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看護学生のインタビューレポートから:祖国復帰(語り手:60歳代、那覇市出身)

*写真はネットから拝借しました。

祖国復帰と父

【語り手】:60代男性 那覇市出身 職種(サービス業) 私との関係(父) 

【テーマ設定の理由】
両親に社会学の講義で沖縄の社会変動について学んだことを話した際に、父が祖国復帰の頃についての話をしていたのでもっと話を聞いてみたいと思いこのテーマにしました。

【インタビュー内容】
Q 祖国復帰後ってお父さんいくつだった?
A 祖国復帰したのが1972年だから小学6年生ぐらいかな。

Q 祖国復帰前と後で変わったとこってある?
A んー、お金かな。当時はドルを使用していたから。お小遣いとかお年玉はドルでもらっていたよ。あとは、本土に行くときにパスポートを使っていたよ。飛行機が少なかったから、そのときは船で那覇港から大阪に行ったり、福岡に行ったりしていたよ。

Q さっき祖国復帰のとき、小学6年生って言っていたけど安保反対運動とか、祖国復帰についての運動とかあった?
A うん、あったよ。小学校の隣に琉大(琉球大学)があって、そこの学生が運動していたね。その時、学生運動がピークの時で色々派閥があったよ。革マル派とか赤軍派とか。

Q党争?派閥同士での?
Aそれもあるし、国と学生のストライキとかね。
国に反対する学生が多かったよ。だから、政治に関して当時学生運動は激しい時代だったね。小学校のグラウンドに学生が逃げ込んできたことがあったよ。

Q 祖国復帰後は派閥同士での争いは減っていった?
A 復帰後は落ち着いてきたかな。その頃は琉大も移転したし。

Q 祖国復帰後の経済の移り具合はどう変わった?
A やっぱりドルから円に変わって、世の中は大変な時代になっていったよ。
物価が上がるから円になると、給料が1/3倍になって困窮する人が増えたね。その時、海洋博記念博覧会があって一時、建設ラッシュブームがあって少しは経済復帰したよ。
今のオリンピックみたいな感じで、今まで二束三文だった土地が10倍、20倍とかぐらいで景気がドーンと上がっていったね。でも、長くは続かなくて海洋博記念博覧会が終わったら観光客もピタッと来なくなってね。また景気が落ちていったんだ。

Q 祖国復帰で不便に感じたことってある?
A 給料差別かな。さっき言ったみたいにお金が円に変わったことで物価とかが上がって、本土と沖縄の給料の差ができたのかな。
まあ、元から沖縄に大きな会社がないってことも理由だろうけど。同じ会社、仕事内容でも本土の人の方が給料は高いからね。
あとは、沖縄の歴史がない、少ないってところで本土に行くとちょっと縮こまっちゃうってところかな。

Q 沖縄の歴史がないってどういうこと?
A 祖国復帰後、本土に教育を合わせるってなって、方言がなくなってきているとかかな。お父さんのときはちょうど方言禁止のときだったから。でも那覇は割と早く方言なくなってお父さんは方言札みたいなものはしなかったけど他の地域では(方言札)やっているところもあったみたい。
あとは、首里城が戦争で全焼して歴史的なものが残ってないとかかな。沖縄らしさがないって感じ。
 
Q じゃあ祖国復帰しない方が良かったと思う?
A そのままでも、アメリカ世(アメリカの支配下)だったしアメリカからして沖縄の人は土人で殺しても基地に入れば良いってところがあるからね。でも、本土に戻ってもまだ差別的な部分はあって、本土の人からしても沖縄の人は土人扱いされるところがあるからどうなんだろうね。

【考察】
祖国復帰したことでお金が変わり困窮した人がいたこと。祖国復帰はしたものの本土からの差別がまだ残っていることや本土に合わせることで沖縄らしさがなくなっていったということがわかりました。

【感想】
今回のインタビューで、どうやったら語り手が話しやすい環境をつくることができるのだろう。など色々考えることができインタビューの難しさを実感しました。
まさか、自分のお父さんが祖国復帰のことについて知っているとは思わなかったので今回インタビューができてとても良かったです。普段はかしこまって話すことがない相手とこのような形で緊張感をもって話すと違う人と話している気分になりました。
祖国復帰したことによって、沖縄らしさがなくなり、困窮した人がいたということがわかり沖縄にとって一番いい道は何だったのだろう、これから自分たちはどうしていけばいいのだろうということを考えることができました。インタビュー後、父からこれからの世代に歴史や文化を伝えていかないとね。と言われて少しドキっとしました。
当時は学生運動などが活発で学生も政治に積極的に取り組んでいたけど、今の自分たちは政治などに消極的でこれでいいのかなと思いました。
今回のインタビューで、インタビューの難しさやこれから自分たちはどうしていけばよいのだろうと考えることができました。


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