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真の絶望は後悔を生まない


こんにちは、Uniです。

31歳に突入して気付きがあったので記録。
例によって殴り書きです。

絶望は後悔を生まない、という話。


すごーーーく闇なこと言うけど、私は25歳くらいまで躁鬱を繰り返していてとにかく早く死にたかったから、「いつ死んでもいい」と生きる責任を放棄していたんだ。

で、28歳頃までにかけて、徐々に「生きていていいんだ」から「今が一番幸せ」に変化していった。

でもね、「いつ死んでもいい」という思考の癖だけはその数年では変わらなかった。

だから「幸せ」と感じられる思考の変化はポジティブなように感じていたけれど、潜在的には自分のことに無関心で、それはネガティブな感情だったの。

…大事なことなので2回言います。

“ 無関心 ” はネガティブな感情です。


自分の人生に責任を持つのが嫌で。
「明日死んでも後悔しない。」
私の過去に、後悔なんてないと思ってた。
一生懸命に生きた結果がこれだから、って。
仕方なかったし、心底どうでもよかった。

ええ、皆様が思っている以上に闇です(   ◜ω◝ )

でも、この数年で色々な出会いがあって、自分自身と向き合う機会が訪れた。
数年かけて心の健康を、“本来の自分”を取り戻したように思う。

そして今この年齢になって「仕事を頑張りたい」って本気で願った時、初めて後悔の波が押し寄せてきた。

つまり後悔というのは、全てを放棄した人間には訪れないってこと。絶望しているうちは永遠に。

あなたは必死で “生きている”。
だから後悔する。
それって健全だと思う。
後悔にはまだ希望がある。
だって、生きているから。

( 生きながら死んでいるみたいな状態が長く続くと、いくら元気になっても長年の思考の癖が直らなかったりします )

ところで私の人生は社会的な視点で言えば白紙のようなものなの。( ※経歴的に )
人生の視点で見たらカラフルでもね。

なんなら手首や腕に自分でつけた傷跡がある。
その代償はとても大きかった。

何だかものすごく苦しくなって。
周りの人達は社会的に役に立てているのに私は…なんて比べてみたりして。
いや、当たり前だよね。積み上げているものがないのだから。
( タロットでいうとペンタクルの世界ね。)

分かっていても…数時間…落ち込んだ。(短っっ)

でも、

人生をかけた大きな失敗を感じたとき、
「悔しい」という感情は抑圧しなくていい。
反省が必要ならすればいい。
でもどうか自分を責めるのだけはやめて。
あの時のあなたを否定するようなことはしないで。
あの時、あなたが出来る精一杯のことをしたのよ。
私はそれを誇りに思うわ。

とアドバイスをもらったので。

このカラフルな人生を役立てる場所を探してみます。どこかにあるよね、って思ってる。
この経験を糧に進む。

今の私にあるのは「希望」だから。

おわり

独り言のような殴り書き。
ここまでお読みくださった方、本当にありがとうございました。

あくまでも私の人生経験による視点ですので、ご容赦くださいませ。

Uni

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