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謝罪代行

 依頼者からメールが送られてきたので、ぼくは目を通した。読み終えてから、「またか……」とため息をついた。そこには「佐々木さんは自分の指を切り落とした」と書かれていた。ぼくはすぐに確認の連絡を佐々木さんに入れた。
 ほとんど間を置くことなく、軽やかな電子音が室内で鳴った。
「大丈夫、大丈夫」文字までどこか踊っているように見えた。「満足してくれたみたいだったよ」「指の一本や二本ぐらい」「安い、安い」
 評価自体は確かに、高いものがもらえているようだった。
 佐々木さんと直接会わなくなってから、もう随分経つ。この半年間は、佐々木さんの顔すら見ていなかった。こんな風に依頼者からの連絡だけを通して、佐々木さんの最近の様子について情報を得ていた。もちろんそれは、佐々木さんの仕事についての情報に限る。だがそれだけでもはっきり言って、ぼくは佐々木さんが少しおかしくなってきていると思っていた。何しろ伝え知ることは、目や耳を疑いたくなるものばかりなのだ。
 ある評価レポートには「佐々木さんは大粒の涙をこぼしながら、バリカンで自分の髪を全て刈った」と書かれていた。ある人からは「佐々木さんは『許していただけないなら、私は貴方の犬になります』と言ったあと、二十分に渡り、犬のモノマネをし続けた」と聞いた。あるメールの中には「佐々木さんは『これは私なりの責任の取り方です』と呟くと、怪しげなカプセルを飲み下して、泡を吹いて倒れた」という文があった。
 以前から過激な言動や行動が目立つ人ではあった。だが、最近のそれは明らかに度を超えている。だから不思議なのは、そういった異常なことをしだしてからの方が、むしろ世間から佐々木さんへの評価があがり、入ってくる依頼も増えていることだった。この世は狂っている。それがぼくの出した結論だった。
 フリーの謝罪代行業者。それが佐々木さんのしている仕事だ。そして、ぼくは彼の下で、アシスタントとして、様々な雑務を任されている。

 社会全体でリモートワークが推進されだし、謝罪代行の依頼がぱたりと来なくなったとき、ぼくはこの仕事はもう終わった、と思った。今回ばかりはさすがの佐々木さんも弱っているだろう、とぼくは当たりをつけていた。謝罪における対面の重要性を、誰よりもやかましく何度も主張していたのは、他ならぬ佐々木さんだったから。
 だが予想に反して、佐々木さんは別に弱ってなどいなかった。変わらない前向きさが、電話の向こうの声には混ざっていた。
「むしろ最近は、こうなってよかったのかもしれないとさえ思ってるよ」そう言うと、佐々木さんは笑った。「直接会おうが、画面越しに会おうが、おれのやることは変わらないし。はっきり言ってこれからどんどん、口に出して相手に何かを伝えるという行為全般が、意味のないものになっていくと思うんだよな。
 話しているとき、相手が本当は何を考えてるか……とか、その人の真意は……とか、誰も気にしなくなる未来が来ると思ってる。そうなると全てはただ、形骸化した記号の交換に過ぎなくなるんだ。それでも人がコミュニケーションに拘泥するなら、おれらの方が自分自身の存在を、意識的に記号化していかなきゃいけないと思うんだよな。そしてそれをするにはむしろ、リモートの方が適してる気がする」

 その後。佐々木さんはついに完璧におかしくなった。それは、ある依頼者から「佐々木さんは今回、『全て私が悪かったです!』と叫んだあと、カメラの前で首を吊りました」という旨のレポートが送られてきた、その直後だった。
 連絡がつかなくなったりしたわけではない。むしろ連絡はついた。だがこちらが何を送っても、返ってくるのはLINEのスタンプだけになった。そのスタンプたちも、会話の流れにそぐわない、奇妙なものばかりだった。嘔吐するドラゴン。腐ったタケノコ。サングラスをかけた雲。飛行機を食べるカメ。そんな意味不明なイメージたちが、佐々木さんとのトーク画面を埋め尽くしていった。
 だがその間にも、一応佐々木さんも仕事はしているようだった。依頼者からの感謝の連絡や評価レポートは、いつもきちんとぼくの下に届いた。あらゆる過激な形式を用いて、佐々木さんは、謝罪という言語によってなされるコミュニケーションの一形態、その本質へと迫っていっていた。彼方に想定される、スクリーンの向こう側で。そして、佐々木さんが世に提示したそのナンセンスなイメージのどれもが、依頼者からは高い評価を受けていた。

 緊急事態宣言も開けたので、ぼくは佐々木さんに会いに行くことにした。
 佐々木さんの自宅は、都心のマンションの一室だった。なんだかんだ言って、佐々木さんは高給取りなのだ。次の土曜日に訪ねることを伝えた。佐々木さんからはまた、わけのわからないスタンプだけが送られてきた。
 最寄りの駅に着いたとき、電話をかけてみた。佐々木さんは出なかった。駅前のデパートで手土産を買った。それからぼくは歩いて、彼が住むマンションへと向かった。街には多少人が出てきている印象だった。誰もがやはりマスクをしていた。ぼくはどうしてかその時、テレビのバラエティかなんかで、話すのを禁止された人たちもまた、こんな風に強制的にマスクをつけさせられていることを思い出した。
 入口のドアホンを鳴らすと、音もなくドアが開いた。エレベーターが動き出すとき、しばらく誰にも使われてなかったことを感じさせる、冷たい音を立てた。
 いつもに増して、マンション全体が静まり返っていた。
 部屋の前に着いたあと、チャイムを鳴らした。だが佐々木さんの返事はなかった。「佐々木さん」と、ぼくはドアの奥に呼びかけた。「いるんですよね」言いながら、ぼくはドアノブに手をかけた。「入りますよ」
 鍵はかかっていなかった。ドアを開いて、中をのぞき込み、ぼくは固まった。
 目の前の廊下を一頭の巨大なクマが歩いていた。いかにも機嫌が悪そうに、クマは頭を大きく振り回していた。鼻息がとても荒く、目も血走っていた。無数の牙の奥から、遠雷のような音が聞こえた。
「あ……、あ……」手土産を落とすと、その音にクマが反応を見せた。クマとぼくとの目が合った。後ずさりながら、ぼくは叫んだ。「ごめんなさい!!」
 最後にぼくが見たのは、突進してくる真っ黒な塊だった。厳しい自然界において、謝罪など意味をなさないのだ。

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