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自然葬

 呼び出しは、夕闇に紛れて訪れた。
 扉が叩かれる音を聞いて、夕餉を囲んでいた家族たちは、一斉に面を上げた。不安そうな表情を浮かべて、彼らは一家の長―ドマルディの方を見た。
「大丈夫だ」器を床に置きながら、ドマルディは静かに言った。「少し出てくる。帰りは遅くなるかもしれんが、心配するな」
 火を灯した松明を持ち、ドマルディは扉に向かった。隙間から外を覗くと、そこには隣に住むクヴァシルが立っていた。
「ウプサラの広場で集会が開かれる」ドマルディの耳に染み込ませるように、クヴァシルは小声で話した。「今からだ。お前もすぐに準備して広場まで来い」

 ドマルディが着いたときには、村のほとんどの男が、すでに広場に集まっていた。困惑のざわめきが広場に満ちていた。
 次第に闇は濃くなり、ざわめきも形を変えた。そして突然、何の前置きもなく、村長が口を開いた。彼が語り出すと同時に、広場は凍り付いたように静まりかえった。
「みなに集まってもらったのは、他でもない……」嗄れた声が夜を重たくする。「現在村で起こっている、ある重大な問題について、みなに話すためだ……」
「我らが山に還した死者たちが、もうずっと拒まれている。鳥や獣たちは最早彼らに近寄ろうとしない。話によると、現在ヘルヘイムの入口は、肉体を失えない死者たちが放つ、凄まじい臭いに満ちているそうだ……」
 男たちはただ頷いた。集まった全員が、事態をすでに知っていた。
「原因は定かではない……」村長は続けた。「最近村でHIP-HOPが流行っているからだとか、スマホの基地局を村の近くに建てたからだとか、同性婚を認めるように村掟を変えたからだとか、色々囁かれてはいるが……」
「わしが有力だと思うのは、山の麓にファミレスやらコンビニやらができたせいで、その廃棄物の味を覚えた獣たちが、死体になど興味を示さなくなってしまったという説だ……。うまいからなあ、マックは……」
 村の男たちは、また神妙に頷いた。
「そこでわしは考えた」村長の目が怪しく光る。「獣たちの舌がジャンクフードで肥えてしまったなら、同じように……」タメを作る村長。「死体たちも、ジャンクフード風に味付けしてしまえばよい……」
 男たちの間で生じたどよめきを、村長は静かな声で制した。
「そのためには、現代の料理ができる者を育てなければならない。そこで……」
 揺らめく火の間を、村長は素早く手を振り上げた。その骨ばった指は、真っすぐにドマルディに向けられていた。
「ドマルディの息子、ドーマルを、修行のために外の世界に遣ることにする」
 少しの間、ドマルディは世界が丸ごと反転したように感じていた。気が付くと、周囲の目がすべて自分に向けられていた。震える声で、「承知しました」とだけ彼は言った。

 息子の出立前の日々は、滝よりも早く落ちていき、記憶の水面で泡となった。
 その日の朝、家族は連れ立って村の出口まで行った。「お父さん、お母さん、行ってきます」家族の顔を見回すドーマルの口元は、少し震えていた。「ヴァナも元気でな。泣くなって。ちゃんと勉強しろよ」
 声も出せない妻のあとで、ドマルディは息子を抱きしめた。「推薦状は持ってるな?……よし。頑張るんだぞ。わたしたちはずっとここで、お前の帰りを待っている」
 年月とともに大きくなった背中は、あっという間に小さくなっていった。立ち込める霧の向こうに見えなくなるまで。

 そしてドーマルがボタンを押すと、時間は音を立てて渦を巻き、やがて吸い込まれていった。大量の吐しゃ物とともに。
 ドーマルはトイレの床で、冷たいタンクにもたれかかった。腕の上にはびっしりと、黒い跡が浮かんでいる。見開いた目は、脳内で炸裂する花火をただ眺めていた。身体の近くに落ちている、注射器。
 しばらく幻想の中を漂っていたあと、ドーマルはホールに戻った。
 享楽はずっとそこで続いていた。スモッグ。乱れ飛ぶ光線。繰り返される重低音。ホールにいる誰もが、恍惚とした顔で、踊り狂い、絡み合っていた。淫靡な笑い声や、何かをかみ砕く音が聞こえた。
 音楽によって、ドーマルの頭は割れるように痛んだ。彼はクラブから飛び出した。真夜中の通りには何の姿もなかった。電灯の光が、彼の目に突き刺さった。呻き声を漏らしながら、よろよろと彼は道に出た。
 その時、後ろで微かな物音が聞こえた。
 ドーマルは振り返った。暗闇と絶望が、愉快そうに彼を見ていた。そして確かに、彼は聞いた。暗がりに身を潜めた、夥しい数の、獣たちの唸り声を。
 逃げようとした足はすぐにもつれ、濡れた通りの上にドーマルは倒れた。そして闇が、彼の身体に襲いかかった。

 翌日の朝。いつものように、川沿いの公園を散歩していた老人が、その遺体を発見した。はじめ見たとき、老人はまさかそれが、人間の死体だとは思わなかった。
 遺体は、半年前に素行不良などを理由に調理学校を除籍されたあと、行方不明となっていた青年だった。もっともそうと分かるまでには、かなり時間がかかった。遺体の状態が余りにも悪かったのだ。
 鋭いくちばしで突かれたような跡や、大きな獣によって噛みちぎられたような跡が、憐れな遺体の全身に残されていた。

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