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看護学生のインタビューレポートから:国頭村に育ち、琉球大学に通い、そして教員になった祖父が語る祖国復帰

*写真はネットから借用しました。

戦後と本土復帰の沖縄社会について


【語り手】:男性、70 代、豊見城市在住、I 氏、祖父、職種(元教員)

【テーマ設定の理由】社会学の授業で戦後の内容を聞いたときに、今は亡き曾祖母が私が小 さいころよく「戦後の生活は大変だった」と言っていた会話を思い出し、その頃のことをも っと詳しく聞きたいと思い、曾祖母の子供である祖父に当時のことを詳しく聞きたいと思 ったからです。

【インタビュー内容】
Q.生まれた時の環境は?
A.僕は 1947 年生まれでやんばるの農家に弟と2人兄弟として育ったよ。父は戦死した為、 祖母と母とおじさんと兄と私の5人で暮らしていたさ。その頃は山林農業をしていて貧し い生活をしていたよ。

Q.戦後アメリカに占領されていた頃のことを詳しく教えて?
 A.まずは、沖縄には日本国憲法が適用されていないこと、沖縄の人は本土の人に比べて人権 とか生活とか社会保障が適用されていなかったからね、いろんな面で抑えられていたさ。そ して、渡航の自由がなかったことだね。パスポート無しでは、本土に行くことができなかっ た。米軍の事件事故もかなり多かったよ。ほかの面では、1960 年代前後は朝鮮戦争があっ たから沖縄からも米軍が行きよったわけ、私は国頭村にいたから北部の山は訓練として使 われていたよ。夜間は電気を消して訓練をしたり、銃の演習も日常的にしたりしよったよ。 そして、「管制燈火」訓練も記憶にある。当時は小学生なので意味が明瞭じゃなかったけど、 米軍も朝鮮戦争に参加していたから沖縄にも再び戦争があるかもしれないということで訓 練していたんじゃないかな。米軍の演習があったもんだから、僕たちは演習米兵の後に付い て薬きょうを拾ったりした。真鍮が高価で売れるので、拾ってスクラップ業者に売った経験 もあるよ。とにかく1番は日本国憲法が適用されていないことが苦労したね

Q.本土復帰するときになにかしたことある?
A.復帰運動は60年代がピークだったよ。その時は丁度高校生と大学生だった。高校生の時は特に何もしてなかったね。大学生になったときは 4.28 といってサンフランシスコ講和 条約が締結して本土と沖縄を切り離しよったわけ。その頃は、琉球大学に通っていたから、 校内で日本復帰したほうが良いか学生同士で論争していたよ。そして、祖国復帰運動として 全県回ったり与儀公園に集まって大きい集会を開いたりしていたね。与儀公園から国際通 りを通って、県庁までデモ行進も参加したよ。

Q.本土復帰して変わったことは?(+の面と-の面をできれば教えて?) 
A.プラスの面でいえば、渡航できるようになったことだね、本土と沖縄を気軽に行き来できる ようになったのは便利になった。 しかし、沖縄はさ、核と基地のない状態で本土に復帰するのを目標にしていたわけ、だから 実際ふたを開けてみると復帰前と同じで県民は失望しよった。それから 27 年間もの間アメ リカに占領されていたから本土との経済格差がすごかったね、鉄道とか施設とかも発達し なかったから、交通不便でもあった。そして、今でも問題だけど基地問題ね、70パーセン ト以上の基地が沖縄に集中していることは問題だと私は思うよ、子供や孫、その下の世代の ことも考えると平和な世の中であってほしいと願うばかりだね。もう、あんな生活が 2 度 ときてはほしくないと僕は考える。

【考察】 祖父の話を聞いて、戦後にたくさんの怖い経験や苦しい経験があったことが分かった。今の 私くらいの年齢の時期に、声を上げて運動したことはすごいことだと思うまた、身近で米軍 の訓練があったのは今とは違う部分であり驚いた。

【インタビューを終えての感想】 今回、社会学の課題であったということもあり、祖父の幼少期のころの生活や出来事を詳
しく知ることのできるとてもいいきっかけになりました。 インタビューをして1番思ったことは、祖父たちの世代はとても声を上げることのでき
る人たちだということです。とくに、復帰運動の頃の話を聞いているときに自分たちが思っ ていること、願っていることを声に出したり、行動に移して政府や県に訴えたりしたという ことはすごいことだと思います。私たちの世代は、どちらかというと、思ったことや考えて いることがあっても、声に出したり行動に移したりする人が少ない気がします。祖父のイン タビューを受けて私たちが見習うべきである部分が見えたと思います。
また、戦後の生活で、真鍮を拾って売ってお金にしたというのは、今では考えられないこ となので銃やライフル、機関銃がすぐそこにあり、その銃弾がゴロゴロ落ちていることが当 たり前で、常に危険と隣り合わせだったという状況はとても恐ろしいことだと思いました。
これからの世の中は、もっと安全で安心して生活していくことができるように、私たちも 取り組んでいくべきだと思います。
インタビューを通して、戦後と本土復帰の沖縄の生活や状況を詳しく知ることができ、今 後の私たちのしていくべき行動も知ることができました。

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