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ものが多い人の住まい

部屋にものが多い。

何から捨てたらいいのか分からない。

1番多くて、処分に困るのがノートの類。紙束の類。本。

どうしようかなあ、捨てるに捨てにくいし、困ったなあ。と思いながら、毎日何かしらノートに記録をつける。日記だったり、(自分用の)仕事ノートだったり、体調管理のためのシートだったり。

どっしりある紙の記録。

私はそれを無駄だとも、全てデジタルにして、捨てるべきだとも思わないので、部屋にはノート用のみかんサイズダンボールがいくつもある。

もう滅多に見ないものなら捨てて構わない。というか、そういうものを真っ先に捨てるべきだ。
という意見があるのも知っているし、そうなんだろうなとも思う。

ものを少なくしたいと思いながら、ノートを貯め続ける、書き続ける、作り続ける人の気持ちとして、一言申し上げるなら、デジタルでは味わえないものが、紙にはあるということだ。

たとえば電子書籍を買い、少しばかり読んでみて思うのは、今何ページ読んだ?という実感の薄さに寂しさを感じる。読んだ時間が表示されたり、「あと何時間で、読み終わります」みたいなデジタルの表示はされる。

でも私が知りたい読んだ感触というのは、本の厚みであり、ページの嵩だ。

何時間読んでも進まない本もあって、それはそれで趣がある。

何時間で読み終わるかを知るよりも、今読んだ感触を目で知り、手で知りたい私としては、デジタルの時間を示されても、なんだか味気ない。時間は大事だけど二の次なんだよー。と思ったりする。だって読書は好きでするものなんだし。タイムを競ってするものじゃない。

ノートも同じ。
手書きして、積み重なっていく文字の量。シャープペンシルの芯やボールペンのインクの減り方。自分の癖字の荒れ模様。うきうき模様。がっかり模様。

いつか見返す時のために取っておくのなら、確かに捨てた方がいい。デジタルに残して、終わった方がいい。
そうではない。部屋のそこここで書き終わったノートが生活の一部としてあって、今日という日、昨日という日、1年前という日があること、手触りとしてそこにあることが、私には大事なこと。

もし、将来的にもういいやと思えば、それがそのノートを捨てる時なんだろうと思う。

そのものがものとして価値があるときは、どう転んでも捨てたくない。それは誰しも同じ気がする。

ただ、ノートは見た目として嵩があるし、場所をとるし、「同じようなこと書いているんだし、もういらないでしょ」と言われて、反論できない弱点がある。

部屋にいくつもダンボールがあるのも、なんとも残念だし。

ものを持たない暮らしを目指しながら、やっぱりノートを書き、本を買って、そして積み重なって、増えてゆく。

まあ、ぼちぼちでいいか。とダンボールのふたを開けて、また閉める。

ものは減っていきません。
堂々巡り?

【今週の週1チャレンジ】
休日にでかける。

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