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短歌と人 安野ゆり子-011 2024/02/13

2月頭に実施したライブと、短歌の出前授業の先生の話。
そして小学校低学年の記憶です。

まえがき:qbc(無名人インタビュー主催・作家)

「短歌と人」インタビューとは?

歌人でYouTuberの才人安野ゆり子さんを月1インタビューして世界にお届けするプロジェクトです!

登場人物紹介

安野ゆり子:20代後半。歌人、着物YouTuber。労働が苦手。元セクキャバ嬢、現スナック嬢とコンカフェ嬢。俳句もする。遊ぶところは歌舞伎町。障害年金がほしい。夫さんと離婚したいが離婚できないでいる。「一番やりたいことは、生活上のことでは、好きな人と穏やかに暮らしたいってこと」。自分なりの宗教がある。
夫さん:30代後半。安野さんの年上の夫。文芸団体の運営。
好きな人:20代後半。夫さんの文芸団体に出入りしていた。かっこいい。

安野さんのオリジナル曲

これまでの安野さん

第0回 2023/7/28実施。通常の無名人インタビューを受けていただきました。インタビュー時点での現在過去未来のお話。 
第1回 2023/8/8実施。障害年金がもらえれば、お金の心配がなくなって夫さんと離婚できる。現在、夫さんとは別居中(だが、週一で夫さんは帰宅する)。短歌の鑑賞。
第2回 2023/8/25実施。短歌の鑑賞。夫さんとの馴れ初めの短歌。文芸団体の忘年会で初めて会った話。
第3回 2023/9/6実施。短歌の鑑賞。夫さんとの日常の短歌。「家にある皿の枚数気にしつつ決める今夜は土佐煮もつける」は佳作。
第4回 2023/9/21実施。障害年金不支給が決まる。友人の紹介で中野のスナック「ねぇ ムーミン」で週1労働開始。短歌の鑑賞。閉鎖病棟入院時の短歌。入院の理由など。自分の中で、短歌よりも音楽のほうが上だと気づく。
第5回 2023/10/5実施。引っ越しの予定を決める。お金は夫さんが出すが、夫さんは住まない(週一で会う)。短歌の鑑賞。障害者手帳と歌舞伎町の歌。
第6回 2023/11/9実施。中野のコンカフェ「ピンクスカートカフェ」で週1労働開始。短歌の鑑賞。母になりたいかわからない歌。
第7回 2023/12/6実施。再入院。音楽ライブ企画。好きな人との馴れ初め、三人の関係について。
第8回 2023/12/6実施。幼稚園時代の頃の記憶を紐解く。おばあちゃんとの関係について語られる。
第9回 特別回。安野さんのホロスコープと数秘術の鑑定結果を公開。インタビュー記事ではありません。
第10回2024/01/23実施。ホロスコープと数秘術の鑑定結果を直接お伺いしました。キャラクターがより立体的に。

第11回2024/02/13実施。<この記事です!

安野さん公式サイト

(qbcが勝手に作ったけど公認されました!)


最近のよしなしごと

qbc:最近、何か変わったことありますか?

安野:一番大きいのは、ライブを開催したこと。
あともう一つ結構大きかったのが、1月と2月で1回ずつ、小学校で短歌の先生をやりました。
あとはこまごま生活のことをやって、YouTubeあげてって感じで。

qbc:おお、ライブはどうでした?

安野:自分で言うのもあれですけども、大成功、大盛況で終わることができました。
すごいお客さんがいっぱい来てくれて、チケット代だけで会場費が払えて黒字になるぐらいでした。
お客さんも「出演者4人とも良かったよ」って言ってくれたし、出演者もすごく楽しそうに演奏してて、私も楽しくできたので、大成功だったかなと思います。
私は6年ぶりにライブやるってぐらいだったんですけど、実際舞台上がってみたら、結構できるじゃん、って。

あとは会場のオーナーさんがすごく満足そうな顔をしていて。最後、帰るときに「もう帰っちゃうの」って言われて。「今日疲れたんで帰るけど、また後でゆっくり飲みに行きます」って言って。そこはライブハウスじゃなくて、普段はセッションバーなんですね。たまにこういうイベントをやってるみたいなとこなんですけど。
「次来たら一杯奢るね」ってオーナーが言ってくれて。客入りも、俳句の友達がきてて、俳句の友達って歌舞伎町の友達だから、みんなすごい飲むんですよ。だから多分、お店側も売上が良かっただろうし、演奏も満足してもらったのかなって感じで。
最後そういうふうに言ってもらえたんで、また会場はあそこでいいかなっていう感じでしたね。次は半年後ぐらいにやりたいです。

qbc:先生のほうは?

安野:私が入ってる「心の花」という結社の佐佐木頼綱さんっていう人と、小学校の先生をやってる人が、毎年1回、小学校6年生向けに、短歌を鑑賞して短歌を作って、最後はみんなで歌会をするっていう出前授業みたいなのをやってて。

頼綱さんが、自分たちがやってたフォーマットをひな形にして、全国でも展開してほしいみたいな思いを持ってて。そうは言っても、多分1回、体験してみないとできないだろうから、まずはボランティアっていう形で一緒に授業をやりませんかっていう募集があって。私は時間も融通が利くんで参加してみました。

qbc:なるほど。

安野:私、教員免許も持ってるから、私行きますって言って。それで今回、1月に1回と2月に1回ずつ、やってきました。
小学生とかに向けて短歌の授業やるのって私、初めてじゃなくて。大学生のときに、フリースクールでボランティアしてたんですけど、そこで授業やったりとか。あと卒業した高校に行って、そこで高校生に授業したりとかもしてて。

短歌の授業の進め方って、基本的に一つなんですよ。大体同じ順番に授業って進んで、これといって変わったことがあることでもないから、戸惑うこともなくて。

でも頼綱さんには「安野さんすごい喋りが上手いですね」みたいに言われて。「何かやってたんですか、あっ、YouTubeか!」って言われたけど、YouTubeもあるし、飲み屋の会話とかもあるし。
そもそも教育実習で、黒板の前で授業をやるっていうのもやってるので、まあできます、みたいな感じなんですけど。結構驚かれましたね。あまりに普通に喋るから。

qbc:教育免許、お持ちだったんですね。

安野:学校の勉強だけはちゃんとやってたんです。大学の成績、2番で出てるんですよ私。だけど一番になりたかったんで、酔っ払って親に「一番になりたかった」って言って、すごい大泣きして電話したんですけど。勉強は本当にできるんです。そこは頑張ってて。

一番だったら、卒業式で表彰と記念品をもらう役割がある。二番だったんで、もし一番の人が当日休んだらあなたやってくださいと言われて。すごい嫌な役回りだと思って、泣いてました。

qbc:障害年金のほうは?

安野:障害年金は、1月の終わりぐらいに、社労士さんが年金事務所に行ってくれて、書類を全部出して、今審査待ちです。

qbc:男女関係、結婚、離婚関係は?

安野:何もないです。離婚しようと思ってるから、結婚生活についてというか、離婚について。何ら変わりがないですね。最近は一緒に確定申告やってるぐらいで。
医療費とか障害者の控除っていうのは、家族で一つみたいにするから、夫の方につけた方が得なんですよね。だから、そういう控除系はもう夫に任せるって形でやってます。

小学校1-3年生のころ

qbc:過去について聞いていきましょうか。子供のころからさかのぼっていますが、小学校を1年ずつさかのぼっていきましょう。

安野:はい。1年生のときは、担任の先生が、ちょっと怖い感じの男の先生だったんですよね。だから多分ちょっとびびってた。
群馬県って、公立は小学校中学校で、先生の異動をするのが当たり前なんですね。中高じゃなくて。小中で移動するんで、中学校の先生が、小学1年生の授業を持ったんですよ、その年。だから、男の体育の先生で、そんなちっちゃい子の先生をやるのはすごく久しぶりだか初めてだから緊張するみたいなことを、親向けには話してたらしいんですけど。

子供からしたら男の先生だしごっついし、いつもジャージだしなんか怖いみたいな、ちょっとびびってて、いや、結構口調もちょっと強い感じの先生だった。
学校行くの怖いなっていうのはあって。結構、幼稚園のときから引き続き、引っ込み思案な感じだったので。結構オドオドしてる感じ、戸惑ってることが多かったような子供でしたね。

qbc:なるほど。

安野:友達関係は、小学校一年生のときだけ、家が近い子とか多分幼稚園が一緒の子とかを一緒にする配慮が、学校側にあったみたいで。同じ社宅に住んでた同級生の女の子と同じクラスだったんですね。
そっちの子がいたので、その子とその子の友達とって感じで仲良くしてて。だから幼稚園のときと同じ感じですね。相変わらず自分からガンガン友達作りに行くっていう感じではなかった。けど、そう言ってもまんべんなく仲良くって感じでやってましたね。
それと、結構学校を休んでたかなって感じで。不登校まではいかないけど、やっぱ疲れやすかったりはしたので、皆勤賞から程遠くて。年間何十日も休んでました。

qbc:なるほどなるほど。

安野:体もちっちゃかったし、結構背も小さくて。でも、おそらく当時から神経過敏な感じ、感覚過敏とか多分あったから。すごい疲れちゃうし、みんなでわーわー遊んだりとか盛り上がるようなタイプの子でもないから。
そういうので、多分週5日はちょっと、通いきれなかった感じでしたね。

qbc:このころは、どんなことを考えていたんですかね?

安野:これぐらいのときに多分ミュージシャンになりたいって言ってた気がして、幼稚園のときはファッションデザイナーになりたいって言ったんですけど。
1年生か2年生ぐらいで、宇多田ヒカルのCDを父親が買って、車で流してて。それで多分、ずっと車の中で歌ってて、もうちょっと後かな。とにかくそのへんの頃、歌うのがすごく好きだったので、ミュージシャンになりたいって言ってましたね。あとは絵を描くとか、あんまり変わりがないんですけど、そういう感じですね。
でも多分、歌うのが好きって、みんなにあんまり言ってなかったかもしれないですね。多分まわりの印象は、ずっと絵を描いてる子っていう印象かもしれないです。学校の20分休み、昼休みも、たいていの子は外で遊びますけど。自由帳で、ずっと絵を描いてる子だったので。

洋服の絵を描いたり。結構アニメオタクだったんで、アニメキャラとかも多かったんですけど。洋服が好きだったので、学年が上がってからは洋服のデザイン画みたいな。結構凝って描いてましたね。
画材は色鉛筆かな。当時は鉛筆と色鉛筆ですね。
学校では自由帳に書いてて、家ではただ新聞に挟まってる広告の裏とかチラシの裏に描いてたのかな。家でも自由帳に描いてたかもしれないし。自由帳の消費がすごい速くて。

qbc:宇多田さんは、何を聞いていたんでしょう?

安野:ベスト。その中で一番好きだったのが、「SAKURAドロップス」で。その前後の「光」と、あと「COLORS」。あの3曲が好きで、そこだけ聞いてました。3曲聞いたら3曲前に戻すみたいな、そういうことをやってて。
当時は歌詞カードの漢字が読めないので、耳で聞いた音をふりがなで振って、歌詞カードを見て歌ってました。だから聞いてるだけで振ってるから、多分、漢字のふりがなは間違ってるんですけど、それでも、とっさには読めないから全部ひらがなで書いて。それで車の中でずっと歌ってました。これは1年生だったか、2年生か3年生かもしんないですけどね。

安野さんが聞いていたのはこれですかねー。

qbc:あ、車での移動が多かったんですね、所在地的に。

安野:そうですそうです。ちょっと買い物とかっていうと、例えば洋服買いに行くとかっていうと隣町だから、3、40分は車にいるので。そうすると絶対CDかかってっていう感じ。

qbc:2年生はどうです?

安野:2年生で一番覚えてるのは、冬に手袋してくるじゃないですか、みんな。で、教室の後ろはロッカーで、その上に登って、そこから手袋を投げるみたいなのを、何人かがやってたんですよ。私、普段そんなのに混ざんないんだけど、その日は混ざってたんですよね。
そしたらすごい怒られて、先生に。多分授業を潰して怒られるぐらいの、全員怒られみたいなやつで。なんだよ今日に限ってっていうか、なんで私は普段こういうことには参加しないのに、今日は参加してしまったんだろうって、すごい落ち込んで。もう絶対こういうみんなとの馬鹿なことはしないと心に決めたっていうのが、2年生の冬にありました。

あとは、2年生のときも、あまり学校に行ってなかった。先生はマダムな感じで、太ったおばさま先生になって。ちょっと怖いけど、ってぐらいかな。

友達も、そんなに多くも少なくもないって感じでしたね。あと2年生か3年生かちょっと覚えてないんですけど、多分2年生かなっていうのが一つあって。「主語と述語を使って文を作りましょう」っていう課題が出たんですよ。「何とかが何とかだ」っていうのを作りましょうっていう。

でも私は主語と述語っていう概念が全く理解できなくて、授業中に作りきれなくて宿題になったけど、宿題でも作れなくて。もう本当半泣きで、頑張って作ったのが「ハチがとぶ」で。何でハチを飛ばしたんだかわかんないですけど、ハチが飛ぶって頑張って作ったってのは覚えてるんですよね。
あれは本当に嫌だった。何かそんときに、文法みたいなことが大嫌いになったっていうか、すごい苦手意識がついちゃったんですよね。

qbc:3年生は?

安野:3年生は、結構学校の休みが少なくなってきて、担任の先生がかなり優しい先生、女の先生で、結構居心地が良かったです、クラスは。「これは3年生の時の出来事だ」っていう記憶はもうほぼないですね。ただ、3年生のときの担任の先生と、中1のときの担任の先生が夫婦で、その記憶だけはすごい。後になってわかることなんですけど。

あとはなんだろう、3年生の記憶はあんまりないかな。
でも、このぐらいのときは多分またファッションデザイナーになりたいって言ってますね。多分3、4、5年生ぐらいまではファッションデザイナーになりたいって言ってて。絵ばっかり描いてる。

1年生のときだけが多分、ちょっと引っ込み思案で控えめな子みたいな。2、3年生ぐらいから、結構元気で積極的な、授業中も発言が多くて成績が良くて、しっかりしてる子みたいな感じですかね。

qbc:弟さんがいらっしゃったんでしたっけ?

安野:はい。弟は学年3つ下。
社宅に住んでて、弟の同級生が多かったんですよ。そうすると、私と私と仲がいい女の子が一番上で、その友達の弟っていうのが2個下。私の弟が3個下で、その学年に女の子と男の子が1人ずついて、で、その男の子の弟がもう1人いるっていう。7人ぐらいがすごい仲が良くて。

社宅の子と遊んでたから、学校の友達と放課後に遊ぶってことがなかったんですよ。学校は学校、家は家。帰ってきてランドセル置いて、社宅の庭に出てきて、みんなでドッジボールやったりとか、縄飛びやったりとか。そっちのが楽しかったですね、社宅の子と遊んでる方が。誰かの家に行ってゲームやってとか。

年の差はそこそこあったんですけど、仲は良かったですみんな。弟の世代なんかはゲームをよくやったので、一緒にNARUTOのゲームをやったりとか、あとマリオをやったりとか、そういうのをやってて。だから、弟とも仲が良かったですし、みんなで遊んでたって感じ。

qbc:習いごとは?

安野:低学年のときに空手を一瞬やってたんですけど、母の付き合いで入れられちゃったみたいな感じ。なので全然やりたくないし、先生の滑舌が悪くて何言ってるかわかんなかったんですよ。何言ってるかわかんないのに怒るんですよ。だから何で怒られてるかわかんないし、改善のしようがないから、すごい嫌で、すぐやめちゃったんですけど。

qbc:恋愛の話もしておきましょうか。初恋は?

安野:幼稚園。同級生の友達の女の子と仲が良かった男の子。
何がそんなに良かったかと聞かれてもわかんないですけど、ちょっと控えめな男の子だったかな。
もう1人友達に、結構ガンガン明るいような男の子がいたんですけど、その比較で、控え目な子に安心できたのかもしれないですね。その女の子の友達と元気な子だと、ちょっと疲れるっていうか。楽しいけど、波長が合うのは多分控え目な子で。
でも、これといって告白するわけじゃないし、勝手に好きだなって思っただけなんですけど。

qbc:初恋、早いですね。

安野:自我の芽生えとともに恋愛してるぐらいです。多分3、4歳ぐらいから、好きな人はいるんじゃないかな。

そのあとは、ずっといとこのことが好きだったんですよ。結構これガチの恋愛感情として好きで。でもだからって特に何もないんですけども。いとこは東京に住んでて、おばあちゃんちで会うので、お正月とお盆と2回ぐらい会ってて。

顔がかっこよくて。純日本人なんですけど、ハーフみたいな顔だったんですよ。ちっちゃい頃、よくウエンツ瑛士に似てるって言われてた感じで。
かっこよかったのと、あと単純に話しやすい。学校の友達って多分、緊張してたんでしょうね。だから、親戚だと割とそんなに緊張せずに、素でいられたから。そういうので喋って楽だったとかそういうのも、今思えばあるのかなって。当時は、これが理由で好きだみたいなのは特になかったんですけど。

qbc:めちゃくちゃ子供のこと、すらすら話せますね。

安野:普段、私、反芻が強いんですよ。過去にあった嫌なこととか、ずっと考えちゃう人で。そういうのの一環で、やっぱりなんでこうなったんだろうって、多分昔のことを振り返ったりとかっていうのは癖になってて。もう多分何回も何十回も生きてきてやってるから、ある程度定着してるのかもしれないですね。

qbc: 書いて残ってたりしますか?

書き残したりしてはないんですけど。友達に話したりとか。何回か、日記書いてみようと思ったことはあるんですけど、全然続かなくて。
だから、短歌を始めるまでは、文で書いておくっていう習慣はなかったです。

qbc:子供のころって、創作することは、どうだったんですか?

安野:別に何もやってなくて。母親が毎晩読み聞かせしてくれてて、小学校上がっても毎晩読み聞かせしてくれたので、低学年で。プラス、音読をすごいさせられて。母が齋藤孝が好きだったんですよ。で、齋藤孝の小学生向けの音読シリーズとかってのが出てて。
それを、宿題+音読させられてて。毎日毎日、何かを音読してました。

あと、おばあちゃんちが栃木の足利なんですね。足利学校が近くて。論語の冊子をもらってきて、論語を音読させられたりとか。絶対他の家庭ではやってない国語教育が行われてました。

qbc:お母さんの影響、強いですね。

安野:強いですね。母は専業主婦でずっと家にいたので、私も学校休みがちだったりとか、そんなに放課後友達と遊ぶというのもなかったんで。お母さんとべったりで。遊びというと、お母さんと遊ぶっていう感じだったんですよね。

qbc:おばあちゃんの影響は?

安野:おばあちゃんって、1年生だか2年生だか覚えてないんですけど、亡くなったんですよ。
だから、私の中であんまりおばあちゃんの記憶がなくて。それまでおばあちゃんにこういうことを言われたっていう記憶がなくて、占いで初めておばあちゃんの影響に思い至ったってのは、結構早くに亡くなってるからなんですね。で、最後も病気だったから、最後はあんまり来れなくなっちゃって。むしろうちが東京の病院まで行ったりとかっていう感じだったから。小学校に上がってからは、そんなにおばあちゃんと接点ないんですね。

qbc:お父さんは?

安野:お父さんはもう仕事ばっかりで、朝早く行って夜遅く帰ってきて、土日も結構会社行ってたのかな。結構これぐらいのときは。お父さんとの関わりはそんなになくて、好きも嫌いもないって感じでした。家にいないっていう。
ただ、どうなんだろう。まだこれぐらいのときは違うかな、算数とか理科とかでわかんなくなったら、お父さんに聞いてって言われるようになって。小学校高学年ぐらいからは、お父さんに勉強教えてもらったりっていうのがあったんですけど。低学年ぐらいのときは、ほとんど父親とはなかったですね。遊ぶこともない。

あ、でも、これ結構自分で気に入ってる記憶なんで話すと幼稚園ぐらいのときの話なんですけど、父親と母親に、両手と両足を引っ張ってもらって、「お父さんのゆりちゃんだよ」「お母さんのゆりちゃんだよ」って引っ張ってもらって、奪いあいをしてもらうという遊びが定番であったんですけど。それがすごい好きだし、よく覚えてるし、お父さんと遊んで一番いい記憶ってそれなんですよ。
ものすごいせがんでましたね。「あれやって」みたいな。

ライブから動画がアップされてました!!!

あとがき

人生年表作っていかなきゃいかんのかも。

編集:なずなはな

制作:qbc(無名人インタビュー主催・作家)

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