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自分の生きざまをさらすことが使命だと思ってる人

パオパオチャンネル見てた小学生のころ、何かを考えていたかと思うと、何も考えていなかったような気がするし、なんだろう、20代までは覚えていたようなことが、40代になってとたんにぱっと消えていってしまうような気がしてるん。
そうです。年を取ると良いこと悪いこと、若かったときの記憶は全部、バンされます。残念ながら(喜ばしいことに)。
そういうわけで、子供のころだけ記憶喪失症の栗林(qbc)なわけですが、でもね、実際はさ、子供のころなんか、40も過ぎれば話をする機会なんて、なくなるわけです。何しろ聞かれないからね。
いやはは、でもね、なんとこの無名人インタビューでは子供のころのことも話さなくちゃいけないんですよ、40代でもね。で、私は主催なのでインタビュートレーニングの時に、練習台として無名人インタビューを受けなくちゃいけないんですけど、いやーもう、私はほんと何回も子供のころのこと話してるよで。
でね、結局、子供のころの自分が、今も続いているんだよな、ってめちゃ痛感しますわ。
あなたは、どうです? どうなんでしょうねえ。
ということで、無名人インタビュー、始めます。
【まえがき:qbc・栗林康弘(無名人インタビュー主催)】

今回ご参加いただいたのは 安野ゆり子 さんです!

https://twitter.com/yurianno1996
https://twitter.com/fukunonch


現在 : 悔しがり且つすごい常に上を上を目指してしまう。だから苦しくなってしまう部分もあって。

qbc:今何をしている人でしょうか?

安野:対外的には無職ですね。一応名乗るときの肩書きは歌人とYouTuberです。

qbc:ご自身としてはどう思っていらっしゃいます。

安野:自分としては歌人、YouTuberとしています。

qbc:歌人、YouTuberっていうのは、どっちが強めとかあるんですか、両方?

安野:両方ですけど、人生しょってるのは歌人って感じで、ビジネスとしてやっていきたいなっていうのはYouTuberの方ですね。

qbc:YouTubeは何やられてるんですか。

安野:YouTuberは着物系のYouTuberをやっていて、着物のコーディネートこんなのしてみたとか、お買い物こんなの買ったとかそういうYouTubeをやってます。

始めたのが2021年の11月なので、1年8ヶ月ぐらいなんですけれども、私結構体調が安定しなくて。精神障害があるので度々休んでいて、稼働してるのは1年ぐらいですかね、結構最近休みがちなので。

qbc:なるほど。やられててどうですか。

安野:一つは楽しいですね。自分の好きなことを発信してるので楽しいですし、あと動画編集なんかも結構性に合ってて。夫なんかはちまちました作業とか単純作業とか嫌いなので絶対できないって言うんですけど、私はそういうの割と得意なので、編集も苦にならずにできてますね。
勢いで始めたら、結構見てくれる方とかコメントくれる方も多くて。これは続けていけば、応援してくれる人も増えるしお金にもなっていくなっていうのが分かってきたっていうところですね。

qbc:歌人の方は。

安野:歌人の方は、大学1年から短歌を作ってまして。18からだから9年ぐらいやってるんですけれども、これはもう短歌始めて1年経ったぐらいからプロを目指してて、新人賞とかに出してっていうことをずっとやってます。

qbc:歌を始めたきっかけっていうのは。

安野:それは古文の和歌が好きだったってのが一つあって、もう一つは当時、楽器を弾いて歌ってて、作詞作曲をやんなきゃいけなかったんですね。それで作詞のメモとして五七五七七で書くようになって、それが高校生の時。何となく歌詞って、取りとめもなくなっちゃって、いつまでもダラダラ書けてしまって。

あんまり上手に書けないなっていうのが一つあって。ただ、五七五七七の詩の中で収めようとすると、かえって上手にできるっていうのが高校生の時に思っていて。それで高校3年のときのオープンキャンパスに行ったときに、古文の先生の授業を見て、その後に、「短歌研究会っていう研究会を顧問でやってるから、よかったら入学したら来てね」みたいなことを言われて、それを半年覚えてたんですね。

嬉しいことに、第1志望のその大学に行けたので、新歓でいろんなサークルが盛り上がってる中、一直線に先生の研究室に向かっていって、短歌の研究会に入ったと、そういう始まりでした。

qbc:短歌の研究会は、いわゆる部活とかサークルみたいなものじゃなくて。

安野:サークルですね。ただ何ていうか、顧問として、教授とかがしっかり付いてて、サークルよりは少し勉強の側面が強いっていうか。
例えば研究会って他のところだと平安文学研究会とか、民俗学の研究会みたいな、ちょっと固いんですね。先生とかもしっかりいてっていう。
遊んで飲んでとはちょっと違うようなそんなところでした。

qbc:プロを目指すきっかけの方はどうなんだろう。

安野:大学1年の時にやってて、結構周りからうまいうまいって褒められてたんですね。その気になってて、大学の研究会のときに他大学と交流する機会が多くて。18から22、23ぐらいの人と交流すると、「賞を取りたい」とかそういう話にもなって。
なんかそういう、同世代の人たちの当たり前の感覚として、何か賞に出すとかプロになるとか、そうしたものがあった中に巻き込まれていったって感じですね。

大学卒業して、就職した会社2週間で辞めちゃったんですよ、あのときは完全にうつ病で。1回大学時代にやってたバイト先に戻ったんですけど、それまで2年間行けてたのが全然行けなくなっちゃって、バイトも。それでバイトも辞めちゃってっていうときに、母が「ゆりちゃんは短歌があるんだから、歌人になるんでしょ」みたいな、「プロの歌人になるんだからいいじゃん」みたいな。「短歌やればいいじゃん」ってことを言ってくれて、そっか私は歌人になるから大丈夫だみたいな。
だから、何かいわゆる普通の就職みたいなこととかしなくていっか、歌人あるしっていうのと、歌人だけは頑張らなきゃみたいなところで、ずっとプロを目指してやってます。

qbc:歌を作ってるときの気分ってどんな気分で作ってますか。

安野:作り方って多分大まかに二つあって、一つは締め切り前に追われて作る人っていうのがいるんですね。結構そういう人多くて、でも私は日頃の中で、心が動いた瞬間とか、何か言葉が降ってきたみたいな瞬間のときにしか作らなくて。締め切りまで作らないでいることが怖くて、なるべくストックを貯めてっていう感じで作ってて、だから結構楽しんで作ってるのかな。生みの苦しみみたいなのはあんまりないですね。

ただ、作らないときは全然作らなくて、今年の5月から6月にかけてぐらい、丸1ヶ月ぐらいは一首も作らなくて。この前、1週間ぐらい前かな、2時間半で十六首とか作る日もあって、本当にその日の気分とか体調とかやったこととかで左右されて。プロを目指してる割には、プロ的な「締め切りまでにあげる」とか「作品の質を揃える」とか、あんまりそういうことはできてなくて。感覚としてはずっとやりたいだけやってるっていう感じなんですけども。

qbc:感情的な部分で何かあります。作ってるときの。

安野:割と平坦ですよね。例えば、すごく楽しいときって楽しいそのものに集中しちゃうんで歌どころじゃないし、すごく悲しいときとか鬱になってるときもそれどころじゃなくて。すごいフラットな何もないときに、そういえば昨日こんなことがあったとか、今日買ってきた魚がこんなだったとか、感情がフラットのときに、ようやく世界が見えてくるので。そうやって作ってて、私は自分の短歌が好きなので、作ったのがよくできると「いいのができた」っていうので嬉しくなって、それを周りの人とかに見せて褒められて、「やったあ」って思ってるっていう、そういう感じですね。

qbc:作風をご自身で説明していただいてもよろしいでしょうか。

安野:私は、散文的といいますか、割と具体的なことを書いてますね。最近の若い人の歌の流行りだと、抽象的なこととか、あとみんなが「わかるわかるそうだよね」みたいなのをふんわり歌うようなのが多いんですけれども。私は結構具体的なものをヌッて出して、そこに合うような感情をぶつけるみたいなやり方で、激しい歌が多いですね。あんまりふわふわしてない。

qbc:代表的な歌を自分の中で、これっていうのを教えていただきたいです。

安野:こないだ入っている短歌結社の雑誌で特選をもらった歌が「労働は苦手分野で噴水に合わせわたしも伸び縮みする」。

qbc:ご自分の中で、どういう思いのある作品なのでしょう。

安野:私は、精神病で閉鎖病棟に5回入院したことがあって、閉鎖病棟の中での歌っていうのを多く詠んでて。そういう中で、自分働けないとか、働きたくないとか、そういうことを結構短歌で言うんですけども。
労働が苦手じゃなくって、労働は苦手分野っていう、ちょっとぶりっ子してるんですけど、でもなんか得意分野もあるけど、労働は苦手分野だから、まいっかみたいなところで落としてて。噴水に合わせわたしも伸び縮みするって、子供みたいなことですよね。

多分、世の中噴水に合わせて伸び縮みする大人ってあんまりいないと思うんですけど。いわゆる普通じゃないっぽい、病気やってたりとかずっと働いてなかったりとかっていうところとちょっとリンクして、でもなんか明るいっていうところ。

非常に私の今までの歌の中に位置づけても、その素材とか詠みっぷりってのが私らしい。プラス夫が言ってたのは、「こんな短歌詠める歌人はいない。何でかっていうと、噴水を目の前にして、伸び縮みする歌人はいないから」って言われて、この歌は頭の中で作ったんじゃないんですよね。
実際に噴水を夫と見てて、私が急に伸び縮みをしだしたんですよ、噴水に合わせて。それで楽しいねとかってやってたのを後から歌にしたんですけれども。

多分、頭の中で考えることって限界があったり、他の人と似ちゃったりするんですけど、行動とかって結構、その人独自のものだったりして。そういう中でも、噴水目の前に伸び縮みするような、人間の少なさ、とりわけその歌人の中での少なさっていうところで、もう唯一無二な存在だからこんな短歌を歌える人はいないって言われて、それはそうだなって思って。

qbc:ちなみにどこの噴水ですか

安野:これは瀬戸内海の方に行ったときの噴水で、香川に行ったときだと思います。

qbc:あ、旅行で行かれた先。

安野:そうです。うどん食べに行こうって言って、香川に行って。

qbc:意外ですね。労働だから日常的な公園なのかなと勝手に。

安野:普通そう読めますよね。これは完全に裏話なんで、作品とは切り離す背景ではありますけども。

qbc:上野公園の噴水だったら、伸び縮みしてましたか。

安野:してないかもしれないですね。やっぱ旅行で気持ちが解放されてたのと、あとその日、雨降ってたんですよね。周りに人がいなくて、トトロみたいに傘差して、トトロが芽に向かって、伸び縮みするじゃないですか。ああいう感じでやってて。1人で雨の中。
そういう旅行だからっていうのと、雨で人がいなかったからっていうのはあるかもしれないです、言われてみれば。

qbc:傘をさしてるほうが、伸び縮みのビジュアルの面白さ出ますし。

安野:言われてみれば。歌の中には全然傘入ってないですけど。

qbc:鑑賞の面白さではありますね。
ちなみに、何で短歌を作れるんですかね。何ですぐに上手いと言われるような作品ができたんでしょう。

安野:そうですね。ベースとなってるのは、結構本を読んでたりとか、あと歌が好きだったんで、すごく歌詞をいっぱい体に入れてて、体に染み付いてて。
それで、言葉選びとかっていうのは元々多分、語彙とかが多かったんですよね。もう一つは、自分の感情を表に出すのが躊躇がないっていうところがあるかもしれないです。結構短歌やってて、短歌の上手い下手とか、面白い面白くないっていうものの一つに、「ありがちな短歌だからあんまり上手くない」って評価があるんですけど。
どっかで見たことあるような短歌で、どっかで見た小説とかどっかで見た詩をなぞって書いてるみたいなのがやっぱ伝わってきちゃうんですけど。多分そういう人って、自分のことを出すのが怖い人なのかなっていうのがちょっとあって。
短歌の歌会って、他の人に結構批評で強い言葉もらったりとか、そういうのもあるので。さらされるのが怖いっていうのは結構聞く話なんですけれども。私は自分を表現するってことに躊躇がなくて昔から。それが多分、最初から周りの人が面白いねって言ってくれる主な理由だったのかなって思います。

趣味・性格:真面目と遊んでたりとかはっちゃけてる部分の振り幅が大きい。

qbc:音楽は何が好きなんですか。

安野:音楽は昔から歌うことは好きでしたけど、小学校1年生ぐらいから。本格的に好きになったのは小学4年生のときにスガシカオのCDを聞いたのが始まりですね。
小6の誕生日にギターを買ってもらって、しばらく眠らせてたんですけど、中1だったかな。歌を習うようになって、歌とギターと作詞作曲を習って、年3回ライブがあったのでそこで発表してってことを大学卒業してちょっとするまでやってました。

qbc:スガシカオ、小4で理解できました。

安野:理解できたかは怪しいんですけどでも、いいなって思ってて。なんかスルメだなって思って、歌詞が良くて。スルメだスルメだって言ってて、最初はよくわかんないけど、何回も何回もリピートして聞いてると、なんか分かった気になってきて。
夜、車でかかってると、なんか泣けてきちゃったりして、すごく刺さりましたね、当時。今も大好きなんですけど。

qbc:小学生のときにしんみりするような感じなんですか、スガシカオ。

安野 : そうです。「7月7日」って曲で車の中で泣いたっていうのはすごい覚えてるし。あと小学校高学年ぐらい、元々不登校気味っていうか学校行ったり行かなかったりとか、小6なんかは後半かなり行ってなかったりするんですけど。
そういう中で、スガシカオの歌詞の主人公って、すごい、なんか駄目なやつっていうか、情けなかったりとか後悔ばっかりしてるような主人公が多いんですね。こういう歌詞を見てて、何か自分より駄目なやついるんだっていうところに救われてて、そういうので気を紛らわしてたっていうか、寄り添ってもらってたっていうか、そういうので好きでしたね。
全然関係ないですけど、インタビューしてもらってる今日はスガシカオの誕生日なんですよ。

qbc:え、狙ったんですか。

安野:全然狙ってないですよ。「シカオちゃんの誕生日だな」って思いながら予定入れましたけど。全然どうでもいいですけど。

qbc:光栄です。性格については、周りの人からなんて言われます。

安野:周りの人からは、子供のときは真面目とか、そういう感じだったと思いますけど、今の友達は何て言うんでしょうね。振り幅が大きいやつと思ってると思います。

qbc:どっからどこへの振り幅。

安野:例えば、大学時代とかは、すごい一生懸命勉強してたんですね。だけど、勉強時間を確保するべく、性産業のバイトをしてたりとか。そこで得たお金で、週に2、3日はオールで飲んでたりとか。
親から一定額の仕送りはもらってたんですけど、「足りないからください」みたいなことは言ったことがないみたいな。なんか真面目と遊んでたりとかはっちゃけてる部分の振り幅が大きい。卒業してからはもうほとんど精神障害で病気ですけど、そういうふうに見えないって言われる。
外にいるときは、結構明るかったり、にこにこしてたりして。飲み屋さんとかに行くと、ゆり子さんがいてくれると、こっちが接客しなくてもお店が回るから嬉しいみたいな感じで。いろんな人に話振って盛り上げてっていうことをやるんですけど、ただもう家だと、ほとんど布団で寝てるみたいな。いろんなことに対して振り幅が大きいですね、昔からっていうか、大学以降。

qbc:自分では性格なんて思ってます。

安野:自分では、向上心が強すぎると思ってますね。子供のときは真面目一辺倒でひたすら勉強して。駄目なものは駄目みたいな、校則は絶対守らなきゃ駄目みたいな感じでやってきて。
それで大学のときは、さっきも勉強すごく頑張ってたって言いましたけど、卒業のとき副総代で卒業してて。成績2番だったんですけど、でもそのときに学校から「2番でした」っていう電話もらったときに、飲み会があったんですよ、短歌の。すごい飲んでて、その後夜中に親に電話して「1番じゃなかった」って言って、号泣してて。そういう悔しがり且つすごい常に上を上を目指してしまう。だから苦しくなってしまう部分もあって。病気になってからも病気なりに、例えば、体の血行を良くした方がいいからお風呂は毎日入った方がいいとか、まともなものを食べて、体質改善だと思ってなるべく自炊しようとか。
この病気を改善しようって思うがゆえに、どんどん負荷が強くなってしまって、生活が回らなくなってしまって倒れるみたいなことがあったりとか。何でも上を目指しすぎるっていうのがありますね。それが結構裏目に出てるってか、長所だけど、ちょっと強すぎっていうのが私ですね。

qbc:周りの身近な人、ご家族、パートナーの方、そういう距離の近い方、親友とか、いかがですかねなんて言われます。

安野:親はこういう性格だよねみたいなことはあんまり言わないですけど、こないだ母親にLINEで言われたのは、「ゆりちゃんは大器晩成型だということに納得しました」って言ったんです。
どの辺が納得したかわかんないんですけど、なんか母は私が大器晩成であることを納得したらしく。父が言ってて、割かし印象的なのは、「ゆりちゃんはよくそんなに自分の気持ちを言葉で言えるよね。俺は言えない」って言われたのは、半年ぐらい前かな、なんかすごく記憶にあって、でも性格がどうとかってのはあんまり親には言われなくて。夫もあんまり私の性格についてどうだって言わないですね。だけど、主治医、あの精神科の先生は私のことを「お姉ちゃん病」って言いますね。

私の主治医は、患者さんに対してあなたは何病ですうつ病ですとか双極性障害ですとかってぱっと言わない先生なんですね。その先生が最初も言ってたし、わりかし多分、今も言ってるのは「お姉ちゃん病」っていうことを言ってて。しっかりしなきゃみたいな、それこそ、後輩の面倒見たりとか、引っ張っていかなきゃとか、お母さんとかお父さんを悲しませないようにとかっていう、そういういろんなもの、お姉ちゃんとして背負ってきたものが病気にさせてるっていうことは最初から言ってて。主治医から見たら、しっかり者というか、それが悪い方に出てるってのが私の性格かなと。友達は何だろ遊び人だと思ってますねあっちこっち。

qbc:好きな食べ物はなんですか。

安野:好きな食べ物は1番が鰻で、2番がナスで3番が油そばです。

qbc:なるほど。ナス、食べ方がたくさんある食べ物なのでちょっとそれだけどういう料理方法かを聞かせていただいていいですか。

安野:ナスは大体何でも好きなんですけど、こないだ喋ってて思ったのは、要するに油が好きなんだってことになって。鰻と油そばの間のナスは絶対これ油を吸ってるナスで、油が好きなだけじゃんってことになって。揚げナスとか、麻婆茄子とか油を多く使うもの。


過去 : 2学期の始業式の日に朝ご飯食べてたら泣いちゃって、行けないみたいなことになったんですけど。

qbc:子供の頃はどんな子供でした。

安野:幼稚園のときは引っ込み思案でしたね、かなり。同じ社宅に住んでた女の子が、4月生まれで私は3月生まれでほとんど1年の開きがあったので、多分そういうのとかも関係してて。その子は友達も多くてはつらつって感じで男の子とも外で遊んでっていう感じだったんですけど。私はその子と常に一緒にいて、その子の友達と遊ぶみたいな子。私は1人じゃ友達が作れないみたいな、幼稚園も週に5日フルで行くことはほとんどなくて、週1回か2回は休んでるみたいな。すぐ疲れちゃって、ほとんど家で寝てて1人遊びが好きな子でしたね。
小学校低学年ぐらいもちょっと学校行ったり行かなかったり安定しなかったんですけど、だんだん積極的な感じになってきて、授業でどんどん発言したりとか、小学校4年5年ぐらいはほぼ毎日学校行って、勉強も結構できたので。

外でみんなで遊ぶのも好きだったんで女の子の友達もたくさんいて、なんか明るい感じでうまくやってて。ただ小6の時に、掃除さぼってる男の子が言ったので先生にそれを言ったんですよ。
私としては、なんか結構軽い感じで「またあの子さぼってるよ」って感じだったんですけど、先生が深刻に捉えちゃって。その掃除の次の時間の授業1コマ潰して、その子とかそれに関連付けて掃除をさぼってるっていう説教になっちゃったんですね。
そしたらその男の子が自分の机ガンガン蹴って、「なんで俺だけ名指しで怒られるんだ。さぼってるやつ他にもいるだろう」みたいな感じで結構暴れちゃって、それ見て怖くなっちゃって、自分があんなこと言ったからだっていう責任で、あんまり学校行かなくなって。

qbc:うん。

安野:中学入ってまた行き始めたんですけど、家庭訪問のときが5月ぐらいにあるじゃないですか。先生が午後いなくなりがちで、そういうときにやっぱみんな喋るんですね。私は大きい声とかが駄目で、先生が怒ってるのがすごい耐えられないんですね。
だから、周りの子とかに「喋ってないでちゃんと自習しなよ」みたいなこと言ってた。そしたら、「何でクラス中のやつが喋ってんのに周りの俺たちだけ言うんだ」みたいな、隣の席の子とかが、そういうふうに思ったみたいで。
なんかどうやら私をいじめだしたらしいんですけど、でも、私鈍くていじめられてるの気づかなくて。配るプリント渡してくれないとか。

あと、給食食べるときに机を合わせるのを合わせてくれないとかあって、「あれ何でだろう」とかって思って。何日か過ぎて雑巾がけしてるときに手踏まれて、「もしかしてこれっていじめなのかな」って思って、先生に言ってみたら、いじめだったっていう。
何か事が大きくなっちゃって、それでまた学校行ったり行かなくなったりってことをやってたら、夏休みになり、2学期の始業式の日に朝ご飯食べてたら泣いちゃって、行けないみたいなことになったんですけど。確か多分「宿題は出さなきゃ」みたいなことがあったんだと思うんですね。それで母に車で送ってもらって相談室で過ごして、それからしばらく相談室登校やってましたね。そういう中で、「心の教室」っていう適応指導教室って呼ばれるところなんですが。あんまり学校に来れないけど、そこなら来れるみたいな子が集まってる教室があって、そこにちょっと顔出すようになって。
そんなことをしていたら今度母が精神科に入院して。その精神科に入院したっていうときのエピソードでヘルプを求めたのがその「心の教室」の先生たちだったので。
そういう事情から、午前中は「心の教室」に行って、母が入院してるんで午後には家に帰ってきて、家のことやってみたいな生活をして。結局、中3で卒業するまでずっと「心の教室」に通ってました。それが中学までって感じ。
子供のときはこんな感じですかね。高校は通信制で3年間行ったと。

qbc:お母さんの病名は。

安野:分かんないです。何かついてたと思いますけど、別に子供に共有されることはなかったんで。

qbc:家族とはどんな関係ですか。

安野:そうですね。母のことは大好き。特に音楽の話が合うので、ずっと母とピーチクパーチク喋ってて、父のことは苦手。父は、仕事すごく頑張る人だったんですけど、帰ってくるとその疲れてるオーラみたいな不機嫌そうな様子が丸見えで、父が帰ってくる時間が嫌いだったんですね。
父がお風呂入ってお酒飲み始めると、だいぶ良くなるんですけど、その週5日、6時7時ぐらいの時間がきつくて。でも父ともぶつかるとか無視するとか、何か嫌なこと言うとかは全然なくて。普通に用事があれば喋るし、用事がなくても多少は最近の話もするしみたいな感じでしたね。

qbc:ご兄弟は。

安野:弟が1人、3つ下ですね。

qbc:ありがとうございます。高校時代通信制の高校っていうのはどんな感じだったんですかね。

安野:通信って言っても学習センターっていうところに通えるんですね。通えるというか通わなくちゃいけなくて。必修の授業っていうのが週4、5コマぐらいあって、それは1学期のうち10回とかリアルで出席しないと単位取れないので。なので、少なくても週2日ぐらいは絶対全員行くみたいなのが基本のところで、そういうところで最初は週2回とか行ってたんですけど。
部活があって、当時漫画研究会、ここにまず1個入って、あとほぼ活動してなかった軽音部があったんで軽音部も入って。部活しに学校行くみたいな感じで行って、そんなことしてたら、2つ上の先輩が受験勉強してたんですね。

そのとき私は高校卒業したら専門学校行こうかなって。音楽、やっぱプロになりたいし音楽の専門学校か、あるいは服飾の専門学校行きたいなって思ってたんですけど。行きたいなというか、大学の勉強はもう無理だろうと。中学はほとんど行ってないし高校も通信で。大学受験なんてとんでもないと思ったんですけど、なんか周りの先輩たちが勉強頑張ってるけど、でも部活の時間は来て楽しんでるんですよね。
そういう姿を見てて、卒業するときには仲良くしてた先輩みんな大学行ったんですよ。なんか自分にもできるかもしんないって思って、それで勉強始めて。高2ぐらいのときは、漢検とか、ニュース時事検定とか、英検、あとワープロの検定とか、日本語検定、そういう検定を取るのにハマってたので学校に行って自習室でずっと検定の勉強してて。
3年のときは大学受験の勉強を学校の自習室でやってるっていう感じでした。

qbc:楽しさは。

安野:楽しさは勉強が楽しかったっていうのがあるんですけど。ていうか、知識を蓄えるのが好きなんですね、元々勉強してるだけで楽しかったですし。あとは部活もずっとやってて、漫画研究会はちょっと名前がね、さすがに良くないって先生がいらして文芸部になったんですけど、名前が。
文芸部週1回、軽音部週1回、ピアーズっていう、ピアサポートっていう活動を学校がやっていたのでそれも入っていて。あと植物に水をやる部活みたいなものとか、週4日ぐらい部活があって。部活ない日も友達、男女10人ぐらいで集まって人狼やったりとか、TRPGやったりとか、そういうことをやってましたね。だから、通信なのに、朝8時半に行って夕方6時まで学校にいましたね、毎日。


大学以降:心から楽しいって思えること、そういうのをやってるっていうのが、いいんだろうなってことに気づいて

qbc:なるほど。大学時代以降ってどんな感じだったんですかね。

安野:大学は、クラスっていうのがあったんですけど、そのクラスの子がすごい仲良くて。1年生のときはクラス単位で授業が必修で組まれてることが多かったんで、毎日大体同じメンツと顔を合わせるので、そこで喋ったり仲良くなってて。勉強も楽しかったので勉強も頑張って。さっきも言ったように、お金はバイトして、そこそこあってそれで週に3回、朝まで飲んで楽しくて。朝まで飲むっていうのも、例えば渋谷のんべえ横丁とか歌舞伎町だったので、同世代と飲んでたわけじゃなくて。
みんな30代40代50代みたいな人と、全然業種も違うような人が、いつものメンツみたいな感じになってるんですね。そういう大人の人と喋ってるのもすごく楽しかったですね。大学時代はなんだろ、まんべんなくみんなと上手くやってたけど、でもなんか、あんまりにもガリガリ勉強してるし、その短歌研究会っていうのも、学年に1人ずつぐらいしか会員がいなかったので、あんまり同世代とワーワーやるってことはやってなかったんですね。サークル飲みみたいなのはなくて、酒を片手に遊ぶっていうと、ひたすら30代以上の人たちとって感じで。そういう何か自分は知らない世界のことをいっぱい愚痴とかも含めて喋ってるので、楽しかったですね。それは何か勉強の一環みたいな、知らないことをとにかく知りたいので。
自分の知らないことをいっぱい喋ってくれる人が好きで、それで飲み屋さんは大好きでしたね。

qbc:大学卒業後最初に勤めた会社2週間で辞めてその後の4、5年ですかね、どういう過ごされ方をしてたんですか。

安野:4月に会社辞めて、バイトに戻ってみたもののすぐ辞めて、そのとき付き合ってた人に、「将来の夢ってある?」みたいに聞かれたんですよ、軽いノリで。でも私鬱なんで、「将来の夢なんてないけど、将来のことの話をするんだったら結婚したい」って言ったんですね。
そしたら結婚しよっかってなって。だから22の夏に結婚することを決めて、秋に結婚して、それからは専業主婦っていう形でした。そういう中で、家のことをやったり、病気が重くなるとできなかったりっていうことを繰り返しつつ。あとは、夫が副業とまでは言わないんだけど、なんかちょっと、引き受けてる仕事があって、それの手伝いをやってお小遣いもらったりとか。あとは結婚してすぐのときは夫が自営業でやってたお店みたいのがあって、そこの掃除とか、そういうのをしに行ったりとか。
そういう形で、外からお金をもらってるわけじゃないけど、何となくお手伝いみたいな労働みたいな形は少しやってて。

でもなんか当時はやっぱり「ある程度働いてある程度お金を稼がなきゃいけない」っていう気持ちが強くて。働いてないってことがすごい自己否定みたいになってたんですけど。夫は結構、求人出てるのが全部じゃないって思ってるような人で、仕事なければ起業すればいいじゃんみたいな、仕事なんていくらでも作ればいいみたいな人なんで。「多分のんちゃん(私のあだ名)は、利益を求めてガツガツするような会社とかそういうのは向いてないから、財団法人とかそういうところの、何かちょっと公益性があるようなところで人のためになるようなことをやるとこだったら向いてるんじゃない」とか言われて、ただそういうところって求人出てないんですよ全然。
でも「求人出してないだけで困ってるとこあるかもしんないからメールしてみな」って言われて。うちから行ける範囲の財団法人にメール送って、「なんか事務で、こういうコツコツした仕事とかはできるんですけど、ただ週3回とか、それぐらいじゃないと厳しくて。それで困ってませんか」みたいなメールをいっぱい送ったりとかして、結局どこも駄目だったんですけど。
でも親切に返信いただいたとこもいっぱいあって、そんなことやってたら、なんかあんまりお金にこだわらなくていいんじゃないかっていうところにだんだんなってきて、ボランティアをしてみようと思ったんですね。
近所に障害者の人が住んでたりとか、あとは住んでなくても近所から来て、活動したりとか。なんかそういう施設があって、そこで活動するときのアシスタントみたいなのを募集してたので、そこに行ったんですね。
ただ、そのとき、コロナの影響でやっぱ障害あったりするとそのコロナって、命に関わったりするから、外の人は来ちゃ駄目ってことで、1回きりしかボランティア行けなかったんですけど。
そのときに音楽療法士の人が、みんなで音楽をするっていう会で、私はギター弾けるので、自分ができるような演奏をしたりとかっていうことしたら利用者さんがすごい喜んでくれて。

「今日は来てくれてよかった」みたいなことを、その音楽療法士さんとか、施設の人とかからすごく言ってもらって。例えば施設の人に私が精神障害がありますってことは言ってたので、「午前中苦手でしょう」とか、「だから午前中の活動じゃなくて午後の活動のときに呼ぶね」とか。
「きっと苦手なことがいろいろあるだろうから、そういうの遭遇したときには言ってね」とかってすごい気も遣ってくれて、こういう事前のフォローと、いざやってみたら、すごい助かったありがとうみたいなと言ってもらって。私のできることってあんまり金銭に繋がらないけど、でもすごく社会貢献にはなってて、なんかこれでいいのかなみたいな形で、あんまりそこで金銭に囚われなくなって。
結構得意なことはいろいろあるので、そういう中で、友達とかっていうのを中心にしつつ、社会的に何かできたらいいななんていう活動を、この4、5年は労働とか仕事っていう観点でやってて。そのボランティアをやる前後と、着物を着始めたタイミングがほとんど同じで。そこで、着物を着てYouTubeを始めるっていうので、「利益には正直ならないけど、自分の得意なことをして、こんだけ反響が返ってくるならいいな」みたいな、結構「勇気づけられた」みたいなコメントもあって。なんでかっていうと、私、「ふっくらさんの着物」っていうチャンネルでやってるんですけれども、そもそも私が着物を始めたのっていうのはすごく太っちゃったからで。

ユニクロの1番大きいサイズでギリギリみたいな、これ以上太れないって感じになって。そういったときに夫に「洋服が入らないなら着物にすればいいじゃん」って言われたんですね。
まず、着物にはサイズがないという間違った知識のもと夫に言われて。私もそうじゃんと思って、次の日に買いに行ってっていうことがあって。実際着物にはサイズあったんですけど。でも、洋服よりは全然融通が利くし、結構体格が大きいということもまた1つ、着物が着映えしたりとか似合ったりとか、そういうこともあったりとかして。
これはいいなと。洋服が着れないとか入らないとかかわいいのがないって言ってる人は、着物っていう選択肢もあるとか。自分も着物を着始めてすごく病状も良くなったり、これまで右肩上がりだった体重がピタッて止まって、水平になったんですね。
なんかそういう意味でも、体重から見ても、日ごろの活動量から見てもこれは健康に良いということもあって。多分それは自分が好きなものを着てるとか、子供の頃からすごく洋服が好きだったので。心から楽しいって思えること、そういうのをやってるっていうのが、いいんだろうなってことに気づいて。体型に悩んでる人にも、自分が似合う似合わないとかあるかもしれないけど、どうしても自分が好きなものを、やっぱり着たらどうだろうかとか、もし洋服似合わないんだったら着物っていう選択肢もあるよとか。何かそういうことを、発信していて。

何の話だったか忘れちゃったけどそういうことで、お金にならない発信だけど、割とコメントで、「私も結構、体型がふっくらで」みたいな。「だから参考になりました」みたいなコメントが多くて。割と日本中の悩める方を元気づけているというのが実感してるところなんですけれども。

未来 : 私は自分の生きざまをさらすことが使命だと思ってるので

qbc:未来に対するイメージって、今どんなイメージをお持ちですかね。

安野:人生において、私、4つ優先順位をつけていて。まず1つ目は、今後できるであろう家族と楽しく平和に暮らすこと。ちょっと正直、今夫と離婚しようっていう話になってるんですね。それのいろいろ準備をしてるんですけれども。
とはいえ私は、夫とは1回離婚するけど、別に今後も家族を持つとか子供を産むとかっていうことはしたいんですね。だから、そういう将来的な家族と楽しく暮らすことってのが1番優先事項ですね。

2番目は、歌を歌うこと。やっぱり何してるときが1番楽しいって歌を歌ってるときが1番楽しいんですね。
私は多分歌詞を見たら歌える曲っていうのが5000曲ぐらいはあると思うんですね。
その中にはほとんど世には知られてないような曲もあって、そういう曲をどうにか私のそのYouTubeとかの知名度によって広めていきたいっていうのがあって。音楽で有名になりたいとか、音楽で稼ぎたいみたいな気持ちはなくて、ひたすら歌を歌ってたい、願わくば全然有名じゃない曲をもっとみんなに知ってもらいたいのが、これが2番目の優先順位で。

3つ目は短歌に恩返しをすること。今まで本当、短歌はぶれずに頑張ってきて、「心の花」っていう短歌結社にいるんですけれども、初対面の短歌やってる人に、「心の花に入ってるんです」って言うと、「先生は元気?」とか、「あの若手の○○さん最近どう?」みたいな話を振ってくれて。絶対話題に事欠かないんですね。その「心の花」に入ってるっていうのが、すごい肩書きとして本当に役に立ってる。でも、半年ちょっと前ぐらいに、肩書きがちゃんと肩書きとして機能するには、これは中の運営をやってる人がしっかりしてるからだってことに気づいたんです。
短歌結社って年会費を払って入るもので、例えば毎月の雑誌とかイベントとかっていうのはみんなボランティアでできる範囲、できる人ができる範囲でやってるんです。特に、すごく短歌について一生懸命な人は本当に負担が大きくて。みんな仕事もしてるのに、土曜日も日曜日も割いてたりとかして、みんな好きだからやってるんだけど、でもそういうのに何かおんぶに抱っこでここまで来ちゃったなっていうのがあって。だから「心の花」っていう結社の運営する側の中の人として、私もそろそろ自分の時間を使った方がいいなっていうのを思ってきて。だから結社に還元するっていうのと、もう1つ短歌っていうものを、例えばまだやったことない人に広めたりして、「いいものだよ」みたいな、何かそういうことで短歌っていうものに還元できるような活動をしたい。これも恩返しなんで、お金のことは全然考えてなくて。自分が楽しくて周りの人ももっと楽になったりとかすればいいなってのが3つ目。

4つ目が着物関係でお金を稼ぐこと。これはYouTubeの収益化とかもそうですけど、着物関係で起業したいとかっていう具体的な案もあったりとか。
そういうのもあるので、ここはお金にして、それの知名度で短歌とか歌とかっていうのも自由にやれるように、今後そういうふうにも頑張っていきたい。これが4つ、今から死ぬまでのビジョンでやってることですね。

qbc:もしもの未来っていうのを聞いていて。
もしも、これまでの努力が報われる、好転する、今まで頑張ってきたことが実を結ぶとしたら、どうなると思いますか?

安野:努力が実を結んだことしかなかったから、もしもでもないって感じなんですけど。
直近だったら例えば閉鎖病棟5回入院してますけど、閉鎖病棟で作った歌ってすごく受けてて、結社の中の選者賞っていうのをもらってたりとか、あとは雑誌で特選っていう「今月のよかったで賞」みたいな、そういうのに入ってたりとか。
やっぱり作品っていう形で私はちゃんと成果が出てるので、本当は病院に入院するの嫌なんですけど、でもいっかみたいな。なんかこれは多分私の考え方というか、物を作ってる人はこういう感じかなって思うんですけど。

何かがあっても、「私文学者だからしょうがないよね」っていう気持ちで生きてるんですね、1つは。例えば病気になったりとか働けないとか、すごい派手に遊び回るとか、そういうことがあっても。「でも歌人って大体そんなもんじゃん、与謝野晶子だってすごいじゃん」みたいな感じで。まず自分の人生を肯定できちゃうのと、あとは何が起こっても作品になるからいいやみたいな。
「全部ネタになるし」みたいな感じで、物を作ってるっていうだけで、徒労とか、無駄な努力みたいなのとか無駄な苦痛みたいなのが全然なくて。だからそういう意味では、努力したことも、別に努力じゃなくて、もうしょうがなくてそうなっちゃった病気とか入院とかそういうのも全部含めて、全部が実を結ぶから別にもしもでもないし、何かこういうもの、みたいな。
でもこれはちょっと文学やってる人の、ちょっと問題のある発言かもしれないんですけど、偏りのある思考というか。

qbc:いつごろから自分を、創作する人って捉えるようになったんですかね。

安野 : 多分、中高生の音楽習ってたときに、先生から「ゆり子ちゃんは根っから芸能人だから」って言われてて。
そこでも何か、あまりいい子ちゃんの歌とか作ると怒られて、悪い子になりたいとかそういう歌を作ると、先生の受けがいいとか、そんなところでやってたので。例えば学校に行かないとか、そういうことも当時から歌詞にしたりとか、だから「創作する人」っていう自覚は昔から徐々に。多分その根底には昔から私は私のことが結構好きなんですね。
病気とかの人、精神の病気の人って自分のこと嫌いだったりする人って多いと思うんですけど、そこが割と最初から自分のことが好き。だから、何かどういうことが起きても、何か物を作ってたっていうのが昔からあったから昔からこんな感じで、まあいっかみたいな。ネタになるしっていう感じで生きてますね。大変なことに遭遇して、1回1回は大変ですけど。
過ぎてみれば、何か作品にできたからいっか、みたいな感じで終わっちゃいますね。

qbc:最後に言い残したことがあれば、お伺いしております。

安野:今回60分のインタビューで、ざっくり私の人生とか考えてることは伝わったかなと思うんですけれども、実物にね、会ってみたりとか、喋ってる言葉とか表情とかっていうので伝わることもたくさんあると思うので。ぜひYouTube見てもらったりとか、あとはnoteに今までの短歌をいろいろあげてたりするので、ちょっと興味ある方は短歌を読んでほしいなと思います。
あとは、私は自分の生きざまをさらすことが使命だと思ってるので、元気そうなときも、すごい病んでて布団の中から動けなくて、病みツイートを連投してるときもあるんですけども、そういうのも見て欲しくて。

「こういう人もこういうときあるんだ」とか、「1人じゃない」とか、「何か自分もわかる」とか、そういうので何だろうな、私がスガシカオの歌詞を読んで、自分より駄目な人いるな、みたいな気持ちになって寄り添ってもらったみたいに私を使って欲しくて。だから、気になった人だけで全然いいんですけど、YouTubeとかnoteとか、あとTwitterとか。Twitterは結構病んでる日も多いので、人を選びますけど、気になった人はぜひね、あの、いろいろ見てもらえたら伝わることもあるかななんて思います。
はい、以上です。

YouTube「ふっくらさんの着物【ふくのん】」

note 

あとがき

そして、私は、彼女に定期的なインタビューを申し込むのだった。
短歌の創作の歩みを求めて。

【インタビュー・あとがき:qbc】

【文字起こし・編集:のの】

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