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【小説】弥勒奇譚 第十話

その夜久しぶりに夢を見た。
さらに続きがあり少女が弥勒に語りかけるのだった。
口元は喋っているようには見えないのだが、この世のものとは思えないような清らかな声が直接心の底に響いて来るように感じた。
「ここから龍穴社を背にして山を登ると立ち枯れた
榧の大木があるからそれを使って仏を彫りなさい」
まさに夢のお告げだった。
目を醒ました弥勒は居ても立ってもいられずまだ暗い中を裏山に行ってみた。まだ薄暗いうえに狭い急な斜面を何度も足を滑らせながら登った。すると平らな場所に出て夢で少女が語った通り榧の大木があった。月明かりに照らされたその木は幹回りが三十尺はあろう大木で、枯れてから随分と時が経っているようだった。しかし外から見る限りでは腐った様子もなく、大きさと言い今回の仕事にはうってつけの材と見えた。弥勒は夜が明けるのも待ちきれず不動のもとへ走り下りて今朝の出来事を話した。
「いくつか材は用意しておったがそう言う事ならば
後ほど里の衆もつれて見に行くとしよう。それにしても不思議なことだ、その夢の中の娘は龍神様のお使い姫なのかの」
不動と里の衆数人と連れ立って現地へ行くと、明るくなったこともありその見事さは里の衆をも驚かせた。
「こんなところにこのような大木があるとは全く知らなんだ。
良い日を決めて祭礼をとり行い切り出す事としよう。
寸法は里の衆に伝えてくれれば良いようにしてくれるでな」
榧の大木は八尺ほどの高さに切られ仕事場に運び込まれた。
切り口からはほのかに榧の良い香りがし年月を経た枯木とは思えないほどであった。

弥勒は仕事に取り掛かる際はまず初めに図面を描いて彫始めるのが常であった。今回もまず京から持参したものや加波多寺や大御輪寺などで書き溜めたものを参考にして図面を書き始めた。
加波多寺の釈迦如来や大御輪寺の十一面観音のように重厚で威厳のある仏にしたいと図面を描いてみるのだが厳しさの表現に納得がいかず、幾日も書いては破り書いては破りの繰り返しで一向に仕事が進まないのだった。
「水垢離でもして龍神様に祈願してみるか」
いつもはしたことも無いが、水垢離をして身を清め初めからやり直してみようと言う気持ちになった。
何でもいいからきっかけが欲しかった。
「不動殿、こちらには水垢離が出来るような場所はありますか」
「ここは以前修験者も良く来ていたので本殿の裏に
小さな滝があって滝行が出来ます。なんなら私も祈祷して進ぜよう」
「ありがとうございます。仏様のお顔が思ったように描けませんので」
「弥勒殿の夢では仏のお顔は見えないのかな」
「はあ、彫っているのはいつも他のところでお顔は
はっきりとしないのです」
翌朝滝に打たれてはみたものの筆は遅々として進まず、最近では何もせずにぼんやりと過ごす時間が増えてきた。

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