作品を一度も完成できなかった男が「ひらめき☆マンガ教室」のおかげで、人生初の同人誌をつくれたという話
ここに素描した状況こそ、「ひらめき☆マンガ教室」に参加する前のぼくが直面していたものだった。
構想が膨らむばかりで、いつまでたっても作品を完成させられない。こうした人々のことを、ここでは「未完者」と呼びたいと思う。
ぼくは、長らく未完者だった。突破口も見つけられなかった。だが、この教室の第4期聴講生として参加して、さまざまな刺激を受けるうち、しょぼいながら同人誌を一冊つくることができた。
それは、世界にとっては、あまりにも小規模な出来事だったにちがいないけど、ぼくにとっては人生がひっくり返るほどに大きなことだった。
そうか、自分にも、創作に関与する資格はあるのか、なにかを生み出す達成感を得られるのか。それは、もう大きな進展だった。
これを読まれる読者のなかには、きっと、ぼくと同じような悩みをかかえている方もいると思う。
であるならば、迷うことなく『ひら☆マン』の門戸をたたいてほしい。
作品の「完成」のために。未完者から脱却するために。それは最短ルートであるはずだから。
だって、ぼくのような、本当にどうしようもない人間でもマンガが描けるようになったのだから。
そこでこの記事では、ぼくが「ひらめき☆マンガ教室」に参加した経験から特に、これまで作品を一度も完成させられたことがない方々(未完者)に向けて、「この教室に通えば、どうして作品を完成させられるのか」、「ぼくは実際にどう行動したのか」をお伝えできればと思う。
①ひらめき☆マンガ教室は「完成主義」である
未完者にとって、この教室はうってつけだ。
なぜなら、ひらめき☆マンガ教室の最優先事項は、「作品を完成させる」ことだからだ。
別の言い方をすれば、この教室の基本方針は「完成主義」であるともいえる。
ひらめき☆マンガ教室は一風変わったマンガ教室だ。クリスタの使い方、コマ割りの仕方、ストーリの作り方etc...そういった技法を、1から教えるスタイルをとらないからだ。
受講生は、いきなりマンガを描くことになる。毎月出される課題に沿って、16P以内でネームを提出し、それを主任講師のさやわか先生とゲスト講師の先生に講評をもらうのだ。
もちろん、そう聞けばしり込みされる方も多いだろう。マンガの描き方すらよくわかっていない自分が、未熟な作品を提出した末、酷評されたらどうしようかと。
だが安心してほしい。
この教室では、評価基準として「画力」や「ストーリー」の優先度は低い。
どういうことか?
ここで、筆者なりの解釈で、ひらめき☆マンガ教室における創作の優先順位を図式化してみた。
ここに示した通り、まず受講生は、作品を「完成させる」ことを求められる。主任講師のさやわか先生は教室で再三にわたって繰り返す。
「下手でもいいから、とにかく提出しましょう」
この言葉に象徴されるように、教室における最優先事項は、とにかく作品を完成させることにある。
だからこそ、未完者は作品と向き合い、どうすれば完成できるかを徹底的に考えることになる。
なぜ完成できないのか?
それは、テーマ設定にあるのかもしれない、ページ数が多すぎるのかもしれない、手が描けないからかもしれない、楽できるクリスタの使い方を知らないからかもしれない。
未完者にとって、完成までの障壁は数限りない。なんとなく描けないという認識を細分化し、具体的に何が問題となるのかを考える必要がある。
だが、そうした悩みを乗り越えるため、サポートしてくれる考え方、システム、環境がこの教室にはある。
主任講師のさやわか先生は、いつでも質問に答えてくれる。マンガに関する悩みなら、創作のことから、編集者との打ち合わせにあたっての気をつけることまで、何でも答えてくださるのだ。もちろん、完成できないことも相談できるだろう。これは未完者にとっても非常に心強いサポートとなるにちがいない。
(※筆者は当時、聴講生として参加し、マンガの感想を少しばかり書いており、そうした批評の方法論を相談したことがあるが、こちらに関しても懇切丁寧に答えてくださった経験がある。)
言わずもがな、毎回の講義では、先生方への質問や相談が可能だ。講義後、質問をするために生徒がこぞって列をつくるのも恒例だ。ここでも、プロの視点から、自身がどうすれば完成までもっていけるのか、そのボトルネックはなにか、明確にできるチャンスがある。
また、あなたの悩みは、同じくほかの受講生の悩みであったりもする。
この教室は、クラスメイト間のコミュニケーションがやりやすいのも大きい特徴であり、さまざまなバックグラウンドをもつ人々が、日夜悩みを共有し、その解決を実現している。(参加していた当時から、生徒たちが自主的にDiscordを開設するようになり、ボイスチャットや、お悩み掲示板などでの交流が活発だ)
だから、未完者は、完成に向かって、相談し、具体的に方策を練り、ひとつひとつ課題を克服していくことができる。それがまず、未完者がこの教室に入る最大のメリットであるだろう。
さて、紆余曲折を乗り越え、未完者がめでたく作品を完成できたとしよう。その次に問われるのは何だろうか?絵のうまさか?作品のテーマか?ストーリーか?セリフ回しか?
驚くべきことに、そうではない。
ひらめき☆マンガ教室では、「読みやすさ」が優先順位の次点となる。つまり読者に最後までページをめくらせるための方法を考え抜くのだ。
読みやすさを構成する要素は数多い。上の図に列挙したもの以外にも、多くの視点がある。だがこちらも心配にはおよばない。主任講師のさやわか先生をはじめ、教室に来られる先生方が、あらゆる切り口から丁寧に教えてくれるからだ。
これで、マンガ提出に対するハードルはほんの少し低くなったのではないだろうか?教室入った場合に集中すべきは、まず完成させることであり、読みやすいマンガをつくることであるからだ。
絵は、マンガをつくり続ければ自然とうまくなる。先生方は口々にそう語る。
ではこれに続くステップとはなんだろうか?気になる読者も多いだろう。しかし、本記事は、特に未完者の方々に「完成を目指す人にとっての本教室の魅力」をお伝えするという趣旨であることから、最後に補足として記すにとどめる。(実はこれこそ本教室の真骨頂なのだが…)
以上、この教室において、未完者が「完成」に向けて、どのように動くことが可能なのかを簡単に紹介させていただいた。
本節を要約すると下記のようになる。
②「完成」させるため「エロ漫画」を描いた話(前編)
さて、ここからは、ぼく自身の実体験をもとに、同人誌完成までのプロセスを概観してみたいと思う。やや冗漫な文章が続くと思うが、なるべく具体的に話をしたく、ご容赦いただきたい。
筆者も、長らく未完者だった。それは一種の幻想が作用した結果だったと思う。
幻想の根源にはとある人物がいた。村上春樹である。彼が創作に目覚めたときの有名なエピソードを、ご存じ方も多いと思う。10代のころ、ぼくはこの話にすっかり心酔してしまい、いつか自分はチャンスが巡りくれば、一気に創作ができるものだと勘違いしてしまった。
いつか、野球球場で球が飛んでくれば、啓示のように衝動が生まれるはずだと。その日が来るまで、とにかく本だけ読んでいればいいと。
気づけば何も起きないまま、10年以上が経った。
今となっては、ぼくはこの幻想を憎んですらいる。一日でも早く描きはじめるべきだった。そして認識すべきだった。待っているだけでは、永遠に球は飛んでこないと。
結果、ぼくの20代は惨憺たるものになった。
大学生のときにはマンガサークルにいき、デッサン教室にいき、文芸サークルにも所属した。しかし、「本番」を一度も描けなかった。作品をつくろうにも、自意識垂れ流しの私小説に、制作途中で嫌気がさして投げ出してしまうのだ。ふりかえって思えば、ぼくは創作活動を、赤裸々な自己開示であると強烈に思い込んでいたのだ。舞台を異世界や異国や遠い過去にして自分と距離をとるとか、そもそも誰に届けたいかをきっちり考えるなど、具体的な方策をとることがなかった。
社会人になり、改めて創作を志すようになった。当時、SF好きが高じて、伊藤計劃やグレッグ・イーガンのような壮大なSF活劇をつくってみたいと思っていた。しかし、ぼくの理想を実現させるためには、膨大な必読書目録を読む必要があった。哲学、化学、世界文学、国際政治、有名SF本の数々。いつのまにか、それらの本を読むことだけがメインなってしまい、創作はろくすっぽ進まなくなった。
膨らむばかりで形作られないプロットや設定、読みきれない専門書が、部屋に堆積していくばかりだった。
そして、いつのまにか絵も小説も書かなくなった。
時間だけが過ぎていった。社畜として働きながら、ただひたすらアニメや小説を消費するだけの生活に戻っていった。けれど、頭の片隅では、常に消えない声があった。「ああ、創作してえなー」と。
③「完成」させるため「エロ漫画」を描いた話(後編)
そんな時分に、ひらめき☆マンガ教室の存在を知った。28歳、夏のことである。
それでなんとなく申し込んだ。たとえ今の自分がどうしようもなくても、制作する人たちの近くにいれば、きっと何か変わるんじゃないかと。創作に少しは向き合えるのではないかと。そんな淡い期待だけをもって。
そしてぼくはこの教室で、大きな収穫を得た。
先ほどまで説明した完成主義をはじめとして、マンガづくりに必要な様々な「考え方」を知ることができたのだ。
ぼくは、制作コースでの参加ではなかったため、あくまで傍目からの学びではあったけれど、そのみのりは大きかった。友人もたくさんできたし、創作への希望を今一度抱くことができた。自分がどうすれば創作ができるのかを徹底的に考えることができた。
連日の講義では繰り返し先生方は強調する。
やはり、ひとつの理屈を根っこから理解するには、一回文章を読んで納得するだけでは弱い。それは、実際に自分が悩みと向き合ったり、ほかの人の悩んでいる姿を目の当たりにしたり、同じ理屈を先生の口から直接聞いたり、動画で何度もふりかえって視聴したりしないと、本当にはわからない。
だからぼくは、完成主義を徹底するために、「ひらめき☆マンガ教室」に通うのは必須だったと今も思っている。
こうした完成主義を前提に、あらためてぼくは自分がどうして創作できないのかを整理した。結果まとまったのは下記の通りだ
【原因と考えられること】
【解決するためにとった行動】
⇨自分の中にある一番持続的な欲望は、エロであることを素直に認めた。実存の悩みは移ろっても、性欲だけは毎日あるとわかったのだ。そして、それが仮に社会を悪くするものであるとしても、それでも俺はいいんだ、人はエロが好きなんだよ、エロ最高、エロ万歳、生きるために俺はエロを描くんだと決心した。そして、特別ストーリー作成の必要のない典型的な凌辱エロ漫画を描くことにした。
⇨ここあたりの自身の欲望の明確化のためには、読書猿先生の『問題解決大全』『アイデア大全』、千葉雅也先生の『勉強の哲学』の欲望年表などが参考になると思う。また、ニヒリズムや過剰なポリコレがきついなら、西部邁先生の『知性の構造』がおすすめだ。かっこつけずに、自分の欲望を素直に認める。これがぼくにとって最大の突破口となった。
⇨1日でも早く動くために、締め切りをセットした。12月の当時からは、2月のコミティアが最速だったため、そこにとりあえず申しこんだ。ここあたりの行動のスピード感は、銀曜ハル先生の体験談が参考になった。
⇨コピー誌で8P、ペン入れなし、特別な背景のいらないCG集的なつくりをやってみた。(最終的には、スケジュールに余裕ができて、14P、ペン入れあり、背景も少し描くなどした)。こうして、なるべくゴールのハードルを下げて、自分基準の完成を目指すことができた。コツは、ちょっと極端なくらいハードルを下げることだと思う。
⇨自撮り棒を入手し、わからないポーズは自撮りで補った。手が苦手だったため、自分の手をトレスした。クリスタの背景素材やポーズ集を買いまくって、徹底的に利用した。ここあたりの楽の仕方は、やまなしレイ先生の『マンガは描ける!絵が描けない人でも』が参考になる。
⇨借金玉さんの『発達障害サバイバルガイド』など、具体的なライフハックを提供している書籍を読み漁った。机、椅子、マットレスなどをアップグレードし、生活を楽にするグッズを大量に買った。結果、たしかに疲れにくくなり、創作時間が伸びた。また、『買ってよかったもの』でグーグルで検索すると無限にライフハックがでてきて非常に参考になる。いい時代だ。(もし需要があれば、ここあたりはもう少し詳しく書きたいと思う)
【最終結果】
ぼくは、以上の完成主義の考え方をもとに、自分の完成できない要因を整理し、それができるようになるにはどうしたらいいのかを考えた。結果としてコミティア139にて、同人誌を描き上げることができた。全然上手じゃないけど、描けた。そして、それは素晴らしい経験だった。
繰り返しになるが、この成功は、「ひらめき☆マンガ教室」で叩き込まれた学びなしには、決して得られなかったと思う。
④最後に
ここでは、あくまで「完成」を主眼にひらめき☆マンガ教室の、ぼくなりの紹介を行った。しかし、この教室の真髄まで十分に紹介できたとはいえない。そこで最後に、この教室の疑似体験が可能なオススメの1冊を紹介して締めたいと思う。本書は、ひらめき☆マンガ教室第1期の1年にわたる授業内容を採録した内容となっている。細かい創作に関するTIPs、上達のための練習法、基本的な心構えなど、この教室の全体像を手早く掴むのにはうってつけの本だ。もし、少しでもひらめき☆マンガ教室に興味があるのなら、一読を強く勧めたい。
未完者であることに苦しんでいる方々に、この記事が少しばかりの参考になればうれしい。そして、ぜひ「ひらめき☆マンガ教室」への参加を検討してみてほしい。ではまた。
⑤補足(教室のゴールとは?)
さきほどの①節において省略した、「マンガを完成させ」、「読みやすくした」、その次の段階について説明をしたい。ここでは、いったい何が行われるのか。
簡潔に言えば、それまでのステップでつくりあげた「読みやすい完成マンガ」を使って「誰に何をしたいかを決める」のだ。
選択肢は少なくない。商業ルートに載せるのか、Twitter/Pixivで発表するのか、コミティアに同人誌として出すのか、もしくはどこにも発表することなく自己満足にとどめるのか、マンガそのものをやめるのか。何をやったっていい。
大事なのは、考え抜いて「決める」ことにある。
受講生は、教室の後半戦に近づくにつれ、この部分を先生に繰り返し問われる。あなたはマンガを使って何をしますか?誰に読んでもらいたいですか?読んでもらうためにするにはどうすればよいと思いますか?
先生から直接回答は手渡されない。あくまでヒントやアドバイスにとどまる。だからこそ、受講生は徹底的にこの問いと真正面から向き合わなければならない。そうして受講生はこの問いになんらかの回答を行い、教室を「卒業」していくことになる。
自分でマンガとどう向き合うかを決めて、それに向かって迷うことなく進んでいく。
そんな自走した状態こそ、おそらくひらめき☆マンガ教室の理想像と思われる。
ぼくは、制作コースにはいなかったものの、自分の創作の方向性を、この教室で手渡されたヒントをもとに考え抜き、実践することができた。これからも、できるだけエロ漫画に焦点をあてて活動を続け、ゆくゆくは商業誌でも掲載したいと考えている。そのため、目下媒体研究などにいそしんでいる。がんばっていきたい。
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