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日記

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2023年8月の記事一覧

8月30日(水)

8月30日(水)

名前を知らない花に、ただただ美しいと触れるあなたがうらやましかった。時は崩落し、あの小さな花も、いまは瓦礫の下に埋もれている。流れる川を、うつろい変わる雲を、愛でるあなたの永遠の眼。切り崩せない愛情を抱くあなたのおおらかな両腕が、記憶のなかのわたしを抱き寄せる。おわることのない、ピリオドのない名付けを、わたしにして欲しかった。囁きは、あなたの囁きは、沼のように永遠だった。

8月23日(水)

8月23日(水)

トーマス・マンが、フロムが、ツェランが、僕に与えた言葉はなんだったか。夏の激しい日差しと耳鳴りが、脳を溶かし、文法を溶かし、文字の一画一画をふつふつと煮立たせてゆく。海水を沸騰させて残るのが塩分なら、僕の脳を沸騰させて残るのは、萎びた国語辞典だけかもしれない。なんてつまらない結末だろう。あなたを語るための文法も、レトリックも持たない僕は、きみを抱きしめてあげることもできない。

8月20日(日)

8月20日(日)

紙が、水面を何度も翻り、その度に詩が、言葉の欠片が、紙に印字されていった。滲むような、たっぷりとした文字だった。時折、黒いインクが文字から垂直に流れていくのがみえる。なんと記されているのか、僕にはわからなかった。なにせ、紙は翻り続け、詩は印字され続けたからだ。
翻ってなでつける、その繰り返しが生きるということで、人は死ぬと、紙も死に、水面は澱み、一冊の本になってしまうのだった。
あのなめらかな羊皮

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8月12日(土)

8月12日(土)

一編の詩を、なんども読むように、あなたの言葉を反芻する。弁解の余地があることだけが生きている人間の大きな特権で、それなのにここはこんなにも仄暗い。伝えたかった愛情の音階が、ひとつ、ふたつ、ずれるたびに、あなたは耳を塞ぎたくなるでしょう。あなたの身体はすでに、脈動を失ってしまって、つめたく、かたい。大きな広場に飾られる大きいだけの銅像になって、威厳と信念とが、ときどき反射して光るだけだ。テクストにも

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8月1日(火)

8月1日(火)

「また、良い明日に会いましょう」
良い明日、はやってくるだろうか。積乱雲がとぐろを巻き、そらは時々夕立を連れてくる。道端でみみずが乾涸びているのをみた次の日にかぎって雨が降り、きみは少し悲しくなるのだろう。きみの悲しさはいつも、地を這う蟲や、きみの血を吸う蛭や、田園の蛇なんかに向けられている。幼少期を懐かしむような心がまだそこに見え隠れするということ、それだけが僕の救いだ。あの夏に足を浸した用水路

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