見出し画像

2024年3月24日 運の流れに身を任せ


先日、平日お昼のサイゼリヤに入って、ランチとアロスティチーニ(羊肉の串焼き)を食べていました。

「平日にも関わらず、大変な贅沢をやってしまった…」と少々、悦に入っておりました。
しかし、隣の席を見ると、
赤ワインのグラスに、デカンタ、プチフォッカ、ペンネアラビアータなどを、注文しているではありませんか!
テーブルいっぱいに注文した品が並ぶ中、大変優雅にランチをしています。
負けました…完全敗北です。
あれくらい思い切った注文をすべきでした。
どうも、こういう時に、変なブレーキをかける癖があっていけません。
自分のお金で飲み食いするのですから、思い切って注文すればよかったのです。食べたいもの全部、注文するべきでした。
とはいえ、そもそも下戸でお酒を嗜まないものですから、デカンタとグラスワインは、ソフトドリンク飲み放題に変わり ってしまいます。
それだけで、思い切ったランチもいう勢いが削がれるような気もしますね。
しかし、お酒は飲んでも楽しくなれない体質ですから仕方ありません。
すぐ酔っ払うだけでなく、ものすごい眠気と体の節々が痛くなってしまうので、お酒は飲んでも全く楽しくないのです。
お酒を楽しめる人はすごいなぁ…と子供のような感想を抱いています。
話は変わりますが、
飲み放題のノンアルコールドリンクならば、サイゼリヤよりは、ジョリーパスタ がロイヤルホストの方が、ずっと楽しめます。
ジョリーパスタ には、カベルネやシャルドネという他のファミレスでは見かけないジュースがあります。
カベルネは、濃い紫色をした無炭酸のブドウジュース、シャルドネは琥珀色をした炭酸・無炭酸の両方があるぶどうジュースです。
ワインをイメージした飲み物のようです。アルコールが飲めない人間でも楽しめるのでおすすめです。
ロイヤルホストでは、ピッチャーに入った、季節のドリンクをいつも楽しみにしています。
イギリスフェアの時は、エルダーフラワーコーディアルが、
先日行った時は、柘榴とアセロラジュースが置いてありました。
フルーティで珍しい、そのうえ、美味しいドリンクが置いてあるので、いつも楽しみにしています。
ノンアルコールの美味しいドリンク、以前に比べるとかなり増えてきましたね。 

さて、話は戻って、
よく言えば、豪放磊落、悪く言えば雑だと思われている人間ですが、こういうところが小さいというか、みみっちいのです。
思い切りのいい判断をしたそうでいて、大してそうでもないのです。
ばーんといけ、ばーんと!!
自分の小さな器にがっかりします。
こういうところが、
見掛け倒しというか、周りに想像されるよりずっと地味な人生の理由でしょう。

「もっと思い切りよく、判断を下したい」とか、
「大胆な選択を自分で選びたい」と最近よく思います。
人から思われるより、
ずっと慎重派なので、結局、大博打は打てない自分がいるのです。

その上、自分の人生での大きな選択は、
自分が決めたというよりはどうしようもない流れに押されて、というものが多く、
案外、自分自身では決めていないのです。

「人生は自分で切り開くもの」という考えの人には、わかってもらえない、運任せの人生です。
運というか、流れが向こうからやってくるような人生なのです。
あれよあれよとそちらに行くことが決まってしまう…というのが一番正しいでしょう。
これ、体験したことのない方にはものすごく言い訳がましく聞こえると思うのですが、
言い訳ではなくて、現実にそうなのです。

例えば、「趣味で〇〇をやろうかな」と思いつくとします。
〇〇について、検索して調べるとかその関連の本を探すなどの行動を起こそうと考えます。
そういう時、やるべき流れの場合は、「〇〇に詳しい知り合いがいるという友人が現れる」とか「絶妙なタイミングでオンライン講座が開かれる」とか、「たまたま寄った本屋に〇〇の本が平置きされている」ということが立て続けに起きるのです。
「〇〇をやる!」とか「俺は〇〇になる!」とか強く思わなくても、
行くべき流れだとそういうルートが出来てしまうのです。
一方、ご縁がないものの場合は、そういうことは一切起こりません。
ひたすら、自分でコツコツとやっていかなくてはいけません。
そうなると当然、応援がある方、なぜかちょうどよくサポートがある方を選んでしまう、ということになります。
だから、結局、自分では決断を下していないのかもしれません。
「人より運がいい人生なのだろう」と思うのは、あまりにもこの運の流れがはっきりしているからです。
通常もっと、「どちらをすればいいのだろう」と悩むものだと思います。
私の場合、運の流れがある選択肢の方がはっきりとうまく行くので、悩むほどでもないのです。
だから、「悩んだ末に決断する」ということがあまりありません。
行くべき道は示されているので、そちらに行くしかないという感じです。
幸運ではあるけれど、
「これでいいのだろうか」「もっと自分で思い切りのいい判断をしてみるべきでは」という思いになることがあります。
主体性が無さすぎる気がするのですよね…。
「運の流れが指し示す方に流れていく生き方」って、ある種、
田舎の信仰心の厚い老人の生き方のようでもある気がして、時々、不安になります。

それとも、「自分の人生は自分で切り開く」というのは、近代的な概念で、一部の選ばれた人だけがやっていることで、
「何となくの導きで流れ流れていく人生」が一般的な人生なのでしょうか。

今日は、運の流れに身を任せて、大きな決断をした日です。
今のところ、後悔はありません。
むしろ、こちらの道を選んでよかったと思っています。
運の流れに乗ったので、全てスムーズにいきましたし、安心感を得られています。

そう考えると、
運の流れに身を任せる星の元にでも生まれているのかもしれません。



 


気に入ったら、サポートお願いします。いただいたサポートは、書籍費に使わせていただきます。