見出し画像

【小説】弥勒奇譚 第三話

その日は帰宅して早く床に着いたがなかなか寝付かれなかった。
弥勒は自身が大仏師となって造像の中心となった時に、理想とすべき仏のお姿を追い求めてきた。残念ながら未だにそのお姿は暗闇の底に深く沈んで光も射さないままであった。
こんなにも早くその機会が訪れようとは思っても見ず、やってみたい気持ちと易く引き受けてしまった事を後悔する気持ちとが相克するのであった。
ようやくうとうとしかけたところで「あの夢」を見た。
今夜の夢はいつもとは違っていた。彫損なってしまうところまでは同じだったがそこでは終わらず、呆然としていると何処からともなく十六七歳の少女が現れ落とした指を拾い上げてかすかに微笑むと指は元通りになっていた。それにしても今まで会ったことも無い少女の透き通るような美しさは、この世のものとは思えない神々しさまで感じる鮮烈な印象であった。
これまで何年も変化の無かった夢に続きがあろうとは思ってもいなかった。こうなると今回師匠から話のあった仕事と何か関係があるのではないかとも思うのであった。
大した用意もないとは言ったものの仕事道具や身の回りの物やらで結構な荷物になった。
出立の前日に新年の挨拶も兼ねて不空を訪ねた。
「明日出立しますので暇乞いに参りました」
「どこに寄って行くことにしたのだ」
「はい木津川沿いに下りまして大御堂、加波多寺などを巡りまして平城京に二三日留まって見ようと思っています」
「そのあと大御輪寺から長谷寺を参拝して行こうと思います」
「そうか、道中くれぐれも間違いの無いように特に生水には気を付けるようにな。これは少ないが路銀の足しにしなさい」と言って餞別を渡すのだった。
「傷み入ります。では行ってまいります」
「気を付けてな」
親の顔も知らぬ弥勒にとって不空は親代わりとも言える存在で入門当初から分け隔てなく愛情を注いでくれた。
しかしながらそれは多くの中の一人であり不空が自分に対して格別に気遣ってくれていると実感できたのは今回がはじめてであった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?