【超短編】キラキラとビール
「いやぁ〜、びっくりしたねえ」
席に着くなり親友はそう言った。
「私さ、まさかホテルでお前と飲むなんて思ってなかったよ」
「わたしもだよ。居酒屋だと思ってた」
そう返して透明の四角に身を寄せる。街中のホテルは夜景が綺麗だ。星よりも近くて、手が届きそうに思う。まるで、叶える気のない夢みたいに遠い星空が、最早味方ではないように。
「しょうがないじゃない。近くの居酒屋行ったら、お前のファンがいたんだもん。スパイ映画くらい全力で逃げたよ」
「わたしのファンなんて、滅多にいないんだけどね。でも君といるときに会いたくなかったな」
苦笑しながらジョッキにビールを注いだ。自らを弔うように音楽をやっていたあの頃とは違う。売れないわたしにも少なからずファンがいて、人の為に音楽を作っている。親友は泡の溢れたジョッキを持ち上げ、ゲラゲラ笑いながら「乾杯!」と声を上げた。かつんとジョッキを重ね合わせ、二人でやっとアルコールを流し込んだ。彼女が口を開く。
「それだけ有名になったってことじゃん?よかったね。誇らしいよ」
「ありがとう。ねぇ、この光景、想像通りだった?」
「ああそうか。ビールを飲もうなんて約束、私が言ったんだっけ。全然違うよ。だってまずここ、博多だし」
彼女はまたジョッキを持ち上げた。
「北海道の約束だったもんね。それに居酒屋の約束だった。こんな高級ホテルの予想ではなかったわ」
「でしょう?まぁ、もういいけど」
酔っ払った親友はどんな顔で笑うのだろう。見てみたいけれど、わたしのほうがお酒に弱いだろうか。
「しかし今日食べた博多ラーメン美味かったなあ。やっぱり本場は違いますな」
彼女の声に我に返り、わたしは早口で返事をする。
「でしょう。博多ラーメンはわたしから言い出したんだよ」
「来て正解だったよ」
わたしも負けじとジョッキを持ち上げた。居酒屋の暖簾をくぐった瞬間見つかってしまい、散々走って逃げた疲労に、ビールが絡みつく。
「仕事、どう?」
彼女に聞いてみた。
「それは私の台詞。高校時代いきなり組んだバンドを三ヶ月でやめたと思ったら、一ヶ月前いきなりネットニュースに名前が載ってるんだもん。しかもアニメの主題歌だって?」
「あまり知られてないアニメだけどね。でも嬉しかった」
わたしの音楽は特に何かに優れているわけじゃない。歌詞も平凡だし、作曲だって適当に楽器を鳴らしただけだ。それでも誰かがそこに何かを見出して、価値のあるものにしてくれるのはすごく有難いことだと思う。
「私絶対聴くよ。私もファンだからね」
「ありがとう。そうだ、実は明日告知を出すはずの新曲が今聴けるんだよ」
ちょっと戯けて笑った。彼女は身を乗り出して、「違法サイトとか?対策しなきゃ駄目だよ」と言った。
「違うって。君だけに、今」
わたしはギターを取り出す。
「聴いてくれますか?」
「勿論!」
「タイトルは、“キラキラとビール”」
高校時代、一緒にお酒飲もうねって約束をしたあの日、必死になって歌詞を書いたんだ。大切な親友と話したいこと。やりたいこと。叶えたい夢。その日を生き抜くことすら危うかったわたしが今日ここにいられるのは、親友がいてくれたからなんだと思う。こんな夢物語に付き合ってくれて、売れてないわたしを応援してくれて、ずっとそばにいてくれて、本当に感謝しかない。わたしはこれからもーー。これからも?
「ねぇ、泣いてるでしょ。プロシンガーさん。観客たった一人で悲しい?」
優しい笑みを浮かべながら、親友が顔を覗き込んでくる。もう彼女を欺く罪悪感に耐え切れなくて、呟いた。
「この曲が売れなかったら、死のうと思ってる」
彼女の顔色が変わった。
「…出会ったときから変わらんなあ。なんでそうギリギリになるまで私に言わない」
「君になんて尚更言えないよ。わたしは君に最高の景色を見せたくてずっと」
「なにそれ?じゃあお前は私がファンやめたら音楽やめんの?」
彼女が勢いよくジョッキをテーブルに置いた。かん!と高い音が響いて、少しだけ冷静になる。
「違う。わたしはたった一人になっても音楽はやめない。死ぬまで絶対に」
「そうでしょ。私はそんなお前だから応援してんの。ただ親友だから応援しておこう、なんてそんな安いノリでやってねえんだよ!」
「ごめん…」
ギターが涙に濡れるのが嫌で、わたしは服の袖で涙を拭う。
「でももう、わたしは期待されてない。事務所もかつかつだからさ、最近入った新人のアイドルちゃんのほうが売れてるし。次駄目だったら切るって言われた。そしたら全部自己負担だ。そこまでして音楽をやる価値がわたしにあるなんて思えない」
「私がいるからじゃ駄目?私はいくらでも待ってる。お前の歌」
親友の手を握った。彼女の手はいつだってあたたかい。寒い冬の日、手を繋いだら手が冷たいと嫌がられたこともあったっけ。
「…わかった。死ぬは大袈裟だった。でも、次売れなかったら暫く、音楽をやめるよ」
「そっか…売れることを願ってるよ」
彼女は二杯目のビールを注いだ。
「切られました……」
新曲発表から一か月。親友との電話でわたしはそう告げた。
「まじか…じゃあ音楽やめちゃうのか」
親友の言葉がちくりと刺さる。溜め息をついた瞬間、Twitterからの通知がけたたましく鳴り響いた。それも一件ではない。何百とものすごい数だ。その音は電話越しの親友にも伝わったらしく、彼女がTwitterに飛んで見てくれた。
「お前の新曲告知を、大物がリツイートしてる!すごい勢いで拡散されてるよ!」
それを聞いてわたしもTwitterを開くと、わたしの憧れの大物シンガーが、「この曲めっちゃすき」とコメントまでつけてくれていた。わたしのファンからも彼のファンからもコメントが寄せられ“キラキラとビール”が褒めまくられている。
「ねぇ?これでも売れてないって判定なの?」
親友がくすくす笑っている。
「音楽はまだ、やめないほうがいいんじゃない。音楽が離れたくないんだよ」
「わかった。わたし、やるよ。音楽」
二度目の飲み会は親友の家だった。嬉しい知らせをその日のうちに直接伝えたくて、終電に乗って訪ねた。
「新しい事務所に所属しました!」
「おめでとうー!よかったよぉぉ!」
前よりも心なしかキラキラしたビールを流し込んで、わたしは彼女を真っ直ぐに見た。
大物シンガーの拡散力により、彼と同じ事務所に所属したわたしには、前より多くのファンがついた。そんなわたしに、できることも増えた。
「初ライブやります!」
「えええ!ほんと!?」
「ほんと。でさ、ファン第一号にプレゼントを渡しに来たんだ」
ギターケースのポケットから、大事に大事に取り出したキャラメル色の切符。
「特等席で見ててよ」
夢があった。あの日わたしたちには、確かに叶える気のない夢物語があって、それを徐に手放すことも解っていた。だけど手放す機会を見損なって、二人の夢はまだ、星空より近い距離で漂っている。
死ぬまで音楽はやめない。もっと追い求めることを諦めないし、諦められないと思う。その前に音楽が、諦めさせてくれないと思う。やめるってやめてしまえるなら、わたしは音楽に恋なんてしていなかった。
「断る理由がないでしょ」
彼女は片道切符を受け取った。
キラキラとビール。いつかきっと、どちらも飲み干してみせるのだから。
宜しければ。