SNSが当たり前になって。

私が中学の頃、インターネットは一部にしか浸透してなかったように思う。ましてやSNSなんて言葉自体も知らなかった。我が家のネット環境は、早くから整っていたようには感じるけど、それでもまだまだ自分の病気を調べたりするまでにはならなかったと思う。

高校生になって携帯を持つようになると、少しずつ世界が広がり交友関係も幅広くなってきた。特に私はもともと落ち着きがないので、ネットでも独学でHPを作ったりしたものだ。と言っても、当時もまだ病気のことなんてほぼ書いていなかったけど。

20歳を過ぎた頃、やっと少しずつインターネットで自分の病気について調べるようになった。両親に聞いてもフワフワした回答だったのもあり、自分で知るしかないのかもしれないなと思ったのが始まりだったような気がする。あとは単純な好奇心や興味本位もあった。

当時はmixiが流行りだした頃で、沢山のコミュニティの中に『心臓病』や『先天性心疾患』『障害者』という文字を頼りに、恐る恐る交流し始めた。顔も声も知らない人と繋がるのは最初は怖かったけど、若かったのもあったのか数日もすればそんなことは忘れていた。

すると、不思議なもので同年代の仲間や友達が増え、少しずつ自分の中に『先天性心疾患者としての自覚』みたいなものが生まれた。今ここにいることの奇跡、自分より重い仲間の頑張り、好きなコトができる幸せ。噛みしめながら励まし合いながら日々を暮らしていた。私のSNSのスタートだった。

それからどんどん新しいサービスやアプリが当たり前になって、今はもうSNSなしでは生きられないかもしれないところまで来てしまった。とは言うものの、ちゃんと自分を持って流されないことも気持ちの部分でもっている。SNSをやっていると「仲間の死」も知らされることもあるので、冷静でいないと自分が壊れてしまうから。

SNSで出会った先天性心疾患仲間たちには本当に感謝している。知識も病状も違う仲間が集まり、大切に紡いだ言葉たちは今も心にしっかり生きていて、さらなるSNSの使い方、人との交流に繋がっている。「幸せになってほしい。」と言葉を残し、手術室に向かった友人。頑張り屋の後輩たち、ネットから始まった出会いではあるけれど、共通の個性を持った同志として、素直に尊敬できるし、すごくすごく支えられている。たかがSNSだけど、されどSNSである。

もちろん嫌なこともあるけど、SNSはこれからも生活の一部として馴染んでいくだろうし、インターネットが必要不可欠になった私たちにとっては大切な場になっていく。これから出会う先輩方に何を教わり、後輩に何を話してあげれるのだろう。出来れば心臓病の怖さだけでなく、今を生きる大切さと恐れない未来を見せてあげられる人になりたい。

今日もまた、私の若い時のような後輩がSNSにやってくるかもしれない。その時は、ちゃんと寄り添っていきたいと思う。SNS…本当に凄いヤツだ。笑


あなたのために「詩」を書きます。 こどもたちの「夢」を大切にしたい。 共感・感動していただけたら応援よろしくお願いしますm(__)m