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シンクロニシティーン

シンクロニシティとは、「必然的な偶然の一致」「意味のある偶然」のことである。例えば、ある人に会いたいなと思っていたところばったり会ったとか…因果関係は説明できないが、ただの偶然とは思えないような出来事を指す。

ともすると、超常現象のような非科学的でやや胡散臭い領域に足を突っ込みがちな考え方でもある。そういった意味でのシンクロニシティの論理には少々懐疑的で、あまり賛成はできない。しかし、もう少し広義のシンクロ二シティについては検討してみる価値があるのではないかと思う。ここで、「自己と他者との間に、因果関係の説明できない共通点が見つかった」という場合を考えてみよう。

「ある時点において思考体系や趣味嗜好においてままならぬレベルの共通点を見出した人とは、時間と空間の隔たりを経ても、別の形で思いもよらぬ共通点が再び見つかる」、こういうことが私の身にはわりと頻繁に起こる。数年ぶりに再開した友人と、別の場所で出会った共通の知人がいることが発覚したり、もうしばらく会っていない友人が、自分が最近考え始めたことと全く同じようなことをツイッターでつぶやいていたり。このような他者と自己との間には、顕在化している個々の具体的な共通点だけにはとどまらず、潜在的に通低している同一性があるのではないだろうか。つまり、シンクロニシティ自体はその潜在的な同一性が立ち現われたものにすぎず、具体的な共通点が新たに現われるのは必然なのである。

さらに、常に感度良くアンテナを張り巡らせている関係において、シンクロ二シティは立ち現れやすくなる。例えば、私は鮭のおにぎりが好きだが、見ず知らずの人が鮭のおにぎりを食べていたところで特に何も感じないだろう。なぜなら、鮭のおにぎりはこの世に無数に存在していて、とりわけ珍しいものではないからだ。だが、それが仲の良い友人だったらどうだろう。「私もおにぎりは鮭が好きなんだよね!」と思わず声をかけるかもしれない。この時、「鮭のおにぎり」というごくごくありふれた存在が、私と友人の間においては特殊な記号として機能するようになる。それ単体では何の変哲もない出来事が、ある文脈に乗せられることで意味を持たされる。これがシンクロニシティの正体なのではないか。

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