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Vol.26 加藤めい「 誰もが心安らげる『サードプレイス』を文化にしたい」

「大学生活をもっと充実させたい!」「やりたいことを見つけたい!」という想いを持ちながらも、なかなか行動に移せない北海道内の大学生に向けた連載企画「Knows」。

編集チームが独断と偏見で選んだ面白大学生の人生をお届けします。今回は第26回目。ゲストは北海学園大学3年生の加藤めい(かとうめい)さんです。

加藤さんのInstagramはこちらです!

現在、主に子供との交流を通した地域のコミュニティ作りや、その活動と関連したマルシェや食事処への参加・運営を行っているという加藤さん。

そんな加藤さんが大切にしているのは、「物事に愛を持って取り組むこと」。

どんなに些細でも構いません。情熱を持って取り組める好きなことがあるけれど、好きを単なる好きのままで終わらせたくない方に是非読んで頂きたい内容となっています。

とても社交的で明るく活力に溢れる加藤さんですが、これまでの人生が必ずしも良い事ばかりではなかったことも教えていただきました。苦悩や葛藤から何を学び取り、そこからどのような紆余曲折を経て今の加藤さんが形作られてきたのでしょうか。

加藤さんが日本文化への浸透を目指す「サードプレイス」とは一体何か?

そして「サードプレイス」を大切にするようになった理由とは?

インタビューは以下からスタートします。

プロフィール

加藤 めい(かとう めい)
所属:北海学園大学 経営学部経営情報学科3年
学生生活と並行させて、現在は

NPO法人E-LINKの新規事業「おちゃのま」のメンバーとして、北海寺を拠点にした創成東エリアの地域コミュニティ作りへの貢献

「NPO法人いきたす」のワークショップ「カタリバ」プログラムのメンバーとして、高校生とのディスカッション

といった、様々な事業に精力的に活動されているそうです。

引っ込み思案な小学時代

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真ん中が加藤さん。右の、帽子(紙袋?)を被っているのがお父様。顔見知りの人とはおちゃらけるけれど、そうでない人の前では固まってしまっていたそう。

―ではまず、小学時代から順を追って。加藤さんがどんな子供だったのか教えてください。

「小さい頃は誰とも喋れないくらいの人見知りでした。今思えば人生苦労してしまうだろうなと思う位の(笑)。受け身で、自分からは人と仲を深めていけなくて。絵を描く事が好きで、教科で例えるなら図工のようなものが得意でした。それ以外は…音楽も聴かなったし、漫画も読まなかったし、テレビも観なかったし…何をしてたんだろう?今振り返っても謎です(笑)。

私とは真逆だったのがお父さんで、アウトドアが大好きだったんです。凄くアクティブで、キャンプやサイクリングに行ったり、山に連れてってくれたり。私の性格が心配だったこともあったみたいで、頻繁に外に連れ出してくれました。」

―それは意外ですね(笑)。お父様の頑張りは実ったのでしょうか?

「はい!きちんと実りました(笑)。確かに小学生の時は引っ込み思案な私でしたが、そんな私なりに、色々な物事を見聞きして、お父さんがさせてくれた体験を今でもしっかりと、それでいて特別に思っています。
私は小学校低学年の時期にピアノの習い事をしていたんですが、好きじゃなくって。押し付けられる学びという感じがして長く続かなかったんです。

お父さんとのアウトドアはそんな風に強いられるものとは違った、楽しさの中で身に付けていくものだったように思います。能動的に学びに行くことの大切さを感じましたし、その精神は今の私にも少なからず繋がっているかもしれません。」

―それはとても良かったです。お父様も報われたんですね。

成長の中学時代

―ではそうした成長を踏まえて、中学時代はどんな風になりましたか?

「実は人見知りは続いていました(笑)。私の入った中学は結構荒れていて・・・。急にそんな環境に放り込まれたものだから、その部分は私にとって大きなストレスになっていました。性格もあってこの時の私にはしっかりとした意思がなくて。

周りに流されてしまっていたこと、この時期勉強していなかったことは後悔というか、コンプレックスのようなものを感じています。確かに楽しいこともあったんですが、思い描いていたものとは違っていました。

美術部に入ったんですが、部活動全体としての絵柄の好みというかジャンルが合いませんでした。そのせいで若干サボり気味になってしまったんですが、でもなぜか部長に選ばれました(笑)。初めはあまりやる気がありませんでしたが、描きたい絵を描かせてくれたり、私を部長に選んだ先生は寄り添ってくれました。

その結果、最後の方はいくつか賞を貰うことができたりして、もしかしたらやればできるのかな?と思い始めました。今振り返ってみれば、きちんと取り組んでよかったなと思います。今はデザインやIllustlatorへの興味もあって、美術部の経験が影響を与えてくれているんだなと。」

「それと、この頃にたまたまテレビで『帰れま10』を観たのが今の私に繋がるきっかけなんです。その時はコンビニ商品を扱う回でした。

『チョコレートのパッケージデザインが商品毎に異なっているのは、対象にしている購買層が異なっているからだ』というような説明が番組の中でされていて、お客さんの心理をコントロールできることの面白さと、それがコンビニに溢れていることを知りました。ちょうど進学する理由を探していたのもあって、それがゆくゆくのマーケティング=経営学部を志すきっかけになりました。」

―ここでも今に繋がる学びがあるんですね。きっかけというのは多くは些細なものですが、こんな意外な所にも落ちているものなんですね。

人生の転換期となった高校時代

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高校の学校祭の一枚。すっかり明るくなった加藤さんですが、この時期は苦難の連続だったのだそう。

―厳しい時期でも加藤さんなりに得られたものがあったことが伝わりました。では、高校時代はどうでしたか?

「中学時代の環境のお陰で、コミュニケーション能力はついていたみたいで。高校に上がったらいつの間にか強くなっていました(笑)。けれど、周りの学生と価値観が違うことがあって、そこは若干ストレスでした。

例えば女子にありがちなグループ行動とか、誕生日プレゼントの文化とか。全部が悪い訳ではないけれど、関係性を表面的な物事で保つのは違うなと。そうでなくて悩み事だとか、感情の共有が本当に大事なものじゃないかな?と気付きました。自分の軸を認識した時期ですね。

―自分の軸。大事ですね。その他はどうでしたか?

「部活動は弓道部に入りました。袴がカッコよかったので(笑)。でもやっぱり規律や気風を大事にする部活だったので結構厳しくて。最後には同級生も数人しか残っていませんでした。2年生になるとここでも上の役職に就くことになったんですが、ちょっと部活の雰囲気が変わってきて。

これまでの気風を大切にする部員と、緩さを求める部員とで揉めたり。部活の中だけで収拾がつかない問題が増えてきて、だけれどクラスでは明るいキャラだったので、悩みを吐き出す場も無くて、とうとうメンタルがパンクしてしまいました。とても辛かったです。

心を病んでしまった私はとにかく、自分と向き合いました。その結果、『幸せになりたい!』という考えが浮かんできました。ネットやYouTubeで『幸せになる方法』と調べて、片っ端から実践しました(笑)。今までは何でも自分を責めてばかりだったけれど、自分のためにはまず自分が幸せにならないといけない。それに気付くと、前よりも世界が広がっていく感じがしました。

悩みを打ち明けられなかったせいで離れてしまった友達も沢山いたんです。それと同時に、頼れたはずだけど誰も頼れなかった自分もいました。差し伸べてくれた手に応えられなかった。先生に打ち明けようにも、距離感の壁がありました。

そういうこともあって、次からはそれに遠慮せず、頼ってみようと思いました。同時に、コミュニケーションにおける心の近さの重要性のようなものも学びました。自分を大事にできるようになれば、きっと自分を傷つけることなく、周りを幸せにできるはずですよね。」

―八方塞がりになってしまった所から、必死にもがいてそれを見事に克服してみせたんですね。

ひたすら挑戦。才能開花の大学時代

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ゼミ活動の一環としての学生プロジェクトで成果をあげた加藤さん(最前列右から三人目)。持ち前の積極性で視野を広げていったようです!

―では、高校時代の経験は大学生になってどのように開花しましたか?

「高校からの知り合いも多かったんですが、上辺だけの付き合いになってしまうのは避けようと思って、新しい人と出会うようにしました。それも、自分から積極的に。大学生だから、とにかくチャレンジしてみようと思いました。

学校祭の実行委員を務めたり、札幌スマイルアワード*に参加したり。とにかく出会いを増やしていきました。

*札幌において様々な分野で活躍している人を発掘・表彰する団体。

そんな中、講義で勧められたのが今も所属している『カタリバ北海道』でした。ちょっと、この活動について詳しく説明します。

この活動は、北海道の高校に出前授業をしに行くというのがメインです。しかも初対面の2時間一発勝負。2時間の中で、高校生という時期特有の家族関係・恋愛・進路といった悩みを掘り下げていって、共感を広げ、動機付けを促すものです。

かしこまらずにもっと近い距離で寄り添って、会話以上の対話を行うんです。先生や親といったタテの関係ではなくて、兄弟のような『ナナメ』の関係を構築して、人生のきっかけを作り出すことが目的ですね。

対話の際、大学生の役割はキャスト(直接学生と話す人)とチームスタッフ(学校ごとの学生分析、アプローチ方法などを提案する人)の2つに分かれています。

キャストからチームスタッフ一通りやってみて私はプレイヤーの適性があり、キャストもチームスタッフもその場を作り出すためには必要不可欠な存在であることから、自分なりにキャストとしてプロ意識を持って取り組むようになりました。

コミュニケーションに絡む理論を勉強し応用することで生徒たちの表情の変化や生徒から打ち明けてくれるなどスキルによる向上を感じました。そこで何事も誇りをもって取り組むことで結果や質は変化すると学びました。

高校の時に思った『どうやったら幸せになれるか?』という判断基準の下で参加する団体を決めていったのですが、そういうこともあってカタリバ北海道は私にピッタリでした。

そして、助けられる側だった私が、そんな活動の中でいつの間にか今度は助ける側に回っていたことにも気付きました。
語りを行っていく中で、自分自身の経験についても『あの出来事の時はあんな感情だった』『あの出来事のお陰で今の自分がある』というような気付きがあって。自分の中で大切にしているキーワードと再び出会えたような気がします。

でもコロナ禍で活動がほとんど無くなってしまって、希望して入ったゼミの活動も遠隔になってしまいました。自分の望んでいた活動が何一つできなくなって、学校を辞めてしまおうかとも思ったんですが…。」

―なるほど。カタリバを通して、高校生への手助けを行うだけでなく、加藤さんも自身も成長することができたのですね。コロナ禍の影響を受けて、それからはどうなっていくのでしょうか?

「ある時知り合いから『シェアハウス住んでみない?』という連絡があって、軽く返事をしたらトントン拍子に事が進んで(笑)。そうなったら当然住まない訳にはいきませんよね。

実際色々な住人がいて、凄く面白かったんです。コロナのせいにしている節がありましたが、探してみれば良い出会いは沢山転がっていました。新太郎*とも出会えましたし(笑)。」

―あれは楽しかったですね(笑)。

サードプレイスについて

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*Knowsの代表、金子も同じシェアハウスの住人でした。夢を語り合ったシェアハウスでの一枚です。
加藤さんは左から、金子は右からそれぞれ一番目。

 「このシェアハウスの生活の中で、人生で初めて、夢について語る機会があったんです。私は夢を語ることができて、それを真剣に聞いて考えてくれる人達に初めて出会いました。私が語ったのはサードプレイスの重要性です。サードプレイスというのは、自宅や学校・会社とは異なった、自分自身の第三の居場所のことです。様々な価値観の人が様々に集まって対話をする場所ですね。

そのサードプレイスの存在を大人の方々に理解して貰いたかったんです。日本にはサードプレイスの文化が浸透していないこともあって、心置きなく安らいだり、楽しんだりできる機会や場所がその分だけ乏しいんです。

ですからまず、サードプレイスを知らない、自分には関係ないと思っている方々にこそ、そうした場所の存在を伝えたいと考えました。

その足掛かりとしてカフェを開こうとしたんですが、断念しました。カフェという空間では若干近寄り難い印象を与えてしまうからです。

きっとサードプレイスの重要性を既に理解している人は足を運んでくれますが、最も重要なはずの、サードプレイスを知らない人が訪れてくれなければ意味がないと感じたからです。」

「そこから次に、大人たちにサードプレイスを認知してもらう為に私が考えたのは、その子ども達へのアプローチです。彼らに対して、自尊心や自己肯定感を高めてあげられるような場所を作ろうと考えました。

なぜかと言うと、子どもには当然、その親御さんがいますよね。親御さんは、自分の子供がどういう体験をしてどういう大人になっていくのか、成長を気にかけます。つまり、子供の心の豊かさを育んでいくことによって、その上の親御さんの世代も巻き込んで感化させていこうと考えたんです。」

―なるほど、幅広い世代を巻き込んで広がっていくサードプレイス。素敵ですね。

「今の時代は共働きや核家族の家庭が多いですよね。だから全てを親が背負い込む必要はない。私たちのような地域の学生が請け負ったっていいんです。私たちがいることを安心材料にして欲しいんです。子どもを通して、親御さんも豊かに。地域で育てる事もできるということを伝えたいんです。

今は札幌・創成東エリアを中心に活動していますが、コミュニケーションのレベルを地域単位でもっと上げていけたらいいなと思っています。

私は、こうしたサードプレイス作りに死ぬまで関わっていたいんです。私が死んでしまっても、どこかで誰かが絶対にやっているはずです。そこまでの確信を持てる理由は、『必要性』です。どれだけ社会的意義があるかというのが、取り組めば取り組むほど明らかになっていきます。

子育て・介護・自己ネグレクト・商店街の活気…。社会問題と言われるものは数多く存在していますが、そうした問題は人間関係の改善というクッションを挟むことで、いくらか解決が図れるのではないかと感じました。

地域の人々の所属意識を必ず変えられるということは、自らの身をもって体験しています。いまは創成東エリアに留まっていますが、このような活動が全国レベルに広がれば、全国の問題がより良い方向へと向かいます。スケールが大きくなっていけば、最後には日本全体がより良くなっていきますよね!

ー聞けば聞くほど素晴らしい活動展開です!

今後の展望とメッセージ

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「おちゃのま」の活動で、地域の子ども達と触れ合っている一枚。工作やゲームの他、お寺の本堂では鬼ごっこ等で遊ぶことも。

―それでは、そんな加藤さんの今後の展望についてはいかがでしょうか?

「はい。『幸せのプロ』であり続けることです!自分を一番幸せにするため、幸せとは何かについてひたすらリフレクション*して、一瞬一瞬に現れる自分の幸せについて常に考えながら生き続けていきたいです。

*内省して、自分を振り返り見つめなおすこと

自分が唯一持っているのは、思いを伝え続けて、納得いくところまで完成させていく能力だと思っています。自分の見たい景色の為にも生きていきたいですね。

お金の問題とか、コロナ禍であるとか、やりたい事を何でも思い立った瞬間にやれるご時世ではないですが、立ちはだかる壁をどうやったら越えられるか考えて、やりたい事をできるだけその形を崩さずにやりたい事のまま達成できたらなと思います。」

―ありがとうございます!では、やりたい事が見つかっていなかったり、一歩を踏み出せない大学生への、加藤さんなりのメッセージをお願いします!

物事に対して、情熱だけでなくて愛を持つこと!ですね。ここでいう愛というのは、ただ単にその物事を大好きになるという意味だけではなくて、それを時には批評したり、自分事のように考えてみるとか、そういうことです。それに対して、とことん突き詰めていけるか?ということです。

一歩を踏み出す為には、ただ『やりたい』だけではダメで、それと本気で向き合う必要があると思います。向き合っていると、良い所も悪い所も見えてくるんです。そうして初めて妥当性のある提案が思いついたり、見えてくる課題があるんです。

きっかけは『誘われたから』『誰かに言われたから』でも構わないと思います。けれども、そこから先に進んでいけるかどうかは、先ほど述べたように、自分自身が愛を持って取り組めるかどうかで決まります。

自分が今受け身で取り組んでいる物事なんかも、一度愛を持って取り組んでみてはいかがでしょうか。

物事を好きになりに行く経験というのも大事です。自分に課題として課してみると、見えてくるものがあるかもしれませんよ。」

―物事への愛。何にも勝るものですね。僕も持ち続けていたいです。物凄く熱くて、それでいて温かい沢山のメッセージ、ありがとうございました!





インタビューは以上になります。

悩み続ける中でアイデンティティを見出し、それがやがて自分の信念となって、いつの間にか救われる側から救う側へ。短いインタビューでしたが、歳を重ねる度に加藤さんの人間性が確固たるものになっていく様をうかがい知ることができました。

眩しいくらいの信念とブレない軸を、同じように僕も持つことができるように進んでいこうと思います。
この記事が、同じように悩める学生の皆さんの手助けになれば幸いです。

最後までお読み頂き、ありがとうございました!

加藤さんのインスタグラムはこちらです。

取材:金子 新太郎(Twitter)
文:山内 翼(インスタnote)

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