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デザインに哲学者を招いてみる。(Designing in Dark Times) #201

この記事は「パーソンズ美術大学留学記 シーズン2」の「Designing in Dark Times」にまつわる内容を再編集したものです。


パーソンズ美術大学のTransdisciplinary Designでデザインを学んでいます。選択科目で「Designing in Dark Times」という授業を受講していたので、その学びをまとめてみます。気づいたのは、デザインに哲学的思想を導入することの意味でした。


ハンナ・アーレントの思想をデザインに

この授業は「Designing in Dark Times」という同名の本を書いたEduardo StaszowskiとVirginia Tassinariによる授業で、ハンナ・アーレントの思想を学びながら、彼女の思想をデザインにどう活かせるのかを考える授業でした。

ハンナ・アーレントの思想を簡単に紹介しておきます。アーレントが主に取り組んだのは、第二次世界大戦につながる全体主義が生まれた理由とその予防策を考えることでした。これはアーレントの師匠にあたるハイデガーがナチスに加担してしまった理由を考えるということでもありました。そうした背景から生まれた思想は、一部の権力者の思惑で全体主義的な政治が行われないように市民は積極的かつ主体的に政治に参加するべき、というものでした。


全体主義の反省はいつまでも

この授業は先生からアーレントの主張を詳しく解説してもらうという形式ではなく、学生自身でアーレントの著書を読みながらその解釈をもとに議論をするスタイルでした。私は「先生から専門的な解説を聞きたい」と思っていましたが、今思えば先生のこの講義スタイルもアーレントの思想に基づいていたのかもしれません。

先生から一方的に知識を押し付けるのはまるで独裁・全体主義的であるため、そうではなく、学生が主体的に学んで互いに議論をすることで学生自身でデザインと哲学の融合を考えてほしかったのかもしれません。

そのことに気づいた時、パーソンズ美術大学での全ての授業で先生から「これは覚えなければならない」と押し付けられることがないと気づきました。どの授業でもテストはありません。知識を問う質問をされることもありませんし、何かを知らないことを馬鹿にされることもありません。

誰もが最善の政治システムと思っていた民主主義から全体主義が生まれてしまったという過去が、今も西洋に影を落としているようです。自由に思えるアメリカですら「アメリカの教育は詰め込み教育だ」と揶揄する声があるのですから、全体主義への反省がいかに深いかが読み取れます。

もしかすると「先生に教えてほしい」という私の考えは全体主義につながる市民の態度だったのかもしれません。そうした受け身の姿勢ではなく、まずは自分の頭で考えてから自分なりの解釈を他の学生や先生にぶつけてみる。思いがけず、自分自身のコミュニティへの関わり方を省みることになったのでした。


デザインが哲学と交わる時

この授業で学んだのは、ハンナ・アーレント個人の思想だけではなく、哲学者の思想をデザインに活かすということでした。

ここで、デザインのプロセスを見てみしょう。デザインプロセスを表す図はさまざまあるのですが、ここではダブルダイヤモンド図を採用します。この図によると、デザインには問題の本質を捉える「定義」というステップがありますが、この問題定義は哲学の営みそのものなのです。

https://uxdaystokyo.com/articles/glossary/doublediamond/

実際に私がデザインリサーチをした時も、思想家と似たようなインサイトを得る経験をしました。私たちは「Careとは何か?」というテーマで約半年間デザインリサーチをしました。その結果辿り着いた結論は、マルセル・モースが『贈与論』で指摘したクラ交換の仕組みの有効性や、エーリッヒ・フロムが『愛するということ』で唱えた「愛は技術である」という主張と似ていました。

過去の哲学者・思想家の考えとデザインリサーチによるインサイトが似通るのであれば、デザインプロセスに哲学者が参加してはどうかという仮説が立てられます。実際に参加してもらうだけでなく、デザイナーが哲学書から得た知見をもとにデザインをスタートするというのは新しいデザインの方法論として有効なのではないか、というのが私の現時点での仮説です。

ゼロからアイデアを考える必要はなく哲学者の知恵を借りればいいというのは、特段目新しい考えではありません。たとえば、カントが『永遠平和のために』で唱えた思想をもとに、国際連盟が設立されました。

また、哲学者がいま生きている必要はありません。授業で扱ったハンナ・アーレントもすでに亡くなっていますが、彼女の思想をデザインに生かそうという試みを教わりました。ソクラテス、プラトン、アリストテレスから始まる哲学の歴史を使えば、二千年以上にわたって積み上げられた賢者の知恵を借りながらデザインをすることができます。生きている人間だけでなく、生きていた人間にもデザインに参加してもらうことで、デザインの可能性はさらに広がるはずです。


哲学者からデザイナーにバトンタッチ

ヘーゲルは『法の哲学』の中で、「ミネルヴァの梟は黄昏に飛び立つ」と述べました。つまり、哲学はある現象が生じた後の説明をするものだという意味です。

余談ですが、この言葉がSPY×FAMILYのWISE(ミネルヴァは知恵の神)、オペレーション・ストリクス(梟は英語でストリクス)、ロイド・フォージャーのコードネーム(黄昏)の由来のはずです。プロジェクトアップルは、聖書の知恵の実でしょう。

もしそうならば、哲学が将来のことを考えるのには向いていないのかもしれません。現代思想もその多くは「解決策」を提示していないものが多いです。そこで、デザイナーの出番です。前掲のダブルダイヤモンド図で示されているように、デザインプロセスは問題の本質を捉えるだけでは満足せず、問題解決までを試みるからです。

哲学者や思想家が解決策を提案しているならば、その解決策はどうすれば実現できるかを具体的に考える。彼らが解決策までたどり着いていないのならば、その思想をもとに解決策のアイデアを考えてみる。せっかく哲学者や思想家が世界の本質を捉えて問題定義をしてくれているのだから、使わない手はないでしょう。哲学が暴いた問題をデザインが討つのです。

ただ、哲学者・思想家の考えを誤解しないように気をつける必要もあります。マルクスは『資本論』の中で資本主義が発展した結果別の経済システムに代わることを予測しましたが、社会主義国家をつくるべきとは述べていません。『資本論』を誤読したことで社会主義国家をつくるという「解決策」がとられたと言われています。このことにマルクス本人がどう思うのかは、今となってはわかりません。哲学者からのバトンをデザイナーが落とさないようにしたいものです。


まとめ

①実際に哲学者に参加してもらう、②デザイナーが哲学書の知見を使う、という二つの方法で哲学をデザインに活かす可能性を考えてみました。こうした学びを踏まえて、西洋哲学や現代思想を勉強中です。Transdisciplinary(分野横断)を掲げるデザインを学ぶ身として、哲学とデザインの垣根をなくすことを夢見て。

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