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短歌と人インタビュー 安野ゆり子-005 2023/10/05

前回。


神社

qbc:最近神社にいったのはいつですか?

安野:3週間ぐらい前かな。田無神社です。いつも田無神社でお塩を買っていて、それがなくなると定期的に行くことになってるんですけど。

私は龍神を結構信仰してて、田無神社は龍神の神社なんです。
月に1回ぐらい行きますね。感覚としては、遊びに来たよみたいなかんじで、神様をすごい尊敬して敬ってみたいな感じじゃなくて。龍神とは仲が良くて行くので、すごい困って行くとかじゃないです。

行くと、すっきりしたりとか、あと帰り道でいろんなメッセージを受け取ったりするんで、やっぱりいつも気分が前向きになりますね。

メッセージは、例えば、「今頑張ってるこの道で大丈夫だよ」とか、「こういうことに執着が強いよ」とか。そういうのを帰り道に、窓の外とか見てると、主に私の場合、数字で受け取って帰ってきて、そっかそっかって。

あとおみくじも、結構いつも引いてて。
そこではずっと、「病気が良くなるよ」って書いてあって。いろんな大変なことは、夫のこととかもいろいろあるけど、ひとまず病気は大丈夫だって、こんだけ言ってるから、まあいっかと思ってます。

冒頭

qbc:前回のインタビューからこれまでに、どんな変化がありましたか?

安野:この2週間だと、実家に帰省しつつ、俳句の仲間とぶどう狩りに行ってきて。それはすごい楽しかったですね。
俳句の雑誌上で名前は知ってる人ばっかりだったんですけど、会ったのは全員、私は全員初めてだったので、こういう人たちが普段作ってるんだと。

あと、一般的な俳句の会って初めてやったんですね。
夫がメンバーでやってる句会って、簡略的なやり方でやるんですけど、初めて清記(※参加者の書いた俳句を集めて、今度は裏にして再度参加者に配り、句を書き直すこと。筆跡で誰が書いた句かをわからないようにする)っていう作業をやったりとか。多分プリンターとかパソコンがなかった時代の句会のやり方かなって思うんですけど。
すごい手間もかかる句会をやって、新鮮でよかったですね。

日常生活だと。
引越しのことが割と進んできて、まだ契約してないんですけど、「ここ絶対住みたい」ってとこが見つかったので、今度夫と内見に。最初は一人で内見に行ったので、夫と内見に行って夫もOKって言ったら、申し込みするって感じで、ちょっとずつ進んでます。

qbc:身の振り方はどうなったんですか。

安野:離婚はしないで、引越しだけして、場所を変えて別居を継続。
引っ越しのお金は夫が出してって感じで、生活費とか家賃とかも保障されるっていう形で、しばらくはこのままやっていく。

qbc:どうしてお金を払ってもらえるんですか。

安野:夫婦で、片っぽしか働いてないっていうときは、扶養義務っていうか、あるじゃないですか。離婚の調停とかでも、どっちかが働いてなかったら生活費出しなさいってありますけど。
私は離婚したいっていうのがベースにあるけど、夫が離婚届不受理申し立てっていうのをやってるから、私は離婚できないわけなので。精神障害で主治医から、労働困難とか就労困難と私は言われてるので、離婚しないのであれば、保障してくれるっていう。
私自身もそれは当然だと思ってるし、夫の方もそれは嫌じゃないので。
別に、あれこれ言うこともなくお金のことはやってくれるっていう感じですね。

qbc:安野さんは離婚はしたくないんですか。

安野:私は一番は離婚したいんですね。でも障害年金も不支給になっちゃって、今社労士さんと一緒に不服申し立てをやってるので、それに半年ぐらいは、多分結果が出るのにかかるんですね。

なので、今までは家で1人で暮らしてるっていうのがすごくストレスで、夫は帰ってこないとはいえ、この家にね、男の人を入れるとかっていうのもちょっとどうなのっていう感じもあったりとか。
結婚してると密かに私のことが好きだって人がいても、「そうは言っても結婚してるしな」とかって言って声かけてきてくれないし。

でも私は恋愛したいしみたいな感じでなってたけど、私もずいぶん、一人でいても大丈夫になった。
障害年金を申請するときの障害名が、「境界性パーソナリティ障害」っていうふうに書かれてていて、主治医からの診断書には。
要するにいろんな症状あるけど、ざっくり言うと「一人でいるのがすごく辛い」っていうパーソナリティを持ってるので、夫が帰ってこないっていうのが、多分他の人より何倍も辛いんですね。
なんだけど、それも自分の考え方とか、日常のルーティンとかでだいぶ緩和されてきて。
お金の心配さえなければ、家に一人でいてもそこまで辛くないなっていうふうに少し変わってきたのもあって、お金出してくれるなら、私の障害年金の次の結果が出るまでは、結婚していてもいいのかなって、私は思って。

夫に、「離婚するしないで言うと、今どういう気持ちなの?」って聞いたですよ、こないだ。

そしたら「離婚しない方がいいと思う」っていう答えだったんですね。
これ聞いたときに、相変わらずだなと思って。
普通答えるとしたら、「いや、離婚したくないです」か、「わかりました離婚しましょう」かのどっちかだと思うんですよ。
離婚したくないっていう気持ちか、私の離婚したいという気持ちを汲んで、離婚しましょう、のどっちかだと思うんですけど。
「離婚しない方がいいと思う」っていうのは、誰にとってのメリットで喋ってるんだっていう。
よくわかんないな。
いや、多分あっちからしたら、離婚して生活保護って言うけどすごい大変だよ、みたいな。

私のお金の心配をしてくれてるっていう。
私のお金の面でのメリットの話を多分してるんだと思うんですけど、でも私からしたら、いやそんなの十分わかってて、お金のメリットを度外視しても離婚したいんだって。

私の主張はそうなんですけど。
でも私がそれをごり押ししても受けいれてもらえないだろうから言わないんですけど。

友達に話すと、おそらく夫は自分自身に嘘ついてるっていうか、旦那さんは離婚したくないんだろうなって、周りの人はみんな雰囲気でわかるわけですよ。
だけど、夫本人は自分の気持ちがわかんない。

お金のことを心配してるんだっていうのを盾にして、自分の気持ちとまだ向き合えないのかなって思ってて。
だから、障害年金がもらえるようになりました、スナックのバイトもそこそこちゃんと行けます、YouTubeも収益化しましたみたいな、一人である程度生活費が回るなっていう状態になってはじめて、夫は自分の「離婚したくなかったんだ」っていう気持ちと向き合うのかなって思ってて。

お金のことがとっぱらわれないと、きっと彼は自分の気持ちから目をそらしちゃったりとか、考えることをやめちゃったりとか、そもそも考えようと思ってもどうしていいかわかんなかったりとか、そういう感じなのかなって思って。

そう思うとまずは、私は自分のお金のことを一生懸命やって、追い込みたいわけじゃないけどでも、夫が自分の気持ちを直視せざるを得ないような状況に持ってくって、そう言うと言葉が悪いけど、そういうふうに段階を踏んでいく方がいいのかなって。

今はお金のこともあったり、あっちはなかなか自分の気持ちと向き合えないとかっていう、いろんな条件が乱立しちゃってるところだと、うまく話し合いも回らないかなって思って。

ひとまず、別居生活継続で。
私も慣れちゃったし、いいかなっていう、そんな感じで。
あの、そういう方向性になってます。

障害者手帳と歌舞伎町の歌

春の夜に写された我閉じ込めて牢屋のごとし障害者手帳

qbc:春の夜のざわめきや楽しさ。それから後半の牢屋、障害者手帳、というワードが対照を成している感じで、いいですね。
「我」「ごとし」などはちょっと古めかしい言葉で、気持ちを現代語で素直に表現することを、ためらわせたのかな、と思いました。

安野:確かに「我」とか「ごとし」とか、古い言い回しをしてますね。
多分qbcさんは、春の夜に宴会的なイメージで楽しいっておっしゃっていたのかと思ったんですけど。
春の夜。私は結構、はかなさみたいなところをイメージしていて。

古めかしいのは、和歌っぽさを出したかったのかな。「春の夜に」っていう出だしが、ちょっとありきたりっぽい感じがするくらい。
「花の色はうつりにけりないたずらに」みたいな。そういう和歌っぽい雰囲気を出したかった。
最後の障害者手帳とのミスマッチみたいなものを狙ってて。

この歌自体は、本当は春に思ったんじゃなくて、春の夜に撮った写真を使った障害者手帳が、夏に来て。それを見て、なんか自分、閉じ込められてるみたいだなって、そのときに出来上がってきて思ったんですけど。

qbc:この牢屋だなっていうのは、本当に思ったことだったんですか?

安野:そうそう、これは本当に思ったんですよね。
でも、この歌の評判は、歌会の中ではそんな良くなかったですけど。「でも思ったんだもん」と思って突き通しましたけど。
この歌ではマイナスという意味で障害者手帳と牢屋を並べて使ってるんですけど、こういうのは短歌の世界では、「つきすぎ」と言うんですよね。わかりやす過ぎるし、新規性がないっていう意味で。それで、あんまり受けは良くなかったんですけど。

qbc:えーそうなんですか。私としては、そのわかりやすさが良いなって思いました。好きですよ。
楽天のデザインとかドン・キホーテの店内も、プロのデザイナーさんから敬遠されたりもしますよね。でも実際は売れてるし。

安野:ありがとうございます。
みんな短歌にどっぷりになっちゃってるから、「それ見たことあるよ」とか、そんなことばっかり言いがちで。
普段短歌を見ない人から見てどうかって視点が、どうしてもみんな抜けちゃうんですけど。

でも私も、この歌はうまくまとまってて、下手ではないと思ってて。
新規性だけは確かにないけど、歌としては別に、言うほど悪くないかなって自分でも思ってるんですけどね。
いやそれでも出したいんだ、って思って、自分の気持ちの大きさもあって作った歌ですね。

障害者手帳もらったこと父母に言わず向日葵頭を垂れる

qbc:いい歌ですね。
障害者手帳という、おそらく本人の中で物々しい言葉と、夏の終わりの向日葵のイメージ。
夏と向日葵は、さっきの「つきすぎ」の範疇の中なのかもしれませんが、それでも障害者手帳と向日葵の取り合わせの奇妙さは感じますね。
障害者という社会的、人工的な言葉と、向日葵という植物の取り合わせには、催すものがありますね。今、パっと名前をつけられない感情ですけど。

安野:私は、障害者手帳を持ってる人のことを別になんとも思ってないんですけど、いざ自分が持つってなると、現実としては、こうやってちょっと憂鬱だったり、申し訳なかったり、後ろ暗かったり。

障害者手帳をもらってすぐのときは、親には言わなくていいやって思って、だから隠しておこうって思ったんですけど。わざわざ言わなくていいやみたいな。

向日葵の部分は、多分創作です。
障害者手帳をもらった、父母に言わずにおこう、これだけだと広がりがなくて想像しづらいので、何かわかりやすい「景」をつけたいなと思って。
これは頭の中で持ってきて作ったって感じですね。

qbc:けい?

安野:「景」です。
前半部分だけだと、理屈で言ってることはわかるけど、情景として、目の前に何かが浮かぶってことないと思うんですよ。
短歌はこういう景もないと、広がりがないかなと。

qbc:あーなるほど。
ちなみに、短歌の世界で、こういう景を作る能力が高かったりするのを、作歌力が高いみたいな言い方をしたりしますか。

安野:創作力が強いって(私は)言ったりはしますけど、それは全部ファンタジーの歌だったりになっちゃうかな。
こういう脚色レベルのものだと、特に表現する言葉はないですね。

qbc:なるほどなるほど。
その脚色のヒントって、どういう順序で考えていらっしゃるんでしょう。

安野:まず、歌を詠もうとして言葉を思い浮かべた時に、この歌では「何かが足りない」っていうのは、自分の意識として持てて。
それで、「足りないのは景色だ」って思ったんだけど。なんで向日葵かと言うと、作ったのが真夏だったからっていうのと、あとはもう、言葉が降りてきたとしか言いようがないけど。
でも、その前にXでひまわり畑を見てたとか、誰かと喋ったとか。そのときの日常にあったんでしょうね。
だから向日葵だってことに関しては、頭で作ろうとして作ったって言うよりかは、ピースを拾って持ってきたみたいな感じで。
何かぱっと思いついて、それで「いいじゃん」、みたいな感じですね。

アスファルトに煙草めり込む歌舞伎町好きな女の子に会いにいく

qbc:パワーを感じる歌ですね。
アスファルト、めり込む、歌舞伎町、というワードの後に、シンプルストレートに好きな女の子に会いにいく、というエモーションが続くという。
勢い込んだ感じがするけど、なんだ、女の子か、って。
まあでもそれくらい高くエネルギーを使うことなのかな、とも感じさせてくれたり。

安野:私もこれ、結構よくできたなと思ってて。
特に前半、「アスファルトに煙草めり込む歌舞伎町」って、実際、めちゃめちゃめり込んでるんすよ、煙草の吸殻が。落ちてるんじゃなくて、めり込んでる。歌舞伎町では。

車や人に踏まれて、もうびっちりアスファルトのでこぼこにくっついちゃってるんですけど。
それを見て、歌舞伎町以外ではあんまり見ない光景だなってのもあって。
結構、良い表現ができたなって思って。

それで後半は、特に狙いもないんですよ。
本当に好きな女の子に会いに行くとしか言いようがなくて。
ただこの後連作で、そのコンカフェの歌になるんですけど。だから好きな女の子ってのは、恋愛対象っていうわけではない。

ただ、そのコンカフェ嬢のことを好きな女の子って言っちゃうあたりも、読みとして楽しい。
実際、女の子が女の子の地下アイドルを全力で推してたり、ガールズバー行ったりとか、結構あると思うんですけど。
恋愛対象は異性だけど、推しみたいな形で、女の子にのめり込む女の子って、今多くて。
私にも、歌舞伎町での遊びとしてそういう時期があった、という歌ですね。

qbc:また作歌の話になるんですが、この歌は、どこからスタートしたんでしょう。アスファルトのほうですか、それともコンカフェ嬢への恋愛感情でしょうかね。

安野:発想は、アスファルトが先です。歩いてて、アスファルトに煙草めり込んでて、すごいと思って。これ、短歌になるなって思って。
最後に、下の句をつけたって感じですね。

友達になりたいなれないコンカフェの店員さんに入れるシャンパン

qbc:これはなんというか、もう飾らずそのままぶちまけたような歌ですね。なりたいなれないって。
なんていうか、もう、そのまま。面白いですね。連作の中で、言葉に凝った着飾ったものがあれば、すっぱだかの歌もある。

安野:この歌は多分、安野ゆり子という作者の名前が出てくるのが前提になってる歌で。これが作者が男の人で、女の子が好きな人だよ、だと、味気ないなと思って。
作者が同性の私だからこそ、お店の外だったら友達になれたかもしれないのにみたいな。これは作者像があって初めて成立する歌だなって自分で思いますね。

おこぼれのシャンパン啜る満点の笑顔で礼を言う娘(こ)横目に

qbc:これもストレートですね。そのまんま。
ただ、この情景をわざわざ短歌にする、という面白さがあるように思います。中身はありふれた夜遊びの情景でしかないのに、それが短歌の枠の中に組み入れられた途端、不思議な、すこし偉そうな顔つきになる。

安野:いきなりシャンパン啜るって言われたら、この一首だけだと、まずどういう状況なのかみんなわからない。バーに行ってシャンパンとはどういう意味を持つのかとか、ある程度読み手にわからせようと思って作ると、どうしても説明的になっちゃって。
場面を出して面白がらせるみたいな作りになっちゃいますよね。

戯れに腕を組みくるわたしから触れるは禁じられいる店に

qbc:これも書いてあることはほんとくだらないことだなと思うんですけど。お触りNGのお店なのに、向こうから触ってくるんだけど?! って。
それが恥ずかしいのか、言葉としては文語調の香りを出してますね。

安野:これは雑誌の選には入らなかったと思うんですよね。
「組みくる」とか、「禁じられいる」とか、文語っぽい書き方になってるのは、詠みたい内容が多分そのときの私の能力では57577に入りきらなかったので。それをどうにかしようとした結果ですね。文語だと言葉が短くて済むので。

でも言いたいことは、私的には切実で。
店員さんの方は戯れに腕を組んでくるわけですけど。入店時の説明で、キャストさんには触ってはいけませんとかって絶対説明されるじゃないですか。

だからあっちから触ってくる分にはOK、問題ないんですけど。
でも女同士だからすごい向こうから触ってくるんですよ。多分私が男の人だったら触ってこない。
私がもしかしたら、すごい執念を持つストーカーっぽくなるタイプの人かもしれないし、そんなの外からわかんないはずなのに、私が女で、女の子同士だってことで触ってくる。

だから、この子緩いけど大丈夫かな、みたいに。他の男性のファンもいるわけで、そういう人から見たら、私はちょっと妬まれるじゃないですか。そういう視線も気になるし、みたいな。
コンカフェって、やっぱ女性客の割合、そこまで多くないんで。どうしても、自分のそういう異質性を感じてしまって。

そういった切実さが、このときにあったんですよね、歌としては上手くないですけど。

qbc:感情が短歌に入らない、落とし込めない、というのはあるんですね。

安野:今でもありますよ。でも、やっぱり大学生の時とかは、もっと形にならなくって、嫌になっちゃってたし。

生みの苦しみって、思ってる通りにならない苦しみもあるんですよね。
スランプみたいな、作れない生みの苦しみもあると思うんですけど。でも、言いたい気持ちがあるのに、なんか思ったふうに形にならないみたいな。それは、始めた頃からありますし、今も全然ありますけどね。

歌舞伎町に星明かりあり障害者手帳持つこと打ち明けあって

qbc:星明りあり、打ち明けあって、て「明」が連なってる感じがちょっとおしゃれ感ありました。
歌舞伎町という特殊な場所で、星明りがあって、二人が打ち明けあう、その打ち明ける内容はこれもまた、多数派ではない手帳の話、と。
上の句「星明りあり」で止まるところが気持ちいですね。

安野:あ、今初めて言われて気づきました。「明」。偶然重なっちゃってただけです。

歌舞伎町の人たちって、障害者手帳持ってる人、多いんですよ。
でも、いきなりその話はしないじゃないですか。ある程度仲良くなって、実は持ってて、みたいな。そうしたら、私も持ってるよ、って。

そこで妙に盛りあがる。
この歌の人とは関係ない人ですけど、病気になって働けなくなって、「でもそういう人の気持ちがわかるようになったから、病気になってよかった」って。「優しくなれて良かった」って言ってる人がいて。
そのときに私も、「もう何年も働いてなくて、手帳もあるんですよ」って言ったら、その人の顔が、ぱっと明るくなって。

大変なこともあるけど、でも良かったこともあるし。
結構、歌舞伎町で、そういう場面ってあるんですよ。
こういうところが、歌舞伎町のいいところだなって。

それで、それが私の日常。
歌舞伎町に行って、共感しあって、生活はまあまあ頑張って回していくと。
そういう私の歌舞伎町感みたいなものが、すごくよく出てる歌です。

あとこの時、本当に歌舞伎町で星が見えたんですよ。多分普段、星、あんまり見えないと思うんですけど。
たまたまこの日、「あれ、歌舞伎町から星が見えるじゃん」って思って。それが心に引っかかってて。そういう星の明るさが、この下の句に結びついたって感じですね。

qbc:いつ頃から、歌舞伎町で遊んでるんですか。

安野:元々は、大学4年ぐらいの時に、俳句の集団のリーダーがやってるお店に、友達から「絶対に女の子一人で行っちゃ駄目」って言われてるところに、行ったんですけど。
まず、そこで働いてる女の子が大好きになって、その女の子に会うために、俳句の集会所みたいなところに行ってたんですね。

当時は、そこに集ってる人とドンチャン騒ぐのが好きだったから行ってて。大学4年の時は、まだ病気じゃなかったから。
その後、夫と結婚して、病気になって結婚しても、夫もその場所に出入りするから、夫婦でも行くし。
私が一人で行ったとしても、夫もそこをよくわかっているから、夫も全然安心して送り出すし、みたいな。

歌舞伎町って、キャスト同士がお互いのお店に行ったり来たりするんですね。
だから、今日は昨日お客さんだったお姉さんのお店に行くねとか、いろんな歌舞伎町のお店に行くようになってって。
それで週に何回かは通うみたいなのが、もうずっと続いてます。

qbc:その俳句のお店というのは、バーですか。

安野:俳句処って言うべきかな。ちゃんとしたところじゃなくて。
入場料は取ってましたけど、お酒とか持ち込みOKみたいな。宅飲みの延長みたいな感じで。酒場っちゃ酒場で。まあ集会所みたいなところがあって。

「好きな娘(こ)の誕生日なの」と夫に許可もらい出掛ける二十二時半

qbc:これは、不思議ですね。なんでもない、五七五七七の音だけ揃えたような歌でも、この連作の中の最後に据えられると、納まりがとてもいい。
なんというか、やっぱり恰好があるんですね。
この歌が独立してあったとしたら、味気なさすぎなんだけれども、この連作の最後に納まると、この連作がきちんと終わった感じになる。

安野:そうですね。なんか、全部独立して良い歌だと、読んでて疲れちゃうとかもあるんです。パンチがありすぎるとか。
全体の中で緩急もある程度いるし、多少説明的なのもいるし。あと今回はあんまりないですけど、「地の歌」って言って、全然関係ないような、どんな連作にも入れられるような地味な、ただの風景の歌とか、そういうのも賞レースの30首50首の連作だと必要だったりとか。

でもその「地の歌」も、地味だけどクオリティは高くなきゃいけなかったりとか。結構いろんな要素がありますね。

qbc:連作は、何首が基本なんですかね。8首が基本だとか。漫画だったら4コマ漫画があるみたいな。

安野:雑誌だと、50首の角川と30首の短歌研究・歌壇が有名どころの新人賞になってるので、50か30が、形式的には多い、メジャーですね。

私のいる「心の花」という雑誌は、8首まで出せるので、8首が通常形式ですし。ただその8首も全部掲載されるわけじゃなくて、削られることもありますね。8首提出して、6首くらい載ります。

qbc:コンカフェ嬢は、どんな人だったんですか。

安野:すごく魅力的な女の子で、楽しかったですね。
まず顔がすごくかわいかった。
あと、すごくテンションが高かった。
キャストの人って、みんなそこそこテンション高いですけど、その中でも群を抜いてテンションが高くて。

その店は、アニソンとかボカロ曲を歌うお店で、私もボカロが好きで、その話で盛り上がったりとか、「新しいこの曲聞いた?」みたいな、そういう話も合うし。

qbc:短歌って、不思議ですね。連作をほとんど初めてちゃんと読んだんですが。こういう日常的なモチーフを捉えられるものなんですね。

安野:短歌ってすごいちっちゃいことが読みやすいんですよ。ちょっとしたこと、これが多分、形式とすごく響きやすい。逆に、派手なことが読みづらいっていうのがあるんですけど。

あと落ち着いたこととか。
大学のときの短歌の先生は、短歌の言葉は沈めろ沈めろって言ってて。浮いた言葉がないように、沈めて作れっていうふうに言ってて。それもなんか、わかるんですよ。
その方が、いわゆる短歌っぽくなるし、失敗がない感じはします。

qbc:なるほど。

安野:それから、これまで夜遊びって社会的にあんまりいいこととされていない風潮があって、特に女性は。今回取りあげた連作は、これまであんまり詠んできた人が多くなかったというのもあると思います。
でも俵万智さん達が『ホスト万葉集』って言って、歌舞伎町のホストが短歌を詠みましたっていう本が2冊、出てたりとか。ホストの世界の人でも、短歌が面白いって言ってやってる人もいっぱいいるんで。時代性もありますね。

qbc:なるほどなるほど。

安野:私は詠む素材は詠みたかったら何でも詠むって感じだけど、でも言葉選びは、先ほどの先生が言っていた「沈めろ」っていうのは結構思ってて。
あんまり俗っぽくない言葉選びとか。

今回の連作はコンカフェとかがあるから、俗語というか、現代語がありますけど。コンカフェみたいな浮いた言葉があるときは、その他の言葉を沈めるようにしますね。「友達」とか「店員」とか。まあ「シャンパン」ぐらいだったら一般的な言葉かなと。

そうするとコンカフェだけが目立つようになって、バランスも取れたり。「コンカフェ」レベルの言葉だけで構成すると、浮ついてて、今時ではあるんだけど表面的に面白いだけの短歌になっちゃうみたいな。

一首の中でも、アクセントにしたい言葉とそうじゃない言葉とかは、考えて使ってます。

終わりに

短歌教室

今回の私の歌はこちら!

昨日からシール剥がしに固執ですタロット講座を耳で聞いた(qbc作)

先生からは、こんなご意見いただきました!!!
・一読して面白い短歌だと思いました。
・手はシールを剥がしてるけど、耳はタロット講座を聞いてたっていうことで、意味がちゃんと取れる。
・良かったのは、シール剥がしとタロット講座って取り合わせ
。資格試験とか大学の授業だったらちゃんと聞こうよって思うけど、タロット講座だったら聞き流せるかな、といういい塩梅。
・固執してるという不思議な状況と、タロットというちょっと不思議なものの組み合わせも、妙に親和性があって、組み合わせがいい。
・下の句が字足らずで、7字-7字ではなく8字-6字になっている。助詞は基本的に前の言葉にくっついて句に収まるから、「タロット講座を耳で聞いてる」にすれば良い。
・「です」が、ちょっと短歌初心者感が出てるかなとは思ったが、「固執」というワードと絶妙に合ってて、変えなくてもいいかな
・いろんなところがバランスが取れてて、なんか面白い。

先生の「面白い」がいただけて嬉しいです。
なかなか短歌を作る時間がゆっくり取れないのですが、言葉に対してああでもないこうでもないと悶える時間はとても有意義です。

所感

離婚と短歌、安野さんの生き方が交錯する魑魅魍魎的展開になってきましたが(まー歌舞伎町的と言うべきか)、次回のインタビューは一か月後です。

制作:qbc(無名人インタビュー主催・作家)

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