看護学生のインタビューレポートから:沖縄返還と学生運動
沖縄返還と学生運動
*見出し画像はネットから拝借しました。
インフォーマント:那覇市在住 69歳(1948年生まれ) 無職 男性 A氏 父
今回のレポート作成にあたって、授業で気になった集団就職(1960年代)の話を父にインタビューしたところ、学生運動の話が面白かったのでテーマを変更することにした。
Q:お父さんは九州大学に進学したけど、周りは集団就職している人多かった?
A:まぁ、割といたと思う。中学卒業したら、関東や関西の工場に集団就職に出たみたい。
Q:沖縄の外に出るには、パスポート持って予防接種もしないといけなかったんだよね。
A:外国だったからね。琉球列島米国民政府に申請していた。皆は渡航目的を「就職」として申請していたんじゃないかな。私は「留学」と申請した。
Q:「留学」って。言われてみれば確かにそうだね。なんか不思議な感じ。沖縄は薩摩に支配されて日本から独立したいとなったかと思えば、今度はアメリカに支配されて日本に戻りたいとなって大変な歴史だよね。日本の景気が良いから日本に戻りたいってなったんだっけ。
A:それよりは、日本国憲法の存在だろうね。景気はアメリカの方がずっと良かったから。ただ、支配下にあるからひき逃げされたり撃たれたりしても相手を罪に問えない状態で不満が大きかった。そこで日本に返還して欲しいというふうになったんだろう。
Q:そうなんだね。日本が沖縄を切り離したから、運動は沖縄の人ばかりで県外ではそこまでではなかったのかな。
A:私が大学に入学する2か月前に佐世保にエンタープライズ号が入港することになって(1968年)、これは大変だということで反対運動が起こった。入学して次の月の5月には工学部の建設中の電算室にファントムが墜落した。他人事じゃなくなるから皆騒いで、反対運動が大きくなったよ。授業とは別にクラス会という時間を設けて、学生達でどう思うか討議したよ。私の学年では沖縄は私だけだったから、よく意見を求められた。県人会では沖縄返還運動のために、福岡駅前で署名とカンパを募った。集めたお金で与論島まで行って、そこから小舟に乗って、27度線のところで県民と握手したり、集めた署名を手渡したりした。学生運動では今の福岡空港の場所が当時はアメリカ軍板付基地で、大学からそこまでデモ行進で往復することもあった。
Q:その頃って学生運動が活発ですごかったんだよね。
A:ゲバ学生といって、ゲバはドイツ語のゲバルト「暴力」という意味なんだけど、過激な奴らもいた。大学の中で授業中でもヘルメットをかぶって角棒をもっている奴らがいた。教員がこの状態では授業が出来ないということになって、2年生の時に通常は7月から8月が夏休みだけど、6月半ばから授業がなくなった。
Q:そうなんだ。その時は何をしてたの。
A:大学にいても仕方がないから沖縄に戻って運転免許の講習受けたよ。
Q:沖縄で免許とって意味あるの?
A:沖縄で免許取って、福岡の公安に持っていったら書き換えてもらえた。
Q:9月から授業は普通に始まったの。
A:このままではまずいということで「大学統制」のために「大学の運営に関する臨時措置法」がつくられた。政府が介入して学生運動をさせないようにしたわけだ。そうやって授業は普通に始まったけど、夏休みが長かった分春休みがなくて、教養課程の単位認定テストが終わった後、合格だったら一日だけ休みがあって、次の日からは学部課程に進級して授業が始まった。
Q:政府がこうやって学生運動を抑え込んだ結果、学生たちは政治について話し合うこともなくなり、政治に興味を持たなくなってきたのかな。沖縄返還後は反米感情が薄れて学生たちは学生運動から潮を引くように遠のいていったっていうけど、どうなったの。
A:一つ上の学年に3人沖縄の先輩がいたけど、ゲバの仲間でヘルメットかぶり続けていたよ。そういう一部の学生を除いては普通に授業を受けていた。今の学生は政治に関する意識が低いだけじゃなくて、新聞も読まないから何もわからないんだろうな。ツイッターとかインスタグラムとかは自分の好きな情報しか見ないだろうから、社会で何が起きているかもわからなくて自分の意見もないから投票にも参加しないんだろうな。私たちの下の世代から政治について話す人はどんどん減っていると感じるよ。
インタビューを終えて
外出の予定があるということで、インタビューはここで終了した。政府が学生運動を抑え込んだ他に、学生が政治に興味を示さない原因としては日本社会が豊かになったということもあるだろう。事実、学生運動が広まったのは自分に災いが及ぶかもしれないという状況においてであった。政府は反対運動が起こるのを抑えるためにメディアでの情報統制も行っている。各メディアの幹部が幼少時代からの繋がりであったり、学友など身内であれば情報統制も簡単だろう。
先日、翁長知事が辺野古への基地移設「撤回」手続きを行った。今回の翁長知事の行動がどういう結果になるかまだ分からないが、基地を減らしたい、そして自然を守りたい私としては上手くいって欲しいと願うばかりだ。政治の決定は私たちの今後の生活の在り方に大きく関わってくる。他人事としてではなく自分のそして次世代の生活に関わる事として、政治を注視し自分の意見を持って反映させていかなくてはならないと思った。
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