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心理的瑕疵マントをまとった英雄の話

今回は自分と、自分の身体が好きになれなくて苦しい方へ向けての個人的なお話です。占いに関するスペシャル情報なんかはない。

先日中学一年生12歳の少女が通学電車で小学校教諭から体液を掛けられる事件がありました。

被害を訴えた中学生と乗客により防犯カメラが調べられ、後日彼女の制服に体液をかけた男性の身元が明らかになったそうです。


今年の春、コロナ禍の中で進学した中学生のまだ一年も着ていない制服がその後どうなったかはわかりません。

でもみなさんだったらその制服を着て通学するときどんな気持ちになるでしょうか。

クリーニングに出して清潔にされ、新品同様になったとして、なんの引っ掛かりもなくその制服をあと二年来て通学できますか。


心理的瑕疵物件と呼ばれる住居があります。

不動産用語で、物件そのものに瑕疵・欠陥があるわけではないが、過去に自殺者を出していたり殺人現場になっていたり、あるいは墓地や宗教団体の施設が隣接していたり、といった、借り手が強い心理的抵抗を感じやすい条件があることを指す語。

服としての機能そのものに瑕疵、欠陥があるわけではないけれど、何らかの事情で着る人が強い心理的抵抗を感じる服は「心理的瑕疵被服」と呼んでもいいかもしれません。

制服は安い買い物ではありませんが、服なら処分して買い替えることもできます。住みたくない部屋なら引っ越すこともできます。でも肉体そのものが心理的瑕疵身体になってしまったらどうしたらいいのでしょうか。


思い出すだけでつらい、でも思い出さずにはいられない、思い出すと気が狂いそうになる。そんな経験と自分自身の身体が結びついてしまったとき「いっかいあの世に帰って着替えてきたい」と思います。


被害にあった中学生もきっと早く制服の汚れを拭きたいと思ったでしょうし、帰宅後はすぐ着替えたことでしょう。汚された箇所のシミが落ちても、制服を買い替えたい、せめてクリーニングに出したいと思ったかもしれません。

事情を知った人なら「どこも破れていないんだし、買ったばかりでしょう?」「せっかく買ってもらったのに感謝が足りない」とは言わないでしょう。


ところが「いっかいあの世に帰って着替えてきたい」と言うと大変な剣幕で怒られたり、大袈裟だと言われたり、感謝が足りないと叱られたりすることがあります。

「どこも悪くないんだし、まだ若いのに」「ここまで育ててくれた家族がどんなに傷つくと思うか」「自分勝手で周りが見えていない」と言われることもあります。心からの善意と思いやりで「あなたは汚れてなんかいない」と言われることもあります。


でもそれで強い心理的抵抗が弱まるとは限りません。それで言われた人はこう思います。

「もちろん私は汚れていません。汚れたのはこの制服、この身体です。だから着替えてさっぱりしたい。それだけです。このままでは気持ち悪くてとても学校になんかいけないし、勉強も頭には入りません。だから着替えてきたいのです」

この世で生きるには身体が必要ですが、手持ちの身体が心理的瑕疵身体になってしまうと、そのままの身体で生きていくのは気が散って仕方がない。とても人生に集中できない。だからあの世に帰って着替えてきたい。


ところが「この世の学びを達成しないと死後も救われない」、つまり「学校に行かずに家に帰ると家に入れてもらえない、着替えももらえない」という人もいます。

制服を汚されただけでたまらなく辛いのに、学校が終わるまで帰ってくるな、汚れた制服のまま勉強してこいという家族と、帰るなんてとんでもない、そんなものは汚れたうちに入らない、いいから勉強しろ気にするなという学校。これでは前門の虎後門の狼です。

こうした労働力を搾取する側にとってのみ都合のいい倫理観を宇宙が押し付けてくるとはとても思えません。けれどもこれを真に受けて苦しんでいる人が大勢います。


この世界には大事な制服を無理やり汚されて、脱ぐに脱げない制服の汚れを何とか落として、心理的瑕疵被服を纏って学校に通っているような人がたくさん、たくさんいます。

クリーニングから戻ったばかりのプレスの利いた清潔なドレスのように、きれいにリフォームされ新築同然になった心理的瑕疵物件のように、そうした心理的瑕疵身体に何があったのかは傍目にはわかりません。

でもその身体を着ている魂、その身体に住んでいる魂はどうしてもその身体を好きになれなくて苦しんでいます。その身体を好きになれない苦しみと、身体を憎んではいけない、与えられた身体を傷つけずに守って手入れしなければいけないという圧力の中で、心理的瑕疵身体に住む魂は苦しみます。

十分きれいだよ。どこも悪くないじゃない。いいところがたくさんあってうらやましいくらい。もっと恵まれない身体に生まれた人もたくさんいるのに。贅沢をいうな。いつまでもこだわってないで忘れたらいいのに。過去のせいにするな。

思い切って何が起きたか打ち明けた相手からこのような言葉をいわれることもあれば、自分自身の頭の中で同じ言葉が繰り返されることもあります。とても目の前の人生に集中できない。気を紛らわせることで精一杯。取り換えられないなら早く壊れてくれたらいいのに。ああ、また壊れてくれたらいいなんて思ってしまった。思ったらいけないのに。

さて、先日お話ししたように、私はこの世に生まれた目的はこの世界を楽しむためだと思っています

この世界はこの世ランド、魂は来場者、肉体は乗り物です。乗り物が壊れると退場しないといけませんが、カートにジュースを掛けられたとか、壊れない程度に激しくぶつかったとか、すれ違いざまにカートを馬鹿にされたとか、追い掛けられたとか、そういうことがあるとやはり魂は「カートの運転怖い」と思うので帰りたくなります。

「もっと目立たないカートに変えてほしい」「他のカートを追い回せるくらい強いカートに変えてほしい」「見た人が圧倒されるくらい素敵なカートならよかったのに」とカートを取り換えたいと思うこともあります。気持はよくわかる。


ドライビングテクニックを上げることがえらいように言われますが、カートに手を入れることだって悪くはありません。刺青や整形手術は傷や凹みをデコるようなものです。それでカートがお気に入りになるなら大いにやる価値はあります。あの世に戻って着替えてくるよりコストがかかりません。

嫌だなあと思いながら走っているうちに仲良しができたり、夢中になれるアトラクションに出会ったりすることもあります。そこで自分のカートの強みや魅力を発見して、カートを再評価することもあります。では心理的瑕疵カートの場合はどうでしょうか。

あなたのカート、あなたの制服、そしてあなたの身体はあなただけのものです。あなたの許可なく誰もそれらに手を付けることはゆるされません。

けれども服は人ではなく、車は運転者自身でないのと同じように、あなたの身体はあなた自身ではありません。いまこのときをこの世ランドで生きるために提供されたかりそめの器です。大切なのはその身体を持つあなたです。

人は自分を守るべきであって、車を守るために無理をするのは間違いです。万が一のとき車は衝撃を吸収して乗っている人を守るべきです。あなたが大切にするべきなのはあなたの身体ではありません。あなたの心です。

あなたの心を守るためにあなたの身体を使ってください。それはあなたのものです。あなただけのものです。気に入らなければ返していいし、猫が毛皮を着替えるように、あの世に着替えに戻っても、誰もあなたを責めるいわれはありません。

ではお着換えの時間まで何をして過ごしましょうか。どうか少しでも楽しいことをして、面白おかしく愉快に過ごしてほしいと思います。そうして過ごしているうちにもうちょっと遊んでいってもいいと思う人もいます。誰かのためや何かのためにいやいや生き残る必要はありません。

ところがこうしてお着換えまでの時間をこの世ランドでぶらついているあいだに思いもよらずうっかり誰かや何かを救ってしまう人がこの世界にはいます。

心理的瑕疵身体はマントのようです。敵に襲われ窮地に陥り、辛うじて生き延びたとき着ていた衣装に感じる気持ちは様々です。恐ろしい思い出があるからもう羽織りたくないと思うこともあるでしょう。そもそも自分はマントを羽織っていたから目を付けられたのだ、こんなマントない方がよかったと思うこともあるかもしれません。

でもその後の人生で敵を返り討ちにしたり、同様のピンチに陥っている人を助け出したりできたならマントにまつわる思い出は少しずつ武勇伝に上書きされていきます。「このマントは共に地獄を生き延びた相棒だ」と感じる人もいるでしょう。


大きな心理的瑕疵を受けたはずのマントがヒーローの印になることもあります。

冒頭のニュースに登場した12歳の女の子が、いつかたった12歳の自分がどれほど聡明で行動力があり、自分自身を守り戦う力のある少女だったかを誇りに思う日が来たらいいなと思います。

彼女は確かに全国ニュースで、たとえ大人が相手でも12歳の中学生に手を出したらただではすまない、黙らない少女がここにいるということを世間に知らしめました。後続の少女たちが同様の被害に遭うとき、自分たちも声を上げて戦っていいのだと勇気を持つ道を開いたのですから。

窮地に陥っている仲間や、立場が弱く追い詰められているかつての自分のような人を危機から救い出すとき、救われた人にとって心理的瑕疵マントはヒーローのマントです。それがどれほど傷がついていても、凹みに不自然なペイントがむちゃくちゃに描かれていても、過去に持ち主によってどんな風に扱われていたとしても、自分を救ってくれた英雄その人が纏っているのですから。

あなたの人生を救ってくれた誰かが纏っていた美しいマントも心理的瑕疵マントかもしれません。ヒーローは風のように去っていくのであなたがどれだけ救われたのかその人に伝える機会はないかもしれませんが、その人が着替えにいくまでのあいだに出会えてよかったですね。同様に、どこかであなたに救われた人があなたにお礼を伝える機会がなかったとしても大目に見てあげてくださいね。この世ランド至る所にピンチあり、ピンチのあるところにヒーローあり。マントがこの世ランドのお楽しみに役に立つといいですね。

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