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キャロットケーキはいつからスパイス入りになったのか? ー 十字軍まで遡るお菓子とスパイスの関係 ー

近頃カフェやケーキ屋さんでよく、キャロットケーキを見かけるようになりました!

刻んだにんじんとスパイスでしっとりまとめられた大人の風味の生地と、トップに施された甘くて爽やかなクリームチーズのフロスティングが豪華さを感じさせてくれる、贅沢な味わいのケーキです。
キャロットケーキと言えばたいていこの形なのですが、なぜにんじんのケーキにスパイスが入っているのか不思議に思いまして…。
軽い気持ちで調べてみたけど中々答えが見つからない。そこでもう少し大きな括りでケーキとスパイスの歴史を見てみたら、とても興味深かったので、ここで紹介したいと思います!

キャロットケーキの歴史 ー 砂糖の代わりとしてのにんじんと第二次世界大戦 ー

そもそもキャロットケーキはイギリスの家庭菓子。その歴史は中世にまで遡ります。

「なぜお菓子に野菜を?」と疑問に思うかもしれませんが、当時、蜂蜜も砂糖も高級品で庶民の手の届くものではありませんでした。
イギリスのにんじんは日本のものとは種類が違い糖度が高いということもあり、甘味として加えられたのが始まりだと言われています。

出版業が盛え料理本が人気を博した近世。ヴィクトリア朝で大ヒットした『ビートン夫人の家政読本』(Beeton’s Book of Household Management, 1961–)にもキャロットプディングのレシピが載っていました。

といってもこれは「茹でてマッシュした人参をパン粉やスエット(※牛の腎臓等から摂る脂肪)、卵などと混ぜて、蒸すかあるいは焼いてくださいというもの」だそうで(UK Walker「キャロットケーキのお話とレシピ」より)…ここにはスパイスどころか砂糖もナシ。現代の我々が想像するケーキとも違いそうです。

当時はパン、ケーキ、プディングのどれが食事でどれがお菓子かという区別はそれほど明確ではなく、『ビートン夫人の家政読本』にも、砂糖を使った甘いケーキもあれば、ティーケーキのような軽食用の甘くないケーキも紹介されています。
砂糖が手に入りやすくなってからも、キャロットケーキ(あるいはキャロットプディング)は、お菓子にも食事にもなる素朴な味わいのケーキとして、昔のままの味を保っていたのかもしれません。


そんなキャロットケーキが脚光を浴びたのが第二次世界大戦中。
当時食糧の約60%を輸入に頼っていたイギリスは、戦争による食糧難に対処すべく、配給制を導入し、国民に家庭菜園を勧めます。
入手しやすくかつ栄養価の高いにんじんは恰好の食材。政府は、Dr.キャロットなるキャラクターまで生み出してプロモーション活動を繰り広げ…レモネードの代わりのキャロレード、その他トフィーキャロット、キャロットマーマレード等々様々なレシピを紹介します。キャロットケーキもその一つだったのです。

このときのキャロットケーキのレシピは、お砂糖はちょっぴり、卵は1個、もちろんスパイスもなしですが、それでも多くの人々に歓迎され、一躍人気のケーキになりました。

地味でささやかだった家庭のケーキが今のような形になったのは1960年代のこと。
イギリスからアメリカに渡りカフェで提供されるようになったときに、クリームチーズのフロスティングで華やかにデコレーションされ、それが定着したということです。

…と、ここまででざっとキャロットケーキの歴史をご紹介してきたわけですが、肝心のスパイスについて何もわかりません。ネットや本でキャロットケーキについて調べてもスパイスに関する記述が見つけられなかったのです。

ですがキャロットケーキ以外にもスパイス入りのケーキはたくさんある。スパイスのケーキと言えばパン・デピス‼︎
というわけでちょっと横道に外れてパン・デピスの歴史を見てみましょう。

パン・デピス(スパイス・パン)の歴史 ー 宋の蜂蜜パンが十字軍遠征でヨーロッパへ! ー

パン・デピスとはフランスの伝統的な「香辛料を使ったパン」のこと。

パン・デピスの道はシルクロードと同じくらい重要で、ときにはそれと、地理的に重なる。

フランスの食物史家マグロンヌ・トゥーサン=サマ

と言われるように長ーい歴史があるのです。
そのルーツは10世紀、中国の宋王朝に遡ります。

当時宋王朝ではミ・コン(ミー・コン、ミー・キンとも)と呼ばれる蜂蜜パンが作られていました。
これは小麦粉と蜂蜜を一緒にこねて作られたものですが、その栄養価の高さから兵士の保存食にされていたと言われています。

1200年頃中国北部を支配したチンギス・ハーンゆかりのモンゴル軍は、このパンをも手に入れ、中東に伝えました。
一方この頃ヨーロッパでは1019〜1272年にかけて8回にも渡り十字軍の遠征が繰り広げられており…。聖地奪還のためエルサレムを訪れた巡礼者たちががこの甘いパンをヨーロッパへ持ち帰ったというわけです。

諸説ありますが、「蜂蜜パン」にスパイスが加えられ、「パン・デピス(=香辛料のパン)」となったのは中部ヨーロッパ通過中だと言われています。

パン・デピスの製法によると、まず第一に生地をじっくり(3か月〜半年も!)寝かせることが重要でした。その間に蜂蜜の作用で生地が熟成するのを待つわけですが、これはつまり、パン・デピスを作ってもすぐ金にはならないということを意味します。
ある程度事前の蓄えがあり、かつパン・デピスに必要な穀物・蜂蜜が入手可能である。中世においてそうした条件を併せ持っていたのが修道院です。

修道士たちは土地を所有していたため、そこで穀物やミツバチを育てていました。ミツバチはもともと、儀式で使う蝋燭用の蝋を採るために飼っていたのですが、その副産物として蜂蜜が得られたのです。

彼らの作った蜂蜜はそのまま販売され慈善活動の資金となることもありましたが、同時に巡礼に訪れた者への手土産として、蜂蜜を使ったお菓子を渡すことも考えられました。そうしたときに防腐剤の意味も込めてスパイスを加えることも検討されたことでしょう。

当時は蜂蜜もスパイスも健康に良い高価な”薬“です。
またパン・デピスには、「エルサレムから帰還中の巡礼者たちが、ドナウ川のデルタの湿地に迷い込んだとき、このパンのおかげで生き延びることができた」という逸話もあり、ドイツでは「レーベンスクーヘン(=命の菓子)」の名で知られています。

聖地を思わせるような異国の香りのする甘〜い特別なお菓子…修道院へ巡礼し、このお菓子を受け取った人々は、大事に持ち帰り、皆に自慢して回ったのではないでしょうか?
このような手土産として作られたパン・デピスはクークと呼ばれ、表面に教会の絵や装飾がつけられました。修道院は、布教に使える保存食としてパン・デピスに目をつけ、人々に広めるのに一役買ったと言えそうです。

パン・デピスはフランスのお菓子ですが、スパイス入りのお菓子が特別な意味を持っていたというのはイギリスでも同じでしょう。

再び『ビートン夫人の家政読本』を見てみますと、ウェディング用のリッチ・ブライド・ケーキやクリスマスに飲むモルドワインや紅茶にはスパイスが加えられていることがわかります。イギリスの伝統的なクリスマス・プディングやミンス・パイにもスパイスは付きものですよね。
ヴィクトリア朝でもスパイスはまだ高価でしたが、贅沢さの象徴として、また家族の健康を願う”薬“として、特別なときに使われていました。

健康効果や保存効果という実用面にも優れながら、高級で神聖、異国情緒漂う不思議な香りをもつスパイス。貧しく物がない時代に、ひっそりと家庭で受け継がれてきたキャロットケーキとは対照的な存在です。

キャロットケーキはいつからスパイス入りになったのか?

冒頭の「キャロットケーキはいつスパイス入りになったのか」という疑問に対するはっきりとした答えは見つけられませんでした。
けれど、スパイス入りのお菓子が人々にとってどういう存在だったのか知った上で、キャロットケーキの姿を想像すると、なんとなく答えが見えてくるような気がします。
それは、この地味にで素朴な家庭のケーキにスパイスが加えられたのは、これを市場で商業的に販売しようとしたときなのではないか、ということです。

人々が家にあるもので作ってきた素朴なケーキを、お金を出して買ってもらうにはどうしたらいいか?そのためには何か特別感が必要です。
その特別感を演出するのに(今では気軽に手に入るようになった)スパイスがぴったりだったのではないでしょうか。

スパイスとフロスティングのキャロットケーキをおしゃれなカフェで食べると、なんだかリッチな気持ちになりますものね(しかもにんじんとスパイスの健康的なイメージが、甘いものに対する罪悪感も消してくれる!)。

でもこの一切れのケーキに長〜い歴史があり、政治や経済、外交、宗教から、「甘くておいしい物が食べたい!」なんていう庶民のささやかな願いまで込められているのだと思うと、より一層味わい深いなと思うのです。

皆さんも、どこかでキャロットケーキを見かけたら是非食べてみてくださいね。


【参考】


Cha Tea紅茶教室著(2020)『増補新装版 図説 ヴィクトリア朝の暮らし ビートン夫人に学ぶ英国流ライフスタイル』河出書房新社
マグロンヌ・トゥーサン=サマ著、吉田春美訳(2005)『お菓子の歴史』河出書房新社
長井史枝著、いのうえ彩絵(2022)『菓の辞典』雷鳥社





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