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作法は半分まで

宇野千代『恋愛作法ーー愛についての448の断章』という本を読んでいる。

宇野千代さんは、山田詠美さんが心底尊敬する方だという話なので、知らない作家さんだったけど、図書館でたまたま見つけて借りてきた。

この本は、宇野千代さんの恋愛観、結婚観、愛とは的な話が断章(エッセイ?)という形で、書かれている本だ。

恋愛や愛について、時代に先駆けて奔放に生きてきたらしい(自由とか、成り行きとか、思いのままにとか、そういう言葉を使ってある)宇野さん。戦前の男尊女卑の社会、今よりも強い父権社会、恋愛よりもお見合い、恋愛・失恋して損をするのは、大概女の方という世の中で、奔放に生きたご自身の恋愛遍歴を赤裸々に書いてある。

現代でも、恋愛するのも、失恋するのも大変な事だと思うだが、宇野さんに言わせると、ものすごく楽しいこと(体験)らしい。

恋愛賛歌とでも言う本。

260ページくらいの文庫本なのだが、半分くらい読んで、私は顎が出ている。

それは、恋に愛にと自由奔放に生きていける宇野さんが、私には眩しすぎるからだし、その宇野さんにまったく共感できないからだし、まるでドタバタラブコメディ(昭和の少女漫画みたい)のような恋愛する様子、結婚生活の様子への理解が追いつかないからだ。

時々、こういうどうしても読むのが苦痛になってくる本がある。それでも最後まで読むのが礼儀だと思うので、頑張って読む。

「へえ、こんなことを実際にする人(宇野さん)がいるのかあ」とか、「恋愛するというのは、理性では追いつかない話なんだなあ」とか、「深い愛って、結局は利他的にみえて、利己的なんだな」とか、たぶん一部は宇野さんの同意を得られる感想であって、一部は「どこを読んでそう思うわけ!」と叱られそうな感想しか持てなかった。

半分読んで、疲れてきた。

恋に生きる、愛に生きるという人は、情熱家で、ロマンチストで、エゴイストで、台風みたいな人だ。

どれだけの元気玉をもっていたら、こんなふうに生きられるのかと思う。

恋に挫けるというのは、結局人間関係が失敗するということ。結婚生活が終わるとは、ある生活自体が終わり、生活の一部が失われたままで、新しい生活が強制的に始まるということ。

この見方が、恋愛や結婚の「終わり」について、一面的でしかないことはわかっている。

でも、恋愛や結婚を繰り返すとは、「終わり」を何度も経験するということで、こんな疲れる繰り返しはないと私は思う。余程のタフでなければ、「楽しむ」所までいかないような。

宇野千代さんが、すごい人だということ、精神的にタフで、一筋縄ではいかない強い人生をおくってこられて、だからこそ深い文学がものせたということも、何となくわかる。

しかし、私は宇野千代さんの半分の教えだけで、もう気持ちいっぱい。お腹いっぱいだ。

この本の先を読むのか、かなり微妙だ。

いつもは頑張って読むけど、今回は‪ごちそうさまにしようかなぁ。。。

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