      • 謝罪代行

         依頼者からメールが送られてきたので、ぼくは目を通した。読み終えてから、「またか……」とため息をついた。そこには「佐々木さんは自分の指を切り落とした」と書かれていた。ぼくはすぐに確認の連絡を佐々木さんに入れた。  ほとんど間を置くことなく、軽やかな電子音が室内で鳴った。 「大丈夫、大丈夫」文字までどこか踊っているように見えた。「満足してくれたみたいだったよ」「指の一本や二本ぐらい」「安い、安い」  評価自体は確かに、高いものがもらえているようだった。  佐々木さんと直接会わな

        • 交通誘導の女

           人々はその女の姿を、ある薄暗い交差点の片隅で目にした。  初めて女を見た時期については、誰もはっきりと覚えていなかった。ある人は一か月ほど前だと言い、ある人はいや、去年の冬にはもうあそこにいたはずだと言った。そしてある人は、もう何年もあそこで女を見ている気がすると言った。  四十代ぐらいの見た目をしていた。背も高く、ややがっちりとした体形だった。ヘルメットの下の顔は化粧っけがなく、目が少し真ん中に寄っていた。後ろで結んだ長い髪は、ばさばさとまるで箒のように、何もない空間をは

        Drive Me Crazy

          ☆☆☆☆☆

           去年の冬の終わり、私はカメラを始めました。特にこれといった理由はありません。強いて言えば、その冬がそこまで寒くなかったのが、その理由です。  ですが、いざカメラを始めてみたあとで私が気付いたのは、自分には特に撮りたいものなどないということでした。  それこそ、カメラを購入した当初は、休みの日に張り切って、家を出てみたりもしました。艶やかに光るカメラを抱えて、私は近所を歩き回り、レンズを向ける先を探しました。  でも、撮りたいものは見つかりませんでした。二、三枚は撮ってはみま

          ☆☆☆☆☆

          発現

           ピーター・パーカーが能力を発現させたのは、彼が特別なクモに噛まれたのがそのきっかけだったが、斎藤エメがその能力を発現させたのは、特別でも何でもない、どこにでもいるような平凡な男に、乳首を噛まれたのがきっかけだった。  噛まれた瞬間、雷のように鋭い痛みが、斎藤エメの全身(裸)を貫いた。  出会ったばかりの男だった。久しぶりに友人と行った相席居酒屋で、自分たちの席にやってきた男たちのうちの一人がそいつだった。引っ掛かりを持たず、あらゆる記憶から滑り落ちる見た目をしていた。良い言

          蛇口

           薄暗い夕方だった。家の蛇口が突然、ごぶりという音を立てたのは。何かやわらかい喉が裂けるような音だった。  アミコは大学生で、千葉県の郊外に住んでいた。大学が決まったあと、飛び出すように実家を出て、それからずっと一人暮らしをしていた。もう三年目だった。  彼女が住んでいるのは、古い鉄筋建てのアパートの二階の部屋だった。アパートはまるで沈没船のような見た目をしていた。部屋の中でも、時々息苦しさを覚えた。  そんなアパートの、キッチンにある蛇口が突然、不気味な音を立てたのだった。

          異動

           県庁の大型怪獣対策課で働くナガセは、ある日突然呼び出しを受けた。 「君は」部長は冷たい声で彼に告げた。「超小型害獣対策係に異動だ」  荷物をまとめて、すぐに新しい課の事務所に移れ。以上が部長から受けた最後の指示だった。シンプルで、明快。いつもこんな風に言ってくれていたら、あんなにたくさんミスをしなかったのにと思うと、ナガセは少しだけ残念な気持ちになった。 「聞いたよ」荷物をまとめている最中、タニグチに話しかけられた。彼はナガセがこの職場で、一番よく話した同僚だった。「異動に

          結界

           汗がやたらとべたつく早朝。高架下の茂みの中で、ハルオは目を覚ました。  うるさいと思ったら、近くで鳥たちが盛り上がっていた。何か噂話でもしているようだった。昨晩も暑さでよく寝られなかったため、はじめは起こされてイラついたが、彼らの話す内容を聞いているうち、それどころではないことに彼は気づいた。 「なんだとっ! そんなことがっ!」ついにただ聞いていられなくなり、ハルオは叫びながら跳ね起きた。  驚いた鳥たちはあっという間に、濁った空へ散っていった。  その日の昼、ハルオは炊

          自然葬

           呼び出しは、夕闇に紛れて訪れた。  扉が叩かれる音を聞いて、夕餉を囲んでいた家族たちは、一斉に面を上げた。不安そうな表情を浮かべて、彼らは一家の長―ドマルディの方を見た。 「大丈夫だ」器を床に置きながら、ドマルディは静かに言った。「少し出てくる。帰りは遅くなるかもしれんが、心配するな」  火を灯した松明を持ち、ドマルディは扉に向かった。隙間から外を覗くと、そこには隣に住むクヴァシルが立っていた。 「ウプサラの広場で集会が開かれる」ドマルディの耳に染み込ませるように、クヴァシ

          自然葬

          セカイノオワリ

           異変が起こる前、そのゲーム放送の視聴者は、多くても六十人ほどだった。毎日二十四時間、動画配信プラットフォーム「twitch」上で、その生放送は行われていた。  それは完全なる視聴者参加型の放送だった。ゲームの操作は、視聴者たちのチャット欄への書き込みによってなされた。書き込みの内容が、リアルタイムで操作に反映されるように、自動プログラムが組まれていたのだ。視聴者たちはひとつの集合意識として、ゲームを進めることができた。  全ての選択は、視聴者たちに委ねられていた。実際、配信

          セカイノオワリ

          お前だったのか

           子どもたちはそれぞれ物蔭に隠れ、息を潜めていた。  彼らが見ているのは、今にも崩れ落ちそうな小さな家。漆喰の壁はぼろぼろで、病気の犬の肌のようだ。家の周りには、背の高い草や年老いた木が生い茂っていた。子どもたちはみな、その木の下に集まっていた。はるか高くからの太陽の光が、枝や葉を通して、光のノイズを散りばめていた。虫の羽の音が、あちこちから聞こえた。  突然、小さな汚れたきつねが一匹、家の前へと躍り出てきた。子どもたちはそれを見ていた。だがきつねに、彼らを気にする様子はなか

          お前だったのか