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感染などのおはなしの追記として 《令和消毒時代(6)》

「令和消毒時代」だとかいろいろもろもろ ── と、ここまでの前回までの内容が2021年に書いた内容です。こうして読み返すとなんともテーマ性のはっきりしないつまらない内容をだらだらと書いてしまったものだと反省しますね。

特に書き直さずに掲載したのは、早くその先を書いてみたいからです。さっさと出し切ってしまいたくて連投した次第です。まだその他のテーマを最初は綴りますが、のちにまたこのようなテーマに戻る予定です。

さて、最後の最後に現在の2024年8月の今の私で書き足して、この文章を一旦終えようと思います。


オリンピックにはうんざり

本文中には2021年の東京オリンピックの花井が出てきましたが、2024年8月の現在、パリオリンピックが開催され、巷では、真夏のレジャーやイベントや、または台風などの天気や、お盆休みへ向けての浮かれ具合も感じられる今日この頃です。

パリオリンピックの開会式ですが、私もテレビで見ていましたが、どうしても東京オリンピックと比べてしまうものですよね。あの東京時は急場凌ぎで史上最低の開会式といまでも言われる評価です。

しかし、パリオリンピックよりは、ある意味でマシかなって、私の感想としては感じました。ショーとしてのクオリティーは確かにパリの圧勝です。しかし内容は東京のあのぼろぼろな内容でも、ちゃんと『平和』の祭典を演出はしていました。さすが日本時だと言いたいところです。

パリはそういった意味では最悪でしたよね。フランス人の悪いところが全部出てしまった気がします。もはやあの国家はかつてのパリではないのだなぁと感じました。こればかりは『パ・マル』とは言えません。

プロパガンダだとしても、これはあまりにもひどい。こんなのに流されてしまう地球人はどのくらいいるのでしょうか。SDGsなんかもそうですが、平和のアイコンとしてはあまりにもひどすぎる内容だったと感じます。こんな広告には誰もなびかないであって欲しいと思いますね。とまぁ、感想はこの辺にします。

しかしまぁ、前回の2021年の東京オリンピック。あの時の首相やIOC会長や、それにになして橋本聖子さんが「オリンピック大成功!」などと自画自賛していましたが、あの方も選手時代はすばらしい方だと思っていましたが、とてもがっかりです。いまではただの政治家に成り下がってしまったのでしょうか。

あの挨拶で、なにもかも冷めてしまいました。幼い頃からのオリンピックへの特別感のようなものが、あの時に一気に冷めたんです。だからもう、今回のパリオリンピックはもう見る気すら起きなくなってしまった。とんだ茶番のような。もちろんスポーツは茶番じゃないのでしょうかれど、良い大人がよってたかって嘯いて、どこが平和の祭典なのでしょうか。

次回は2028年、アメリカが開催国のようですね。無事に開催できるかどうか?はたまたいつ、現人類にとっての最後のオリンピックとなるのか?とか、いつになったら人類は本当の意味で平和の文明を創められることだろうか?などと、半ば諦めながらも思ってしまいます。


ひとつの時代の終焉

さて、話を感染などの話に戻します。テレビなどのマスコミや政府からはある時期を境に、感染者数や感染状況などを発表しなくなりました。それどころかその他の情報や情勢においても正確な報道はなされない時代だと感じます。

かたやネットの中でもあらゆる偏った情報が渦巻いていて、人は信じたい情報に飛びついて、見たいものだけを見たがるものなのだと、深く感じざるをえない方々を多くみかけます。

自分の身を守るのは自分というよりも、たとえば、その自分が親御さんなら、あなたが倒れたり、最悪亡くなったのなら、残された子供や家族はどうやって生きていくのでしょう。孤児としてどうやってその後の世界を生きることでしょう。そういうふうに捉えてほしいものです。

たった数年、結果として、一度も、1日たりとも人間は、日本人は、協力しあって感染を防ぐことができませんでした。店が潰れちゃう!ますくなんて意味ねーよ!おれはかからないし死んでもいいから!とか、あいつがどうこうだとか、政府が行政が隣人が外国がと、弱くルールや自分自身さえも守ることのできない者たち、テレビに流され、情報に翻弄され、信じたい自分にとって楽な情報だけに思考を停止したりと、この数年、それまで人間に最低限あるものだとおもっていた土台が、すべて崩れ去ったと感じています。

あの当時も思っていましたが、報道や大多数の方々はまるで「平常時に戻った」と思って生きている人が多いと感じます。緊急事態宣言下においても「はやく戻りたい」と言う方が多かったですが、本当に戻れると思っているのでしょうか。

たぶん、そんな考えだから、ある意味で変化する機会を逃してしまったのだと思えます。もうこれまでの時代は終わるのです。

これからが本番です。なにを信じて、いかに生きるのか。自分の命に責任をもって、どうかひとりひとりが進んでください。

そう願っています。


さて、『菌や感染が見える』と先述しましたが、そういうのも特殊能力とするならば、またこの先にそういった特殊能力話やいろいろと不思議な打ち明け話などもそのうち書こうと思っています。

しかしいまは一旦、昔書いた文章があって、次回からはそれらをまとめたいと思っています。私がデザインや広告業を辞める頃に、自分の心をまとめるために書いた文章なのですが、こういった感染や報道や、人がなにによって動かされているのか?それを思う上で、すこしだけ関係するないようになっていると思えるので、再編集してみようと思います。

題して「広告よさらば」というお題にて、マガジンにまとめる予定です。そう、広告が作り出してきたここ200年くらいの時代だったと感じるのです。誰もが広告に踊らされ、広告を信じ、広告に流されて、そしてきっと自分も無くなってしまうほどに流されてきた。

そろそろそんな時代を捨てるほうがいいよなぁって感じるんですよね。それこそ、広告感染症から消毒を!

20240728  17:50






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