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【海士町】海士町公式noteを書いている人

公式noteを書かれている方へのインタビュー初めましてですね!
海士町公式note見ると、懐かしさがあります。ほんの一か月前に行った場所なのに、なんか、もう、懐かしい。時間の過ぎる早さを思います。一か月前の興奮が、島を離れた直後よりもうすれているのが哀しい。
珍しくセンチメンタルな感じではありますが、こないだ最近どうしてる? って話を友達としたところ、この海士町の話をしたのですが、まーまーまー、我ながら興奮ぎみにはなしてしまった。
すごいんですよなんか人間関係の距離感が学園ドラマみたい距離感で、知り合いの知り合いが知り合いで、あそこでおきた出来事の当事者が知り合いで知り合いでって、なんかめちゃ楽しかったですよ。って。
自分の中では薄まっていく感興が、実は薄まってるんじゃなくて、記憶のシナプスを発火させるトリガーが少なくなってきただけで、着火さえされればなんかもうボオオオオオッって燃えあがるんだなって、思いました。〇。
この無名人インタビューのまえがきは、読者の皆さまと、ここから始まる無名人インタビュー空間との橋渡し、ブリッジなので、あんまり内容に濃く触れるということを避けているので、ここまでべったり触れるの珍しいのですが、海士町公式noteさんには、私の中のあの2024年2月末に来島した記憶のくすぶりを、焚きあげてくれる大いなる、偉大なビッグ・ファイアです。風と土と。そして火と、って思ってます。
ばん! 無名人イン旅ュー海士町篇お楽しみくださいませ!!!!!
【まえがき:qbc・栗林康弘(作家・無名人インタビュー主宰)】

この記事は「無名人イン旅ューin海士町」で実施したインタビューです。
他関連記事は、こちらのマガジンからお楽しみくださいませ!!!!!

今回ご参加いただいたのは 海士町公式noteを書いている Yさんです!


現在:その出来事が1回で終わっちゃったら、すごくもったいないなって。そう思うと、もう1回「書いて伝える」っていうことを、してみたくなったんですよね。

toki:今、Yさんは何をしていらっしゃる方ですか。

Y:今は、海士町の「大人の島留学」っていう制度を使って、去年の4月から1年間、海士町役場の総務課に所属しながら、海士町公式noteを運営しています。

toki:ご年齢は?

Y:26歳です。

toki:ありがとうございます。noteを書いていらっしゃるということでしたが、普段、より具体的にはどのようなことをされているんですか?

Y:町内のイベントや町の人に取材を行ったり、海士町の公式note以外にも島前ふるさと魅力化財団が管理している離島にもっと若者の還流をというnoteがあるんですけど、私と同じように「大人の島留学」で来た子や、町の若者にインタビューをしたり、そういうことをやっています。

toki:お仕事以外に、プライベートでよくやっていること、時間を割いていることは何かありますか?

Y:外に行くことが好きなので、休みの日とかも、おうちにこもるってよりかは外に出てますね。

toki:外でどんなことをされるんですか。

Y:「あまマーレ」っていう、“海士町の遊び場”って言われているところがあって。元々保育園だったところを改装して、今は人が集う場になっているんですけど、そこでゆっくり本を読んだりとか。家で何かするってよりかは、パソコンを開くにせよ、ちょっと外に出て作業していますね。

toki:それは、なぜ家ではなくて外でやろうっていうふうになるんですか?

Y:家だと、やることってなんか限られているというか。家で本を読もうという気にならなくて。外に出た方が、「これやろう、あれやろう」って湧き出てくるというか。家だと多分、グダグダしちゃう気がしてしまって。

toki:最近やっていて、楽しいことやわくわくすることって、どんなことがありますか? お仕事のことでもプライベートのことでも構いません。

Y:私、すごくイベントが好きなんですよ。
海士町に来る前は、ハンドメイドのイベントとか、コーヒーフェスティバルとか、自分が好きなことをやってるイベント、誰かが何かを作って発信してるっていう、そういうイベントに行くのがすごく好きで。
海士町は、めちゃくちゃイベントが多いんです。そういうのを見に行くだけで、すごくわくわくします。もちろん仕事でもあるんですけど。

toki:ご自身でも、記事を作って発信する、ということをされていると思うんですが、それは海士町にくる前からやられていたことだったんですか?

Y:大学で広報を学ぶ学科に入っていて、そこでスポーツ新聞を書くプロジェクトに所属していたので、書くことには触れてきていたんですけど、当時はテレビ業界に興味があって。新聞は正直、大学時代でおしまいでいいかなと思って、テレビ業界を中心に就職活動をしてたんです。
ちょっと話がそれましたが、書くことの原点は、大学時代ですね。

toki:今、海士町というところでお仕事をしていて、最近の調子としてはいかがですか?

Y:1年過ごして、仕事して、海士町をもうちょっと知りたいなって思って。実はもう1年間、同じ仕事で残ろうかなって思っています。

toki:そうなんですね。
今の生活の満足度って、何%で表すとどれぐらいですか。

Y:高いです。パーセンテージで表すのは難しいですけど。

toki:今の生活のどういうところが気に入ってらっしゃいますか。

Y:私はすごく海士町は温かい場所だなと思っていて。あと食べ物が美味しいところ。野菜も、自分の地元とか、本土で食べるものと違う味がするというか、魚も美味しいし、食材が豊富なところもすごく魅力的だなと思います。

toki:印象に残ってる食べ物はありますか?

Y:「しいしび」っていう、イカの一夜干みたいなのがあるんですけど、それをBBQで出してもらったときは、もう美味しくて、お酒が進みましたね。

toki:しいしび。初めて聞きました。
先ほど、海士町を温かい場所だとおっしゃっていましたが、「温かいな」と感じたエピソードって何かあったりしますか?

Y:私達の地区は、最近若者が増えているんですけど、その中で、海士町出身の方々が先陣を切って、まとめてくださっていて。
夏はキンニャモンニャ祭りというお祭りがあるんですけど、その中のパレードに参加させてもらったり、地区の公民館でひな祭りがあるんです。そこで、一緒にダンスを踊ったりとか。そういう団結力が、島に来てすごく感じられて、暮らしを楽しめている要因になっていると思います。
取材でも、いろんな人に会わせていただいて、本当に皆さんよくしてくださるし、「あたたかい人が多いな」っていうのを、つくづく感じます。

toki:ありがとうございます。
少し質問の方向が変わるんですが、Yさんの好きなもの、好きなことってなんですか?

Y:やっぱり、さっき言ったイベントがすごく好きです。
私は、大学時代に「もう書くことはいいや」って思ったけど、「もう1回書きたい」って思えたのは、色んなイベントに行って、イベントを頑張って作っている人やイベントを楽しんでいる人を見る中で、その出来事が1回で終わっちゃったら、すごくもったいないなって思ったからで。記録に残すことができたらいいなって。
そう思うと、もう1回「書いて伝える」っていうことを、してみたくなったんですよね。

toki:なるほど。イベントは、作るよりは、自分が参加する方がお好きなんですかね。

Y:はい。参加することが好きですね。参加して、雰囲気とか、人の話とか、そこであった事実を残しておきたいなって。
それがもう1回書きたいと思ったきっかけです。

toki:お祭りとかイベントに参加するのが好きっていう人は結構いると思うんですけど、「残したい」っていうところまで気持ちが向くのが興味深いですね。
今、好きなことについてお伺いしましたが、逆に嫌いなこと、あんまりやりたくないこと、苦手なこととかって何かありますか?

Y:うーん、なんだろう。考えたことなかったです。

toki:あんまり出てこないですか?

Y:苦手なことはいっぱいあると思うんですよ。すごく大まかに言うと、勉強とか、こうやってインタビューとかしてても、自分語彙力ないなとか、表現力ないなって思うこともあるし、でもわりと、やってみたいって好奇心は常にある方かなって思っていて。だから、苦手でも結構「やってみよう」ってなる。めちゃくちゃ不安にはなりますけどね。

toki:不安にはなるけど、それでも「嫌だな」って気持ちより、「やってみたい」っていう気持ちが勝つ感じですか?

Y:そうですね。やってみたいって思ったことはやるようにしてます。

toki:最近やってみたことは何かありますか。

Y:それこそ、この大人の島留学ですね。
元々、前職は全然違うところで働いていたんです。でもここ数年は、やっぱり広報周りのこと、書くことをやりたいと思っていて。自分の中でなんとなく3年っていう区切りがあったので、思い切って大人の島留学に応募しました。

toki:そうなんですね。大人の島留学は、「やってみたい」で飛び込んだこととして、印象に残っていらっしゃるんですかね。

Y:そうですね。

toki:なるほど。では次のパートで詳しくお伺いしていきますね。
その前にお聞きしたいのですが、Yさんは、周りの人からどういう人だねって言われることが多いですか。

Y:一緒に働いている同期には、「天然記念物」って言われました。

toki:天然記念物。

Y:今までは、私じゃなくて妹が「天然記念物」って周りから言われていて、私はそれを見て「天然記念物って言われてるってどういうこと? どんな人なのあんた」って思ってたのが、自分も言われるようになりましたね。

toki:「天然記念物」ってどういうことなんですかね。より具体的にいうと。

Y:なんですかね。どっか飛んでるんじゃないですかね。

toki:言われていかがですか。自覚あるなっていう感じですか。

Y:こういうところがそうなのかな、みたいなのはちょっと。でもまさか自分が言われるとは思ってなかったです。

toki:ご自身では、自分のことをどういう人だなって思いますか?

Y:うーん、なんでしょう。自分で自分のこと、あんまり考えたことなかった。
でも、行動力があると思いますね。行動力っていうか、好奇心旺盛と言うんでしょうか? 誰かの前に立って発表するとか、そういうのは好きじゃないですけど。
例えば、さっきお話したイベントだったり、パレードとか、踊りとか、みんなで一緒にやろうってなった時は、参加するし、取材でも、例えば農家さんのところに行ったら、ただ取材するだけじゃなくて自分も手伝ってみるとか、実際にその仕事を体験させてもらいながらお話を聞いたりとか。自分から手を動かすようにはしています。

toki:ただ見ているだけじゃなくて、自分も一緒になって体験する。

Y:そうですね。そこはすごく大事にしてますね。

過去:新聞を選んだんです。今まで放送やってたのに。まだやったことないから、やってみようって思って。

toki:Yさんは小さい頃、どんなお子さんでしたか?

Y:子供のときは、めちゃくちゃアクティブっていうか、盆踊りで、真ん中にやぐらがあるじゃないですか。そこに走っていって踊っちゃうぐらい、元気だったらしいです。

toki:大体どれくらいちっちゃい頃ですか?

Y:3歳くらいですね。

toki:ご出身はどちらですか?

Y:神奈川です。

toki:海士町に来るまで、ずっと神奈川ですか?

Y:神奈川に一番長く住んでましたね。

toki:アクティブな子供だったというお話でしたが、その後変化とかってありましたか?

Y:変わったきっかけはわかんないんですけど、幼稚園とか小学校の低学年ぐらいは、わりと静かだったと思います。どうしちゃったんだろう。そのまま元気な子で行きたかったですけどね。おとなしくなりました。

toki:おとなしくなったんですね。小学校時代はどんな感じでしたか。

Y:小学校時代は引っ越しがきっかけで、結構いろんな友達ができて、男女関係なく仲よかったです。

toki:小学校時代の性格ってどんな感じでしたか。

Y:おとなしくなっちゃったから、また明るくなろうって思ってました。

toki:明るくなろうっていう意識してたんですか?

Y:そうですね。思い切っていろんな子と話してみようとか。

toki:そこで明るくなろうって切り替えようと思ったのはなんでだったんですかね。

Y:引っ越しを機に、自分の中で「もっとこうしなきゃ」とか、「こうなったら変われるんじゃないか」っていうのが、多分あったんだと思います。

toki:子供時代は、どういうことをして遊んでましたか。

Y:近所の友達とポケモンゲームをしたり、あと秘密基地を作ったりとか。

toki:中学校は受験はされました?

Y:してないです。

toki:地元の中学校へ?

Y:そうですね。

toki:中学校時代はいかがでしたか。

Y:中学校時代も楽しかったですね。

toki:部活はやられてました?

Y:演劇部に入っていました。

toki:どうして演劇部へ?

Y:テニス部と迷ってて。運動神経を取るか、自分の夢に近づくために、表現力を磨く演劇部に入るかで悩んだんです。結局、夢に近づけたらいいなって思って、演劇部に入りました。

toki:どんな夢をお持ちだったんですか。

Y:幼少期に、なぜかわかんないですけど、自分で原稿を書いて、アナウンサーの真似をすることが好きだったんですよ。それをただ、おばさんに褒められたっていう、ちょっとしたきっかけだけで、アナウンサーになりたいって思っていて。
だから、ちょっとでも近づけたらいいかなと思って、部活は演劇部、委員会は放送委員会に入ってましたね。

toki:そのときから、将来何になるか、そのために何をするかみたいなことは結構考えていらっしゃったんですか?

Y:めちゃくちゃ考えてましたね。

toki:それは自分で考えようと思い至ったのか、それとも誰かに影響を受けたり、考えた方がいいんじゃないみたいなことを言われたりしたんですか?

Y:自分だけで考えていました。人に相談するっていうのは、苦手なのか、あんまりそういうことをしないタイプで。結構自分の中で完結させちゃうことが多くて。

toki:そうなんですね。中学校生活、楽しかったとおっしゃっていましたが、どんなことが楽しかったですか。

Y:色々やらせてもらってたんですよね。自分が希望していた放送委員会では、委員長がやりたくて立候補して。結構「夢のためなら」っていうのは大きかったですね。

toki:中学生だと、将来何になるか考えていたり、将来のために行動してる人って、そう多くはない気がするんですけど。

Y:そうですよね。でもなぜか、ブレなかったんです。小さい頃からの夢で、憧れがあったから。

toki:その後の進路は、どんな考えでどんなところに決めたんですか。

Y:夢を追いかけたかったから放送部がある高校に入りたくって。放送部がある高校に入って、放送部に入って、放送委員会にも入ってって、放送に染まってました。

toki:そうなんですね。高校時代のご自身の性格ってどんな感じでしたか。

Y:なんでしょう。そんなに前へ前へって感じではなかったです。普通かな。うるさくもなく、キャピキャピもせず、楽しむ時は楽しんでみたいな。

toki:高校時代、いかがでしたか。

Y:高校時代は、本当に先生に恵まれて。私が結構将来について考えたりしていたから、そういう面でもアドバイスをしてくれたりとか。
あと、初めて放送部の中で、映像を作らせてもらったことがあって。文化祭の紹介VTRを作るっていう。それを企画させてもらって、実際にみんなで考えて、編集もして。そこで初めて映像っていうものに触れるんですけど。自分で企画したものが実現できた経験は大きかったですね。挑戦することの大切さを知りました。

toki:今の好奇心旺盛な性格っていうのは、高校とか中学からその片鱗はあったんですかね。

Y:あったと思います。

toki:印象に残っている挑戦は何かありますか。

Y:中学時代に放送委員会で委員長になったこと。これは一つの目標でもあったし、当時の自分には大きな挑戦でした。あんまりリーダーとか向いてると思ったことはないんですけど「でもやってみたい」って思ったから、思い切って立候補しました。

toki:大学進学はどんな考えでどんなところを選ばれたんですか?

Y:そこまで、アナウンサーになりたいって思って頑張ってきたんですけど、やっぱり現実って見えてくるじゃないですか。「自分のこういうところがアナウンサーじゃないな」とか、「喋りそんなにうまくないな?」とか。そこで、ちょっとアナウンサーじゃないかもって思い始めて。
でもやっぱり、マスコミ業界で働くことにはすごく興味があったので、そこは曲げたくないなと思って。テレビや新聞、広報といったメディアが学べる学科に入って。
でも、なぜか新聞を選んだんです。今まで放送をやっていたのに。大学にも放送部はあったんですよ。でも、中学は演劇で表現力、高校は放送部で話すってことをやってきて、書くことってやってないなと思って。それで、大学では書くことを選びました。

toki:一つのことを極めるのではなくて、また一つ分野を広げる方を選んだんですね。そのまま放送をやろう、とはならなかったと。

Y:ならなかったんです。もちろん迷いましたし、見学にも行ったんですけど。でもちょっと、書くことが面白そうだなって。まだやったことがないから、やってみようって思って。

toki:実際やってみて、いかがでした?

Y:めちゃくちゃ大変でした。文章で伝えるという難しさを痛感して。あと、みんながみんな取材に慣れているわけじゃないじゃないですか。だから、取材相手から話を引き出すというのがすごく難しかったです。
それを実際に記事にするときも、もっとここ聞いとけばよかったとか、これ聞かなかったのとか言われたりすると、すごく辛かったですね。

toki:演劇とか放送って、わりと自分が表に出て伝えるもので、一方で新聞や記事を書くことは、自分は表に出ることなく、誰かのことを伝えるという、また異なるベクトルのものなのかなと思うんですけど。どちらも経験してみて、何か感じたことや思ったことはありましたか。

Y:答えになっているかはわからないんですけど。書いて、読んでくれた人に届いたときは、嬉しいなと思いました。
大学スポーツを追ったスポーツ新聞を書いていたので、取材した本人はもちろん、取材相手の家族から反応をもらったりすると、ちゃんと選手の活躍が届くって嬉しいなって。色んな人に自分の言葉が渡っている責任感もすごくあるんですけど、そこの嬉しさはありましたね。

toki:大学生活過ごしていく中で、将来への考え方に変化は起こりましたか?

Y:大きくは変わってないと思います。やっぱりやりたいことに突っ走ることが、変わらず続いていると思います。バイトもそうでしたね。

toki:バイトは何をやられていたんですか。

Y:高校のときの巫女さんから始まって、そこからクリスマスマーケットとか、夏のテレビ局のイベントとか。自分が「ここで働いてみたい」と思ったら、応募して働いてました。だからスーパーとか、居酒屋とか、そういうところで長期で働いたことがないです。

toki:イベントとか、人がたくさんいるようなところで働かれていたんですかね。

Y:そうですね。

toki:大学卒業後の進路はどのように考えていましたか?

Y:元々興味のあったテレビ業界を受けていて。ただ、いいとこまでいってもうまくいかなくて。やっぱり秋くらいになると、周りが決まりだして焦るじゃないですか。「自分、こっちの方面は向いてないのかな」って。その時にテレビにこだわらず、広報だったら、どこの会社でもそういう部署ってあるよなって思って。ラジオや映像を使った販促にも力を入れている小売業界を受けて、受かって。そこでもちろん「広報がやりたいです」っていって。そこに決めさせてもらいました。

toki:ということは、広報できるかはわからないけれど、できるかもしれないから選んだ?

Y:そうですね。そこの会社は、YouTubeで商品のPRを兼ねて動画を作っていたり、ラジオで発信したり、いろんな媒体を使って販促している会社だったから、面白そうと思って決めたんですけどね。結局、ずっと販売の仕事でした。

toki:え、そうだったんですか。どんな気持ちで社会人生活を送っていらっしゃったんですか。

Y:でもやっぱり、商品をPRするにしろ、広報をやる上で、商品のことだったり、情報を知るっていうこと、販売の現場で経験を積むっていうことはすごく大事になるじゃないですか。わからないことだらけで、色んな人に頼って助けてもらってばかりでしたけど、いつか販促部門にいくために、販売をやってました。

toki:店舗に配属されて、販売員として働くっていうイメージで合ってますか?

Y:そうですね。

toki:元々広報をやりたいと思って入社したわけじゃないですか。販売員として働いている間、その思いに変化はありましたか。

Y:2年目ぐらいからは、やっぱり広報の方向に行きたいなって強く思って。1年目のときから、いつか広報に異動したいですっていう希望は出してたんです。でも、うまくいかなくて。ただ、販売員なりに店舗のブログを書くのはすごく楽しかったですね。

toki:そこから、海士町とはどのように出会ったんですか?

Y:日本仕事百貨という求人サイトで知りました。日本仕事百貨が読み物としてすごく好きで、常に見ていたんですよ。求人とか関係なく。
そしたら海士町を見つけて。

toki:見つけたのはいつ頃ですか。

Y:一昨年の秋ぐらいだと思います。社会人3年目のとき。

toki:見つけたときにもう、行こうと思ったんですか。

Y:いや、最初は少し悩みました。仕事もあるし、島根県って行ったことないし。でもなんか、ちょっと変われるんじゃないかなってふと思って。

toki:何がピンと来たんですかね。

Y:私の中で、環境を変えたいって思いがあって。それから、元々実家暮らしだったんで。1回ちょっと親元から離れて一人で暮らすって経験もしておきたいなって。あとは、広報とか、イベントとか、情報発信の仕事ができそうだった。
この3つがぴったりはまったというか。島根県、それも島に来ちゃえば、環境もガラッと変わるし、シェアハウスだけど、1人で暮らすみたいな経験もできるし、お仕事も調べたら「あれ、広報できそう」みたいな。
親にはガッツリ相談をせず、「こういう制度があってさあ」みたいな。「面白そうだなって思うんだよね」って感じで、ふわっと匂わせてはいたんですよ。応募してるとは親も夢にも思わず。受かった後に「実はさあ」って(笑)。
でも別に反対はされなかったです。「シェアハウスできんの?」とは言われましたけど、

toki:海士町へ行くことが決まった時、不安と楽しみの割合って何対何くらいでしたか。

Y:決まったときはもうわくわくでしかなかったです。

toki:で、2023年の4月に来られたと。そういう経緯だったんですね。
実際来てみていかがでしたか。自分の期待と、ギャップがあったりはしませんでした?

Y:そんなにギャップはなかったです。ただ、今こういう「大人の島留学」っていう制度を使わせてもらってるから、こうやっていさせてもらえてるんだと思います。
もっと長く住んで町のことを深く知っていくと、多分いろんな部分が見えてくるんだと思います。
甘えさせていただきながら、ありがたいことに今は自分がやりたいことができてるなって感じます。

未来:「書く」っていう手段じゃなくても良いと思うんです。人と人が繋がるきっかけになるものが作れたらいいなって。

toki:最後に、未来についてお伺いしていきます。自分の1年後、2年後、5年後、10年後、何年後でも構いません。自分の未来について、どんなイメージが思い浮かびますか。

Y:なんだろう。未来のことについて、今のところあんまり考えてなくて。目の前にあることを、一つずつクリアしていってる感じなのかな。もう1年、海士町に残ることは決めているけれど、その先のことってまだ考えられていなくて。
ただ、海士町に来て、書く仕事をさせてもらったからこそ、今やってるような仕事が続けられたらいいなと思ってます。

toki:海士町にさらにもう1年間いようと思ったのはどうしてだったんですか。

Y:やりたい仕事をさせていただいているし、もうちょっと「この人から教わりたい」とか、海士町で去年取材できなかったことだったり、やり残したことをやりたいなって。
あとは、海士町をもうちょっと知りたい。一年駆け抜けて、ちょっと落ち着いたから、またゆっくり海士町のことをみていけるかなと思って、もう一年いてみようって思いました。

toki:海士町にいる間に、これだけはやっておきたいことって何かありますか? 出来るかどうかは一旦置いといて、考えてみるといかがでしょう。

Y:地区の広報をつくってほしいと区長さんに言われていて、これは作らないと心残りになるなと。

自分の性格上、「こういうのあるけどどう?」「いきます!」みたいなタイプ。
1年間仕事をする中で、私達がやっていることを知ってくださる方が増えて。ありがたいことに、「今度これについて書いてよ」とか、「今度これ取材してよ」とか、色んなところからお声掛けをいただく機会も増えて。そういう声には、もちろん今後も答えていきたいです。

toki:なるほど。人によっては、例えば「これやってみない?」って言われても、「いやあ、どうしようかな」って迷う人ももちろんいるわけじゃないですか。
その中で、Yさんがすぐに「やります」って言えるのってなんでなんですかね。どういう考えから「やります」ってなるんでしょうね。

Y:「楽しそう」とか「何かのきっかけに繋がるんじゃないかな」って思って、あんまりNOと言ったことはないかもしれないですね。

toki:今は、とりあえず1年間海士町にいるということは決めているけれど、その先はノープラン?

Y:そうですね。でも今後のことを考える1年間でもあるので。ただ、仕事は書く仕事が続けられたら良いなって思いますけど。

toki:それは、「書く」ということが重要なんですかね。手段が「書く」であることは、Aさんにとって譲れないことなんですか?

Y:「書く」っていう手段じゃなくても良いと思うんです。人と人が繋がるきっかけになるものが作れたらいいなって。
その中で私は一つ「書く」っていうことを軸に、自分が書いたものを世に出して、それを読んでくれた人同士が繋がったり、書いた記事を読んだから、その人に取材してみようってなったりしてくれたら嬉しいです。
実際に海士町でnoteを書いていて、書いた記事がきっかけで、取材相手に声がかかったりすることもあって。そういう、人と人が繋がる機会を、目で見てきたので。

toki:例えば、アナウンサーだったら、「〇〇さんが話している」っていうのが、誰がみても明らかじゃないですか。一方で文章って、誰が書いたかわからないことがあるし、そもそも誰が書いているって気にしない人もいますよね。それについてはどう思いますか? 「Yさんが書いた」っていうことは、人に伝わってほしいか。それとも伝わらなくてもいいか。

A:個人的には伝わらなくて良いと思っています。
書いてるものがちゃんと届けばいいなって。別に自分が目立たなくても、内容や取材相手、その魅力がちゃんと届けられたら良いなって思うので。

toki:書くときの、Yさんなりのこだわりって何かありますか。

Y:イベントの記事だったら、実際に行ってみた気分になるような記事にしようっていうのは意識しています。あと、読んでよかったと思ってもらえる記事とか。

インタビューであれば、「この人が喋ってる」っていう雰囲気が伝わる記事を書くこと。

toki:「この人が喋ってる」というのを伝えるために、どのように工夫していらっしゃいますか?

Y:その人ならではの言い回しを、残しておいたり。取材対象者の写真を言葉の合間に挟んだりしています。

toki:書くことって、色々フェーズがあるじゃないですか。インタビューしたり、文字起こししたり、実際に内容を書いたり、公開されて反応がきたり。どの瞬間がいちばん好きですか?

Y:書いてる時も楽しいけど、それが届いた時が一番嬉しいですね。「書いてよかった」って。
取材はなかなか慣れなくて、すごく緊張するんですよね。インタビュー相手も緊張させちゃうから、そこは自分の中でもまだまだ課題で。でも、取材で色んなところに顔を出して、自分が経験したことがないことを経験させてもらったり、いろんな方とお話する機会は毎回新鮮で、すごく楽しいところです。

toki:ありがとうございます。
では、来年以降の未来も今イメージしてもらって、死ぬまでにこれはやっておきたいとか、これやらないと死ねないなと思うことって何かありますか。

Y:うわー何でしょう。
あ、でも、お世話になった人に「ありがとう」って言いたい。自分がもし死にますってなったとしたら、ちゃんと会って、直接感謝の気持ちを伝えたいです。

toki:素敵なお答え。ありがとうございます。
もしも今、お金にも困らなくて、仕事してなくても不自由のない生活が送れる、何でもAさんの思い通りのことができる状況になったとしたら、どうしますか? 住む場所も自由ですし、何をしたとしても生きていける状況です。

Y:あんまり普通の生活から変わろうと思わないかも。でも色んなところに出掛けちゃうかもしれないですね。出掛けることが好きだから旅しちゃうと思います。

toki:では、もし仕事をしてもしなくてもいいよって言われたら、どうしますか?

Y:普段とあまり変わらない生活をすると思います。働きやすい形で働くかも。多分、変えたら生活リズムがおかしくなっちゃう気がするので。

toki:ちなみに今、行ってみたいところってありますか?

Y:あんまりここっていうのはないんですけど、日本は全部制覇してみたいです。

toki:皆さんに毎回、「もしもの未来」について質問させていただいてるんですけれども。
もしも、大学卒業して、そのままYさんの希望通りに広報とか、書くこととか、自分のやりたい仕事ができていたとしたら、今の人生ってどんなものになっていたと思いますか。

Y:視野はそんなに広がらなかったかもしれない。同じ部分を見続けてるんじゃないかな。小売業界で3年はたらいて、その商品を売るための努力や、色んな年代の方々とコミュニケーションを取ったりとか、その辺の視野は社会人経験を通してすごく広がったのかなって。

toki:ではもしも、大学生活で書くっていうことに出会っていなかったとしたら、その後の人生ってどうなっていましたかね。

Y:ああー。確かに。書くってことに出会ってなかったら。
ちょっと保育とかに興味があったんですよ。高校のときに、保育園のインターンに行かせてもらったこともあって。だから、もしかしたら保育園の先生とか、教育に関わってたかもしれない。
でも、結局大きな軸はあまり変わらなかったのかも。書くことに出会ってなかったとしたらですもんね。当時はテレビ業界で働きたいって思っていたし、マスコミとか、メディアに関わるっていう軸はブレてなかったのかなって。

toki:Yさんの、そのブレない軸って、今改めて言語化するとしたらどういう軸と言えそうですか? 振り返ってみて、自分はどういうところを目指して、今までやって来たんだと思います?

Y:人と人を繋げる。架け橋になるですかね。

toki:さらに突っ込んでお聞きしたいんですけれども、例えばイベントだったら、参加して、それで満足して終わり、でも良いところを、わざわざ言葉で残したり、そのイベントについて人に伝えたり、そこまでしたいと思えるのってどうしてなんでしょう。

Y:そうですね。実際に行ってみて、その人たちがすごく頑張って作り上げたものがあって、それを通して人が楽しんでる様子をみると、そこだけで終わらせるんじゃなくて、そういう事実があったことを外に届けることで、それを読んでくれた人も、ちょっと嬉しい気持ちになったらいいなって思ったり。その後につながったり。もちろん記録に残してほしくないという方もいらっしゃるとは思いますが。

結構、日常で入ってくる会話を聞いてて、「今この瞬間すごくいいな」って。そういうのも、自己満足かもしれないけど、言葉に残しておきたいって思いますね。例として、親子が買い物をしていて「今日ようちえんでお母さんの似顔絵描いたんだ」「似てるね!かわいいね」みたいな。本当にちょっとした会話を言語化して、ほっこりしたり。
そこだけに留めておくんじゃなくて、もっといろんなところに発信して一緒にほっこりしてもらえたらなって。ちょっと変わってるかもしれませんが、そう思いますね。

toki:わかりました。ありがとうございます。
そろそろインタビューも終盤なんですけれども。最後の質問が「最後に言い残したことは」というものでして。今回のインタビューの感想でもいいですし、今頭に思い浮かんでいることでも、この世に残したい言葉でも、記事を読んでいる方へのメッセージでも、何でも構いません。最後に何か言い残したことはありますか?

Y:言い残したこと、なんだろう。そうですね。

個人的には、海士町は私の夢を叶えさせてくれた島だなと思います。この島に出会えて、本当によかったですし、関わってくださった皆さんに感謝しています。

そして、今後も海士町公式noteを通じて、海士町の魅力をたくさんの方々に届けていきたいと思いますので引き続きよろしくお願いします。

toki:ありがとうございます。では、これでインタビューを終わりますが、よろしいですか?

Y:ちゃんと答えられてるかがちょっと心配ですが(笑)。ありがとうございました!

toki:ありがとうございました!

海士町公式noteはこちら!!!!!

あとがき

無名人インタビュー初の、地方への遠征対面イン旅ューシリーズ。
そのはじまりの地である海士町で、私がいちばん最初にインタビューさせていただいたのがYさんでした。

Yさんが繰り返しおっしゃっていた、“自分だけで終わらせずに残したい”というお話。
「なぜ残したいと思うのか」なんて質問をインタビュー中にした私ですが、後日記事を編集しながら、「残したい」という気持ちって、人間の三大欲求と同じように、もうそれ以上追求しようのない、本能的なものなのかもしれないとふと思いました。

残したいから、残したい。そういうものなのではないかと。

残したいって思うこと、私にはたくさんあります。
残ってほしいと思うことも、たくさんあります。
けれども、いくら残したいと思っても、その気持ちだけでは勝手には残ってくれないし、残ってほしいと思っても、みんながみんな残しておいてくれるとは限らない。実際に残すということをやってくれる誰かがいないと、残されないわけです。

そう思うと、残そうという意志をもって、残すという作業をしてくれる人に、感謝の念が湧いてきます。

この度のインタビューが、そんな“残す人”であるYさんの、思いや生きざまを残す一助になっていたら、とても嬉しく思います。

海士町イン旅ューシリーズ。
他の方々のインタビューも、個性と魅力あふれる素敵なものになっております。
ぜひとも他の方の記事も覗いてみてくださいね。

最後までお読みいただきありがとうございました!

【インタビュー・編集・あとがき:toki】

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この記事は「無名人イン旅ューin海士町」で実施したインタビューです。
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