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Transdisciplinary Designとは? (パーソンズ美術大学留学記 総集編) #184

パーソンズ美術大学のTransdisciplinary Designに留学し、1年生の全課程を終えました。デザイン初心者&海外生活も初めての生粋の日本人の私が、なんとかアメリカのデザインスクールで1年間過ごすことができました。我ながらあっぱれ。

こうした節目ということで、Transdisciplinary Designで何を学んできたのかをまとめてみることにします。自分の復習のためというのもありますが、「デザインって何?」という疑問を持つ方や、「海外でデザインを学んでみたい」という方の参考になれば幸いです。


Transdisciplinary Designとは?

経済産業省が公表している「⾼度デザイン⼈材育成ガイドライン」を見てみると、Transdisciplinary Designは「領域横断デザイン」と訳されています。disciplineが領域・分野でTransはそれを超えるという意味なので直訳としては妥当なのですが、ピンとこないですね。

それもそのはず、Transdisciplinary Designは英語話者であってもピンとこない単語なのです。「Transdisciplinary Designで何を学んでいるの?」と家族や友人に聞かれても答えられないというのは、Transdisciplinary Designで学ぶ学生あるあるです。就職先をどう見つければいいのかわからないというのも、卒業生から聞きます。

少しでもtransdisciplinaryの意味を理解するために、これと似た言葉であるmultidisciplinaryとinterdisciplinaryと比較してみましょう。multidisciplinaryは、multiが複数という意味があることから多分野という日本語に近く、複数の分野の知識を使おうというニュアンスがあります。また、interdisciplinaryは学際的と訳されるようですが、intercontinetal(大陸間)という言葉もあるようにinterという言葉から分野をまたぐというニュアンスが感じられます。まとめると、multidisciplinaryはそれぞれの専門領域は独立したままで、interdisciplinaryは専門領域同士が交流している印象です。

これらに対して、transdisciplinaryは専門領域同士の境界を意識しない、または境界をなくしていくことを指していると私は思っています。弁証法で言えばアウフヘーベンを目指すと言えばイメージしやすいでしょうか。領域横断というよりも、領域融合とか領域統合の方がイメージに近いような気もしますが、この辺りの翻訳を正確にするのは難しいですね。


キーワードは「境界」

以上のようにtransdisciplinaryという単語の意味を考えて浮かび上がってくるのは、「境界」というキーワードです。言語学者のソシュールは、言語は差異で意味が決まり、その差異は恣意的であると言いました。とすると、言語は概念に境界を引くことがその本質的な役割なので、学問も名付ける度にその領域に境界が生まれていきます。そんなバラバラになった学問領域に対して、Transdisciplinary Designはそれらの既存の境界を越えていくorなくしていくことを目指している、と私は解釈しています。

「境界」をなくすというアプローチには、ジャックデリダが唱えた「脱構築」の二項対立に疑問を投げかける姿勢も含まれています。たとえば、Transdisciplinary Designでは、「Decolonization(脱植民地化)」がよく扱われます。ニューヨークやアメリカは先住民の土地であったのに、ヨーロッパからやってきた人たちが占拠した結果が今に続いているのだから、何か対処していくべきだといった議論です。他にも白人が優れていて有色人種は劣っているとか、男性が優れていて女性は劣っているといった二項対立から生まれる優劣に疑問を投げかけるのが脱構築の基本です。この二項対立における境界をなくすという手法は、Transdisciplinary Designでもよく見かけます。


Transdisicplinaryな思考

脱構築などの主張がなされるようになった経緯は、思想史を知ると理解しやすくなります。まず、ヘーゲルやマルクスは進歩史観という一直線上の歴史観を唱えていました。つまり、全ての文明は発展しているか否かという数直線上に位置しているという歴史観です。これにより、西洋が進んでいてそれ以外は遅れているとみなされ、植民地化が正当化されていました。

この考え方は、レヴィ=ストロースが構造主義を唱えることで覆りました。たとえば、ある部族の複雑な結婚制度の仕組みは当時最先端の数学理論と同じ構造だったことなどを指摘し、「野蛮」とされてきた非西洋地域も同じく高度な文明を築いていることを証明しました。これにより、西洋中心主義への反省についての言説が広まることになりました。ジャックデリダやミシェル・フーコーなどがその代表です。

詳細は割愛しますがこうした思想史を見てみると、フロイトの精神分析、マルクスの経済学、ニーチェの哲学、ソシュールの言語学、レヴィ=ストロース文化人類学などのtransdisciplinaryな歴史を辿ってきたことがわかります。

こうして現代では、今では当たり前と思っていることも、実は歴史上のある時点で恣意的に決められた決まりごとに過ぎないのだということを、歴史をさかのぼる(考古学、系譜学)ことで明らかにするという方法論が広く用いられるようになりました。また、歴史のある地点で生まれたのであれば、その「当たり前」を壊すこともできるはずというのが、現代思想の特徴です。

Transdisciplinary Designも同様の考え方をしながら、既存の境界を壊していこうという姿勢が根底にあると思っています。


Designが担う創造

ただ、こうした現代思想は新たな理想を提示してくれていないのが欠点です。批判はすれど代案を出さずという思想家が多いのです。そこで、デザインの力が必要になってきます。"Invisible to Visible"という言葉が言われるように、デザインではアイデアを現実世界で見える形にすることを要求されます。もちろん最初は曖昧な思考からはじまりますが、次第に具体的に言葉で表現できるようになり、最終的にはモノやデジタルなどで他人にも見える状態にしていきます。

たとえば、Speculative Designなどは未来像を提示するデザインであり、単なる社会批判ではなく、新しい世界を切り開こうとする気概が感じられます。デザインは、目に見えるものを創造するという段階まで責任を持つのです。

つまり、Transdisciplinary Designは破壊的なTransdisciplinaryと創造的なDesignが組み合わさっているのです。撞着どうちゃく語法を使いこなすあたり、命名者はシェイクスピアに詳しいに違いない。


Transdisciplinary Designの心構え

ここまでTransdisciplinary Designの定義について考えてきました。では、Transdisciplinary Designを実践するにはどうすればいいのでしょうか? 1年間を通して、その心構えを叩きこまれました。体系的に教わったわけではないのですが、自分なりに以下の7ヶ条にまとめてみした。

1. Unlearn

私達は、社会で教わったことを「当たり前」だと思って生きていきます。もし、この「当たり前」を疑ったとしても、試験で「正解」を答えられなければ「異常」だと認定される仕組みになっているため、嫌でも「当たり前」を身につけることを強いられます。こうしたシステムはミシェル・フーコーが指摘したことです。

Transdisciplinary Designは、こうした「当たり前」を疑っていくことが推奨されます。このプロセスを端的に表した単語が"Unlearn"という英単語です。Transdisciplinary Designは学校という場でありながら、あらたに何かを学ぶのではなく、これまで学んできたことを疑って手放していく場のようです。そのため、授業に試験などはなく、自分のデザインを見せることだけが求められます。

2. There is no right or wrong answer.

"There is no right or wrong answer."という言葉を先生方からよく言われます。「正しいとか間違いとかはない」という意味ですね。何でもいいから思ったことを言ってみてという意味でも使いますし、どんなアイデアでもいいから見せてみてという意味でも使います。何が正しいかなんて絶対的な尺度はないと思うことは、デザインに取り組むうえでのメンタリティとしても大事です。

デザイン界では、プロトタイプを見せることを求められます。ただ、プロトタイプという名の「未完成な作品」を他人に見せるということは、恥ずかしいし怖いことです。だから、お互いに「There is not right or wrong answer.」というメンタリティを持ち、心理的安全性の高い環境を生み出すようにするのです。そうすることで、皆がCreative Confidenceを抱くことができ、より独創的なデザインができる可能性が生まれます。

3. Curiosity

Unlearnして、There is no right or wrong answer と言われると、何を基準にすればいいのかわからなくなります。そこで、基準になるのが自分自身のCuriosity(好奇心)です。

自分が興味があることやが好きなことに従ってみればいい。これはデザインにおいてだけでなくて、自分の人生の進路にも言えることです。かつて進路相談をした時も「自分が何をしたいのかを軸にすればいい」とアドバイスされました。

4. 一隅を照らす

Transdisciplinaryという名を冠するからには幅広い分野にある程度精通している方が望ましい。そのため、さまざまな分野からゲスト講師を招いて彼らが取り組む社会問題を教えてもらうこともあります。すると、私を含めた学生たちは「世界にはこんなにも未解決の問題があるのか」と圧倒されます。

また、もし問題の原因が植民地化や資本主義だと分かっても、それをまるごと解決することなどほぼ不可能です(革命を起こせばいいのかもしれませんが)。授業で何度も世界にあふれている社会問題を目の前にすると、Transdisciplinary Designの学生は無力感に苛まれることが多々あります。

そんな時、私は最澄の「一隅を照らす」という言葉を思い出します。自分にできることは小さくとも最善を尽くすという意味だと解釈しています。「私が世界を変えられるんだ」という慢心でもなく、「私にできることはない」と卑屈でもない。「デザイナーとして自分が役に立てることは何か?」と問い、自分にできることを探す。システム思考の用語で言えば、レバレッジ・ポイントを見つけ出す。それがTransdisciplinary Designを実践する人だと思います。

5. ありのままを見よ

一筋縄では解決できない社会問題をWicked Problems(厄介な問題)と呼んだりしますが、デザイナーはこれにどう向き合えばいいのかを考えます。これに対して、システム思考などでは世界が複雑に関係しあっていることを考慮しながら解決策(レバレッジ・ポイント)を模索します。

仏教で言えば、世界は縁起で成り立っているということです。世界は単純な因果関係で説明できることだけでなく、複雑な関係性の中で出来事が起こったり終わったりするものであることを肝に銘じます。

なぜこうした認識の話をするかというと、デザインにはデザイナーの価値観がどうしても反映されるからです。デザイナーが世界を偏見を持ってみていれば、生まれるデザインもまた偏見を助長します。そうならないように、デザイナーは自らが世界をどのように認識しているのかを常に意識するべきなのです。

6. Emergence

創発とも訳される"Emergence"を大事にするのも、Transdisciplinary Designらしさの気がします。偶発性、偶然性を大切にするとも言えます。デザイナーから「こうするのが最善だ」と押しつけるのではなく、参加者同士が自発的に問題解決に取り組む環境づくりを大切にします。なぜなら、解決策を提示してもそれが現状に馴染まなければ導入されることはなく、結局のところ問題の解決にいたらないからです。

「Just Enough Structure(ちょうどいい介入)」を目指すというのも、Transdisciplinary Designの理想と言えそうです。まるで土壌を整えておくだけで「どんな花が咲いてもいいよ」と見守る庭師のような心持ちです。土を耕したり、種を植えたり、水をやったりすることだけに専念するのです。

7. Uncertaintyを受け入れる

デザイン思考を説明した図を見かけますが、「そんなものはない」ということを教わりました。デザインのプロセスは図示できるような流れで進むわけではないのです。デザインに絶対的なアルゴリズムは存在せず、「このやり方でいいのだろうか?」という疑問が常に付きまとうものです。そして、こうした不確実な状態とも共存していかなければならないのがデザインの宿命です。

もちろんこうした先行きの見えないデザインプロセスを進むとき、デザイナーは不安を感じるものです。そんな時、ダナ・ハラウェイの本のタイトルから引用して、"Staying with the Trouble"といって学生同士でよく励まし合います。Transdisciplinary Designを卒業した後にどんな人生が待っているのかさえも、確実なことは何も言えません。

でも、それでいいのです。自らの好奇心に従っていればそこに正解も不正解ありません。思い込みを捨ててありのままの世界を見れば、自分のするべきことが見えてくる。後は不安と付き合いながら、偶発性を促す環境づくりに専念する。そんな心構えをTransdisciplinary Designに携わるデザイナーは身につけるようにと教わったのだと思います。


Transdisciplinary Designの方法論

デザイナーとしての心構えを学ぶ一方、方法論を学ぶ機会は少なめかもしれません。たとえば、「Design-Led Research」ではリサーチの方法論を学び、「Speculative Studio」でSpeculative Designの方法論を学びました。しかし、どちらも最後の授業で「ここで学んだ方法論を使う必要は必ずしもなくて、自分なりの方法論を構築していきなさい」という締めで終わりました。きっと「デザインとはこうである」と決めてしまうと、デザインとデザインでないものの間に境界を作ってしまうことになり、transdisciplinaryではなくなってしまうからでしょう。 

なので、Transdisciplinary Designで学んだ方法論を覚えたり他人に伝えたりすること自体に意味はないのでしょう。どうしてもデザインの方法論が気になる方は、これまで私が書いてきたパーソンズ美術大学留学記を読んでみたり、「デザイン思考」などで検索すれば見つけることができます。でも、どの方法論を使うかどうかは表層の話でしかありません。「方法論を使うことがデザインではない。方法論をみずからつくることこそがデザインである。」ということを、この1年間で学びました。

そのため、2年生で取り組むことになる修士論文では、自分で問題設定をして、自分の方法論で問題の原因&解決策を見出し、自分で解決策を実現することになります。次の1年間で、Transdisciplinaryな視点で社会の当たり前を壊しながら、Designの力で新しい何かを生み出す。この経験をしてはじめて、Transdisciplinary Designの免許皆伝となります。このことを論じるにはまだ修行が足りないので、この辺りで終わりにしましょう。


まとめ

以上、パーソンズ美術大学のTransdisciplinary Designで1年間学んだことをまとめてみました。この記事を書くために「パーソンズ美術大学留学記」を読み返してみると、当時のことが鮮明に蘇ってきました。日々の学びをnoteに書いておいて良かったです。

夏休みが終われば2年生。引き続きTransdisciplinary Designとは何かを考え続けていきます。この記事が、少しでも誰かの役に立っていれば幸いです。


おまけ

ほぼ毎週更新していた「パーソンズ美術大学留学記」はこちら↓

方法論について補足した記事はこちら↓


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