見出し画像

夢見る透明人間

注:このnoteは1本完結ではなく、内容が初めから続いているので、よろしければ「心の中の荷物」から読んでください。
とくにこの項は「ベッドの上で心頭滅却「ブラックホールの思い出」と繋がってるので、そこから読んでもいいと思います。

私に子どもを生みたい、育てたいという欲求がまったくない、というのに気づいたのは23歳のときだ。
それよりもっと若いとき、20歳前後のころは漠然と「私もいずれは人並みに結婚しておかーさんになったりするんだろうな」と思っていた。

それから何があったかというと、体調を崩して闘病中に、モルヒネを何度か打たなくてはならなくなった。
打つ前、同意書なるものに署名をしたのだが、そのとき医師が文面を説明するには、「今回の治療が原因でのちの妊娠・出産時に異常をきたしたとしても当院の責任を追及しない」ということだった(もっと他にもいろいろあったが忘れた)。

医師は私がまだ23歳ということを考慮して、おいおいはそういうこともあるだろうからと、慎重に丁寧に投与を検討してくれたのだが、私は内心「あ、これで子どもを生まなくてもいい口実ができた」とほっとしていた。

そこで、私は子どもがほしくない人なんだな、と気づいたのだ。

人間、23歳といえばまだ若い盛り、怖いものなんか何もなくて、頑張れば何だって何とかなる!ちょっとやそっと失敗するなら今のうち!だと思うのだが(人によるかもしれないけど、私自身がそうだった)、病気をして何もかもに挫折していた私は、自分自身の人生そのものに完全に幻滅していた。

それまで、ひたすら全力の忍耐と根性で必死に乗りきってきたことが何から何まで無駄で、無意味で、どうでもいいことのように思えた。
悲しかった。
つらかった。

苦しくて苦しくて毎日死ぬことばかり考えていた。
どうすれば死ねるか、本気で考え続けていた。

私はそれまで自分の家族関係にとりたてて問題があるとは思っていなかったが、このころには、自分がもし子どもを生んだら、まず間違いなくその子を殴るだろう、ということを強く感じていた。

自分が殴られて育ったからだ。
両親は何かというとしょっちゅう怒鳴って私を叱りつけ、殴ったり蹴っとばしたりしていた。
それが躾だと思っていたのだ。

私も、殴りたくなくても結局殴るだろう。
怒鳴って殴って、過大な期待や勝手な価値観を押しつける親になるだろう。
私は自分が、そういう衝動を抑えきれるような人間に、いつかなれるとは到底思えなかった。
それでも子どもを生めば親になってしまう。

私は子どもを殴りたくなんかない。
殴るぐらいだったら生みたくない。

結婚だってしたくない。
抱えきれないほどのとんでもない私の心の中の大荷物で、どこかの誰かに迷惑をかけたくなんかない。

もしこのまま生きていくとしたら、ずっとひとりでいようと心に決めた。

小さいときからひとりで本ばかり読んで、大勢の子どもたちに寄ってたかっていじめられて、いつもひとりでいた私にとって、それはとても自然なことのように思えた。

もちろん、まだ若かったから、その後で交際した男性は何人かいた。
どの人も(概ね)いい人だった。
どういうわけか、私は交際相手には恵まれていた。
誠実で穏やかで優しい人ばかりだった。

にもかかわらず、私はそのうちの誰にも、心を許すことがなかった。

どの人も、ある段階になると結婚の二文字がうっすら背後に浮かんでくる。
すると私はすかさず、なりふり構わず脱兎のごとく逃げ出した。

電話には出ない。メールも無視する。居留守を使う。
連絡がついても「仕事が忙しいから」と言い訳する。

とにかく相手の存在がめんどくさかった。
私なんかといっしょにいたがる人の気が知れない。
変だ。

自分でも思うけど、人間の屑です。はい。異論はないです。

ただ私は怖かったのだ。

自分が人生のすべてに挫折して、ひとり自分の殻に閉じこもったまま、誰とも心を通わせることなく、透明な影のようなものになってしまいたいと思っていることを、誰にも知られたくなかった。

いまも、私はそう思っている。

ひとり自分の殻に閉じこもったまま、誰とも心を通わせることなく、透明な影のようなものになってしまいたいと思っている。
人間、そう簡単に成長できるものではないのだ。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?