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短歌と人インタビュー 安野ゆり子-008 2023/12/06後半

今回のインタビューは、いよいよ安野ゆり子さんの過去を詳細に聞いていきます。
名付けて安野ゆり子未就学児時代編!!!!!

どうぞ、ご期待くださいませ。

まえがき:qbc(無名人インタビュー主催・作家)

「短歌と人」インタビューとは?

歌人でYouTuberの才人安野ゆり子さんを月1インタビューして世界にお届けするプロジェクトです!

登場人物紹介

安野ゆり子:20代後半。歌人、着物YouTuber。労働が苦手。元セクキャバ嬢、現スナック嬢とコンカフェ嬢。俳句もする。遊ぶところは歌舞伎町。障害年金がほしい。夫さんと離婚したいが離婚できないでいる。「一番やりたいことは、生活上のことでは、好きな人と穏やかに暮らしたいってこと」。
夫さん:30代後半。安野さんの年上の夫。文芸団体の運営。
好きな人:20代後半。夫さんの文芸団体に出入りしていた。かっこいい。

これまでの安野さん

第0回 2023/7/28実施。通常の無名人インタビューを受けていただきました。インタビュー時点での現在過去未来のお話。 
第1回 2023/8/8実施。障害年金がもらえれば、お金の心配がなくなって夫さんと離婚できる。現在、夫さんとは別居中(だが、週一で夫さんは帰宅する)。短歌の鑑賞。
第2回 2023/8/25実施。短歌の鑑賞。夫さんとの馴れ初めの短歌。文芸団体の忘年会で初めて会った話。
第3回 2023/9/6実施。短歌の鑑賞。夫さんとの日常の短歌。「家にある皿の枚数気にしつつ決める今夜は土佐煮もつける」は佳作。
第4回 2023/9/21実施。障害年金不支給が決まる。友人の紹介で中野のスナック「ねえ ムーミン」で週1労働開始。短歌の鑑賞。閉鎖病棟入院時の短歌。入院の理由など。自分の中で、短歌よりも音楽のほうが上だと気づく。
第5回 2023/10/5実施。引っ越しの予定を決める。お金は夫さんが出すが、夫さんは住まない(週一で会う)。短歌の鑑賞。障害者手帳と歌舞伎町の歌。
第6回 2023/11/9実施。中野のコンカフェ「ピンクスカートカフェ」で週1労働開始。短歌の鑑賞。母になりたいかわからない歌。
第7回 2023/12/6実施。再入院。音楽ライブ企画。好きな人との馴れ初め、三人の関係について。
第8回 2023/12/6実施。<この記事です!


一番古い記憶

qbc:覚えてらっしゃる中で、一番古い記憶って何ですか?

安野:友達に手を引っ張られて、幼稚園のちょっと高いところに連れてかれて。そこからソリに乗せられて落ちて、胸を強打したことです。

qbc:ちょっと高いところって、どこですか?

安野:黄色いキリンって呼んでる、ペットボトルか何かを。いや、ピンクのキリンって呼んでるペットボトルか何かをいっぱい集合させてテープで巻いたものがあったんですよ。
高さがまあ、わかんないけど1mぐらいあるような。

そこに友達がソリを置いて、雪を滑るやつの。で、ここにゆりちゃん乗って、引っ張るからって言われて。絶対危ないから嫌だって思って、やりたくないって言ったんですよ。

でもその子がぬいぐるみをソリに置いて引っ張ってみて、落ちなかったら大丈夫だから、って言われて。やったら、ぬいぐるみは落ちなかったんですよ。(笑)
ぬいぐるみが大丈夫だったから、はい、ゆりちゃん乗ってってなっちゃって。

しょうがないから、もう反論できないから乗ったんですよ。
で、1mぐらいのところから引っ張られて落ちて。前から落ちて、胸をすごい打って、動けなくなっちゃったんですね、その場から、痛くて。
先生がゆりちゃんどうしたのみたいに来たんですけど、そんな危ないことやったとか言えないんで、日向ぼっこしてるとかって言ってごまかしたってのが、一番古い記憶です。

qbc:ピンクのキリンの形がまだよくわからないんですが。

安野:真四角なんですよね、たしか。下の部分は、大きい1m四方ぐらいの形で、そこにちょっと細長い、立方体のものをくっつけてキリンみたいにしてたものがあったんですけど。それの首を取って、下の1m四方だけが残ったみたいな。
本当にただの、何だったんだろ、四角。段差が1個あって、そこをよじ登るみたいな。
坂になっているわけじゃなくて、普通に断崖絶壁からガコンと落ちたっていう。
だから本当に、1mから落下したっていう。

qbc:なるほど。その時の感情の記憶って残ってます?

安野:私、今もそうなんですけど、すごい危険を察知する能力が高いんですね。
これやったら危なそうだなみたいなのが、子供の時から強くて。そのときも、これ絶対駄目だと思ったんですよ。すごい強く思ったけど、でもなんか、変な口が立つ頭の回る友達だったから、言い返せなくて。

それで胸痛めた後は、やっぱりって思いましたけど。でもなんか、それで納得しちゃったの自分だしな、みたいな。
友達を責めるよりは、多分、強く言えなかった自分が悪いし、みたいな感じで。先生にばれても怒られるから、言わないでおこうみたいなっていう感じの思考でしたね。

qbc:泣かなかったんですね。

安野:泣かなかった。先生に怒られる方が嫌だったんで。
私、人に怒られるのがすごい駄目なんですよ。怒られるくらいだったら、馬鹿なことやったのは自分だから、黙ってた方がいいなって思って、黙って横になってました。
家帰っても、多分お母さんにも言わずに過ごしてたと思います。

qbc:その相手の子は、男の子ですか? 女の子ですか?

安野:女の子。その子は同じ社宅に住んでて、すごい仲良かったんですね。歳も同級生で。

ただ、私3月生まれなんですけど彼女は4月生まれで。
やっぱり年的にもかなわないところがあったり。あっちのが、積極的で友達も多くて、体も大きくてすごい背が高かったから。私は結構シャイっていうか、その子の友達が友達みたいな感じだったから、なかなか。

qbc:安野さんの、その時の性格って?

安野:人見知りの引っ込み思案ですね。すごいインドアでした。その幼稚園はアウトドア推奨で、夏は上半身裸で外で遊んで、冬でも半ズボンみたいな。みんな泥遊びとか、そんなんばっかりやってたんですけど、私は一番好きな遊びがリカちゃん人形とか絵を描くことだったので、部屋の中で描いたりとか、そういうことをしてましたね。

あとは、新聞に挟まってるチラシ、スーパーのとか洋服屋さんのとかを切り抜いて画用紙に貼って、お店屋さんみたいな画面を作るのが好きでしたね。あとは、うちに積み木とビー玉がいっぱいあって、積み木で柵作ってそこにビー玉を流し込んで川にするのとか。

あと、弟の遊びを一緒にやってたんで、ウルトラマン人形で遊んだりとか、そういうことも好きで。あと、プラレールとか一緒にやってましたね。基本全部インドアみたいな。
弟とは、学年は3つ違って、大体2歳半ぐらい違います。

qbc:どんなところで生まれ育ったんでしょうかね?

安野:産まれた病院自体は祖母の家の近くだったんで栃木ですけど、ずっとちっちゃいときから群馬県の安中市ってとこに住んでて。
高崎の隣の市なので、そこそこ発展はしてるんですけど、ちょっと行くと山みたいな。人が住むにはちょうどよくて、スーパーとか何でもあるけど、畑もあって、電車は1時間に1、2本みたいなとこでしたね。

社宅に住んでて、父が結構大きい企業にいたので、それの群馬の工場の勤務で。社宅に住んでる人って、みんな東京とか関西の大学とかを出たお父さんお母さんだったから、地元の農家の子とか、ずっと群馬に住んでる子っていう友達はそんなにいなくて、社宅の中で遊んでたんですよね。

地域柄、クラスの半分くらいが、その会社の関連で働いてて。正社員の人、工場勤務の人、あとは取引先の人みたいな、そういう地域だったんで。
あんまりその土地特有のこれっていうのはね、私自身もないし。土地全体ももあんまりないようなとこに住んでました。だから方言とかも、私これ、かなりナチュラルに喋ってるんですけど、そこまで強く出ないようなとこでしたね。

おばあちゃん

qbc:都市からは離れているけど、田舎というわけでもなく?

安野:そう。だから、いわゆる田舎みたいな文化とか、田舎の貧しい家とかあんまり知らなくて。その企業って大きかったんで、やっぱり社宅に住んでる人とか、別に社宅じゃない人も、結構お金あったんですよみんな。今思うとすごい教育水準高くて、小学校とか。

だから、今は東京で生活保護の友達とかいるけど、群馬ですごい貧困家庭とか、シングルマザーで大変だとか、当時全然知らなくて。それは小学校の話ですけど、ちょっとそういう地域で、幼稚園もあんまり特殊な感じっていうか地域色がある感じでもなく。

qbc:なるほどね。

安野:あとは、ずいぶんおばあちゃんにかわいがられて育ったっていうのは、覚えてるっていうか。買ってもらった物の量とか。
写真とかを見て、すごいおばあちゃんにかわいがられてたなっていうのがありますね。おばあちゃんって、父の方のおばあちゃんですね。東京に住んでたんですけど、1人で。結構よく群馬に来てて。それでいつも来ると、リカちゃん人形絶対買ってくれる。おばあちゃんに会うってことは、リカちゃん人形が増えるってことだったんですよ。

でも私は、親に対してもおばあちゃんに対しても、これ買ってって言えないので。おばあちゃんが、ゆり子さんこれ1個でいいのみたいな、これも買えばって、おばあちゃんから言ってくれて、2個3個買ってもらう、っていうことをしてました。

qbc:おばあちゃんは、どれくらいの頻度できてたんですかね。

安野:わかんないんですよね。
私は記憶っていうものが、小学校でもそんなにないぐらい、記憶ってのがなくて。
でも写真が残ってて。割と頻繁に、それこそ弟が生まれる前後なんか、弟は母が群馬で産んだので、そのときに手伝いでおばあちゃん来てたりとか。あと行事、私の運動会とかかな、そういう写真におばあちゃんも写ってたりとか。なので、まあまあ来てたんだと思いますけどね。

あと、父も一人っ子なんですよ。
他に子供いないから、孫も私しかいなくて。だからもう全力でかわいがられてたっていう。おばあちゃんは、女の子が欲しかったみたいですね、子供は父しかいないけど。女の子のちっちゃいのがかわいかったみたいです。

qbc:なるほど。

安野:あとはそうですね。弟が生まれたときに結構幼児返りはしたらしいですね。私は覚えてないですけど。
でも、1個覚えてるのは、乳児用のミルクを飲むコップみたいな、両手持つところがあって、蓋がついて、穴からちょっとずつ飲めるみたいなミルク飲みを、昔使ってたやつかな、それを引っ張り出してきて自分も飲む、みたいな。私もミルク作ってもらって飲んでました。弟が生まれてから。

だから親は多分そんなに、お姉ちゃんだからしっかりしろみたいな教育はおそらくしてないと思うんですけど。勝手にお姉ちゃん感が芽生えて、でもその反動も、しっかり出てみたいな、多分そういう感じ。家族関係はあんまり何も覚えてなかったんで、とりあえず取り立てて嫌なことも多分なかったんだと思います。弟とも仲良かったし。

qbc:子供時代は、どんな遊びをしてました?

安野:お絵描きとか切り絵とかですね。女の子の絵、お姫様とか。多分幼稚園ぐらいのときだと思うんですけど、私が絵を書いて、私の伯母さん、母の姉ですね、が、私が口で言ったのを伯母が書いてくれて。文章を書いて、絵本を作ったことがあるんですけど、それがすごいよくできて褒められましたね。親と伯母さんに。それは、お姫様とカエルが出てくる絵本なんですけど。カエルとか上手いんですよ確かに。

qbc:その手作り絵本って残ってたりします?

安野:案外、母が残してるかも。それはちょっとわかんないですけどね。

qbc:意外と母親が残してたパターンはありますからね。切り絵のほうはどんな感じだったんですか?

安野:スーパーのチラシとかの魚とか肉とか野菜とか切って、自分の好きなように貼って、やってたんだと思う。多分それ使って、母といらっしゃいませとか、今日はこれが安いですとか、そういうことをやってたんだと思います。

qbc:なるほど。始めたきっかけって何かあったんですかね?自発的に?

安野:多分、最初のきっかけは母だと思いますよ。母は、教育ママでは全くなかったんですけど、でもなんか、子供がのびのび創造性を持って育つには、みたいな子育てを、母が楽しいから取り入れてたってのが正しいんですけど。
ゆりちゃんとこれやったら楽しいだろうなとかっていうので、多分。最初は母が切り抜いたのを貼って、それを真似してやっていったんじゃないかなと思いますけどね。

あと、積み木とかも母の趣味で。私が別に買ってって言ったわけじゃなくて。すごい良い、3段重ねみたいな積み木があって、そういうのとか。何でも母ですね、最初は。そういうものは。

qbc:どんな絵本を読んでらっしゃったんですか?

安野:絵本すごかったですよ、うち。あれはポプラ社かな。なんか、木の箱に絵本がびっしり入ってる商品があるんですけど、それが多分4箱ぐらいあって。さらに本屋さんに行くと買い足して。だから、そうだな。何に例えたらいいかな。洋服ダンス一つ分ぐらい、絵本があったんですよ。それを、毎日寝る前に読み聞かせしてもらって寝るっていう。それが習慣でしたね。

ただ、私が生まれてすぐからやってたわけじゃなくって。何歳かわかんないけど、母曰く、弟は生まれた瞬間から、毎晩読み聞かせをやっていたのに、全く本に興味を示さなかったと。ゆりちゃんは途中からなのに、ずいぶん本好きになったと。なぜ弟は、ってことを嘆いてましたけど。でもそういう意味では、性格の部分はあると思います。母のそういうやりたいことっていうのと、私の性格がすごくうまく一致したから、楽しくできたってのはあると思うんですね。
弟とはその辺は全然違いますね。

qbc:「もしも質問」をしたいんですが、もしも3月生まれではなく、4月生まれだったらどんなふうな子供時代になっていたと思いますか?

安野:もうちょっと積極性っていうか、ガンガン前に出る子だったんじゃないかなって思うんですよね。
なんでかっていうと、小学校の2年生ぐらい以降とかは結構授業中もハイハイって手を挙げるし、小学校4年生5年生6年生って、3年連続で学級委員やってたんですよ。だから、そもそもの能力として、人の前に出たりとか、みんなを引っ張ってくみたいなのがすごい得意なんですよ。今も結構、ハキハキみんなの前でできるし、恥ずかしいとかないんで。当時なんであんなに後ろに引っこんでたかなって思うと、やっぱり生まれは大きいんじゃないかなって思いますね。

qbc:あ、でもそのお話の感じだと、わりとすぐ周りには追いついた?

安野:そうですね。きっかけになったのが、1年生のときに算数の授業で。
1年生のときって、担任の先生の他に補助の先生がついてて、その先生が見回ったときに、ゆりちゃん答え合ってるんだから、答えればいいのにみたいなのを言ってくれて。それで言われちゃったから、手挙げたんですよ。そしたら、普段手を挙げないから先生に指されて、答えを言ったらもちろん合ってて。

そのときに、何か言えたっていうのが、あって。
その出来事は、すごいよく覚えてるんですけど。それから手を挙げられるようになったんですよね、だんだん。手を挙げられたりすると授業も楽しいし、元々勉強は結構できたんで。

qbc:人の前に出るということは、幼稚園時代でのエピソードはありますか?

安野:それもあんまりなくて。もうすごいおとなしい子だったから、ゆりちゃんは大人しくて手が掛からなくていいね、みたいな感じで。同い年ぐらいの子が、お店ですごい駆けずり回ったりとかやってるのとは、全然違う子でした。

qbc:なるほどね。でも、絵本作りとかそういうことはしてたんですよね。

安野:手先の細かいことばっかり毎日やってましたね。
あとは、当時なんか体力なくて、毎日は幼稚園行けなくて。多分週5行ったことないんですよ。昔からその、不登校要素があって。やっぱ今の週5日労働できないとか言ってるのも変わらないっていう。

qbc:んー、あとは、積み木は? 積み木要素、現在にも通じたりしますか?

安野:んんー、そんなにないですけどね。生け花やって面白いとは思いますけど。積み木は当時そんなに大ハマりしたわけではなかったですね。家にもあったしやったけど、一番好きな遊びじゃなかったです。何が好きだったかって言ったら、リカちゃん人形と絵を書くこと、それが二大巨頭でしたね。

qbc:画材は、何だったか覚えてますか?

安野:何だったんでしょうね。クレヨンか、色鉛筆か、鉛筆じゃないですかね。
小学校に上がるときに、ホルベインっていう、すごいちゃんとした色鉛筆を買ってもらって。1人だけホルベインの色鉛筆を小学校に持って行ってた子供だったので、多分色鉛筆で書いてたと思います。

qbc:ホルベインは、プロ仕様ですよね。

安野:プロ仕様で、そう。でも、ピンクにマゼンタが入ってたんで。みんなのピンクは桃色で。私のだけピンクが違う。なんか、桜が書けないんだけどなって思ってました。
マゼンタだと難しいんです。色鉛筆でマゼンタから桃色にするのは不可能に近かったので。ちょっとそれだけ嫌だったんですけど。

(※追記 幼稚園年長さんか小学校一年の時の誕生日プレゼントに色鉛筆を買ってもらったのを思い出しました。ホルベインの、多分36色。)

終わりに

ホルベイン

人は過去からできあがってるという仮説でインタビューすると同時に、そんなことあるかーい! とも思ってお話聞いています。
んまーでも、三つ子の魂百までじゃないけど、やっぱりね、人間、あんまり変われないのかな、とも思います。よ。

次回もお楽しみに!!!!!

編集:なずなはな

制作:qbc(無名人インタビュー主催・作家)

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