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【海士町】海士町での生活が真の生活なんじゃないかみたいな。本当に自分の人生に合っている人

海士町また2回目行くだろうなと思ってる。なんだろう。仕事だからかな。
こんどはサンライズ出雲で行こうかなと思ってる。私が行ったほうがいいよ、って言ったから行きたいと思う人がいるからには、私はもっともっと海士町のことを知らないといけないと思うし、そもそも隠岐諸島全体のことも知らないとまずいんじゃないかなという気もしてきた。
うんうん。
と、いうことで、ということなんだな。深夜かもしれない。
と思う2024年5月26日1時34分に書く無名人インタビュー773回目のまえがきでした!!!!!
【まえがき:qbc・栗林康弘(作家・無名人インタビュー主宰)】

 今回ご参加いただいたのは ふのれい さんです!

 年齢:~10代
性別:おとこ
職業:無職(インターン)


現在:本当に皆さんから気にかけてもらってるし、とても優しいですね。そこがすごく好きで、魅力を感じて今は生活をしています。

ナカザワ:
ふのさんは今何をされてる方ですか。
 
ふの:
年齢は18歳で、高校卒業直後に大人の島体験っていう制度を使って、今は島根県の海士町の役場で広報担当として、海士町の公式Noteを書いたりしております。

 ※島体験

ナカザワ:
具体的には毎日どんなお仕事をされてるんですか。
 
ふの:
今のところはnoteの記事が中心なので、先輩についていって取材をさせていただいたり、取材の記事を書いたり、修正してもらって書き直したりとかっていうのを基本的には毎日やっております。
 
ナカザワ:
4月からいらっしゃってるということですけど、いろんな方に取材に行かれたりとか記事書いたりとかされてるところなんですか。
 
ふの:
島留学の制度で、来てから1週間はスタートアップ研修っていう、島体験島留学の人たちが交流する期間があるので、仕事を実際に始めたのが4月の半ば過ぎぐらい。なので、ガッツリ記事1本書き終えて投稿したりとか取材に何人も行ったりとかっていうのまだないです。
 
ナカザワ:
今の生活の中で、どんなことに楽しみとかやりがいを感じてらっしゃいますか。
 
ふの:
そうですね、海士町はやっぱり自然あふれる島なので、趣味で釣りが好きなので、釣りによく行ったりだとか。島体験制度で週に1回金曜日に研修があるんですけど、その研修で山に入ったりすることもあったりしたので、自然を体感する機会がありますし。あとは町の人も皆さんとても優しくて、いい意味で壁がないっていうか。

この間、ゴールデンウィークは地元の出雲に帰省したんですけど、そこから帰ってきたとき、フェリーで海士町についてから家まで車で送ってもらえる手段がなくて、キャリーバッグをゴロゴロしながら結構時間をかけてシェアハウスの自宅まで帰ってきたんですけど、そのことをシェアハウスの目の前の商店のおばちゃんに話しかけたら、そんなこと言ったらうちの商店に電話したら、迎えに行くわね、ってめっちゃ言ってもらって。
なんかもう全然冗談じゃないですよ、それが。ちょっと半分怒られてるぐらいの勢いで言われたりして。とてもとても皆さん優しいですね。おすそ分けとかもかなりハイペースでもらいますし、結構な量を。
本当に皆さんから気にかけてもらってるし、とても優しいですね。そこがすごく好きで、魅力を感じて今は生活をしています。
 
ナカザワ:
生活始めて1ヶ月ぐらいだと思うんですけど、その時点で近所の方におすそ分けいただいたりする関係性ができてるってことなんですか。
 
ふの:
はい。飛び込んできて4日目でカキをいただきました。
 
ナカザワ:
牡蠣…なるほど。
 
ふの:
僕が住んでるシェアハウスっていうのが、何年か前から島体験制度でシェアハウスとして利用されてるというのもあって、新しい人が入っているっていうのは近所の皆さんもよくわかってるみたいなので、それもあってか、結構よくしてもらってるのはあるとは思います。めちゃめちゃありがたいです。
暮らしの部分がめちゃくちゃいいですね。そこは充実してますし、満喫しています。
 
ナカザワ:
今の暮らしはこれまでのくらしとどういうところが違いますか。
 
ふの:
こっちに来てから、懐かしいなっていう感覚があって。僕がすごくちっちゃい頃、小学校あがる前とか、小学校なりたてぐらいの昔の自分の地元の雰囲気にすごい似てるなって思っていて。近所のおばちゃんとかおじいちゃんとかがみんな気にかけてくれて、おすそ分けで畑から取ってきたままの泥いっぱいついた美味しそうな野菜もらったりとかっていうのがすごい似てるんです。
僕の感覚では、最近地元の出雲がちょっと栄えてきて、田んぼが住宅地になったりとかっていうのがすごいハイペースで起きているんですね。それによって自分の住んでる地区の中でも知らない方がたくさん増えて、なかなか話しかけるっていう機会も減ってきて。それに伴って近所のおじいちゃんおばあちゃんたちとの交流も減っていって、みたいな状況があったので、最近は出雲では、こういう、なんですかね積極的に気にかけてもらえたりとか、近所との交流がなかったんですけど、こっちに来てからすごい自分が幼かった頃の出雲に似ているなと思って、懐かしいなっていう、ちょっとなんか嬉しい感じにはなりました。
 
ナカザワ:
嬉しい、なるほど。
ちなみに、平日がお仕事で、土日はお休みみたいな感じですか。
 
ふの:
暦通りに仕事をしています。
 
ナカザワ:
おやすみの日は何をされてるんですか。
 
ふの:
休みの日はそうですね、週末だからゆったりしたいなと思いつつ、何だかんだ、地区の行事の予定がありますね。あと、海士町での社会人の軟式野球にも加えていただいたので、それの練習に行ったりとかしていて、結構土日も暇でゆったりみたいな日はないですね。地区の掃除があったりとかもするので、そこに参加したりとか、結構土日の地区の行事とか参加させてもらうことが多いですね。
 
ナカザワ:
参加してみてどうですか。
 
ふの:
参加してみて、まだお話したことがなかった同じ地区の方とかも集まるので、そのときは近くのお寺の掃除だったんですけど、初めましての方に挨拶したりとかして、結構そのタイミングで話しかけてもらうことも多いんです。「どこに住んでるの?」「地区のこの辺なんですよ」「あの家か」みたいな感じで言ってもらえるし、そこでまた顔を覚えてもらうことによって、その後おすそ分けもらったりとかもしますし、あとは結構あるあるなんですけど、お茶しにきないやとか言ってもらえたりとかして新しく知ってもらってまたよくしてもらえたりするので、結構地域の人と関われるっていうのをメリットに感じて参加してたりします。
  
ナカザワ:
ちょっと話題変わるんですけど、ふのさんは周りの方からどういう人だと言われますか。
 
ふの:
そうですね。大人っぽいってすごい言われます。
 
ナカザワ:
なるほど。
 
ふの:
大人っぽいっていうか、話してる中で、年いくつなの、みたいな話になるんすけど、そこで高校卒業したての18ですって言ったら、え、って絶対言われます。
喋り方が結構落ち着いてるっていうのはすごい言ってもらえて、昔高校時代にやっていたラジオの影響もあるかなと思ったんですけど。元々僕いろんな人と喋るのが好きだったりしたので、そこから、18にはとても見えないって言っていただくことが多いですね。
 
ナカザワ:
ご自身として、そう言われることに対してはどうですか。
 
ふの:
そうですね、言われるのは、別に気分は全然悪くないし、あんまり謙遜しすぎても逆に相手の気分悪くなっちゃうんで、どのラインで返せばいいんだろうって考えながらいつも返答してるんですけど、悪い気はしないです。
でも自分的には、最近の高校生って以外に、大人の方と喋る機会も増えてる気がしていて、大人とかと全然喋れない高校生って最近減ってきたと思っていて。
 
ナカザワ:
なるほど。
 
ふの:
多分周りの人が思っているより最近の高校生は落ち着いてますよ、ってちょっと心の中で思いながら話させていただいてますね。「最近の高校生はこういう人も多いですよ」って実際話すこともあるんですけど。
やっぱり大人になったら高校生と関わる機会って結構少ないじゃないですか。なので、高校生は落ち着いてる、みたいなのはなんか浸透しないのかなっていう感じしますけどね。
 
ナカザワ:
今の生活の中で関わる方っていうのはやっぱり年上の方が多いですか。
 
ふの:
そうですね、もうほとんど年上の方ですね。
高校生と関わる機会もないので。年下といえば高校生中学生小学生はなるんですけど、自分の地域に全然高校生がいないっていうのと、あとは仕事柄、役場の総務課で高校生にかかわる機会はないので、基本的に関わってる方も年上の方ですね。同級生はまだ島に来てから1人も会ってないですね。
 
ナカザワ:
なるほど。島留学も結構、社会人の方が多いんですかね。
 
ふの:
そうですね。島留学制度自体も、元々20歳から29歳、20代が範囲なので。僕は事務局の方で関わりのある方がおられたので、そこの方に、18歳なんですけど行きたいですって言ったら事務局さんからいいですよって言っていただいての今回の島留学の参加になるので。
なんで島体験制度を通しても、18歳、僕と同じ年齢は僕1人しかいないですし、島全体をみてもやっぱり高校卒業後は島外で就職とか、島にある企業でも事業所が島外だったりとかっていう方が結構多いので、あとは大学に行くとかが多いですし、同級生に会わないっていうのはそこが結構大きいと思います。
僕の1歳上の方は、島体験で何人かいるんですよ。他のシェアハウスにも1人いるんですけど。やっぱり大学1年の年の人は、結構勇気のいる選択だと思うのでいないですね。

過去:何かの媒体を使って発信することによって僕の感じた刺激を他の人に共有することができるんじゃないか、刺激を感じる可能性を広げられるんじゃないか

ナカザワ:
過去の話も聞いていきたいんですけれども、ふのさんは子供の頃、どんなお子さんでしたか。
 
ふの:
子どもの頃、小学生とかですか。

ナカザワ:
そうですね、それぐらいとか。
 
ふの:
出雲弁でいうと、はばしくて、いけず。いけずの方が大きいかもしれないですけど。いけずは結構全国的にも言うと思うんですけど、なんかこう、悪ガキみたいな。
で、はばしい、は、騒がしいっていうか、よく動く。
じっとしとれん子供、みたいな感じでしたね。ずっと走りまわってるし。なんか普通のやんちゃ小学生とか、やんちゃなチビッ子みたいな感じでした。
 
ナカザワ:
はい。
 
ふの:
子供のころ、ゲーム機は何回か持たせてもらったんですけど、1日30分までとか、そういう時間制限が徹底的に守れない子供だったので、破るたびに没収されるっていう感じで、ほとんどゲーム機を持っていない期間が長かったので、それもあって消去法的に外で遊ぶことが多かったような気がします。
 
ナカザワ:
ゲーム機の没収は保護者の方とかですか。
 
ふの:
そうですね。親です。
 
ナカザワ:
外ではどんな遊びをしてたんですか。
 
ふの:
野球とか。チームじゃなくて友達の間で草野球的な感じとか、あとは100均とかで売ってるエアガン、BB弾出るやつでめっちゃ遊んでました。
典型的な小学生男児って感じで。あとは音が鳴るおもちゃあるじゃないすか。火薬が詰まってて、ピストルみたいなやつ。あれを見つけるたびに買って、いたるところで鳴らした記憶がありますね。友達といる間はそういうのが多かったかな。
一人になったらずっと電車でしたね。
 
ナカザワ:
電車ですか。
 
ふの:
小学生とかって仮面ライダーとか、ポケモンとか、僕の時代だと妖怪ウォッチとか流行ってたんですけど、僕はそういうのに1つもはまらなくて、ずっと電車が好きで。プラレールとか、電車の模型とかでずっと遊んでました。
 
ナカザワ:
なるほど。乗るとかじゃなくて。
 
ふの:
そうですね、乗るってなるとお金かかるし、乗りたいのもあったんですけど、たまに乗れる貴重さが好きだったので、普段はずっと模型っていうかプラレールとかおもちゃの電車で遊んでました。
あの、プラレールってスイッチ入れたらずっとまわって動いてるじゃないですか。
 
ナカザワ:
そうですね。
 
ふの:
で、駅とかの引っ掛かりみたいなので急にバーンと止まると思うんですけど、なんかその、リアリティのなさが、当時その頃からあまり気に入らなくて。ずっとスイッチを入れない状態で手で転がして、ゆっくり発車させてゆっくり止めるみたいなのをやってました。
 
ナカザワ:
それは、本当はこんなんじゃないっていうのが、嫌だったというか。
 
ふの:
そうですね。本当の電車ってそういう止まり方しないから自分でやる、って感じで。ゆっくりおもちゃの駅の横にしっかりと綺麗に停める、みたいなのをやってました。
 
ナカザワ:
なるほど、それが小学生ぐらいのときの記憶ですか。
 
ふの:
そうですね、小学校とかですね。
中学校になってもまだ、プラレールじゃないんですけど、今もまだあるかな、Nゲージダイキャストっていうシリーズなんですけど、わかります?
 
ナカザワ:
Nゲージっていうのは電車の模型の。
 
ふの:
そうです、電気で走る細いやつなんですけど、あれの展示用。動かないタイプがあるんですよ。
 
ナカザワ:
はいはいはいはい。
 
布野:
電気通って動くものよりは比較的安価で、結構おもちゃ屋さんとかでも普通に売ってたりするやつなんですけど、それを親が出張に行くたびにお土産で買ってきてくれたりしたので、中学校になっても、以前そのNゲージダイキャストのそのシリーズで、遊んでました。中学生ながら。(笑)
 
ナカザワ:
こだわりのポイントは、どの辺りだったんですか。
 
ふの:
プラレールより細部までちゃんと再現されてるんですよ。プラレールみたいに丸く可愛くみたいな感じじゃなくて、ちゃんとその車両が実際のものとかなり近く再現されてるので、リアリティが格段に上がって。
リアリティが上がるっていうのにこだわっていたのかもしれないですね。
 
ナカザワ:
リアリティを求めるタイプだったんですね。
 
ふの:
ですね。なんかそういうしっかりとした模型とかが好きでしたね。
 
ナカザワ:
なるほど。はばしくていけずな子供だったころと比べて、この頃変化はありましたか。
 
ふの:
中学生の間はほとんど変わってないですかね。結構よく怒られるタイプの生徒でした。クラスに1人いる、法すれすれな悪ガキっているじゃないすか。あそこのレベルではなくて、中堅。なんか普通のちょっと悪い子みたいな感じのポジションでいろいろやってた気がしますね。普通の男子生徒のような。理科の実験の砂糖とか食べるタイプでしたね。
 
ナカザワ:
なるほど。
 
ふの:
中学校の活動で言うと、部活はソフトテニス部に入ってて、あと生徒会に所属していました。そこで、生徒会長選は落選したんですけど、1年間議長をやって。
あとは放送するっていうか、大きいところで喋るっていうのがちょっと好きだったので、1・2年生は放送を担当する広報委員会に入りました。
体育祭で実況するじゃないですか。競技の実況。そこで、自分で言うのはあれなんですけど実況の才を開花させて。「何組さん早いです」、とかじゃなくて、勢いにまかせて競馬中継みたいな実況をしちゃって。そこから、体育祭期間になると実況の布野って呼ばれていました。
あとは、合唱コンクールの指揮者をずっと好きでやっていて、何回か指揮者賞を取らせてもらったりとかして。そうですね、先生に言われたのは、お前ちゃんとしてる時はちゃんとしてるけど、抜けてるとこは抜けとるけん、評価はプラマイゼロだぞみたいな。
なんで、まあ、中学校で意外にそういう、組織を引っ張るとかちゃんとするみたいなスキルは伸びたかなとは思いましたね。
 
ナカザワ:
ご自身がそういうことをやってみようと思ったのはどういうきっかけですか。
 
ふの:
今だから言えるんですけど、多分当時はただ目立ちたいっていうのが一番だったと思います。ちっちゃいときから目立ちたがり屋だったので。
例えばニュースのテレビ取材とか、いろんなイベントでいるじゃないですか。やっぱり映りたいんで、カメラマンをじっと見て、インタビューしてくれオーラみたいなのを出したりして映ることが多かったですね。
あと、生徒会長選に立候補したのは、生徒会長って、長なんで、組織引っ張る的な感じのところに憧れを感じたんだと思います。まあでも目立ちたがり屋が多分全ての根源にはあると思います。
 
ナカザワ:
実際に目立ってみて、というか役割を得て、ご自身としてはどうでしたか。
 
ふの:
いやもう、良かったかなって。多分そこで、自分では気づいてないですけど、小っちゃい、一歩を踏み出す勇気とか、一歩踏み出すことの大切さとかを学んでいた気がしたので、そういう経験はすごい今でも生きてるのかなと思いますね。
あと、埋もれたくない、とかっていうのもあったので、学校に1人2人しかいない議長やらせてもらったりとか。埋もれないようにはなったのかなと思いました。確かに今考えると、自分にとって中学校の3年間は結構大きかったのかもしれないですね。
 
ナカザワ:
埋もれたくない、とか、目立ちたいとか、そういった気持ちは中学生のときから強かったんですか。
 
ふの:
そうですね。「目立ちたい」は多分ちっちゃいときからあって、小学校とかその頃から目立ちたい気持ちはあって、中学校から埋もれたくないっていうのはあったと思います。普通になりたくない、普通になっちゃう、みたいな。周りと一緒、っていう感じが、自分としては多分埋もれるっていう感覚としてあったと思います。
 
ナカザワ:
なるほど。結構中学時代にそういう挑戦というかいろいろ目指すための行動を経験されてきたっていうところですね。
 
ふの:
そうですね。
 
ナカザワ:
高校生活はどうでしたか。
 
ふの:
中学校から引き続き、高校は1年生の前期からずっともう生徒会に入り浸り。あとは、そうですね、中学校は自分でもちょっと勉強できた方というか、中学校の勉強は簡単だなって感覚だったので勉強楽しいっていう気持ちのまま、地元では進学校と言われるような高校に進学しました。全国で見たら結構普通のレベルなんですけど。
進学してちょっと経ってから、中学校の勉強と全然レベルが違うっていうのと、あとは基本的に高校の勉強って生活で見える部分が少なくなってくるじゃないですか。中学校の勉強はやっぱり比較的やっていても生活の中で学んだ知識がすぐ応用できたりとか、そういう部分で勉強楽しいっていうのを感じていたんですけど、高校生になってから、なかなかそういうことを感じられる場面がかなり減ったりしたので、そこから一気にその常識以上の勉強をやることに対してやる気を失っていって、1年生のなかば、2学期から3学期頭では、成績が低空飛行している感じでした。
1年生の間は、自分でもいろいろ環境変えたりとかして。
例えば部活を中学校から引き続きソフトテニスやってたんですけど、部活で疲れて勉強集中できないっていうのがあった気がしたので、半年で辞めて、そのときに興味のあった新聞部と放送部に転部をしてみて。変えてはみたんですけど、変えたら、自分の好きなものを選んだので、部活の方に興味がいったりとかして、結局、勉強はできないまま、つらつらと時は進んでいった感じですね。
 
ナカザワ:
勉強やらなきゃとか成績を上げたいみたいな思いっていうのはその時点では、あったんですね。
 
ふの:
そうですね、1年生の間は、ちょっと努力をしようと思ってた段階ではありました。
 
ナカザワ:
なるほど。その進学校に通いつつ、実際は進学はしないっていう選択をされたということになりますが、進路選択の理由とか、きっかけなとはありますか。
 
ふの:
そうですね、僕は高校2年生の夏に、島根県の、高校生のやってみたいを形にする、「やってみたいを解き放て」っていうコンセプトでやっている、島根未来共創チャレンジっていうプロジェクトがあるんですけど、そこに参加して、「しまね高校生ラジオ」っていうSpotifyで放送している番組を立ち上げました。

※SHIMANEみらい共創CHALLENGE
https://mirachalle-shimane.com/

結果的に、1年間、2年生の8月から3年生の10月まで運営して、今は1個下の世代、後輩に受け継ぐことができたんですね。
それで、何にも持ってない高校生が、1年間で、ラジオを立ち上げ、運営し、引き継ぐことができるっていうのを身をもって体感したのと、そのタイミングで大学で学びたいことが明確にはなかったので、特に学びたいこともないのに大学に4年間行くのは、自分には多分合ってないんじゃないか、というか、若い世代の4年間を潰すのは自分的には良くないなっていうふうに感じたので。

成績が低かったっていうのも全然あったんですけど、2年生3年生の頭ぐらいで大学進学という選択肢はないかなっていうふうに思ってました。
 
ナカザワ:
その選択をした際のハードルはありましたか。あんまり進学しない人って少ないのかなとちょっと想像したんですけど。
 
ふの:
そうですね、進学しない、就職っていう選択肢を取る人は年間に1人いるかいないかぐらいなので、進学をしない人はかなり珍しい部類に入りますね。でもその選択肢に対して、別に親は進学しろとも言わなかったですし、自分の人生は自分で決めなさいっていう感じの家庭だったので、特に先生が反対するわけでもなく、っていうので、あんまり自分としてはハードルを感じてはいなかったです。
 
ナカザワ:
うんうん。なるほど。
ラジオや放送の楽しさはどういうところに感じますか。
 
ふの:
そうですね。放送は学校の部活の方に関しては、元々そういうナレーション的な、アナウンス的なふうに物を読んだりするのが好きだったので、それをちゃんとやる、極めるみたいな感じでやってみたかったなっていう興味で。本当に興味本位で部活には入って。その中で、アクセントの話だったりとか、そこも結果的に見たらリアリティの話になるかもしれないんですけど、アナウンスとかナレーションを、本当にちゃんとやっているっていうところに関して多分自分は、面白さを感じていました。
 
ナカザワ:
なるほど。
 
ふの:
高校生ラジオは学校の部活なの?とか、授業の一環なの?とか結構言われるんですけど、全然そんなことなくて。本当に個人で、立ち上げのメンバーが同級生4人、僕とパーソナリティもう1人いて、あとデザインともう1人メンバーがいたんですけど、僕ともう1人のパーソナリティがラジオ好きで、深夜ラジオとかを聞いたりするタイプで。純粋にラジオをやってみたいっていう気持ちがあったので。
あとは僕の原体験が元になったりとかして、自分たちでやってみたいな思いが詰まって、ラジオ運営していたので、自分の好きなラジオを自分が今放送して作成しているっていうところに関して、楽しさとか面白さを感じていました。
 
ナカザワ:
どんな番組を作ってたんですか。
 
ふの:
Spotifyで検索していただいたら、「しまね」ひらがな、「高校生」漢字、「ラジオ」カタカナで検索してもらったらいつでも出てくるんですけど。
 
ナカザワ:
さすが、言い方がわかりやすいですね。 
布野:
コンセプトは、ラジオの中でも行っているんですけど、「刺激を共有する」っていうものなんですね。
高校の講演に参加したとき、その講演で僕が初めて刺激を受けるという体験をしたんですよ。
でもやっぱり、刺激を受ける可能性があった人ってその講演の会場にいた人しかないじゃないですか。なんかそれが勿体ないなって僕はすごく思って。
そこから、何かの媒体を使って発信することによって僕の感じた刺激を他の人に共有することができるんじゃないか、刺激を感じる可能性を広げられるんじゃないかなっていうふうに思って、ラジオを選んで、自分の好きなラジオを選んで発信していました。
 
ナカザワ:
その講演で得た刺激っていうのはどういったものだったんですか。
 
ふの:
高校生ラジオの第3回のゲストさんに来ていただいた方なんですけど、ヤフーの会社員で、僕らと同じ高校出身の方でした。高校は週に2.5回、中学校は週2回とか、ぐらいしか行かない方だったんですよ。
そういう方だったんですけど、パソコンばらしたりとか、機械いじくったりとか、ハンダごてで作ったりとかされていて、自分の好きを常日頃ずっと追求してるみたいな、生きたいように生きている方なんです。結局は全然学校に行けなかったけど、大学に行き、有数の大企業に入り、今も自分の好きを追求しながら、楽しく過ごしているっていうのに、なんていうか、そんな生き方もあるんだ、みたいな。

その頃は僕自身の学力も下がってた頃なので、先生に勉強しろ勉強しろって言われるし、親はまあ言うっちゃ言うんですけど、特に祖父とか祖母から、勉強しとかんと将来こういうふうになるよとか言われることが多かったので、やっぱり高校生は普通じゃないと、周りと同じような生活、周りと同じような学力を取っていかないと、なんていうのか、将来楽しく過ごせないとか生活できないんじゃないかみたいな感じで思わされて、ほぼ洗脳みたいな感じになってたんですけど。
もちろんその方もめちゃめちゃ勉強してるとは思うんですけど、それでも、好きを追求して生活していきながらも、楽しく、職もあって、やりたいことがずっとできるっていう人生、そういう選択肢があるんだって思って。そこに対して、刺激っていうか、衝撃を受けましたね。
 
ナカザワ:
なるほど、これっていつのお話ですか。
 
布野:
これは高校のそうですね、1年生の終わりぐらいですかね。 

未来:仕事に行くのも楽しいし、仕事をしている最中も楽しいし、帰るのも楽しくて、帰ってからも楽しい、っていう人生ができたらいいなって思ってます。

ナカザワ:
未来のことについての話を聞きたいなと思うんですが、ふのさんはどんな未来を思い描いてますか。
 
ふの:
今、自分の進路が、1年先、来年の3月までしか決まっていなくて。その先は言ってしまえば自由にはなるんですけど、そこの選択肢をどう取るかっていうのに今もうすごい悩んでて。
すぐ目の前の将来に対して、すごい迷っているので、何十年先の未来については全然考えてないっていうか、わかんないです。本当にこの1年間とかその次の年の生き方によってその将来がらっと変わるので、長いスパンでの将来がまだ見えてないというか見れないっていう感じです。
 
ナカザワ:
今の話だと、どうなりたいとかどういう仕事をしたいとかっていうレベル感ではないのかなと思ったんですけど、生き方としては、何を大切にしたいですか。
 
布野:
なかなかそんな人生はないと思うんですけど、常に楽しいと思える人生がいいな、と。仕事も楽しいし、趣味も結構充実しているような人生。仕事に行くのも楽しいし、仕事をしている最中も楽しいし、帰るのも楽しくて、帰ってからも楽しいみたいな。っていう人生ができたらいいなって思ってます。
 
ナカザワ:
ちなみに1年後までは楽しそうだと思いますか。
 
ふの:
どうだろう、楽しいのかな。島留学が6月まで、ちょっと今延長考えているので、延長が通れば9月までっていうところなんですけど、それ以降は島根の雲南っていうところの会社にインターンに来なよって言われていて。なかなかそこでの仕事の内容が見えないっていうか、企業自体が結構、何ていうんですかね、決まった仕事がないみたいな。自分がどういう仕事をして、インターンでどんな経験をするのかみたいなのも全然今わかってない状態です。
楽しいかどうかも、不安というか、どうなんだろうみたいな感じはずっとあります。
 
ナカザワ:
会社自体は何の会社ですか。
 
ふの:
これもちょっと難しいですね。大きく言えば福祉なんですよ。会社名はCNCっていうコミュニティナースカンパニーっていうところなんですけど、

ナカザワ:
なるほど。コミュニティナース。

※コミュニティナースとは…
『人とつながり、まちを元気にする』コミュニティナースとは、「コミュニティナーシング」という看護の実践からヒントを得てCNCが独自に提唱・普及してきたコンセプトです(商標取得済み)。ナースという名称が入っていますが職業や資格ではなく、誰もが実践できる行為・あり方です。暮らしの身近なところで元気なうちから、『毎日の嬉しいや楽しい』を一緒につくり心身そして社会的な健康やウェルビーイングに寄与します。(株式会社CNCホームページより引用)

ふの:
ご存知ですか。
 
ナカザワ:
存じてはおりますが、そうですね、難しいですね表現が。
 
ふの:
めちゃめちゃ難しいじゃないですか。
高校生ラジオの頃からお手伝いいただいていて。元々そのみらチャレでそこの社長さん、矢田さんが僕らのプレゼンを聞く立場で、場所を貸していただいたりとか、いろいろお手伝いいただいたっていう繋がりがあって、インターンに来なよって言っていただいたっていう流れなんですけど。
僕も2年ぐらいコミュナスの活動とか、結構近くで見たりとかしてはいたんですけれども、未だにコミュナスの活動を全部説明できないというか、理解しようとしてもなかなか難しいので。しかも、そもそも会社自体がたくさんめちゃめちゃ種類のある動きをするから、僕もインターンでどんな種類の動きをするかわからないんですよね。
 
ナカザワ:
じゃあラジオの活動がインターンのきっかけになったんですね。
 
ふの:
そうですね、言ってしまえば、島留学も同じなんですけど。
 
ナカザワ:
そうなんですね。
 
ふの:
はい。島留学の方はみらチャレの事務局の方で、海士町にあるAMAホールディングスが副業先という方がいらっしゃって、その中で島体験を紹介してもらって、自分に合ってるなって感じたので、そこで決めました。今決まっている進路は、完全に自分のラジオから来ているものが多いです。
 
ナカザワ:
これからは9月以降も含めてやってみて、どうなるんだろうって感じですね。どうなるんでしょうね。
 
ふの:
そうですね、インターンの形も結構特殊で、大体こういう流れだよっていうのを教えてもらったんですけど、インターン生が重役につくんですよ。
 
ナカザワ:
重役ですか。
 
ふの:
僕の場合はICTのトップの方につかせていただくんですけど、その人について、その人から全てを学べ、みたいな感じなんですよ。
 
ナカザワ:
へえ。
 
ふの:
もう訳がわからなすぎて。このあとその方に、僕の最近の活動を教えて欲しいって言われてまたちょっとオンラインでお話させていただくんですけど。
  
ナカザワ:
さっき今後のことについて迷ってる、という話だったんですけど、どういうことに一番迷ってますか。
 
ふの:
何に迷っているんだろう…。その、仕事を取るか暮らしを取るかみたいな感じで迷ってます。
それとあと、自分のスキル、ラジオができるとか、機械が触れたりとか、実況ができたりとかアナウンスができたりとか、自分で言うのもあれなんですけど結構できることは多いんですけど、ジャンルが違いすぎて、それを出し切れるものっていうのが、ほとんど確実にないんで、スキルの多くを活かせるような仕事をするのか。自分としては電車が好きっていうのがまだ残ってるので、今の選択肢の一つとしてJRがあるんですけど。その選択肢を取るのかとか。どの部分を重視して決めるのかっていうのに迷っています。
 
ナカザワ:
なるほど。考え方のところですね。私も答えは持ってないんですけど、そうですね、これからどういう経験を積んでいったら、そこがクリアになると思いますか。
 
ふの:
自分としては多分やってみないとわかんないって感じなんで。
そこまでに趣味が充実してる方がいいのか、仕事ができる方がいいのか、技量を出し切れるほうがいいのかとか、どうなんだろうって。いろんな人とお話をさせていただくと思うんで、いろんな人に相談しながら、いろんなところで生活しつつ、導き出していけたらいいなって。そういうふうに考えています。
 
ナカザワ:
ご自身としては、将来も見えてない部分もある状況だと思うんですけど、その状況に対してはどんなふうに捉えてますか。
 
ふの:
今みたいに考えてるってことは、例えば、スキルの面で考えると、今まで自分のスキルを出せるチャンスがたくさんあって、そのスキルを使わせていただいた場面がすごいたくさんあったっていうことなので、そこに対しては純粋に幸せっていうか、よくしてもらった人生だな、感謝すべき生活をしてきたんだなっていうのは考えますね。
 
ナカザワ:
うんうん。
 
ふの:
趣味の部分もそうなんですけど、趣味をやらせてくれた自分の家の親だったりとか、これだけ自分がたくさんの経験を積めているってことはそれだけ多分周りに迷惑がかかってることは、少なからずあったとは思うので、そこに関して感謝しなければならないなっていうのは思います。
 
ナカザワ:
先ほども、中学生のときにいろいろなことに挑戦することに踏み出してよかったっていう話があったんですけど、その経験がなかったとしたら、今どんな人生だったと思いますか。
 
ふの:
そうだな、思わなかったってことはすなわち埋もれてるっていうことですよね。
 
ナカザワ:
そうかもしれないですね。
 
ふの:
普通の人になっていた。そしたら、なんだろうな。でも大学には進学してないんじゃないかな。結局、高校卒業してそのまま、それこそJRに行ったりとかしてる気がするのと、高校生になってから車に興味を持ったので、工業系の大学行ったりとかしてるんじゃないかなって思いますね。普通の大学生になって、普通の大学生のノリをやってると思います。
 
ナカザワ:
インタビューを通して、「普通」っていう言葉がよく出てきてた印象があるんですけど、ふのさんにとっての普通はどんなことですか。
 
ふの:
普通、なんか、他と一緒っていう感じですかね。
他の人と同じ、平均的。仕事でいったら平均的な時間に出社をして、平均的なペースで仕事をして、平均的な時間に帰って、平均的な時間に寝るとか。中学校とか高校でいったら、高くもなく低くもない学力で、みんなと一緒に集団でぞろぞろ生活をして、基本的に前に出る場面はないので、みんなと一緒に講習会を聞いたりとか。そういう人生だったのかな。
僕の普通っていう言葉のなかに、平均的っていう感じの意識が多分あると思います。
 
ナカザワ:
なるほど、普通ってことは自分と同じ経験をしてる人がいっぱいいるって感じですかね。
海士町の方なので、皆さんにお聞きしてたことも、最後に一つお聞きしたいんですけど、ふのさんにとって海士町ってどういう場所ですか。
 
ふの:
そうですね。来てから1ヶ月なので今時点では、海士町に失礼かもしれないけど、何というか、身の丈にめちゃめちゃ合った町だと思います。
商店とかでも、普通のおじいちゃんおばあちゃんとも、お喋りしたら同じぐらいのお喋りが返ってくるし。気にかけてもらうときも、自分が嬉しいぐらいの具合で気にかけてもらえるし。
別にそんなに強い不便を感じないので、例えばコンビニだったりとか、マックがないとかあるんですけど、意外に生活してみたらそういうのは別に生活の中になくても全然大丈夫だな、不要なものだったなっていう。足りなくても全然今でも満足できていて、島の生活に。
考えたらなんか、これが、何か真の生活なんじゃないか、みたいな。無駄がない、本当に自分の人生とか自分の身の丈にとても合っている島なのではないかなと思っています。
 
ナカザワ:
ありがとうございます。 

あとがき

こういう人生もあるんだ、と人生で初めて感じた刺激は、私も味わったことがあり、それが知りたくて、今でもインタビューにかかわる原動力になっています。その刺激を広げることにおもしろさを感じることもあれば、刺激に出会い続けることにおもしろさを感じることもある。
いずれにしても、人生の基準となる価値観を壊す経験は、何回でも味わいたい魅力的なものです。
このインタビューを編集しながらふのさんの言葉をなぞっている中、ちょうど私も生活リズムが変わったところだったのもあって気づいたんですけど、「苦しみを乗り越えなければ楽は得られない」、っていう考え方が私の中に深く根付いているみたいでした。
他にも、身の程知らずじゃいけない、好き勝手して人に迷惑をかけたらいけない、とかもありますね。そんなうまい話はないんでしょ…、こんな私が…、という呪いにかかってしまう。
で、それが究極体に進化すると、そういう自分は社会に存在したらいけないから、表に出る部分はそういう面を極力排除していく。するとね、他者に本当の自分をさらけ出せない癖のついた人間になるのではないか、という世の理が見えてくるわけです。(きっと思想家、哲学者、文豪とかはこの真理にすでにたどり着いていることと思いますが…)
それを自覚すると気づくのは、「苦しみを乗り越えなければ楽は得られない」を信じ込みすぎると、あくまでも苦しみを基準とした生き方になってしまう、ということです。
コップに水が半分ほど入った状態を見て、「半分も入っている」と思うか「半分しか入っていない」と思うか、という問題と同じだと思うんですけど。
どっちに目を向けたいのかちゃんと自分で選んで生きていかなければならない、そう改めて感じました。

【インタビュー・編集・あとがき:ナカザワ】

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