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祈りによる進化

 どのような存在の状態にあろうが人を選ばず実効性があり、導き手・導師がなくとも実践できる祈り言葉を三種、記述しておきます。

 導入として前振り。

 現在、数えきれないほどのその種の情報があり、それらを個人の精神の自由な態度において参照してみること、また、興味を持たぬことをも含め、取捨選択するのをおすすめする個人的な立場を、わたしはとり推奨しています。



 他の星系人の高次存在のエネルギーをおろす、翻訳モノのアフィアメーションによるヒーリングは意味内容、存在を指し示す際の曖昧さがある上、頭上のチャクラ・エネルギー回路が整備されていないと実効性があまり無い場合が非常に多い、と個人的には感じます。私には光線の奔流が霊的なまなざしで知覚できぬ場合そして体感が発生せぬ場合がとても多く。そして、わたしのこのような実感の記述で察していただけるかと思うのですが、遥かに振動数の違ったエネルギーの接触に成功できる、おろせる、そこまでの身体的器を皆が持っているわけではない。それへの必要条件であるのではないかと一考することができる、頭の上にある8~12番目の(ジュード・カリヴァン博士による)エネルギー場の開発、それが行われている人間はほとんどいないのが実情である。
 いつのまにか降り注ぐ時代の特徴的な宇宙放射や、高次存在のエネルギーに知らずに恩恵を受けていた、ということはあるでしょうが、それで浄化しきれない・届かない物質的寄りの存在のエネルギー段階にあれば、時代のものとして偏在し恩寵とも言える降り注いでいるその放射やエネルギー、その補助射撃だけでは個人の進化がなんともならない場合があると考える。また、このことについては受け入れられるエネルギーの流入量を個人の守護存在が調整している、という地上での大きな事情も関連している。
 人間の地上生活での進化は、社会の信念体系マトリックスの重鈍な層、
家系の業の層、過去に重ねた資質やカルマによる生命力の無意識下での霊の法則によるやりとりの影響、唯物主義的理性、個人の低位自我の克服変容度合い、職業的に必要とされる感情や身体の負荷、他者のエーテルコードや押し寄せる感情、思考形態の質、世俗的であるかそうでないか、身体の健康度、などなど様々なひしめき合いの環境下において営まれます。
 そして、祈り言葉というものは、イデアの世界というか上というか日本神界とかでもいいのですが、実体のあるエネルギー思考存在階層世界と連携されていて(エゴによる熱意を聞き取って意識存在が呼応してゆくというのもあるでしょうが)、つまりコーディングされているほうが確実というか、その必要があります。
 前々段落の、幾つかの要素を変質しうる、そして軽く生あることの歓び多き人生、細密模様のように入り組んだ複雑性を獲得する人生、そのような芳醇な地上生実現のために、実効性がはっきりしているものを、なんらかの助力になることがあるのではないかと、以下に記述します。

 なお、信仰は一般的傾向として創造的思考を狭め、長期の経過的には痴ほうを誘発する可能性が高まる、ということがある存在によって指摘されています。程度を考慮せずに過度に実践することは推奨しません。

 (創造的思考を狭め について::例えば、神の名のもとに私は善なることしか想起しない、そんな心情目標をもつ人物が、極めて優れたクライムサスペンスを上梓することや国際情勢アナリストになることはなさそうだ、そんなことを考えていただけるとわかるかと。横溢する信念のもとで不可能になる思考があります。)



アメノミヒカリトワノオオミカミ

 唱えるだけです。天照大御神が仏教的世界にまたがり降下し、菩薩的働きをする時の御名前。ある神道家によって提唱されましたが、意識エネルギーとして実体があります(2024年時点)。ちなみに天照大御神は常に地球に常駐している神霊ではありません。(らしい) 想起・唱えると、強い黄色の作用を含んだひかりが差し込み、比較的重い魄(この場合感情など周辺などの半物質的構成要素を大雑把に指す)・業全般などを浄化し、進化を促します。エネルギーの同化が進むと、唱える自身もなごりで暫し光を発します。人間の本質は、言ってしまいますが、ひかりです。



Salome gam nan ben Urda gan njber asala Hesporona.

(サーロメ・ガム・ナーン・ベン・ウールダ·・ガン・ニーバー・アサーラ・へスポローナ)

 古代リラ語でコーディングされた祈りです。太字の文字は強調し、長く発音します。
意味は
  地上とすべての被造物に平和がもたらされますように。
 別の時空宇宙に存在するプレアデス人も時間を地球宇宙の時刻に合わせ(今現在技術的な進展により地球上での時刻の同時性については、地上で考慮しなくてもよくなったというアナウンスがあったようです)祈りをささげています。時刻を合わせうまく集中に成功すると、静謐で霊的な生命力が波打つ祈りの層に届きます。慣れてくると、胸部のチャクラ周辺からも穏やかなインパルスが広がるかと思います。
 平和は、私たちのこころに平和が広がりゆくことでしか、創出することができません。
 
  詳しくは、検索で探してください。


 光の瞑想・祈り

 私は、私の周りの光の存在、意識体に宣言します。
 私の持てる光の全てを捧げます。
 この光は、宇宙の根源より供給され、尽きることはありません。
 私は光、私は光、私は光・・

 私の光の全てがこの地球を覆い尽くし、地球と一体となり、
 私の存在の全てが地球そのものであることを祈ります。
 私は地球が感じる感情の全てを理解し、共に分かち合うことを誓います。
 私は、光を地球に注ぎます。
 私は光、私は光、私は光 ・・


 動植物や環境との一体感・心通わせる感覚の著しい促進、孤絶感の緩和、意識の拡張、高次の宇宙意識存在のサポート(光の存在と呼ばれる段階の生を送るものは霊的に高度に進化しており、強制力の生じない中性的インパルスでの対象者それぞれの意識進化に見合った段階の波動である)、低位自我との闘いの戦況好転化のきっかけの訪れ(あえて書いておく)、天真爛漫、傷ついて満身創痍である地球生態系への機能実際においての文言の響きによる癒し、様々な変化がありそして自身に起こり、進化が加速されます。
 この祈りは20年ほど前に日本に於いて、日本神界と様々な進化した星の宇宙意識存在の連合によっておろされ提唱され、コーディングされています。この文言に関しては、語尾や多少の文体の変化は、問題がないようです。
 光は各個人の特質にあったものであると思います。
 執筆者であるわたしは、黄色から白で、稀に桃色のこともあります。


 ではでは(*'▽')。






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