講座工房サンジチャー

講座工房サンジチャーは、講義や講座の経験から生まれた工房です。わたしひとりのではなく、…

講座工房サンジチャー

講座工房サンジチャーは、講義や講座の経験から生まれた工房です。わたしひとりのではなく、わたしたちのでつくられる何か生み出せられたらと考えています。

マガジン

  • 南波照間通信

    南波照間島は架空の島です。南波照間通信は1985年、1993年、1995年、1996年に発行した家族のミニコミです。4号で終わっています。断捨離せずに残っていたので、デジタル化してみました。 :::::::::: 波照間というのは「果てのうるま(島)」とされている。南波照間はその果ての島のさらに南にあるとされた幻の島。過酷な人頭税の時代、南波照間を目指して漕ぎ去った人々がいたという。

最近の記事

シマ社会を開く

シマ社会を開く 共同店、公民館、祭りはコモンズを形成する 1. シマ社会の基本構造シマ社会というのは沖縄における自然村*をいう。日本におけるムラも自然村で、ユイとユイマール、頼母子講と模合などのように、シマとムラはとてもよく似た社会構造を持っている。 シマとムラが決定的に異なるのは、ムラと比べてシマが、 ①広域の宗教的ネットワークに組み込まれていなかった ②近代以前には土地の私的所有権が確立されていなかった という点にある。この違いが沖縄の社会を理解するためのキ

    • 看護学生の身近な人へのインタビューから:守姉について祖母に聴いてみた

      写真は、1959年子守する姉たち 波照間島 石垣市市史編集課:八重山写真帖から インタビュー相手 性別:女性 年齢:60代後半 出身地:小浜島 居住地:北谷町 続柄:祖母 テーマ設定の理由 授業で守姉という沖縄独自の文化を学び、子供をみんなで見守るという文化がすごいと感じて、実際に体験した人に詳しく話を聞きたいと思ったため。 Q 守姉を知っている? A あ~、子守をすることでしょ?ばあちゃんのところでは何か方言で言っていたけど、“守姉”っていう風にも言うんだね。 Q

      • 看護学生のインタビューレポートから:那覇出身で熊本在住の父の祖国復帰体験

        *写真はネットから拝借しました。 祖国復帰の頃について 語り手: 男性  60代  那覇市出身  熊本在住  Y氏  父 私の父親は沖縄県出身で私自身は、生まれも育ちも熊本県出身だ。小さい頃はよく沖縄に祖父母に会いに訪れていたが、沖縄の歴史や言葉など深く考えたこともなかった。そのうえ、父親からも沖縄についてよく話しを聞かされてきたが、当時は興味もなく聞き流していた事が多かった。しかし、今年から沖縄に引っ越して、歴史や言葉、文化など身近に感じる様になり、沖縄のことについて

        • 看護学生のインタビューレポートから:国頭村に育ち、琉球大学に通い、そして教員になった祖父が語る祖国復帰

          *写真はネットから借用しました。 戦後と本土復帰の沖縄社会について 【語り手】:男性、70 代、豊見城市在住、I 氏、祖父、職種(元教員) 【テーマ設定の理由】社会学の授業で戦後の内容を聞いたときに、今は亡き曾祖母が私が小 さいころよく「戦後の生活は大変だった」と言っていた会話を思い出し、その頃のことをも っと詳しく聞きたいと思い、曾祖母の子供である祖父に当時のことを詳しく聞きたいと思 ったからです。 【インタビュー内容】 Q.生まれた時の環境は? A.僕は 1947

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        • 南波照間通信
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        記事

          看護学生のインタビューレポートから:祖国復帰(語り手:60歳代、那覇市出身)

          *写真はネットから拝借しました。 祖国復帰と父 【語り手】:60代男性 那覇市出身 職種(サービス業) 私との関係(父)  【テーマ設定の理由】 両親に社会学の講義で沖縄の社会変動について学んだことを話した際に、父が祖国復帰の頃についての話をしていたのでもっと話を聞いてみたいと思いこのテーマにしました。 【インタビュー内容】 Q 祖国復帰後ってお父さんいくつだった? A 祖国復帰したのが1972年だから小学6年生ぐらいかな。 Q 祖国復帰前と後で変わったとこってある

          看護学生のインタビューレポートから:祖国復帰(語り手:60歳代、那覇市出身)

          生存経済的な豊かさを持つシマ社会

          コロナウィルスの猛威、出版界やマスメディアの衰退、議会制民主主義の破綻状態など鬱屈する日々が続いていたので、昼過ぎに大宜味村にドライブに向かいました。 行く先は塩屋湾岸の田港集落です。沖縄のシマ社会をイメージするために、幾度か足を運んでいます。 今回は『大宜味村ふるさと発見ガイド』という冊子を入手したので、これまで行けてなかった、国指定天然記念物『田港御嶽の植物群落』と田港御嶽の下にある『イビナ嶽』、その昔、井戸の側に寺子屋があり、ダチ坊主が住んでいたといわれる『ダチ井戸(ダ

          生存経済的な豊かさを持つシマ社会

          看護専門学校のインタビューレポートから:母のバブル経験

          *写真はネットから拝借しました。 母のバブル時代 【インタビュー相手】 性別:女性 年齢:50代 出身地:与那原町 続柄:母 【テーマ設定の理由】 以前、講義でバブル世代について話が出たときに、もしかしたら母もバブル景気を経験していたのではないかと興味をもったからです。 Q.バブル世代でしたか? A.そうだと思うよ〜。 Q.当時何歳くらいでしたか? A.20歳くらいだったと思う。 Q.その時は景気がいいな〜お金が沢山あるな〜などと感じていましたか? A.ううん。そ

          看護専門学校のインタビューレポートから:母のバブル経験

          看護学生のインタビューレポートから:集団就職とサンゴ

          集団就職とサンゴ 年齢:70代後半 出身地:宮古島 関係:祖母 テーマ設定理由 県外に就職したことは知っていてどういう思いで宮古島から離れたのか気になったから。高校卒業後、地元から離れて寂しくてなかったのかなと思ったから。 インタビュー内容 Q県外へ就職したきっかけはなんですか? A 私は農家の長女として生まれて、両親は朝から夜遅くまで畑で働いていて幼いころから家の手伝い、弟妹の面倒、夕食を作ったりさせられて自由がなく嫌だった。だから宮古島から出たかった。18歳の時、本

          看護学生のインタビューレポートから:集団就職とサンゴ

          看護学生のインタビューレポートから:沖縄返還と学生運動

          沖縄返還と学生運動 *見出し画像はネットから拝借しました。 インフォーマント:那覇市在住 69歳(1948年生まれ) 無職 男性 A氏 父  今回のレポート作成にあたって、授業で気になった集団就職(1960年代)の話を父にインタビューしたところ、学生運動の話が面白かったのでテーマを変更することにした。 Q:お父さんは九州大学に進学したけど、周りは集団就職している人多かった? A:まぁ、割といたと思う。中学卒業したら、関東や関西の工場に集団就職に出たみたい。 Q:沖縄

          看護学生のインタビューレポートから:沖縄返還と学生運動

          看護学生のインタビューレポートから:身近な人の学生運動経験を聴く

          学生運動の隣で 那覇市在住 70代女性 宮古島出身 Y氏 母 テーマ設定の理由:講義で沖縄返還、復帰運動の話を聞いた時に、学生運動に没頭した父の話は母からきちんと聞いたことがなかったので、よいチャンスだと思いインタビューすることにしました。寡黙で多忙な母に今までも2回聞いてみたことがありましたが、10代前半に聞いた時は「まだ話したくない」と言われ、亡くなって10年経ってもまだ父を大切に思っている母に驚いた。10代後半で聞いた時は、「誤解される恐れもある、あなたの理解に自信

          看護学生のインタビューレポートから:身近な人の学生運動経験を聴く

          看護学生のインタビューレポートから:家族政策

          フランスの家族政策について 【語り手】 女性 30代 歯科衛生士 妻 子供はいない 【テーマ設定の理由】 この内容を授業で聞いた時に、女性目線の意見を聞いてみたいと思ったので、このテーマにしました。 Q.世界の婚外子の割合についてどう思いますか(フランス56.7%、日本2.3%) A.日本は古い考え方が根付いていて、特に若年層の未婚の母は白い目で見られ、まわりの目や世間体を気にするようなところがある。沖縄もそんな感じ。未婚の母で子供を産むっていうのは、世界に比べて日本は

          看護学生のインタビューレポートから:家族政策

          看護学生のインタビューレポート:瀬底島のノロ

          *写真は地域研究(おそらく仲原弘哲氏運営のブログ)から拝借しました。 瀬底島のノロについて 対象者:60代 女性 沖縄県S島出身 現住所 O市 職業 調理師 テーマ設定理由 : 社会学の講義の中で、沖縄の根神やノロについて学ぶ機会があり、私の祖母もそれに値する役職を担っていることから、詳しく知りたいと思い調査することにしました。 Q1.あなたの役職はノロですか? →はい。 Q2.どこの地域のノロをしていますか? →やんばるの瀬底島 Q3.どのようなことをするのです

          看護学生のインタビューレポート:瀬底島のノロ

          看護学生のインタビューレポートから:姉妹分⑵

          地域間での姉妹分制度の違い 語り手:女性 10代 中部 学生Hさん テーマ設定の理由:社会学の講義で姉妹分制度の話題が出て、中学生のころに自分もこの制度に参加していた事を思い出しました。そこで、同じ年代の子も姉妹分がいた事を知り、地域の違いで制度も違うのかと気になったので、このテーマに決めました。 以下、インタビューの内容です。 私「こんにちは、Hさん。今日はHさんが経験した姉妹分制度について、いくつか質問させてもらいます。さっそくですが、何人の姉妹分がいましたか。」

          看護学生のインタビューレポートから:姉妹分⑵

          看護学生のインタビューレポートから:姉妹分⑴

          姉妹分制度の地域間の差異 語り手:女性 10代 居住地:南部 学生M 友人 テーマ設定の理由:社会学で守姉と姉妹分制度について教えてもらいました。その中で、自分も中学の時に姉妹分制度があり、講義で共感したことが多く他の地域ではどのような違いがあるのか気になり、今回このテーマにしました。 私「こんにちは、Mさん。今日は姉妹分制度についていくつか質問したいのですが、お時間いただけますか?」 Mさん「はい、お願いします。」 私「では早速質問します。何人と姉妹分を組んでいました

          看護学生のインタビューレポートから:姉妹分⑴

          看護学生のインタビューレポートから:看取り

          母の父を母が看取る インフォーマント:女性 40代 沖縄県O市 事務職 母 テーマ設定の動機:このタイトルにした理由は、介護というもの身近に感じたことがありません。なので、介護をする上で、辛かったこと、悲しかったこと、うれしかったことなど、私の体験のしたことのない話をインタビューするために、このタイトルにしました。 インタビュー Q.父親(学生の母親の父)の介護をするきっかけはなんですか? A.父が、だんだん食欲がなくなっていて病院受診したときに食道癌って診断されて、

          看護学生のインタビューレポートから:看取り

          看護学生のインタビューレポートから:南城市佐敷字手登根古式エイサー

          *写真は沖縄タイムス社から拝借しました。 手登根古式エイサーについて 注:文中の*は講座工房サンジチャーが補足しています。 【インフォーマントの属性】 語り手:男性 80代 南城市在住 K氏 祖父 【テーマ設定の理由】 エイサーの授業を受けた際に、先生が手登根エイサーのことに少し触れていて中学生のころまで私自身も手登根に住んでいたし、祖父が参加していたことを思い出したのでこの際に詳しく知りたいなと思った。また、私自身も小学生のころに琉球舞踊と三線を習っていたこともあ

          看護学生のインタビューレポートから:南城市佐敷字手登根古式エイサー