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謝罪代行

 新しい記録ビデオが上がってきたので、ぼくはすぐに内容を確認した。見終えてから、大きなため息をついた。佐々木さんは小さなZoomのビデオ画面の中で、「謝罪の証として!私はここで自分の!この指を切り落とさせていただきます!」と叫んだ後、包丁を思い切り振り下ろしていた。カメラに飛び散る血。他のビデオ画面から上がる驚愕の悲鳴たち。ぼくは再生を停止した。しばらく頭を抱えていた後、ぼくは無事の確認の連絡を佐々木さんに入れることにした。
 ほとんど間を置くことなく、軽やかな電子音が室内で鳴った。
「大丈夫、大丈夫」文字はどこか小躍りしているようだった。「満足してくれたみたいだったよ」「指の一本や二本ぐらい」「安い、安い」
 確かに仕事自体は滞りなく完了していた。後日、依頼者からの丁寧な感謝連絡も届いた。
 フリーの謝罪代行。それが佐々木さんのしている仕事だった。

 ずっと退職や式の出席など代行業務全般を受け持つ会社で働いていた佐々木さんが、独立し、謝罪を専門とするフリーランスの代行業者となったのは、およそ5年前のことだった。佐々木さんの謝罪代行は退職前からすでに評価が高かった。そのため、フリーになった佐々木さんは大忙しになった。ひっきりなしに依頼が続き、間もなく一人では仕事が回らなくなった佐々木さんは(その辺の見通しや計算は全く自分でできない人なのてである)、依頼者とのやり取りやスケジュールの調整など、税金関係の手続きなどの雑務を、アシスタントにさせることにした。そこで雇われたのが、ぼくというわけだった。
 だが、そんなプロ中のプロ、同業の誰もに憧れられ、仕事のやり方を真似られるような佐々木さんでさえ、働き方を変えなければならないような事態が訪れた。コロナの流行だ。何十年に一度とも知れぬほど巨大規模の伝染病の流行は、人々の生活様式を丸ごと変えてしまった。絶対的な強制力をもって。社会全体で、リモートワークが推奨されるようになった。それに従って一時期は、謝罪代行の依頼もぱったり止んでしまった。今となっては、全く新しい暮らし方を余儀なくされ、人々がその順応に戸惑っていた時期だったのだと分かるが、あの時のぼくは「この仕事はもう終わりだ」と思った。「誰も謝罪代行の仕事など必要なくなったのだろう」と。いつも強気な発言が多い佐々木さんも、さすがに今回ばかりは弱っているだろうとぼくは考えていた。第一に、仕事は本当に全然来なかったから。それに、謝罪における対面の重要性を、誰よりもやかましく唱えていたのが他ならぬ佐々木さんだったからだ。
 だがこちらの予想(と心配!)に反し、佐々木さんは弱ってなどいなかった。電話越しに聞く声からは、以前と変わらぬ前向きさが窺えた。
「むしろ最近は、こうなってよかったのかもしれないとさえ思ってるよ」そう言うと、佐々木さんは不敵に笑った。「直接会おうが、画面越しに会おうが、おれのやることは変わらないしな。というか、むしろ今回のこのコロナのことで、これからはどんどん、口に出して相手に何かを伝えるという行為全般が意味のないものになっていくだろうなあ、ってますます強く思うようになったよ。まあ、前から似たこと思ってたんだけどさ。
 話しているとき、相手が本当は何を考えてるか……とか、その人の真意は……とか、誰も気にしなくなる未来がすぐ来るよ。間違いない。だって考えてみろよ。LINEとかメールとかはもちろん、Zoomとかで話しても『自分が本当に、話していると思っているその人と話してるのか』実は分からないわけじゃんか。デジタル時代ってそういうもんだろ? ずっと昔からそうなんだけど、最近のコロナのことでそれが加速したよな。誰でも何でも、マジで簡単に誰かの、あるいは何かの代行をできちゃうような状況になってきてる。やがて何もかもは形骸化した記号の交換に過ぎなくなるよ。そうなると、俺みたいなやつの仕事も要らなくなるんじゃないか、ってお前は言いたんだろ? わかってるよ。でもな、それは俺は違うと思ってる。どちらにせよ、人は未来永劫、コミュニケーションという形式に無理やり拘泥していくことにはなるんだ。で、どうせ記号のやり取りするだけなら、そりゃあ、記号のプロに頼んだ方がいいからな。だから最終的に何が言いたいかっていうと、俺の仕事でこれから大切なのは、ほとんどの仕事にも当てはまりそうだけど、いかに働いているやつが自分自身の存在を、意識的に記号化していけるかと思うんだよな。対面とかリモートとか関係なくね。分かるか? 今後の俺らのキーワードはそれよ。メモっとけ、メモっとけ。何だっけ?あ、そうだ、そうだ。記号化」

 結局ぼくと佐々木さんの仕事も、全てリモートワークでするようになった。ぼくと佐々木さんの関係はそれぞれの自宅から事務的なやり取りをするだけのものになった。多少寂しさも覚えたが、やがてこういうものだと思うようになった。こちらからの様々な連絡に対し、佐々木さんからは「うい」「おう」「ふぇぇ」「ぱう」など、短い返信だけがいつも送られてきた。
 またリモートワークによって、佐々木さんの仕事で大きく変わったことがもうひとつあった。それが、業務中の記録を映像として残すようになったことだった。対面100%で仕事をしていたときは、謝罪中の様子を録音録画などしなかった。シンプルに面倒だったからだ。だがZoomで謝罪を行うようになってから、どうせできるならということで、様子を録画することになった。そして上がってくる記録ビデオを、ぼくは時々自分で見ていた。特に見るように言われたわけではない。興味本位がひとつと、直接会っていないし、まともな返事もよこさない佐々木さんの様子を確認したい、というのも理由のひとつにあった。
 そんな風に、ビデオを通して見る佐々木さんの様子が、何やらおかしくなり始めたのは、リモートワーク導入後、1年が過ぎたころからだった。それはある日の謝罪中のことだった。いつもの調子で、幾度となく頭を下げ続けていた佐々木さんは、突然「この謝罪の気持ちを伝えるために……!」などと言い出した。それから、佐々木さんは画面外から魔法のようにバリカンを取り出したかと思うと、それで自分の髪の毛を剃り始めた。当然、Zoom会議は騒然となっていた。
  丸刈り男が急に画面内で完成した衝撃に押し流されるように、謝罪の受け入れは粛々となされた。そこまで見たあと、ぼくはビデオのウィンドウを閉じた。元々ぶっ飛んだ人だとは思っていたが、これほどとは……。天然水を飲みながら、しばらくそんな物思いにふけっていたあと、ぼくはさっき見たことをきれいさっぱり忘れることにして、自分の仕事に戻った。
 数日後、また別の記録ビデオが上がってきた。ぼくは早速見た。驚いたことに、映像の中の佐々木さんは髪がちゃんと生えていた。全然丸坊主ではなかった。首を捻りながらも、ぼくは続きを見ることにした。その日の謝罪には多少時間がかかっていた。すると、佐々木さんは急に「許していただけないなら、私は貴方の犬になります!」と叫んだ。そして、とてつもなく戸惑っている様子の相手方をよそに、佐々木さんはカメラを部屋の床が写るように調整した(パソコンを床に下ろしたようだった)。それから佐々木さんは床の上に四つん這いになり、本気の犬の物真似を始めた。またも呆然とする参加者たち。3分ぐらい見ていたあと、ぼくはビデオを消した。
 次のビデオでは、佐々木さんは「依頼者にかわって、私が今回の全ての責任を取ります」と呟くと、怪しげなカプセルをカメラに見せ、それらを口に放り込み、ごくりと飲みこんだ。数秒後、佐々木さんは画面内で泡を吹きながら倒れた。またあるビデオでは、「焼き土下座、有名ですよね?」と声とともに、大きな鉄板を引きずる佐々木さんがフレームインした。そしてあるビデオで佐々木さんはついに、カメラから少し離れたところで椅子の上に立ち、画面上から垂れたロープの輪をつかみ、にこりと微笑んだ。ドサリ、と重たい音が続いた。
「えー」「うわー」という悲鳴の数々が、映像に記録されていた。ぼくはビデオを一時停止し、スクリーンに顔を近づけた。確かに佐々木さんは死んでいるように見えた。トリックが使われているようには見えなかった。ビデオを早送りもしてみたが、佐々木さんの身体が画面内で、ぶらぶらとちょっと速く揺れただけだった。視聴後、さすがに佐々木さんに連絡を入れた。返事はなかった。何度か連絡してみたあとで諦め、ぼくは自分の仕事を続けようとしたが、身が入らず、ほとんどずっとぼんやりとしていた。2日後、また新しい記録ビデオが上がってきた。大慌てでぼくはそのビデオファイルをダブルクリックした。再生された映像の中に、普段と変わった様子のない、死んでおらず生きているように見える、佐々木さんの姿が映った。「お集まりの皆さん、この度は……」と佐々木さんは話し始めた。

 佐々木さんはどうやったのだろう。ぼくには全然分からなかった。髪を丸刈りにし、指を落とし、首を吊り、それでも次のビデオでは何事も無かったように、また他の謝罪に臨んでいるなんて。どうやったらそんなことができるのだろう。どうやって? もしかしたらそれでは、問いの立て方が間違ってるのかもしれない。佐々木さんは何をしたのだろう。単に「謝罪」という行為を代行するということを超え、自らの存在そのものを、「謝罪」にまつわる一般的イメージたちに置き換えたとでもいうのだろうか。それが本当の「代行」なんだと?
 確かに、もしそれができるなら、切腹しようが、自分の身体に火をつけようが、佐々木さんが死ぬことはないのかもしれない。なぜなら佐々木さんはその時、すでに普通に生きる人間などでなく、「謝罪」という象徴性そのものだからだ。代行の仕事を本当につきつめた人には、そんなことさえ可能になるのだろうか。一人の人間であることをやめ、「概念そのもの」になるということまでもが……?
 だが、そこでぼくはふと疑問に思う。そもそも「一人の人間」とは何だろう。思えば、自分の知っている佐々木さんはずっと、「他人の謝罪を代行する存在」だった。「ずっと謝罪ばかりしている人」と「謝罪のイメージ」との間に、本質的な違いなどあるといえるのだろうか。ましてやZoomの画面内でしか、その人に会いやしないとしたら。違いなどないのかもしれない。ぼくはそう思った。そもそも、じゃ他ならぬぼくにとって、佐々木さんとはどういう存在だった?

 緊急事態宣言が開けたので、ぼくは久しぶりに、佐々木さんに会いに行くことにした。
 佐々木さんの自宅は、都心にあるマンションの一室だった。なんだかんだ言って、佐々木さんは高給取りなのである。次の土曜日に訪ねるとメールで送った。佐々木さんから返事はなかった。
 最寄りの駅に着いてから、また電話をかけてみた。佐々木さんはやはり出なかった。駅前のデパートで手土産を買った。ぼくは駅から歩いて、彼が住むマンションへと向かった。緊急事態宣言明けとあり、街には多少人が出てきている印象だった。誰もがやはりマスクをしていた。ぼくはどうしてかその時、テレビのバラエティで話すのを禁止された人たちもまた、強制的にマスクをつけさせられることを思い出した。
 マンションの入口でドアホンを鳴らした。すると、音も返事もなくドアが開いた。エレベーターに乗り込むと、しばらく誰にも使われてなかったことを感じさせる冷たい音がした後、それはゆっくりと上に動き出した。
 いつもに増して、マンション全体が静まり返っているような感じだった。
 部屋の前に着いたあと、チャイムを鳴らした。ここまで来ても佐々木さんの答えはなかった。「佐々木さん」と、ぼくはドアの奥に呼びかけた。「いるんですよね」言いながら、ぼくはドアノブに手をかけた。「入りますよ」
 鍵はかかっていなかった。思い切ってドアを大きく開いた。そこでぼくは固まった。
 目の前の廊下を、一頭の巨大なクマが歩いていた。とても悠々と、しかしいかにも機嫌が悪そうに。歩きながら、クマは頭を振り回していた。鼻息が荒く、目も血走っていた。無数の牙の奥から、遠雷のような声が漏れていた。
「あ……、あ……」ぼくは思わず、その場に手土産が入った袋を落としてしまった。すると、その音にクマが反応を見せた。クマは顔を上げた。そしてぼくと目が合った。近づいてきた。後ずさりながら、ぼくは叫んだ。「ごめんなさい!!」
 最後にぼくが見たのは、突進してくる真っ黒な塊だった。そして喉笛を噛みちぎられる直前、佐々木さんの声が聞こえた気がした。ほらな。俺らは結局生きていく上で、コミュニケーションに拘泥し続けるんだ。それが文明的だなんだと言い続けながらな。そもそもこの世界で、やりとりなんて成立しないことのほうが普通なんだぞ。謝罪なんて。考えてみれば、本当にアホみたいな習慣じゃないか? 命の奪い合いをする厳しい自然界で、誰がそんなことをするっていうんだ?

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