時代を生き残る絵画と時代に埋もれる文章

今日は結構良い感じに真面目です.家には話し相手もいないしテレビはつけませんしLINEも通知は公式だけです.Twitter見るかnoteを書くかしかない生活です.誰か遊ぼうぜ!話そうぜ!気軽に声かけてくれよな!今日はこれ書いたら寝るけど!


***ほんぶん***
僕は芸術系のことは多少触れて育ってきた.ピアノは習ったし絵は好きで美術部にもいたし,本も読んできた.歌は特に好きで合唱やアカペラもやった.ただ,文章を書くことだけはやってこなかった.

教育熱心な母親に連れられて行った本屋で買った本は主にファンタジー物だ.ハリーポッターの次のヒットを狙おうと分厚いファンタジーがたくさん出ていた.正直本は読むのが苦手で,一度買えばしばらく連れて来られない文量の本を買えばいいだろう,そんな感じで読んでいた.
楽しかったけど内容はほとんど覚えていない.うろ覚えにあるのは自分が想像したファンタジーの景色だけだ.

時が経って今,こうして文章を書いている.意外にも続いていることにびっくりしているのと,今までやってきた「芸術系」の中で一番ハマった気がしている.
ジャンルに縛られない自由な書き方.見た景色を言葉に変えて色んな表現で伝えていく.そんな書き方が好きだ.

物書きを仕事としてやりたいのか,というのはまだまだ考えている.3足くらいなら草鞋も履けそうだし,これも誰かに価値を提供しているのであれば,きっと受け入れられる場所があるのだろう.そんなことを思っている.

ただ,あくまで眺めている景色は「今読んでいる『あなた』」に向けて書いているものだ.結局書き続けて200記事を超えているが,過去に遡ってまで全部読んでもらいたいとは思っていない.
だって「今書いている文章が一番新鮮で,今読んでほしいから」.過去の文章は過去の自分だ.ファンタジー本と同じように,時間と記憶と共に埋もれる運命だ.もしあなたが私と同じだけ過去に遡りたければ読んでみて.日付が書いてあるから,過去に戻ることは出来るでしょう?



***
世界の美術館にある絵画はたくさんの時を生き抜いてきた.戦火を逃れ,大切に保管され,未来永劫に語り継ぐ絵画がそこに残っている.描いた本人の意思とは関係なく,評論され,共感され,涙される.

現代美術の絵画たちはどうやって残っていくのだろう?

アーカイブに残れば技術を応用して復元することもできる.なんでもできる世界だからこそ,『実物の絵画』がそこに残り続けることはものすごく大事なことなのではないだろうか.

キャンバスの荒れ具合や筆の筆圧,塗料の量からその絵画に吹き込まれていく生命を感じる.想いを感じる.とても深い時間をくれる.画面上では到底体験できないことだ.

だからこそ,絵画は残っていて欲しい.生命が続いていてほしい.その時,描いていた瞬間の画家の感情が残っていてほしい.捨てられないでほしい.どうか…どうか…



***あとがき***
また今度,国立西洋美術館の常設展に行かないとって思っているのです.あそこには,私の心を癒してくれる絵画がたくさんありますから.人がいない時に,少し遠くの椅子に座って,のんびりと,その絵を眺める時間が結構楽しいのです.

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