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「ポルックス」と「カストル」

私は黒いネクタイと黒いスーツに身をまとい、そこに立っていた。

今日は特別な日であった。それは私の妻の葬儀であった。50年以上も連れ添った妻との別れは、ひどく苦しいものであろうと、あなた方は思われるかもしれない。

しかし、普段はあまり着用しないブラックスーツに身をまとい、淡々と事を進めることに、何の苦痛も感じなかった。


結局、葬儀の最後まで、私の目から涙が出てくることはなかった。


私は若いころから、人との深い接触を極力避けてきた。

何事も競争であり、勝たなければ意味がないと、父に教わって育った。

そういう経緯もあり、何かにつけて人とは距離をとり、常に自分が有利になるためにはどうすればよいのか考えてきた。

いつしか、自分の人生にプラスにならないことには、興味を示さないようになっていた。




同じ年の妻との結婚はお見合いであった。

私が若い頃は、結婚しなければ一人前の男として見てもらえなかった。

私がビジネスで相手と対等の立場で交渉するためには、既婚者の肩書が必要だったのだ。

結婚当初は打算的で、計画的な付き合いであったが、といはいえ、妻は私に尽くしてくれた。

子どもを授かることはなかったが、妻は最後まで自分のことを愛してくれていたと思う。

妻が亡くなった今、親戚も友だちもいない私は一人きりになった。



私の家は海の近くに建つ庭付きの一軒家だ。

私一人で住むには広すぎる部屋が多数あり、綺麗に手入れが行き届いた大きな庭つきの家で、悠々自適な老後を過ごしていた。

家には執事がいて、家事や食事の一切を任せており、妻がいなくなっても生活に困ることはなかった。

春先には庭先で緑色に色づいた木々を愛でることが楽しみになっていた。

夜に散歩にでかけ、海の潮風にあたる毎日。



そんなある日の夜、海沿いを散歩していると、少年が一人で空を見上げて立っていた。歳は10歳前後であろうか。

見るからに華奢きゃしゃで線の細い少年が、こんな夜に一人で何をしているのかと、少年に声をかけた。少年は「星を見ている」と答えた。

変わった少年だと思い、その日はそれっきりで、私は帰宅することにした。

しかし、その次の日も、またその次の日も、少年は海のそばで立ち、空を見上げていた。

そんなに星がすきなのかと尋ねると、少年は大好きだと答えた。


私はそんな少年と話をするのがいつしか日課になっていた。

少年は私のことを「おじさん」と呼んだ。もう「おじさん」ではなく「おじいさん」という年齢なのだが。

次第に私も星の事に興味がわき、色々と星について調べては、毎夜少年との会話に出向くことが楽しくなっていた。

ある日、おじさんの誕生星座は何座か聞かれたので、かに座だと答えると、「僕はふたご座で、かに座と隣同士。だからおじさんとは仲がいいんだね」なんて言われた。

ある日には、北極星の見つけ方を教えてもらった。

またある日には、星座に関する神話を教えてもらったりした。




この歳にして友だちができたと言ったら、天国の妻に笑われてしまうかも知れない。

これまで私に近寄ってくる人間は、私の肩書か、金を目当てにした連中であった。そんな連中たちとは早々に縁を切ってきた。

この少年とは歳の差など感じさせないほど、話が合った。

付き合いが続く中で、どこの学校に行っているのか、両親は夜に出歩くことを許可しているのか、疑問が浮かんでくることもあったが、あえてそこには触れなかった。

共通の趣味があれば、友だちになれる。

年齢や性別は関係ないのだと、この歳になって知った。



そんな日々が半年ほど続いた。

その日は、少年が体調を悪そうにしていた。

そこで、私が家まで送るといい、一緒に少年の家までついていった。

少年の家は、お世辞にも裕福そうな家には見えなかった。

玄関の前までくると「ここまででいい」と言うので、そこで少年と別れた。

少年は去り際に、「明日はふたご座流星群が綺麗に見られるから」と言い残して家へ入っていった。

少年と会ったのはそれが最後になるとも知らず、私は帰途についた。



次の日の夜、海に出向いても、少年の姿は見当たらなかった。

頭上ではふたご座流星群がふり注いでいたが、私は星のことよりも少年のことが気がかりであった。結局その日に少年が海に姿を現すことはなかった。

そして次の日も、その次の日も、少年が姿を現すことはなかった。

夜に海に出向いても、私を迎え入れてくれるのは「ざざーん」という浜辺に打ち付ける波の音だけであった。

一ヶ月ほど経った後、私は少年のことが気がかりでたまらず、意を決して少年の自宅を訪ねた。

「ぎぃーっ」と錆びた金具が放つ扉の音と共に、中から母親が現れた。

聞くと、少年は心臓の病気で亡くなっていた。

この世に神や仏などいないのではないか。

順番でいえば、私が先だろう。なぜ私より早く少年が逝かなければならないのか。

私は目の前が真っ暗になった。




家に帰り、少年が患っていた心臓の病気の事を調べた。

治療方法はあるが、治療費が高額であることを知った。

私が治療費を出していれば、もしかしたら少年は亡くならずにすんだかもしれない。

私の脳裏に響き渡る後悔の念。

もし、私が少年の素性を聞いていれば。

もし、私が少年の病気に気付いていれば。

私が治療費を出すことが出来たのに。

私の目からは涙があふれてきた。



あれから数年がたち、私は病で床に臥せていた。

もうお迎えがそこまで来ているのを肌で感じていた。

私が亡くなった時、全財産は少年の母親に譲るよう、執事にお願いしておいた。

果たして、私は天国で少年にあうことが出来るのだろうか。

少年は、私が何も聞かなかったことを怒っているだろうか。

少年は、私が何も助けてくれなかったことを怒っているだろうか。

母親曰く、少年は死ぬ間際までおじさんに会いたいと言っていたという。

もし少年に会えたら、まずは謝ろうと思う。

そして、これからは何かあれば私に話をしてくれ。
そしてまた星の話をしよう。

そう伝えたいと思いながら目を静かに閉じた。

夜空には雲一つなく、ふたご座一等星の「ポルックス」と「カストル」が眩しいぐらいに輝いていた。

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