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人の中の他者をわかろうとする可能性に気づいてもらいたい人

いい塩梅に味をつけたカルボナーラ食べた晩御飯に。すてき。
思えばカルボナーラ作るの難しくて、たまごぼそぼそになっちゃうじゃない? だからそれむずいので、いっそのこと、てことで、目玉焼きを焼いてごじょごじょにしてしまって、その上に麺をどーんって載せるタイプのやり方に変えたんですよね。
勢いありすぎる説明ですね。
むずいな。
えっと。ほそぎりベーコンとニンニクを炒める。オリープオイルで。それで、しばらくしたらその上に目玉焼き2焼く。気持ち火が通ったかな、というところで目玉焼きを怒られちゃうそうなほど、しっちゃかめっちゃにしてやる。そのあとで生クリームとチーズなんらか入れてごしゃごしゃに混ぜて、塩で味。ベーコンあるのでね、入れすぎ注意ね。
で、その上に麺をドンっ! てやります。やる。
で、黒コショウタイムして、フライパンあおって完成ですわね。
うまい。できる! 料理できる男!
ということで無名人インタビュー召しあがれ!
【まえがき:qbc・栗林康弘(無名人インタビュー主催)】

今回ご参加いただいたのは 憂俄 さんです!

https://twitter.com/loguediver


現在:自分のことを助けてあげられるのは自分しかいないな、みたいな思考になるときとかあって。

尾崎:今、何をしている人でしょうか。

憂俄:本当にいろいろやってるって感じなんです。どういったところから話せばいいのかなといった感じですけど。

尾崎:はい。

憂俄:そうですね、主に発達障害とか、そんな人たちの当事者をサポートするために活動していて。その他にも、いろいろ自分の思ってることを伝える活動をしてます。主にこの二つをやっているという感じ。今ちょっと、自分のやっていることを整理している段階なので、これを主にやってますというのが……。

尾崎:いろいろやっていることを整理しているということですね。

憂俄:そうですね。整理してて。やっと発達障害と、自分のことを表現する活動の二本立てでやっていけそうかなといったところです。

尾崎:発達障害の支援っていうのは、会社に入ってやられているんですか。

憂俄:全然違う。個人でやってるものです。会社を立ち上げるっていうところまではいってないんですけど...いわゆるピアサポーターみたいな立ち位置で活動をやっていってます。

尾崎:どういったときにケアに行かれるんですか。

憂俄:対面とかそういうのじゃなくて、主にネット上の活動でやってるという感じです。例えばサポート的なグループコミュニティ、そういうのを作って、そこで活動をしてるというような感じです。

尾崎:ネット上で発達障害の方を集めて、コミュニケーションをしていると?

憂俄:そうですね。最近活動ができてなくてうまくいってないように感じるんですが...。

尾崎:どういった発達障害の方が多いですか。

憂俄:主に自閉スペクトラム症の方とか、ADHDの方が多いです。自分が今、尽力しているのが女性の発達障害の人たちを中心にやっているので、正直、母数が集まらないというか、偏ってしまいがちというか。どうしても女性で発達障害のピアサポートをやってる当事者の人って少ないので。あんまり私も見たことがないです。誰かネット上でも(拡散力のある)いい活動が出ていたら、そこにバッと偏ってしまうというか、そこにほとんどの人が行ってしまう。競合他社みたいな感じにやられちゃってるっていうような感じです。

尾崎:女性の発達障害をお持ちの方は、どういった悩みがあるのでしょうか?

憂俄:私も把握しきれてないのがちょっと心苦しいところなんですけども。一般の社会に溶け込んでしまいがちなゆえに、自分の困りごとを自分で言語化ができないところが、皆さんぶつかっている壁なのかなと思います。

尾崎:なるほど。女性の発達障害のコミュニケーショングループを立ち上げようと思ったきっかけって何かあるんですか。

憂俄:自分が欲しいときにサポートを得られなかったっていうのが原因で。支援者的なそういう、発達障害を支援してくれるっていう意味の枠組みではサポートを受けられたんですけど。どうしても当事者が悩みを話し合うっていう、そういうコミュニティが私が学生時代の時とはほとんどない時だったので。

自分が家族で悩んでいても、それなりに言語化できるのも本当に範囲が狭いので。それって誰にでもあることだよとか、あなただけじゃないよって言われたら、もうそこで返す言葉がなくなってしまうっていうようなことを結構経験したことがあって。そこでちょっとストレスを抱えて、二次障害になってしまったっていう経験があって。そういうのが主な原因です。

尾崎:つまり、憂俄さんも当事者?

憂俄:そうですね。当事者です。当事者で、当事者のサポートをしているという。そういう感じです。

尾崎:なるほど、ありがとうございます。その活動を始めてどのくらい経ちますか。

憂俄:自助グループを立ち上げたのが今年の5月末で。もう4ヶ月ですかね、今日で。(*記事公開時点で5ヶ月目に入りました。)ADHD当事者として活動されてる沢口千寛さんっていう方がいらっしゃって、その方の自助会に入っていたのが最初で。そこでちょっと千寛さんからお話を聞いて、それだったら私がやりたいんですけどみたいな感じで話して、千寛さんがしていたサポートグループとはまったく別のところとして立ち上げたのが最初ですね。

尾崎:次に、自分の考えを伝えることもしているっておっしゃってたんですが、これはどういう方法で発信してらっしゃるんですか。

憂俄:主に文章とか絵で発信していて。絵は自分の感じてることというか、思ったことを抽象画的な感じで描いて表現していて。最近はちょっと絵の在庫が多くなってしまったので、絵を描く活動はあまりやってなくて。

文章の方は、過去にアメーバブログで書いてたものとかあるので、そこから記事を引っ張ってきて、載せてるというような感じです。

尾崎:文章と絵はそれぞれどういう媒体で発信されているんですか。

憂俄:noteとブログ(WordPress)でやっています。最近はXでも始めました。

尾崎:ちょっと別の質問になるんですけど。周りの方から憂俄さんって、どんな性格だねって言われます?

憂俄:一番言われるのは「優しい」。あと突っ走りやすいとか、行動力があるというふうに言われたりしています。ちょっとそれがいい方向には繋がってないなという感じがあって。

尾崎:いい方向に繋がってないっていうのは、どういうことですか。

憂俄:例えば、もうちょっと知ってくれる人が増えて、自分が過去に書いた絵が売れるとか、取材が来たりとか。そういった集客というか認知に繋がる活動ができてないなっていうところでいい方向に繋がっていないと感じます。

興味を持ってくれてるけど、そこで止まってしまうというか。その先、来てくれないというか。面白いねとか、やってることすごいねって言ってくれる人は多いけど、そっから先に踏み込んでくださる人は少ないという感触はありますね。

尾崎:認知を広げる目的は何ですかね。

憂俄:自分のことを知ってもらうのが一番あるんです、ジャンルに関係なく時代の流れとか、そういったちょっとした掛け違いで、日の目を見ることができなくなった人ってたくさんいると思うんです。その人たちの思いも伝えたいっていうのも、ちょっとあるのかなって思ってて。

自分でも可能性を模索していきたいし、手にできるチャンスをどんどん掴んでいきたいし。自分を知ってもらって、自分が過去してきた経験を人に伝えるために認知度を広げたいっていうのが一番あって。

一番のきっかけというか、そういったものは、自分が経験してきたことは結構お金では買えないものって言っちゃうとあれなんですけど。人が体験しようにも体験できないことをたくさん経験してきたのでその自負はある。

正直、このインタビューを申し込んだときもどっから話せばいいんだろうっていうのはすごいあったんですけど。そういったいろんな角度から経験してきた自分の伝えたいことをもっと人に知ってもらって、少しでもこの世の中を生きる視点の一つになってくれたらなっていう思いで活動してるっていうのがあります。

尾崎:ちょっとまた話を変えて、最近楽しかったことはなんですか。

憂俄:楽しかったことあるかな。結構今の現状が停滞気味で、何か変化を起こすためにちょっといろいろ。いろいろというか、本当オタク活動っていうか、推し活だったり、転職活動だったり、そういったことに励んでるんですけど。

だんだん自分でもいられる場所が身についてきたっていうか、見つけられてきたというか。あとは、今ちょっと自分のことというか、物事とか、そういう抱えてるものを整理する時期に入ってるんで。自分の中でここは整理できたとか、ここはちゃんときっぱり線を引けて、断捨離できたっていうのが一番大きいっていうか、それが嬉しかったことかなっていう感じです。

尾崎:ちなみに推し活は何をされてるんですか。

憂俄:ドラマを見るのが好きで。今、日曜劇場の『VIVANT』っていうドラマを見てるんですけど。それで知り合った俳優さんの推してる人たち。堺雅人さんを知ってる人たちの話を聞いたりとか、ドラマのファンの人たちの話をXで聞いたりするのが今は癒しになっててというか。(※放送当時の話です。)

尾崎:先ほど、優しいって言われるとおっしゃってたんですけど、自分では性格をどのように捉えてますか。

憂俄:結構気難しいって捉えてて。気まぐれというか、なんか、猫みたいな性格かなと思ってます。自分のテリトリーがないと、落ち着かなくて。ずっと世間一般に受け入れられる形で擬態して生きてきたんですけど。なんか、だんだんそれでも息苦しくなっていって。次々場所を求めては彷徨うみたいな生活を送ってきて。いろいろ人に騙されたりしたこともあったんですけど。

それを経て、自分のことを助けてあげられるのは自分しかいないなみたいな思考になるときとかあって。余計に捉えどころのない性格が深みを増したという感じがしてます。

だから正直このインタビューとか、いろんな立場の人に。いろんな立場といっても、自分の場合は発達障害とLGBTQと、あと精神疾患。うつ病とか、そういったところでしか話ができないっていうのはあるんです。

それと、あと普通。普通というか、結構普通に擬態、世間一般に擬態してきた期間が長かったので、ある程度場数を踏めば、世間一般の言ってることも何となくわかってしまうというか。そういったところもあるって思ってるので、余計にどういう人に対して、どういうところで話をしていいのか、話の調整にちょっと苦労するみたいなところは、自分にもあって。そういうところがちょっと捉えどころのないところなのかなと思ってます。

過去:人と同じでないと、生きてる価値がないみたいな。そういった価値観は、あそこで形成されてしまったと思います。

尾崎:幼いころはどんな子供さんだったんですか。

憂俄:自分では正直、何も覚えてないんですけど...ただ、楽しいことが好きで、いろんなことに首突っ込んでいたなというか、そういった好奇心がひどくて。いろんなことを試さないと気が済まないといったような感じの性格なのかなと思います。

尾崎:例えば、どういう楽しいことに手を出してきたんですか。

憂俄:主に習い事というか。そういったことで。例えば通信教育の広告の宣伝漫画みたいなのってあるじゃないですか。

尾崎:はい。

憂俄:あれに結構乗せられて、親にせがんで習い事とか、そういう機会をもらうんですけど、何も続かないみたいな。

熱意とか、そういうのはいっぱいあるけど、人間関係だったり、興味のあった物事の相性だったり、そういったことが自分の中で整理できてないからか、結構それで中途半端で終わってしまうっていうのは結構あったように思います。

尾崎:習い事とかが続かないことに対しては、どのように捉えているんです?

憂俄:特には何も思ってなかったんですけど。今考えると、発達障害の特性なのかなといった感じで。結構その頃からかわからないんですけど、人に合わせるじゃないですけど、そういったのがわかるようになったのかなという感じで。その頃かわかんないですけど、ちょっと人との違いを意識し始めた頃だったのかなと、今になってみれば思います。

尾崎:少し大きくなってからは、どんな感じでした?

憂俄:大きくなってからは結構、被害に遭うことが多くて。小学5年の時に、学級崩壊にあったことがあって。いわゆる、いじめですね。いじめにあったことがあって。きっかけは多分、受験ストレスの、そういったストレスとか、そういったものだったと思うんですけど。それで結構標的になっちゃって。そこでいじめを受けて。

でも、何が何でも学校には行かなきゃいけないみたいな執念が自分の中にあって。別に親から言われたわけではないんですけど。それで学校に行かないことを選ばなかったというか、そういった感じで。

いじめ自体は小学校5年から中学校3年ぐらいまで、学校が変わっても続いたんですけど。結構それで自分の中の人格形成がされてしまったような感じはあります。

尾崎:どんな変化があったんですか。

憂俄:今もそうなんですけど、結構人を信じられなくなったっていうのと。あと、中学からいじめられる原因が発達障害があるからとか、そういった感じで馴染めなかったっていうのと。あと思春期特有の荒れてる感じに放り込まれたみたいな感じがあったので。
自分だけ時間の進み方、成長がかなり遅く感じて自分なりに関わろうとするけどそれが煙たがれてしまってトラブルになり、更に孤立する、発達障害に関する理解をクラスメイトに求めても、周りも見よう見まねで接してくるから『何でこんなに注意してるのに(障害が)なおらないの』っていう雰囲気になって...次第に呆れられて...なんてことがとても多かったです。障害特性ゆえに言葉の意味が分からなくても、顔とかで何となく分かってしまうんです。「あ、もう呆れられてるな」、「関わりたくないけど関わるしかないか」みたいなものって。それが一番辛かった。その時に自分は一生友達や親友を作ることと無縁な生活を送っていくんだと覚悟を決めてしまった部分があって。ある種の呪いを自分に掛けてしまったというか。

人と同じでないと、生きてる価値がないみたいな。人と同じステータスを得てこそ一人前なんじゃないかみたいな。そういった価値観は、あそこで形成されてしまったと思います。

尾崎:今でも、その考えはあるっていうことですか。

憂俄:ありますね。そこはすごくあって。大学卒業して社会人になるに連れて、だんだんそれがひどくなっていったような感じはしますね。他人と比べるものが多くなってしまうから。多分、出ていくごとに、だんだん付きまとってくると思うんですけど。時代が変わってるって言っても、そう簡単には信じられない自分がいるみたいな感じです。

尾崎:いじめに遭いながらも、学校を休むことは選択しなかったっておっしゃってて。何か支えになっていたものがあったんですか。

憂俄:正直言って、そんなになかった。ただ、唯一言えるのは、学外の活動で読書会。東京では結構有名な親子読書会に入ってたんです、そこでの活動で息抜きができたっていうのが一番大きかったかな。

といっても、同じ区立の小学校からの本好きの人たちが集まる会みたいな感じだったので。同じクラスメイトもいたんですけど、その会に。そこでは特にそういった(虐め被害)のも受けることがないまま過ごしていたのかなと。

あとは、当時通ってた中学受験の塾で、結構かわいがってもらったからなのか。そこでカバーできてた部分はあったかなと。

あとは、本関係ですね、読書関係というか。そういったことで乗り切っていた部分があったのかなと思うんですけど。どういうことで乗り切れたのか正直わからないけど。ただ、本とか、音楽とかそういったのに助けられてきたような感じがあります。

尾崎:ちなみに、どういった本が好きだったんですか。

憂俄:当時はノンフィクション系の児童書を読んでて。保護犬とか、地球環境系とか、障害を持った子供の話、白血病で闘って亡くなった子の本とか。あと、児童書向けのそういう漫画ってあるじゃないですか。学習漫画みたいな。

尾崎:はい。

憂俄:あれを読んでましたね、すごく。あとは歴史が好きだったので、そういう日本史の漫画。ちっちゃい漫画を買ってもらったりとか。そういうノンフィクション、歴史系が好きで。フィクションは全然読んでなくてっていった感じですね。

尾崎:本を読んでるときはどんな気持ちになるんですか。

憂俄:何も考えなくなるっていうか、本と自分っていう感じで、すごい向かい合って没頭してるっていう感じがあって。本当に自分しかいないみたいな感じですね。それがすごく癒しだったのかなと思います。

尾崎:本はどうして好きですか。

憂俄:本は書いてることが何となくわかるからっていうのも、そうなんですけど。そこまで深く考えたこともなく。自分1人で完結できるものっていう。意識が本と自分に向いてるから、本が話し相手になってくれてるような感じがして好きだったのかなと思います。

本を読んで感じたこととか、文章はそのときは得意じゃなかったんですけど、絵とか、自分で書くものとか、そういったことで、後々広がっていったのかなっていう感じはします。

尾崎:親子読書会っておっしゃってたんですけど、親御さんとの関係はいかがですか。

憂俄:小さいときは良かったんですけど、今はちょっとあんまり良くないというか。反抗期が遅れてやってきて。反抗期なのかわかんないんですけども、一般的にいったらそんな関係なのかなと思います。

尾崎:反抗期ということは、憂俄さんがちょっと距離を取ってる感じですか。

憂俄:距離を取ってるんですけど、あっちが詰めてくるというか。自分では詰めてこられてると思ってるんですけど。ちょっと関係性が一言では言えないというか。

発達障害の関係だったら多分、親子関係的にはいいと思うんですけど。一般の親子関係で言ったら多分グレーというか、やり過ぎというか。そんな関係性になっちゃっているのかなとは思ってます。

尾崎:なるほど。過保護気味ってことですかね。

憂俄:そうですね。過保護とか、過干渉とか。話逸れちゃうんですけど、発達障害の概念自体が、自分の意思を自分で表現するのは難しいっていう、そういった定義があって。だから障害っていうんですけど。

それにもいろいろあって、私のように言葉で特定の人に出すこともできれば、丸っきり意思表示が駄目っていう人もいて。そこら辺で自分をどうやって親との関係を図っていけばいいんだろうっていうか、そういったことですかね。そこに悩んでるっちゃ、悩んでるというか。

結構一緒くたになっちゃってるみたいな。何て言うんでしょう。言い難いんですけど。あんまりおおっぴろげに言っちゃうと、批判が飛んできそうで怖いんですけど。そういった当事者が一般的に多いことに、ちょっと今悩んでるっていうか。親子関係もそうなんですけど、そこでちょっと悩んでるみたいな。

未来:生き字引みたいになってやろうってのもあって。そのために経験してきたんだから知ってもらわないと自分が報われないみたいな。

尾崎:5年後10年後、あるいは死ぬまでを想像して、未来についてどういったイメージをお持ちですか。

憂俄:そうですね、5年後10年後はさっぱりイメージできないのでわかんないんですけど。経済的な自立と、親からの距離が完全に離れて自立できたらいいなということはありますね。

ちょっと親にはいろいろ金銭面でも迷惑をかけたりして。障害特性で結構迷惑というか、そういう過干渉される原因を作ってしまったのもあるので。そういったことでも、なんかもう、距離を取って、お互い変に影響されない関係性で親とはありたいなと思ってますし。

そのための手段だったら、いくらでも自分から積極的に取れるような未来にしたいなと正直思ってます。

尾崎:なるほど。

憂俄:あとは転職活動がうまくいって、今の会社をしっかり辞められているとか、結婚。パートナーシップ制度になるんですけど、同性のパートナーと支え合って暮らしていく未来が描ければいいなと思ってます。

尾崎:ありがとうございます。ご自分で発達障害の自助グループも立ち上げてて、ご自身も自立したいっていう目標があって。そのグループを通じて、憂俄さんの自立もできていくみたいなイメージですか。

憂俄:そうですね。自立もしていきたいし、引っ張っていきたいっていうのもあるんですけど。それぞれ受け身の当事者が、一言でも自分の意思を発信できる場を作りたいなというか。それが結局は自分を助けることにも繋がると思ってて。

多分これは、私の受けてきた家の教育ゆえだと思っちゃうんですけど。なんか、そういったのも含めて、1人でも多くの人が自分の言葉を持って発信していくことを。そういう場を作りたいっていうのもありますし。自分もそういうことを受け止めてもらえるっていうのを作るために、動いていきたいなっていうのもあって。

尾崎:ちなみに、親からどういう教育を受けたからなんですか。

憂俄:そうですね、結構感情的なのも混じっちゃうんであれなんですけど。なんか、自分の道は自分で切り開いていく、というような...自立を軸に、そういった教育をされてきたように思います。

尾崎:自分の道は自分で切り開くっていう教えは、どなたから受けたんですか。

憂俄:母親です。父親は結構、いわゆるプロセスより結果が全てみたいな価値観のところはあったんです。今はちょっと違うっぽいんですけど。結構、昔気質というか、昭和の人なので。その関係で未だに自分は苦労してますが。

母親はそうではなくて、多分...母親から教わったのかなって感じはあります。

尾崎:なるほど。パートナーシップを組まれるお相手とは、どういうところに惹かれましたか。

憂俄:今、実際、同性パートナーがいないので。どういう人がっていうのは...。

尾崎:なるほど。

憂俄:付き合ってる人がいるわけではないので。

尾崎:将来の夢をお伝えしてくださったんですね。

憂俄:はい、そうです。できたらいいな、ここで言えたらいいなと思ったんですけど。

尾崎:なるほど。お話を聞いて、私が思ったことになるんですけど。

憂俄:はい、大丈夫です。

尾崎:今の社会でLGBTQとか、精神疾患とか、発達障害とかって世界で注目されてると思うんです。

憂俄:そうですね。注目はされてますね、明らかに。

尾崎:うんうん。怖くないのかな? とかって思って。

憂俄:怖くないですね。...怖くないっすね、なんか。怖くなくて。

尾崎:どういう気持ちなんです?

憂俄:なんだろう。生き字引みたいになってやろうってのもあって。逆に自分のケースをそういう支援者関係にすごい知ってほしい。なんかもう、そのために経験してきたんだから知ってもらわないと自分が報われないみたいな。そういう感じで活動してて。

そういうのがあって、だからあんまり怖くはないです。

尾崎:自分のためでもあり、同じように悩む方々のためでもある……?

憂俄:そうですね、当事者がこれ以上つらい思いをしてほしくないので。それでっていうのもありますね。

すごい人聞きの悪いことを言っちゃうんですけど。発達障害であれ、LGBTであれ、他の障害のある当事者が、私が経験したことを経験すると、1回は何だろう、死について考えてしまうか、精神科に入院してしまうみたいな。そういった感じにもなってしまうレベルのことを経験したと自分では思ってるので。

あまりインタビュー原稿には起こせない話というか、そうですね。お金が無さすぎて金策に明け暮れて気がついたら詐欺に遭ってた...っていうこともありましたし。そういったことを、発達障害のこだわり、思い込みの激しさの影響で、いろんなものを失いかけたというか、...失った経験もあるので。

そういったことをしてしまう人を1人でも少なくしたい、そういうブレーキになるようなことをしていきたいなと思ってて。そのためだったら何でもやるって感じです。

尾崎:感情で言うと、怒りに近いですか。

憂俄:怒りですね。怒りに近いかもしんないですけど、怒りをもうちょっとマイルドにしたら、こういうふうになったっていう感じです。...怒りですね、多分。怒りをうまくそこに向けられるようになったっていう感じですかね。

尾崎:ちなみに、何に対する怒りが一番大きいですか。

憂俄:親だったり支援者だったり、いろいろ該当する人はいるんですけど。一般的な価値観で、それぞれの業界の常識とか、そういった各常識で判断して、それをぶっ壊しに来てくれる人を、いろんな理由とか言葉で拒絶したり、あしらったりする人に対して怒りを持っているという感じです。

人間全般に怒ってるのかわかんないんですけど。時々これって私だけが感じてるものではないよねって思ったりすることもあるので。そういった各業界にいる人というか、常識にはまってる人たちに対して怒りを感じてます。

尾崎:もし憂俄さんが、発達障害とかLGBTQの当事者ではなかったら、どういう人生になっていると思いますか。

憂俄:そうですね、多分異性と普通に結婚して、恋愛とか親との関係でそんな悩むこともなく。大きな災害とか、パンデミックがあったときに、初めて自分の置かれた状況を考えるっていう価値観の人間になっていたのかなと思ってて。

いわゆる他人ごととしてずっと過ごしていた感じはあって。毛嫌いしてることとかも、もうちょっと増えていたような感じがするし。障害ある人も他人ごとだよね、とか、そういった感じで捉えていたのかなとは思います。つまんない人間になっていたなという感じはしますね。

尾崎:最後に何か言い残したことはありますか。

憂俄:在庫がある絵が沢山...あるので、買ってほしいっていうこと。人に対して絵を描くとか、キャラクター提案、ストーリー提案、アイデアの聞き取り書きお越しをしたりそういったオーダーも取ってみたいです。

自分が発信している媒体で有料記事を購入できるシステム(note有料記事)があるので、そういったのを買ってほしいっていうのが一番大きい。

自分の経験したことを金銭的な価値というか、そういうのにちょっともうそろそろ変えていきたいなっていうのはあります。お金になる値打ちの経験、体験談は出せるけど、きちんとした対価(まとまった収入)で返ってきてないことがここ数年続いてて...だからこのインタビューで宣伝してもらって一気に広めたい。絵を買ってくれる人、求めてます。もう...身銭、切っていますので。

絵の販売(Stores・Base)

どちらかのショップで絵を2点お迎えくださった方にはB6サイズの原画をプレゼントします。(持ち運べるサイズです。)

絵の委託販売先

こちらの絵は5,000円・15,000円・20,000円で販売しております。

描いてる絵はこんな感じです。


尾崎:もう一つだけ、最後に聞いてもいいですか。憂俄さんは、強くて優しい方だなと思ったのですが、原動力を一言で言うと何ですか。

憂俄:可能性とか思いっていうものです。他人事にしないでほしい、他人事にするなよ。というものですね。人が生きていて、一生を終えるまでにできる経験って限られてくると思うんですけど。その中で一歩間違えたらこれ、自分がしていた経験だったかもしれないとか、これから先起きるであろう、いろんなことに対する耐性とか、そういったいろんなことに対する対応とかで、人の本来の価値観っていうか、そういった本性みたいなのが現れるっていうふうに思ってる人間なので。

少しでも自分とか、他の人のことでもいいですけど、そういった自分より苦しい思いをしてる人とか、そういった人たちの声に耳を傾けられる可能性っていうか。そういった人の中の他者をわかろうとする可能性とか、そういったことに気づいてもらいたいがために、その思いがあるかなといった感じです、原動力は。

<宣伝>

絵の販売リンク(Stores・Base)

https://loguediver.base.shop/

こちらの絵を2点お迎えくださった方にはB6サイズの原画をプレゼントします。(持ち運べるサイズです。)


委託販売先

5,000円・15,000円・20,000円で販売しております。

委託販売先の絵(一部)


ココナラでアイデア出しのお手伝いメニューを出品しております。
一件当たり6,500円です。

スピリチュアルセッションもやっています。(固定投稿参照)

単発セッション 6,000円
音声セッション30分or 文字数無制限・メッセージ4往復付き

3回セッション 10,000円
音声セッション30分×3回 or 文字数無制限・メッセージ12往復付き

【寄付先】
Doukei

Fantia

 
Ci-en

依頼・連絡先
X(@loguediver) DMにて
https://x.com/loguediver

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あとがき

「知ることは、愛することです」
完全に受け売りですが、私が大好きな言葉の一つです。

私は一時期、母親のことがどうしても好きになれなくて「母さんみたいになりたくない」と思って生きていた時期があります。

大学時代、部活動のOBの先輩(20歳くらい年上の方)から「尾崎の母さんに救われたよ~。気分が落ち込んでたんだけど、明るく話しかけてもらって元気になったわー。すごいね」と声をかけていただきました。

当時、私のなかでの母のイメージは「正義感あふれるけれど、考えが極端でたまに他人に迷惑をかけている人」だったので、先輩からその話を聞いたとき、どう受け取ったらいいのか迷いました。「母が迷惑になっていない?本当にいい話なのか……?」と、私が戸惑ったので、先輩もリアクションに困っていたような気がします。

母親は弱音を吐かない人だったんですよね。その代わり、社会で感じたマイナスの感情をすべて怒りやイライラ(態度)にすり替えて私に向けていたので、私から見た母は、何を思っているのか、本当は何に悲しんでいて、何が嫌だったのか、わからなかったんです。今思うと、ずいぶん理不尽なことで怒られました。

でも、母が何を思っているのか知りたいという気持ちがあったので、人の心理に対する興味が人一倍強くなったと思います。

今回、憂俄さんのインタビューを終えて、思い浮かんだ言葉が「知ることは、愛することです」でした。

私は母のことを好きになれないと思っていた一方で、母のことをわかりたい、知りたいと思っていました。「好きになれない」とマイルドに書きましたが、実際は母に対する「怒り」が強かった。顔を合わせるたびにケンカをして、ここでは書けないような暴言も吐きました。自分を守るために。

でも、母を知りたいと思っていたということは、結局、私は母親のことを嫌いになれないんですよね。知ることは愛すること。まるで呪縛みたいですね……。

そんなことを考えました。

憂俄さん、ご参加くださりありがとうございました!
読者の皆さん、最後まで読んでくださり、ありがとうございます。

またお会いしましょうね。

【インタビュー・編集・あとがき:尾崎ゆき】

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