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おみまいのおてがみ

おみまいのおてがみ

 風邪をこじらせている。もう三日目なのに熱も下がらないし、異様に身体がだるい。肺がぜえぜえする。もしかしてこれはインフルエンザだったのだろうか…なんて考えも頭をよぎるけれど、今さら病院に行く気力もない。ポカリスエットを飲んでは、ぬるくなった氷枕に頭を沈める。

 小さい頃は身体が弱くて、しょっちゅう熱を出していた。そして一度、風邪をこじらせて肺炎になり入院した。6歳、幼稚園の年長さんの、梅雨の頃だ

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クラムボンの友人C

クラムボンの友人C

「リップヴァンウィンクルの花嫁」のエキストラに参加したのは、昨年の絶賛フラフラ期間中のことだ。池袋のとある結婚式場に着くと、私に割り当てられたのは、新婦・皆川七海のホンモノの友人席だった。テーブルには六人の同世代の女性。ぎこちなく自己紹介をする。

ホンモノの顔をしたニセモノの私たちが座る豪華な円卓上のグラスには、シャンパンの代わりにジンジャーエールが入っている。それでも、軽部さんの進行も手伝って

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こころに絆創膏

坂道で転んだ。星野源を聴きながら、少し遠回りして夕暮れの路地を下っていた途中だった。両膝から下をザーッと擦りむいた。久しぶりに派手にやっちゃった…こういうときオトナってどんな顔すればいいんだっけ?と思いつつ、あまりに痛くて道端にうずくまる。傷口は未だにニガテだ。ダラダラと止まらない血にオロオロしてしまう。

すると、一度わたしを通り過ぎて行ったおばちゃんが、道を引き返して近づいてきた。幼い子どもに

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4年前のこと②

4年前のこと②

母親と妹の高校へ向かう。あれだけ揺れたのに、住宅ばかりのこの一帯には、これといった大きな変化は見当たらなかった。道を急ぐ人が多い。明らかにいつものこの時間帯とは人の流れが違う。高校に着くと、生徒たちが講堂に集められていた。妹はあっけらかんとしていた。自力で帰れる目処がついた者から解散となったようで、三人で帰ることに。近所の魚屋さんが開いていたので、そこでパンを買った。いつも魚だけでなくお惣菜なども

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4年前のこと①

4年前のこと①

2011年3月9日、大学の合格発表があり、無事志望校への入学が決定。その翌日の10日には、受験前に放置して腰くらいまでのスーパーロングになっていた髪を切って、はじめてのパーマをかけた。「パーマがとれちゃうから今日は頭洗わないでね」という美容師さんの忠告どおりにする。このあとしばらく髪が洗えない事態になるとは。11日、どこかへ出かけようとしたが、家の中で右手の小指をなぜか強打し、何となく不吉な感じが

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100-10=90

100-10=90

ランドセルにはいくつかポケットがあって、一番手前のチャックの付いた小さなポケットには、たいていお守りと10円玉と100円玉が入っていた。

10円玉は、なにかあったときに家に電話をかけるため、100円玉は、なにかあったときにバスで帰るため。

小学校までの通学路は、子どもが重たいランドセルを背負って歩くには長い距離で、まだ身体の弱かった私は、ときどきその100円玉にお世話になっていた。

小学校低

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ふれる

ふれる

「掌を机に乗せて、ぺたっとくっ付けてください。確かに机に触っている、と感じますよね。さて、この時、あなたの掌の何分の一が実際に机の表面と接地していると思いますか。」

講義室の大半の学生が、机に手を乗せたまま考える。教授が尋ねる。学生は質問の意図がよくわからないまま当てずっぽうで数字を答える。8割、7割、なるほどね。3割、えー、いくらなんでも少なくない?

「正解はね、一万分の一らしいんですよ。嘘

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ku・sa・i・ki・re

ku・sa・i・ki・re

ニッポンの短い夏は終わった—。あのサムライブルーの色を見るだけでも、ちょっと切ない気持ちになる。ワールドカップで話題になったものは様々あるけれど、椎名林檎氏の「NIPPON」という曲もそのひとつ。耳にしたことがある方も多いだろう。

椎名林檎自体はとても好きなのだけれど、どうしてもこの曲ばかりは引っ掛かって仕方がない。それは恐らく、ある一単語が原因である。

万歳!万歳!日本晴れ 列島草いきれ天晴

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セコムしてますか

セコムしてますか

通学路に大きな家がある。家というかお屋敷と言った方が適切かもしれない。門から覗き込むと、手入れの行き届いた美しい庭が見える。建物も複数棟建っているようだ。莫大な財力を感じるけれど、どこか品性のある佇まいが素敵だ。

こういう階級の家ともなると、警備も万全だ。セコムしている。セコムしている家には、「セコムしてますよシール」が貼ってあるけれど、この家のは異様にでかい。一辺が20cmくらいあるのだ。し

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九階の窓辺

九階の窓辺

西日の差す九階の窓辺で、これを書いている。

窓からの眺めは申し分ないのだけれど、ガラスにはおびただしい数の小さな虫の死骸が貼りついていてぎくりとする。目の前には4台のパソコンとプリンター、それを取り囲むようにあるのは、硬くて重たい本たち。長年の勤めにより草臥れ互いに寄りかかる図書館のそれらとは違って、古い本だが傷みは少なく自らの力で凛と本棚に整列している。中には永遠の眠りにつきし哲学者たちの生涯

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アイアムアイ

アイアムアイ

少し前のことだけれど、旅先で「アイアムアイ」という名のカクテルを飲んだ。

四月、世間ではすでに新学期が始まろうとしていた。私はというと学校へは行かず、船に乗った。旅行と言っても目的もなければ滞在日程も決まっていない、いわば逃避行だった。理由は、まあ色々あるんだけれど、ここでは割愛。とにかく、もうとにかく、物理的に逃げた。

その日は、観光地らしいところは行かず、その辺の商店街とか、その辺の住宅街

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そばにいて黙るとき

そばにいて黙るとき

私の住んでいる仙台において、「あの日」以降行われた多くのクラシックの演奏会では、プログラムの最初に黙祷が捧げられてきた。それは「復興チャリティーコンサート」的なものに限ったことではない。音楽を楽しむこと自体が不謹慎なのではと多くの人が迷っていたあの頃、その罪を贖うためにやらねばならない儀式として置かれていたのだと思う。

先日行ったオーケストラのコンサートは黙祷があった。ただし、座ったままでの黙祷

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シンクロニシティーン

シンクロニシティーン

シンクロニシティとは、「必然的な偶然の一致」「意味のある偶然」のことである。例えば、ある人に会いたいなと思っていたところばったり会ったとか…因果関係は説明できないが、ただの偶然とは思えないような出来事を指す。

ともすると、超常現象のような非科学的でやや胡散臭い領域に足を突っ込みがちな考え方でもある。そういった意味でのシンクロニシティの論理には少々懐疑的で、あまり賛成はできない。しかし、もう少し広

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クリーム玄米ブラン

クリーム玄米ブラン

高校三年生の時、大学受験に失敗した私は、19歳の一年間を浪人生として過ごした。 朝から授業を受け、自習室で20時まで勉強。家に帰ってからは単語帳の類しか手を付けない、というルールを決めた。家でやっても効率が上がらないのは高校時代に実証済みだったからだ。その代わり、ほとんど欠かさず毎日予備校に通った。家ではまったく勉強をしなかったので、家族には本当にこいつ大丈夫なのか…と思われていたみたいだけれど、

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