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【海士町】自分が大事にしたいなって思える人たちを、大事にできる暮らしを送りたい人

私qbcはお父さんと仲良くなかったのであんまり話したことなくて、結局私が30半ばで死んじゃったのでそのまま記憶の中の父親と話してみることになるんだけど。
お父さん、旅行会社に勤めてたんだけど。
だから、今、ちょっと旅行、観光、ツーリズムに関係するようになって、だからお父さんに旅とは何か? みたいなことを聞こうと思っても、頭の中のお父さんに話しかけても、答えてくれないんだよね。私の脳内お父さんはさ。
だから、自分で考えるしかないんだけども。
旅とは何か?
旅とは新しいものとの出会いである。(それが楽しい)。
新しいものとの出会いとは何か?
それは、その新しいものと出会ったときの自分の新しい感受性との出会いである。
と。
旅の楽しさの正体とは、この新しい自分を発見する楽しさなのだろう、と検討を今はつけている(お父さんとの会話はいらなかった。言葉じゃない、DNAだったんだよ!)
というわけで「自分を発見する楽しさ」。
そして「自分を発見する楽しさ」の鋭さや、切り口の角度を、じゃあ増やすにはどうしたらいいか? それは問いですよ問い。
これはなんなんだ? と今までの思い込みをぶっこわすための旅。自分の常識を捨てるための旅。
あるいは自分の生き方はこれでいいのかと思い返し、振り返り、自分を見つめ直すための旅。
問う旅。問いのある旅。
qbcはquestion、break、creationなんです。問え! 壊せ! 産め! なんです!!!!!
と思う2024年6月1日10時50分に書く無名人インタビュー795回目のまえがきでした!!!!!
【まえがき:qbc・栗林康弘(作家・無名人インタビュー主宰)】

今回ご参加いただいたのは 藤尾ことみ さんです!

年齢:20代後半
性別:女性
職業:現在会社員、いつか起業?何かを継承する?、政治家になる?、何か全力でできることやり続けたい!でも、どこへ向かうかまだまだわからない!が本音です。でも生涯全力で生きていたい、という思いだけはあります。

Facebook:https://www.facebook.com/profile.php?id=100011379109198
拠点(隠岐諸島について):https://www.e-oki.net/


現在:島にいるときは、仕事が趣味みたいなところがあって

ナカザワアヤミ:
藤尾さんは今何をされている方ですか。

藤尾ことみ:
今は島根県の隠岐諸島で株式会社島ファクトリーという会社に所属して、主に観光、旅行業をしつつ、隠岐4島のDMOさんと協力しながら隠岐4島を盛り上げていこうと、本当にいろんなことをやっています。
島ファクトリーの代表が株式会社海士という会社の代表も兼任しており、そちらの会社のEntôという宿泊施設で、旅前のコンシェルジュをしています。あとは、隠岐には四つ島があるんですけど、隠岐に旅行に行こうってお客さんが思ったときにすごくアクセスがわかりづらかったり、それぞれの島でのアクティビティや宿泊とかを1個ずつ予約しなきゃいけなかったり、それがすごく大変なので、その問い合わせを一本の窓口に集約しよう、という動きをしていたり。具体的なところで言うと、そんなことをしています。

普段は隠岐にいるんですけど、実はこの4月1日から半年間東京の会社に出向に出てまして、今は東京にいるっていう感じですね。

ナカザワアヤミ:
そうなんですね。基本的に住んでるのはどこですか。

藤尾ことみ:
初めて隠岐に行ったときに海士町に行って。海士町には4年間住んで、その次に西ノ島町に1年間住んで、今年の春から東京に来て、半年間東京で暮らした後は、おそらく隠岐の島町に住む予定という感じです。

ナカザワアヤミ:
なるほど。島を転々としてるんですね。お仕事の活動拠点はどこなんですか。

藤尾ことみ:
最初は海士町の観光協会に就職をして、2年ほどは基本的に海士町にいたんですけど、ちょっとそれも変わっていて。
実は大学生のときに海士町に移住したので、1年目は海士町と大阪と東京の多拠点生活をしていて、翌年に海士町観光協会に就職をして、その後1年半ぐらい海士町を観光協会で働いて、その後、株式会社島ファクトリーに。観光協会と関係会社なので移籍という形で。
島ファクトリーに移籍してからは、海士町にある会社なので海士町をメインに活動しつつ、最近では隠岐4島の仕事に関わらせていただいているっていう感じです。

ナカザワアヤミ:
仕事をしていて、面白さとか、やりがいはありますか。

藤尾ことみ:
そうですね、私自身が仕事をしていく上で、一緒に働く人たちとか地域の人っていうのがすごく大事で。隠岐にいるといろんな人、島内にいる人もいろんな人がいますし、あとは島の外の人とも関われるっていうのはすごく面白くって。
隠岐4島の観光事業者さんとかとお仕事を一緒にすることが多いんですけど、みんな一見ぶっきらぼうに見えたりとか、一見すごく愛想がないように見えるんですけど、実はすごく熱い思いを持っていたり、本当はめちゃめちゃ優しいんだけど、ちょっとツンデレみたいな人がいて、そんな人たちを元気にしたいとか、その人たちがやろうとしていることを応援したいっていう思いがあるので、今の仕事をしていてすごく楽しいなとか、ここにいたいなって思います。

ナカザワアヤミ:
最近楽しかったエピソードはありますか。

藤尾ことみ:
最近でいうと、3月に東京で隠岐のイベントを開いたことですかね。
昨年度の観光庁の高付加価値事業の補助金を使って隠岐の宿泊施設さんと飲食店さんが一部改装したりとかリニューアルオープンをされたんですね。
イベントはその成果発表でもありつつ、今までバラバラに動いていた4島が手を繋いで、これから同じ方向を向いてやっていこうねっていう決意表明の場として開催したんです。

準備は大変だった部分もあったんですけど、事業者さんをそれぞれまわって、インタビューをさせてもらって、「隠岐に対してどんなふうに思ってますか」とか、「これから隠岐がどうなっていってほしいですか」みたいなのを、4島まわってインタビューをさせてもらって、なんかそれがすごく私は楽しくて。
今までは本当に、予約お願いしますとか、それぐらいの会話しかなかったんですけど、隠岐の未来をこんなにも熱く語れる人たちがいてくれるんだっていうことを発見したりとか、今まではあんまり接点がなかった事業者さん同士が、ちょっと照れくさそうにしながら、でもなんか、これから一緒にやっていこうぜっていう同じ方向を向いていってくれてることがすごく嬉しくて、それが最近で一番仕事で楽しかったことですね。

イベント概要

ナカザワアヤミ:
ありがとうございます。それまでは他の事業者さんの話を聞く機会はなかったんですか。

藤尾ことみ:
そうですね、隠岐の将来とか、隠岐4島でやっていこうねっていう話は実際あんまりしたことがなかったので、それはすごく私にとっては大きな出来事だったなと思っています。

ナカザワアヤミ:
普段の活動の中では、どんな方と関わることが多いですか。

藤尾ことみ:
基本的に一番多く関わるのは、やっぱり宿泊施設に問い合わせをされるお客様。宿泊施設とか隠岐に観光に来ようと思ってるお客様との、メールとかチャット、電話でのやり取りが一番多くて、そのやり取りの中でここ予約して欲しいですっていうお客様からの要望があって、そこで初めて事業者さん、例えば宿泊施設に、こういうお客さんがいて予約お願いできますかっていう感じですね。

ナカザワアヤミ:
仲介みたいなことをされてるんですね。

藤尾ことみ:
そうですね。ほとんどが仲介とか、予定組みとか、あとは、旅に来る前に相談に乗ったり、プロポーズのお手伝いしたりとか、いろんなことをしてました。

ナカザワアヤミ:
なるほど。お仕事のお話を聞いてきたんですけど、他に趣味とか最近やってて楽しいこととかはありますか。

藤尾ことみ:
そうですね、本当に島にいるときは、仕事が趣味みたいなところがあって、休みの日も一緒に働いてる仲間がどんな動きしてるのかなって見たりとか、あとは休みの日も事務所に行って。職場の事務所の雰囲気がすごく好きだったので、休みの日も事務所に行ったりとか。
基本的に休みで何もしないみたいなことはなくて、仕事のことを考えたり、あとは本当に気晴らしっていう意味では、隠岐の自分が住んでる町をひたすらあてもなくドライブしたり、ピクニックしたりしてました。

ナカザワアヤミ:
東京では何をされてるんですか。

藤尾ことみ:
島は車とか船で移動することがほとんどなんですけど、東京にきてからはすごく歩くことが増えて、散歩することが増えました。
あとは、もともと隠岐は移住者がすごく多い島なんですけど、その移住してた人で、ライフステージの変化で今は東京に住んでる人とかがいたり、私が移住するきっかけにもなった離島ワーキングホリデーっていう制度が昔あったんですけど、そのときに一緒にワーホリをしていた仲間たちが今関東に住んでるので、その子たちと会ったりだとか、あとは島から東京に出張に来た上司とか知り合いとご飯に行ったりだとか。そんな生活をお休みの日は送っています。
島にいるときは結構、家の中で仕事のこと考えたりだとかっていうこともあったんですけど東京に来てからほとんど家にいない日が多いですね。外に出てる日の方が多いです。

ナカザワアヤミ:
ありがとうございます。藤尾さんの好きな場所とか空間ってどういう場所なんですか。

藤尾ことみ:
そうですね。隠岐っていう観点で言うと、水平線が見えたりとか、牛とか馬が自由に歩いてる姿を見るとすごく心地がいいなって思って、ドライブしに行ってるときとかそういうのをよく見てたんですけど、基本的に島で一緒に働く仲間とか一緒に過ごす人たちがすごく好きなので、事務所が好きだってさっき言ってたので言うと、雑談、仕事以外の話もできる。仲間がいる空間みたいなのがすごく好きでしたね。

ナカザワアヤミ:
ちなみに、今隠岐4島で活動されていると思うんですが、それぞれ違いますか。

藤尾ことみ:
それぞれ4島で全然雰囲気が違うので、どこが一番とか全然なくて、どこも好きで、それぞれの島の良さがあるなって思ってるっていうところです。大きさも景色も雰囲気も全然違うなと思いながら過ごしてます。

ナカザワアヤミ:
あえて聞くと、藤尾さんとって海士町っていうのはどういう場所ですか。

藤尾ことみ:
海士町は、私自身が移住しようって思ったきっかけの島で、本当にホームみたいなイメージがあって、第2のお母さんとかお父さんみたいな人がたくさんいる島、みたいな感じです。
その人たちにもっと、自分が4島で活躍してる姿を見せたいなっていう思いがあって。あなたたちのおかげで今私は頑張れてるんだよっていうことを伝えたいっていう気持ちがありますね。

過去:早く単位を取って帰ればいいや、ぐらいのスタンスだったんですけど、マルチワーカーのこととか、おばちゃんたちの働き方のことを考えたときに、初めて、この島面白いかもしれないとか、この島で学びたいかもしれないって思えたんですよ。

ナカザワアヤミ:
過去から今にかけてどういう生き方をされたのかっていうところを聞いていきたいんですけど、出身はどちらですか。

藤尾ことみ:
出身は兵庫県で、高校3年生まではずっと兵庫にいて、大阪府の大学に進学して、大学生から大阪に住んでいました。大学3年の夏休みにたまたまインターンシップで海士町と出会って、大学の4年から移住したっていう感じです。

大学時代に取材を受けた記事!

ナカザワアヤミ:
なるほど、ありがとうございます。
藤尾さんは小さいときはどんなお子さんでしたか。

藤尾ことみ:
小さいときは、自分で言うのも変なんですけど、すごく優等生タイプの子供でした。末っ子だったんですけど、周りの大人がどうやったら自分を褒めてくれるというか、認めてくれるんだろうとか、あとは歳の離れた兄がいるんですけど、兄のことをすごく尊敬していたので、兄みたいに立派に成長するにはどうしたらいいんだろうみたいなことをすごく考えているタイプの子供でした。
基本的に勉強と、あとピアノ、それしかやってない、みたいな感じでした。

ナカザワアヤミ:
お兄さん、いくつ離れてるんですか。

藤尾ことみ:
8歳年上です。

ナカザワアヤミ:
結構違いますね。

藤尾ことみ:
そうですね、だから兄が大学に進学していく姿とかを見ていたので、自分がどうやったら兄のように頭良くなれるんだろうみたいなことをずっと考えていて。
兄は陸上選手で陸上をやっていて、高校生までずっと陸上やっていたので、文武両道というか、勉強もできるし、スポーツもできるタイプだったので、私はそれがすごく憧れで。私はピアノがすごく好きだったので、私の名前の由来も実はピアノが関係しているんですけど、母親がピアノの先生だったっていうこともあって、ピアノと勉強はしない日がないというか、休みの日はそれしかしてないぐらい一生懸命やってました

ナカザワアヤミ:
周りの方からはどう見えていたと思いますか。

藤尾ことみ:
クラス委員長とか生徒会長とか、児童会長とかをやってたタイプだったので、基本的に名前で呼ばれるよりはみんなに「会長」とか呼ばれたりするタイプだったなっていう、記憶があります。
でも一方で、先生とか認めてくれる人はいつつも、クラスのゴタゴタとか、派閥ができたりとかってなったときに、あいつは先生の手下だ、みたいなふうに言われることもあって。その辺はなんていうか、やりづらさもありつつ、でもあんまり気にしてなかったかもしれないですね。

ナカザワアヤミ:
なるほど。

藤尾ことみ:
あとは、自分自身のその容姿、見た目にすごく自信がないタイプの子供で、小さい頃にふくよかだったこともあって、で、身長がすごく高かったので、男の子とかからいじられることもすごく多くて。小学校とか中学校って、モテるかモテないかとか、容姿がいいか悪いかとかでカーストみたいなのができがちなんですけど、なんかそうじゃなくて、私はこの人たちにカーストとかで負けないためにも勉強頑張るんだとか、自分が何でこの人たちよりも優位になれるだろうみたいなことを考えて、勉強だな、とか、ピアノかなとかって思って割り切ってたところはあったなと思います。

ナカザワアヤミ:
なるほど。

藤尾ことみ:
結構母親とかに相談することが多くて、こういうふうにいじられた、とか、こんなこと言われた、みたいなことを相談したときに、母親は、「そんなの気にしなくていいし、勉強頑張ってるんだからいいじゃん、そんなの無視しとけば」みたいなことを言ってくれるタイプで。基本的にうちの両親は私を否定することがなくって、むしろ褒めてくれたので、勉強頑張ってるんだから気にしなくていいよ、それ以上にいっぱい努力してるんだからそんなの気にしなくていい、みたいなことを言ってくれてたので、そのおかげでその思考になっていたんじゃないかなと思っています。

ナカザワアヤミ:
大学ではどんな勉強や活動をされてましたか。

藤尾ことみ:
大学生のときは、現代システム科学域っていうところに所属をしていて、すごく幅広い学びをさせていただける大学だったので、いろいろ興味関心はあったんですけど、一番近いところでいうと社会学に近いことを学んでいました。すごく自由なゼミで、すごくいい教授に恵まれていたので、そのおかげで隠岐との他拠点生活ができたなと。
世の中にある当たり前だろうって思われていることを、それって本当に当たり前だっけ、なんでそうなったんだっけ、なんで?っていうのをひたすら考える学問だなって思いながら学びました。

ナカザワアヤミ:
そもそもなぜこの分野にしたんですか。

藤尾ことみ:
本当にご縁でした。元々は違う大学の、人間発達科学域、人間の表現について学ぶところに行きたかったんですけど、センター試験でうまくいかなくって、たまたま大学、高校の先生が紹介してくれて受けた大学だったんです。
最初は何をやってるのかっていうのは正直あんまりわからなくて、すごく幅広いことやってそうだなっていうくらい。せっかく先生が紹介してくれたしこれも何かのご縁かもしれないなって思って入学したんです。

その中で、1年生のときっていろんな授業を受けると思うんですけど、1年生からどんどん専門的に進んでいく段階で、その分野の先生だけ他の領域の先生とちょっと雰囲気が違うなっていうのを何となく感じていて。なんかすごく、本当に自分たちが専攻している学問を楽しんでる先生たちなんだなって思って。
私がいたのがその学部の中でも社会学の方だったんですけど、暗記とかは全くなくて、ひたすら自分のなぜって思うことを研究し続けるみたいなのが初めてであった学問だったんですよね。
高校とか、大学に進学する前では基本的に計算したりとか、暗記をしたりっていうのがほとんどだと思うんですけど、そうじゃなくて、普通に世の中にあふれている事象をなぜなぜって考えるってすごく面白い学問だなって思ったのがきっかけでした。

ナカザワアヤミ:
それまでも勉強に、向き合ってたと思うんですけど、それでもやっぱりその大学での学びっていうのは違ったところがありましたか。

藤尾ことみ:
そうですね、全然違いました。正解がないっていうのがまず面白くて、今までは基本的に正解がある学問にしか出会ったことがなかったんですけど、大学時代の特にゼミの活動が始まると、一つの疑問に対して同じゼミの仲間と議論したりとかをするんですけど、その1人1人から出てきた答えってどれも正解だよねっていうふうに、先生がそういうスタンスだったので、他の生徒の発言を否定することもないし、そういう考え方もあるよね、こういう答えが出てくるっていうことはこういう考え方もあるよねって、1人の答えから他の人の答えに繋がったりとか他の視点に繋がるっていうのがすごく面白かったです。

ナカザワアヤミ:
なぜ大学生で移住するという選択に至ったんですか。

藤尾ことみ:
最初は本当に偶然で、私は公務員になりたいっていうざっくりした目標が大学生のときにあって。兄が公務員だったから、っていうただそれだけの理由なんですけど。公務員になりたいって思っていて、大学2年から3年にかけては公務員試験の勉強をしていたんですね。

でもそれだけじゃなくて、自分が大学に通ってる間に自分の専攻してる学問と同時に副専攻を何か取りたいっていう目標があったんです。副専攻の単位取得の要件の一つが、海外の大学に留学をするか、もしくは国内のインターンシップで60時間以上働くかっていう二つの要件があって。どちらか考えたときに公務員のことも考えると海外に行く余裕はあんまりないなと思って、せっかくだから国内でインターンを探すかって思って探したのがきっかけでした。

そのころはインターンシップが世の中に溢れていない時代だったので、探すのにちょっと苦労していて、たまたま島根県の定住財団が出してるホームページに出会って、すごくスムーズに話が進んだのと、あいうえお順で一番上に海士町があったっていうただそれだけで。海士町のことを知らずに応募してしまって、海士町が離島だっていうことを知らずに実は応募したんですけど。
最初は本当に単位が取れたらいいなぐらいの気持ちで、インターンに応募して、大学3年の夏に2週間の予定でインターンシップに行ったんですけど、そのときに、自分の価値観を打ち砕かれたんですよね。1週間は港のレストランで働いて、その後の1週間はCAS凍結センターっていう工場で働いたんですね。

ナカザワアヤミ:
はい。

藤尾ことみ:
1週間目のレストランでもすごくいい人たちに支えられてて、いろいろ就職についての悩みの相談を聞いてもらったりとかしていてすごく温かい職場で。2週間目のCAS凍結センターは、魚介類の加工工場なんですけど、そこで働いてる人たちに感化をされて。

具体的にどういうことがあったかというと、私がその凍結センターで働いた初日に、実は熱中症で、午前中で倒れてしまったんですよね。
倒れてしまって働けなくて、でもそこで働いてる人たちって、私が21歳とかのときだったんですけど、自分よりも何十歳も年上で、60代70代とかのおばちゃんが戦力としてバリバリ働いていて。しかも生き生き働いてるんですよ。すごく楽しそうに働いていて、自分よりも何十歳も年上のおばあちゃんたちがこれだけ戦力として生き生きと働けてるのに、何で21歳の私はこんなにも力になれないんだって思って、すごくつらいっていうか、考えさせられたんですよね。

自分はこんなふうに若いのに力になれないことへの葛藤と、あとどうして今まで自分は公務員にこだわってたんだろう、って。公務員の職業の内容とかに憧れてたわけじゃなくて、ただただお兄ちゃんみたいになりたいとか、大人に認められたい周りに認められたいっていうただそれだけの理由で公務員になりたいって言ってたことが何でなんだろうとか、なんでデスクワークにこだわってたんだろうっていう、すごい自分の中で「あれ?」って考えさせられたきっかけがあって。
そのときに、そのときの上司が、今はもう島にはいないんですけど、私こういうこと考えてるんですよねって言ったら、海士町でそのときマルチワーカーっていう働き方があって、マルチワーカーとして、一つの職業にとらわれるんじゃなくて、島の産業を支えるっていう意味で季節的に働き方を変えるっていう働き方もあるから、自分が何やりたいかわかんないんだったら、職種にこだわるんじゃなくて、この土地で働いてみる、その土地に対して何かを生み出すために働くっていう働き方もあるよ、って言ってくれたのがきっかけで、この島、面白いかもってそこで初めて思って。

それまではぶっちゃけ海士町のことも知らなかったんですよ。でも周りの、一緒にワーホリに参加した大学生とかは海士町の地方創生とかに興味があって来てる子がほとんどだった。私はそんな理由もなくて、地方創生のことも調べてなかったし、海士町に興味がなかったんですよね。早く帰れればいいや、みたいな、早く単位を取って帰ればいいや、ぐらいのスタンスだったんですけど、マルチワーカーのこととか、おばちゃんたちの働き方のことを考えたときに、初めて、この島面白いかもしれないとか、この島で学びたいかもしれないって思えたんですよ。それで移住しようかなって考え始めたっていう感じでした。

ナカザワアヤミ:
実際3年生のときから移住したっていうと、公務員試験は受けてなかったんですか。

藤尾ことみ:
はい。3年の夏に初めて海士町に行って、実際に移住したのは3年の3月とかなんですけど、4年生になるちょっと前ぐらい。
今から考えられた反省なんですけど、島に行くから公務員試験は受けませんって言って、親にも公務員試験の先生にも止められたんですけど、私は海士町に移住して海士町で卒論書くから、もう公務員にはなりませんみたいなことを親に言って。そしたら親は、そんなの許さないみたいな感じで。
なんかそもそも休学も許してもらえなくて。休学して1年間インターンをしてもいいかって相談したときも、そんなのは駄目だって言われて。そのときの上司に相談して、だったら、大阪と海士町の多拠点生活したらいいんじゃないって提案をしてくれて、それも親には言ったけどそんなんで卒業できるはずがないからやめなさいってすごく反対をされて。
ほぼもう親子げんかで家出みたいな、そのとき下宿してたんですけど家出同然ぐらいの感じでアパートを解約して、勝手に島に移住して。親からしたら、縁を切るまではいかないけど、それで卒業できなかったら本当に縁切るからねぐらいのレベルで、やれるんならやってみろやって感じのスタンスで。やってやるよみたいな、もうほぼ喧嘩腰で移住しました。

ナカザワアヤミ:
実際無事に卒業はできましたか。

藤尾ことみ:
無事に4年でちゃんと卒業できて、それを記事にしていただいたりとか、周りの応援もあって。親はそれを見ていて認めてくれて、私がやりたかったことってこういうことだったんだねとか、あのとき公務員になることが正解だったかどうかってわかんないし、こういう道があなたには向いてたのかもしれないね、っていうのを今ではすごく認めてくれているっていう感じですね。

ナカザワアヤミ:
なるほど。今までの話を聞くと、ご両親がそんな強く否定というかなんだろう、反対することってあんまなさそうだなと思ったんですけど。

藤尾ことみ:
今までこんなに大きな喧嘩っていうかしたことなかったんですけど、でも、親からしたらどうした急にみたいな、今まで公務員になりたいって言ってたじゃんみたいな、戸惑いはあったと思います。

未来:本当に豊かな暮らしって何かとか、その人が幸せだって思える場所ってどこかなっていうのと向き合える世の中にしていきたいですね。

ナカザワアヤミ:
藤尾さんはどういう未来を思い描いてますか

藤尾ことみ:
私自身がさっきお話したようなキャリアというか、ライフステージをたどったっていうこともあって、若者のキャリアとかにも関心があったり、あとは地方と都市を繋ぐ、みたいなところにも関心があったりしていて。

キャリアの部分でいうと、今の世の中って資本主義社会で、大都会に出て儲ける、稼ぐことが良しとされるって風潮はまだまだあると思っていて、もちろんそれを求める人はいていいと思うんですけど、それが評価されるけど、逆に地方で働いてる人たちは評価されないっていう風潮をなくしていきたいなって。本当に豊かな暮らしって何かとか、その人が幸せだって思える場所ってどこかなっていうのと向き合える世の中にしていきたいですね。

地方で就職して、例えば私みたいに新卒で地方で就職したときに、そこからのキャリアアップのステップを築くのがなかなか難しいっていうのがあって、人手不足があったりとかして毎日が繰り返される中で、自分のキャリアアップが見えてこないのは地方で働く若者の課題でもあるので、そこを解決したいなっていう思いがあって。例えばそういう子たちが今の私みたいに大都会の大企業と言われるところで簡単に研修ができて、どちらも知れるというか、交換留学みたいなことができたら面白いんじゃないかっていうのを考えています。

あとはやっぱり、私が移住をするっていう言い方があんまり好きじゃなかったときがあって、完全に住まなきゃいけないとか、完全にそこに骨をうずめなきゃいけないっていう地方との関わり方じゃなくて、都市も繋がれるし、地方地域とも繋がれるし、多拠点生活に限らず、関わり方ができる世の中になっていけばいいんじゃないかなっていうのも、すごく漠然と考えてるんですけど。
小さなところで言うとさっき最初の方に言ってた隠岐4島の関わり方をもっと密にしていきたいなっていう思いはあります。

ナカザワアヤミ:
藤尾さん自身は、この後、どこで暮らしたいとか、どういう暮らしができたら幸せだなと思ってますか。

藤尾ことみ:
そうですね、まだ隠岐で成し遂げられてないことがたくさんあるので、今後数年は隠岐にいたいなっていう気持ちがありつつ、ただ、永住をするっていうことは全く考えていなくて。

例えば、次のステップとして自分の地元がどうなってるんだろうとか、隠岐で自分が成し遂げたことをもって他の地域に行けることはないかなとかっていうのは、アンテナを広げていたいなと思っています。
次はここに住みたいとかはまだ明確にはないんですけど、隠岐にいるとそういう情報がたくさん入ってくるんですよね。同じような取り組みを一緒にできるよね、とかっていうのにアンテナを張って次の自分の関わりたい町とか地域を見つけていきたいなとは思っています。

ナカザワアヤミ:
なるほど。どんな暮らしが実現できると幸せな人生だったなって思えそうですか。

藤尾ことみ:
なんですかね。でも、なんか1人で死にたくないなっていう気持ちがあって。結婚とか出産っていうことに限らず、あの人と会えてよかったなって、あの人がいてくれてよかったなって思われてから死にたいっていうのがあるので。そうですね、自分が大事にしたいなって思える人たちを、大事にできる暮らしを送りたいですね。それは家族とかパートナーとかに限らずに、地域の人とか一緒に仕事をする仲間とか、っていう、広いんですけどなんかそれはずっと思ってますね。

ナカザワアヤミ:
なるほど。そもそも、公務員になりたいんだっけ?という気づきがなかったら、今どんな人生だったと思いますか。

藤尾ことみ:
そうですね。海士町に出会ってなかったら、そのときの流れでやっぱり公務員になっていたかなと思うんですけど、そうなったときは多分きっと仕事がすごく好きになって、それはそれで楽しかったのかもしれないですけど、でも、the仕事人間になってたのかなと思いますね、わかんないですけど。

ナカザワアヤミ:
確かにそれはそれで仕事を楽しんでたかもしれない。

藤尾ことみ:
ですね、想像つかないですけど。

ナカザワアヤミ:
なるほど。ありがとうございます。質問としては、お聞きできたかなっていう状態なんですが、藤尾さんが話しそびれたことなどはありますか。

藤尾ことみ:
いや、あんまりないと思います。

ナカザワアヤミ:
ありがとうございます。

あとがき

港区の経営者の人が主催?したタワマン集会みたいなのに迷い込んだことがあって。(招かれざる客ではない)

そのとき、たまたま主催者?の港区経営者の人と話すターンが回ってきた。隣の人は「二十代のうちはどういう姿勢で頑張ってましたか」とか港区経営者に聞いてて。私はその人の実績とか何も知らないから話題もなくて、しかたないので「どういうことが豊かだと思ってますか?」って聞いたんですね。

そしたら、シンプルだよ、と。俺は娘2人がいい学校に行ってバレエを習えて、高層マンションに住んでこういう車に乗りたい、それにはいくらかかるか計算して、そういう理想の暮らしを大切な人と送れれば豊かだと。

確かに、シンプルでいいなと思った。

その人は田舎で育ったらしい。たまに帰ると同級生と価値観が違いすぎて話がつまらないと嘆いていた。あいつらは成長しない、と。

たしかに資本主義の価値が絶対なら、その人の言う成長に沿わない生き方は失敗だ。
でも、逆算思考した直線的な成長は幸せの絶対条件ではない。
タワマンがなくたって、バレエせずにバッタ取って遊んでたってその生活が豊かだと思うのは間違いじゃないし、豊かじゃないと感じる人生も失敗じゃない。

「自分が何やりたいかわかんないんだったら、職種にこだわるんじゃなくて、この土地で働いてみる、その土地に対して何かを生み出すために働くっていう働き方もあるよ」

この言葉を聞いて、私の港区デビューを振り返ってみたくなりました。
豊かさとか成功は、みんなにとって違うものでいい。こういうのって優劣じゃなくて向き不向きなんだと思う。

【インタビュー・編集・あとがき:ナカザワ】

この記事は海士町関連のインタビューです。
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