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双極性障害Ⅱ型になるまで歩んできた道 その1

学生編

小学生時代~高校生時代編

こんにちは!モドリッチ@UPPERです!
この記事と次の記事で双極性障害Ⅱ型を発病するまでの道のりをありのままで
書いていきたいと思います。
(厳密にいうとメンタルが壊れた日まで)

小学生時代

私の小学生時代はサッカーやスイミング、書道、英語塾などいくつもの習い事をしたり、学校ではそれなりに友達がいて暇な時はしょっちゅう友達の家には行き、ゲームなどをして過ごしていました。
今考えるとこんなに習い事をさせてくれた親には感謝しないとな~と
思っています。(書道習ってたのに字は一向に上手くなりませんでした笑)
将来の夢としてはおそらくサッカー選手って書いていたと思います。
ちょうど日韓ワールドカップもありましたし、
何より地元でも有数の強豪サッカー少年団に入っていたこともあって。
ただここで初めての挫折を味わいます。

周りのやつら上手過ぎね・・・???

そうです。流れで進められて入ったサッカー少年団のレベルが高すぎてついていけませんでした。
もちろんAチームに入ることなんて夢のまた夢。基本的にはBチームとCチームを
行き来しているような状態でした。
そうして私は小学5年生くらいの時に、退団しました。
もう最後の方はやめたくてやめてたくて仕方なかったのに何故か辞める時
自分は泣いてしまいました。
当時の考察をするならば
「悔しい・不甲斐ない」
といったところでしょうか。
そこからはなし崩し的にスイミングも辞め、書道も辞めていきました。
唯一最後まで習ってたのは英語塾だけでした。
それも最後の方は嫌々と。
そんな小学生生活をしていた私は

「自分はそこそこ偏差値のいい普通科の高校に行き、大学は経営学部に入る。そして父や兄と同じく営業職として生きていくんだ」

とすでに人生のレールを敷いていました。
今考えると無限の可能性を秘めてるのに
もったいないな〜と思います笑

中学生時代

小学校を卒業し中学生になった私は

俺は部活動も勉強もがんばって
友達ともたくさん遊んで
充実した生活を送るんだ!!

と中学生生活に希望を抱いていました。
ただ歯車は少しずつ狂い始めます。
部活動は軟式テニス部に入部しました。
当時は球技もそれなりに得意でしたし、何より楽しそうだな~
という理由でした。
ただこの部活動が中学生生活を狂わせる大きな要因となります。
入部当初は基本順調でした。
3年生も優しいし、テニスも楽しい。しかも1年生の中では自分が
1番って言っていいほど上手かったと思います。
ただ2年生の先輩が怖かったのが一抹の不安ではありました。
その不安が的中してしまいます。
僕はある程度学年の中で上手かったせいで2年生とダブルスを組むことになったのです。
当然緊張しますし、なんで俺が2年生とやらないといけないのかと不安感も抱いていました。
結果、ミスもたくさん出るし先輩からはしょっちゅう怒られていました。

そしてある日を境にとある1人の先輩からいじめに近いかわいがり的なことを受け始めました。

そうした日々が続き、最初楽しかった部活動は苦痛に変わっていきましたが
なんとか耐えようとして1年生を終えました。
そして2年生になります。
学校生活も部活以外はそれなりに楽しいし
部活動もその2年生がいないときは、ぼちぼちやれてはいました。
しかし5月ごろから急に学校に行きたくない状態になります。
当時はサボりたいんだなと自分的に解釈して、親にお腹が痛いと嘘をつき
過敏性腸症候群と医師から診断を受け
残りの1学期は休んだ方がいいですよ
と言われました。
そしてこの時の自分は

ラッキー!これで学校に行かずゲームしたり1人で好きなこと出来るじゃん!
嫌いな先輩とも会わなくて済むし最高だ!

と思いました。
ただ今の自分から当時のことを振り返るならば

間違いなく精神科・心療内科受診していたほうが良かった

といっても過言ではなかったでしょう。なぜなら心の根っこにある本音は

なんで周りの子は楽しく学校に行ってるのになんで自分はこんな目にあわないといけないの?
なんで自分は学校に行きたくないのかな。
どうして。なぜ?

こんな状態でした。
もしかしたらこの時点で心療内科ないしはカウンセリングでも受けていれば
今の未来は多少変わっていたかもしれません。
たられば論ですが・・・
まあとにかく、そんなこんなで1学期は終了し、2学期になってから私は
再び中学校に行き始め、テニス部を辞め卓球部に入部しました。
その後は本当に平和な日々を過ごし、卒業までの日々を過ごします。
受験も至って順調でした。
偏差値も50ちょい越えの、兄が卒業した普通科の高校に進学を決めます。
最終的にちょっとレールから脱線しかけたものの、結果としては小学校の時に描いていたレール通りの中学生時代でした。

高校生時代

高校入学後、必ず部活を入らないといけない決まりがありました。
そこで入ったのは軽音楽部。
理由は兄が軽音楽部に入っていて
家でベースを弾いている姿がかっこよかったんです。
そしてよく弾いていたのはHi-STANDRD(ハイスタ)というパンクロックバンドの曲を弾いてました。
それはそれはハイスタを初めて聞いたときは衝撃を受けましたよ。

歌詞は英語だし、テンポが速い。そして何よりぐわああって体全身でテンションが上がっていく感じなんだこれ!
かっこよすぎだろこのバンド!!!!

なので高校生になったらハイスタのコピーバンドをやると決めてメンバーを集めてバンド活動を始めました。
そして高校2年生で初めてライブハウスのステージに立ちました。
めちゃくちゃ緊張してミスも多かったです。
ただ何より感じたことは

自分たちにスポットライトが当たっていて、見ている観客は盛り上がってるし、バンドって最高だ・・・!!

この時の全身がぶわーーって高まるというか、
なんとも言葉に表しづらい経験をしたのは初めてでした。
そこからはバンドに打ち込み、自分で言うのもなんですが、それなりに人気はありました笑
しかもライブハウスで出来た人との繋がりで
オリジナル曲でガシガシ活動していくバンドを組むことになったり、
ここまでの人生の中ではトップクラスに充実してたのかなと思います。
ただし勉強は疎かになってしまったので、希望校にはいけず、何とか滑り込みでそこまでレベルの高くない大学の経営学部に入学することになります。

ここまで小学生〜高校生までのことを書きましたが、ちょっと長くなりすぎましたね笑
次の記事で大学生時代〜発病のきっかけとなった新卒で入った会社と双極性障害Ⅱ型と診断を受けるきっかけとなる2社目の会社まで書こうと思ってます。
ただ長くなりそうだったら3記事目まで行くと思いますが、どうぞお付き合いください。
ではまた!



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