見出し画像

常識のもろさ

毎日暑い。

マスクは感染防止にした方がよい。

というのが、今は半ば常識になっていて、熱中症対策をしながら(時と場合を考えてマスクを外す)、マスク生活を続ける日々。

ところで、私には、すごいおじさんがいる。

感染症なんてこわくないと豪語する。マスクもしないし、ワクチンも打たないし、サウナにも通うし、大人数の会食だってばんばんやる。

感染症にかかった人を見て、「ほら、ワクチンなんか打つから、かかってしまうんだわ」と言う。

癌サバイバーでもあるけど、病院通いが面倒になって、サプリメントであとは治す! と言い、医者をドン引きさせ、そのままトンズラする武勇伝もある。

その後癌の定期検診も行かないから、どうなっているのか、本人は平気でも、家族はかなり心配である。

おばさん曰く、たぶんおじさんは感染症にもかかったことがあるという。

「なんか熱っぽいし、頭も痛いし、喉も痛いし、体もだるいけど、病院になんか行かない。行けば、隔離だ、家にこもっておけだとか色々言われて不自由だから、そんな余分なところに行くもんか」
とのことで、ウイルスをまき散らしながら(?)、ゲホゲホ、ごほごほして、会食だ、温泉だ、サウナだと動き回るらしい。元々異様なほど体が丈夫な人で、病院嫌いで、少々の不具合なんか屁でもないと言う人だ。

おばさんは発狂しそうだと、嘆いている。

マスクをしないことも、ワクチンを打たないことも、ある意味個人の自由だが、周りに配慮のない行動というのに対して、おばさんの心配同様、私も眉をひそめてしまう。

でも、この周りに配慮云々の話は正しく、当然のことかどうかと、おじさんの話を聞く度、迷う時がある。

常識に囚われない(囚われたくない)男、おじさん。

病院嫌いのおじさん。

何が常識で、何が当然で、何が守るべき規範なのか。マスクは感染防止でして欲しいけど、それはおじさんによれば、胡散臭く勝手な都合である。周りに感染を広げないエチケットなんて言っても、「そんなにいやなら、俺と同じ車なり、建物なりにいなきゃいい」と言うおじさんは、清々しいまでに、初志貫徹的にマイウェイを行く。そういう人の方が実は現実の人々の気持ちを代弁しているのかと、考えてしまう。

感染症の時代と、それまでの時代と、なんら変わることのない生活を送っている、自由なおじさんの話を聞いていると、今は本当はなんの時代なんだろうかと、目眩がする。

経済を回すという意味では、おじさんは優等生だ。変わらず、大人数の宴会に出向き、(感染症の疑いがあっても)大型のスーパー銭湯に行き、サウナに行き、買いたいもの、行きたいところに行っては、買って食べる。

言葉そのままで、日本経済を維持し、経済を回すとしたら、おじさんのような生活が見本になる。

でも、今は感染症の時代で、みんなかかりたくなくてぴりぴりしている。

マスクをして、ソーシャルディスタンスと言われれば、人と距離をとり、黙食と言われれば、沈黙のまま食事をする。

矛盾というか、ダブルバインドというか、どっちに寄っても息苦しいし、どっちにも寄れきれない。適当なやり方が見つからない、そういう世の中なんだと思う。

誰も正解が分からないし、だから妥協点も見つかりにくい。

これをしたら確実に大丈夫というものも、今のところないし、おじさんのように(幸運なことに)はちゃめちゃな行動をとって、どうやら感染しても、元気に復活できる人もいれば、そうでない人もいる。

周りへの配慮というのは、強制されるものではないけど、思いやりというか、自分が実際はどう思っていようと、相手のことを慮って行動することなんだろう。相手が気にしていたり、嫌がることをしないということ。

おじさんは、その点では全くもってよろしくない。おばさんの嘆きは当然だ。

でもそのバランスも、個人次第。

マスクを始めとする、感染症の常識や当たり前が上手く機能するのは、自分だから、自分の周りの人がそういう意識を持っているからに過ぎない。

おじさんのような異世界に住む人を見ると、常識ってなんだっけと思わされる。

常識って本当はもろい。

#日々 #日記 #文章 #エッセイ #毎日note #毎日更新 #感染症時代 #常識 #非常識 #当たり前 #すごいおじさん #病院嫌い #周りへの配慮  

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?