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『日蝕』(1959) アウグスト・モンテローソ

アウグスト・モンテローソの短篇『日蝕』を読みました。生まれはホンジュラスですが、グアテマラの作家。

作品は、野村文昭編訳、岩波文庫の『20世紀ラテンアメリカ短篇選』(2019)に収められています。


文庫本で二頁完結と、今まで僕が読んだラテンアメリカ文学の短篇の中では1番短い作品。
もはや、ショートショート(掌編小説)と言ってしまっても良いかも知れません。

短いですが、ストーリーは非常にはっきりしていて分かりやすい。
「散文詩」ではなく、明確に「小説」だと思います。

文学を通して、一枚の風刺画を眺めたような読後感を味わいました。
冒険ものの物語に対する皮肉だったり、〈文明〉と〈未開〉とを巡るブラックユーモアだったりが存分に発揮されています。

今回はネタバレとかも気にせず、書きたいだけ書いちゃおうと思うので、ネタバレはちょっと…という方は、物語を読んでからまたお越しください!

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《あらすじ》

スペインの宣教師、バルトロメ・アラソラ師は、グアテマラの密林で迷ってしまい、死を覚悟します。

故郷の修道院のことを思い出したりと、物思いに耽りながら眠ってしまうのですが、目が覚めると先住民の群れに囲まれて、自身が生贄として捧げられようとしていることを覚ります。

危機的な状況でしたが、先住民の言葉も扱え、意思疎通ができるアラソラ師は、その日に皆既日蝕が起きるということを思い出します。そして、その知識を利用した妙案を思いつきました。

“「私を殺したりすれば」と彼は言った「私は空にある太陽を隠してしまうぞ」”

先住民たちは不信に思ったのか、なにやら集まって相談を始めます。アラソラ師は彼らを“いくらかさげすみながら”、おそらく自分は助かるだろう…と、その議論の結果を待つのでした。

“二時間後、バルトロメ・アラソラ師の心臓は、生贄を捧げる石の上で盛んに血を滴らせていた。(石は日食のために薄らいだ光を浴びて輝いた)”

日蝕がちゃんと起こったにも関わらず、アラソラ師は生贄にされてしまったのです。

先住民たちは、彼ら自身の観察眼によって既に(西洋文明に頼ることなく)、天体の動きや皆既日蝕が起こる日付を正確に知っていたのでした。

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と、こんな感じ。

あっさり死んじゃいましたね、アラソラ師。

普通の冒険小説だと、ひとつの危機(遭難)に、もうひとつの危機(捕縛)が重なることで、最初の危機すらも乗り越えてしまう。という王道のパターンがあるように思います。

でもこの小説では、非常にあっさりと「王道」が崩されてしまう。

その呆気ない感じが、〈血の滴る心臓〉に対して「残酷さ」や「悲惨さ」といった印象よりも、むしろ「滑稽さ」を際立たせてしまう。

しかも、それは単に「ユーモラスなだけ」でもないような気がしました。

末尾の訳者解説で、野村文昭は次のように述べています。

“スペイン宗教人の〈未開人〉に対する驕りが生んだ悲劇はブラックである。だが、西洋文明を転倒させながらもそこにはある種の悲哀が感じられる。”

たしかに物語の冒頭で、アラソラ師が潔く死を覚悟した場面、そして遠い故郷に思いを馳せる場面では、感情移入がしやすいです。

この、〈冒頭での親近感〉があるからこそ、最終的には自らの驕りによって殺されてしまう宣教師に対して、ただの「ざまあみろ」といった風刺だけでは済まされない、なにか悲哀も伴った感情が喚起されます。

でも、やっぱり〈悲嘆〉というよりはユーモラスで…。

二頁だけで、これほど複雑な読後感を与える語り口は素晴らしいと思いました。

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作家が気になったので色々調べてみたところ、モンテローソ自身は、15歳までホンジュラスとグアテマラを行ったり来たりしていたそう。
その後は、家族とともにグアテマラに永住。…するつもりだったそうなのですが、自身の政治活動によって、メキシコへ国外追放されたりと、かなり大変な人生を歩んでいたみたいです。

作家としては、とにかく短篇の名手だそうで…。
なんと世界でもっとも短い(スペイン語で七語のみからなる)といわれる『恐竜』という小説を書いているとのこと!

めっちゃ気になって調べてみたら、邦訳含めてネットで全文ありました。

著作権とか気になるので、ここには転載しませんが、ご興味ある方は検索してみて下さい(笑)。

それでは〜

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