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Twitterの二元性

Twitterを止めようかとの投稿を目にする機会が増えてきたように思う。たまたま読んだ、戸田真琴さんの「Twitterをやめます。」が印象的でした。

私自身はTwitterとの付き合いは長いほうですが、使いこなしているというよりは、たまに眺めるという感じで、せいぜいニュースや特定の情報を得るために使うぐらいの感じでした。
環境の変化もあって、本格的に使ってみようかなと思い始めていたので、戸田真琴さんのNoteはある意味でショッキングでした。

Twitterは善意の群衆に支えられ発展したきたといわれますが、一方で、影の部分もあることをリアルに感じることができました。

戸田さんのNoteを読んで、考えてしまったこと。
・表現/報道の自由
・Twitterでの常識、モラル
・アバターの危険性
難しい問題ですね。

健全なコミュニティーとして議論することがTwitterの特徴であったはずなのに、人とやり合うことに血道を上げる人たちが増えたり、人の意見に耳を貸さず、相手を尊重しない。お互いを侮辱し合ったり、責め立てたりと、質が低く、中身のない話だったり。

もっとも危険と感じるのは、アバターが自分・人間が本来持っているネガティブな要素ー自己保身や身を守るための攻撃性ーを前面に出して、誰か他の人を口撃すること。

最近の風潮を映し出しているといってしまえば短絡的すぎますが、見ててもこころよいものではありません。こんなことがTwitterの中で常態化・常識化していくことを心配します。


インフルエンサーのように活躍できる世界があるという反面で、その影に、深刻な問題が隠れていることを改めて痛感させられます。

哲学者三木清の言葉に、

「常識の上位概念として良識がある。」
常識人が常識を無謬のもととして受容し、常識を盾にして非常識を断罪するのに対し、常識に疑問を持てる知恵が良識なのである。

その非常識さが時に時代を動かし、イノベーションの源泉になっていると思う。

戸田真琴さんの勇気ある行動、そして、彼女の聡明さ、良識を感じました。応援していきたいですね。


最後までお読みいただき、ありがとうございました。

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